ふた旅 めぐる旅 東北編 ⑦

奥津軽いまべつ

このテーマの最終回として、北海道新幹線の奥津軽いまべつ駅のことを採り上げました。3年前の新幹線開業時にできた駅であり、“ふた旅”ではなく、初見参の駅でしたが、その複雑な歴史や駅構造、隣接する津軽二股駅のことにも触れてみることにします。

奥津軽いまべつ駅は、今でこそ、北海道新幹線の駅ですが、この駅ができたのは、1988年に津軽海峡線が開業した時であり、当時は「津軽今別」と称していました。多くの特急列車や長大な貨物列車が通るため、対向式のホーム長のある駅でした。

現在の奥津軽いまべつに到着する「はやぶさ」。一日の発着本数は上下14本、一日平均の乗降人数は66人で、新幹線駅のなかでは最も少ない。3年経っても、見物目当ての客のほうがが多く、私もみどりの窓口で収集目的で観光入場券を買うと、駅員から“もうすぐ列車が来ますから、見ていったらどうですか”と勧められ、ホームに入場した。本州にある、唯一のJR北海道の駅で、すべて北海道仕様の駅だった。

津軽海峡線は、津軽線の中小国と江差線木古内駅を結ぶ、青函トンネルを含む路線として開業した。国鉄の分割・民営化の際、青函トンネル、海峡線は北海道の所属とし、東日本との境界駅を中小国とした。この時には、津軽今別駅の構想はなく、保守基地とする計画だった。付近には、並行する津軽線の津軽二股駅もある。しかし、海峡線にも駅があると、青森への通勤通学が便利になると、地元が請願してきた経緯があり、引き継いだJR北海道としても、青函トンネルのトラブル時の地上避難所としての思惑もあり、1988年3月に津軽今別駅が開業した。

そして1996年に北海道新幹線のルートが合意した際、津軽今別駅の位置が「新幹線奥津軽駅(仮称)」として盛り込まれた。駅の営業を停止して列車はすべて通過して、新幹線駅への工事を進め、2016年に駅名を「奥津軽いまべつ」に改称して再開業した(届け出上では、廃止、新設扱い)。

奥津軽いまべつ駅の駅舎全景。4階まで上がり、連絡橋を通って橋上駅に至る。付近に集落は全く無く、広大な駅前広場に出入りするクルマも見当たらない。

エレベーターで4階に上がり、連絡橋を渡ると、▲▲みどりの窓口と改札口が現れる。待合室もあるが、全く人影は無かった。向こうに見える家族連れも、近くの「道の駅」へクルマで来て、見物に来た入場券の一団。

津軽いまべつ駅に発着する「はやぶさ」は、上下合わせて14本、案内表示のように、つぎの列車は3時間後だ。請願時の「青森への通勤通学」の趣旨は引き継がれて、奥津軽いまべつ7:26発、新青森7:41着の「はやぶさ8号」が設定されている。▲▲駅名標も北海道仕様、ホーム番線は11、12となっている。▲▲▲奥津軽いまべつと、津軽鉄道五所川原駅を結ぶ弘南バスが4往復設定されている。私もこれに乗って津軽鉄道へ向かった。乗客はあと2名、いずれもシニアの一人旅だった。

奥津軽いまべつの構内(ネットから転載)。青函トンネル、海峡線は、新幹線との三線式になっているが、駅付近では、海峡線(狭軌)は外側に分かれていることが大きな特徴(図の紫線)、さらに保守基地への引込線が分岐している。

4階相当の連絡橋から見た全景。右上の複線部が、別線となった海峡線、旅客列車は無くなったが、貨物列車はここを通る。右下に顔を出したのは、保守基地への引込線で、こちらは、新幹線、海峡線、両方の保守車両が通る三線式になっている。左手は、津軽線、左上に津軽二股駅と道の駅が見える。

反対側を見る、ここでは三線式が分離していて、右奥が新幹線、左奥が海峡線の保守基地となる。津軽線が右上へ細々と曲がっていく。

津軽二股駅

いっぽう隣接する津軽線の津軽二股駅、ここは、昭和33年、津軽線の開業時にできた。もともと島式ホームの交換可能駅だったが、海峡線の開業時に、棒線ホームになった。両駅は乗換駅と見なされないため、通し切符は発行できないが、18きっぷの「新幹線オプション券」は、特例扱いとして、ここで新幹線に乗り換えができる。

津軽二股を発車した津軽線の列車。背後は、奥津軽いまべつ駅への連絡橋。

道の駅に隣接していて、利用客は多いが、全員クルマ利用だから、駅の一日乗降数は24人と、新幹線駅より少ない。

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