昭和の電車 改訂版(105)ー富士身延鉄道モハ100型ー

またまた宮崎繁幹様の援護射撃が必要となります。
その前に藤本哲男さんの詳細なモハ100などの研究論文が投稿されていますので再度掲載致します。(準特急さんの写真あり)

富士身延鉄道モハ100形/その後の変遷

富士急行ロハ901→流山電鉄クハ53

6 thoughts on “昭和の電車 改訂版(105)ー富士身延鉄道モハ100型ー

  1. 今回のお題は、なかなかの難題です。米手様には援護射撃とおっしゃられ、しばし困惑。でも何とか高松吉太郎氏のプリント2枚を発掘して参りましたから、御覧にいれましょう。裏に記入されたデータでは、昭和16年10月10日撮影となっています。これは、なかなか微妙な時期です。富士身延鉄道は、同年5月1日に買収され、国鉄の仲間入りをしました。もっとも、その3年前から国鉄が借上げ、実質は国鉄線化していたようです。撮影地の記入はありませんが、背景から見て富士駅に近いところのように思えます。添付する1枚目は、恐らく110形の単行です。車番を完全に読み取ることが出来ぬが、110か113のようです。そうこれは、富士身延の車番です。買収から半年を経ていないこの時点では、未だ書き換えられていなかったようです。ご注目頂きたいのは屋根で1挺パンタですが、反対側にパンタ台だけが見えています。後でまた触れたく存じます。

  2. 2枚目は、関先生の絵と角度は違いますが、背景は富士、役者は電車牽引の客車と、舞台はおんなじ趣向です! この写真、1枚目以上に車番が読めませんが、番号が記載されている部分の幅に着目すると、電車は3字分、客車は2字分と見ました。これが省電の車番であれば、5桁を要する筈なので、これも社線時代の旧番が表記されているようです。絵と異なるのは、おへそライトが既に廃され、屋根に上げられていることくらいでしょう。

  3. では最初のコメントで記したパンタ台の件、実はこの電車は社線時代、2挺パンタだったとのことです。なかなか勇壮な恰好をしていたと思われますが、ちゃんとした写真が見当たりません。富士身延は電化が昭和2年、買収が昭和16年と、存続期間が短く戦前に訪れた鉄道ファンは、とても少なかったのでしょう。でわ、「ちゃんとしてない」写真ならあるのか? あるんです。身延線沿線は、身延山を除き、観光地らしきものが少ないが、唯一、下部(しもべ)温泉は戦前から有名でした。そこで絵葉書には、下部駅を取り上げたものがあるのです。車輛は付けたりなので、前部のパンタがちょんぎられていますが、2挺パンタだったことは、なんとか読み取れます。これにて、援護射撃を終わります!

  4. 撃ち方止め!
    宮崎繁幹様の援護射撃、お見事でした。おかげさまでレスゼロの汚名は免れました。
    それにしてもすごい資料をお持ちなのですね。これ以降、関東の私鉄が続きますので心配をしております。なにとぞよろしくお願い致します。
    ところで写真について質問を一つ。
    三枚目は電車が客車を二両牽いているのですか?それも大型車と小型車を一両ずつ。

  5. 米手さま すごい資料なんてぇことはなく、長きに渡る鉄道趣味生活で溜め込んだもんに、過ぎませぬ。デジ青のお蔭で、多少お役に立つことが出来ました。感謝しております。そこで腰折れを一句。「デジ青で 棚の肥やしも 珠となり」、オソマツ。 ご質問の件、ご覧になった通りで、なかなかこの電車、力持ちのようです。富士身延鉄道は、社線時代のことを詳しく述べた記事を見た記憶がありません。ボギー車は事故車を除き、全て国鉄に引き継がれたようですが、2軸車は買収以前に整理されたとのことです。佐竹さまの「私鉄買収国電」の解説中に、若干触れられておりますが、2軸客車は電車(制御車)に後年改造され、とんでもない珍車になったようです。何時の日か、その記録が現れるのではないかと、楽しみに待つことと致しましょう。

    • 名句を頂きました。
      当会の初期のBOXに掲げられていた『訓示』“貯金、勉強、親孝行”以来の名文となりました。会長以下、デジ青関係者一同感涙にむせんでいると思います。

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