半世紀前の淡路交通(2)

それでは2人が眼にした電車などを紹介することにしよう。宇山車庫で見せてもらった形式図や書類を2人は1冊の手帳に分担して記帳している。片方が記帳の時は、もう一人は外へ出て撮影をしていたようである。以下の説明は、一部について鉄道ピクトリアル161,162号を参考にした。

*キハニ1→モハニ2006:電動車化1948年6月、床下に電動機(TDK516A・85㏋×2)取付、内燃動車時代の推進軸により駆動する直接制御車とした。1955年8月、ブリル27GE1台車にすると共に電動機(WH37kw×4)は吊り掛け駆動とし、制御器はGE-PC形、制動方式もAMJ自動ブレーキとした。1957年5月、車体改造を行い上り(洲本側)方の運転台撤去、荷物室仕切撤去、貫通路の開設、定員80人(手荷物4.3頓)を乗客定員90(36)人、制御器統一でMK方式とした。更に1958年9月ドアエンジン取付をしている。

*キハニ6→モハニ2007:電動車化1948年9月、要領は2006号と同一。ところが1955年9月直角カルダン改造とあるが委細不明。1956年3月MK、AMJ化。1958年9月、客用扉閉鎖窓新設(荷扱い扉を客用に)及びドアエンジン、塗油器取付。定員は100(42))人となる。

*キハニ5→モハニ2008:電動車化1950年3月、おそらく南海から譲渡された電動機・50㏋×4と直接制御器を使用したものと思われる。その後1954年12月、当車は台車をブリル77E2からTR10に取り換え、運輸省の補助金を得て神鋼電気製の垂直カルダン方式を採用した。電動機は75㏋×4、制御器はSE・RPC‐101となった。1958年1月、貫通路設置、荷物室と客用扉撤去(荷物室扉を客用に)、ドアエンジン取付とある。定員100(40)人。尚、当車は代燃装置取外し後、トレーラーとして使用されていたらしいとの話もある。

*キハニ3→モハ2009:電動車化1956年3月、木造電動車1001を制御車とし、その電動機WH‐101H、37kw×2にした。この時の台車は日車・菱枠型である。形式図ではBL27GE1とあり、現車は日車製である。藤井信夫氏の記述によれば、後述の111号とMTc編成を組んだとあるが、訪問時は63形供出車1003号とMM編成であった。後に出力強化されたものと思われる。1958年8月車体改造と制御器及び制動装置の変更についても先の2007に倣っている。当時のメモに113→2009とあり、代燃装置を取り外した後、一時期トレーラーとして使用していたのかも知れない。また逆で2009→113として元内燃動車6両を、垂直カルダン編成3本へと目論んでいたのかも知れない。想像するのは勝手で、夢ある話だと思いませんか?

「内燃動車発達史」をお持ちでない方にほんの少し補足しておこう。キハニ1,2は川崎車両製で、全長

12,840粍。キハニ3、4は日本車両製で、全長13,120粍。キハニ5,6も日車だが、全長15,294㍉と長い。価格だが1~3は12,635円、4は16,215円、5は23,145円、6は23,845円となっていた。

*キハニ2→クハ111:制御車化1951年9月、1957年5月乗務員室、客室出入口扉一部変更及び貫通化改造とある。ハニ→ハとなったのであろう。1958年7月ドアエンジン取付。

*キハニ4→クハ112:制御車化1952年3月、1958年8月ドアエンジン化、1960年1月貫通扉設置及び運転室変更。この2両のクハは上り(洲本)方片運転台となった。これら内燃動車改造車は電動車を含め、乗務員扉を両側面に整備したりで窓配置や顔付の変わったものもある。

写真は6枚、連続して掲出する。垂直カルダンの図は三重交通志摩線5401号のものであるが、淡路交通も同一と思われる。これについて、「ぷるぷるさん」が解説してくれるとうれしい。(つづく)

モハ2006

    モハ2006

モハ2007

   モハ2007

モハ2008
モハ2008
モハ2009
モハ2009
クハ111
クハ111
クハ112
クハ112
垂直カルダン駆動の構造図
垂直カルダン駆動の構造図

2 thoughts on “半世紀前の淡路交通(2)

  1. 沖中大老のご指名です。D50の投稿で未だ生きていることを自らバラしてしまったので、仕方なく以下に解説を試みる次第です。なお私、垂直カルダンの構造図を見るのは初めてで、電気屋と言うよりシステム屋の私もしげしげと見入りましたが、実に分かり易い図であります。図を見比べながらお読み下さい。

    1.全体の構成
    この図は左右車輪の内側にセットされた電動機と、その動力を伝える二組の歯車箱(ギヤーケース)で構成される駆動装置の、組立を車軸方向に見たものです。①の電動機は⑭の防振ゴムを介して台車枠に取り付けられるはずで、この図では定かではありませんが、図の左側が台車中心寄りではないかと思います。⑤の歯車箱は電動機の外枠に取り付けられ、④の可撓(かとう)歯車までがバネ上となります。一方、⑮の車軸にセットされた⑪歯車箱は駆動トルクの反力を生じますので、⑫歯車箱支え腕と⑬緩衝ゴムを介してこれも台車枠に取り付けられた筈です。軸バネの上下変位量を許容するような円形の積層ゴムが使われたのではないかと思われます。
    このように電動機軸がレール面に対して垂直になっていることから垂直カルダン駆動と呼ばれたのでしょう。

    2.動力の流れ
    主電動機で発生した駆動力は、電動機出力軸に固定された②ピニオン→③中間歯車→④可撓歯車→⑥スプライン外軸→⑦スプライン中軸→⑧自在継手→⑨小傘歯車→⑩大傘歯車→⑮車軸→車輪と伝わります。

    3.カルダン駆動としてのミソ
    この駆動装置のミソは台車軸バネの撓みによって生じる⑪の歯車箱と、台車枠に固定された①電動機および⑤歯車箱両者間との変位を、上下方向は⑥⑦のスプラインで、⑦スプライン軸の曲げ方向(前後、左右)の自由度は⑧自在継手で許容したものと思われます。

    4.ぷるぷるの勝手な評価
    今日、平行カルダン(中空軸、TD、WN)が殆どとなってしまった現在、黎明期のこのようなチャレンジングな駆動装置を今日的考えで評価するのは本当は正しくないのかも知れませんが、図を見た限りでは
    (1)ベアリングが多い
    (2)②③④各歯車の潤滑が難しい(通常のギヤーオイルだとオイル漏れを起こしそう)
    (3)電動機内部の冷却風の方向によっては塵埃の侵入が多くなり、下側に設けられている整流子・ブラシのトラブルが多くなると予想される。

    と、こんなところでしょうか。今、パスタを鍋に投入したので8分でテーブルに着くよう指示がありました。ゴハンです。

  2. ぷるぷるさん、名解説ありがとうございました。26の世界なら台車枠間距離の事を考えると垂直カルダン方式は理解できるのですが、36の世界で2例あるのは当時、乙訓には理解できないことでした。須磨はどのような意見をお持ちなのか、お伺いもうしあげます。

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