昭和の電車 改訂版(159)ーモハ54型003~005号ー

(ク)モハ54型についての解説を藤本哲男さんが投稿されていますのでリンクを張りますので参考にしてください。
モハ54003~54005に寄せて

昭和の電車 改訂版(159)ーモハ54型003~005号ー」への8件のフィードバック

  1. やっと出ました! 待ってました国電ネタ。
    国電ファンの小生、これは『絶対一番ノリ』と、先ずは第一信。
    戦時に絡んで、僅か9両しか製造されずに終わった54の内、ノ―シル、ノ―ヘッダーの張り上げ屋根車は、関先生の解説通りたったの3両しか居なかったのに、結局終戦まで残ったのは2両のみ。
    それも、戦後の更新修繕で屋根を標準化したため、小生は実見した事が無く残念至極です。
    仕方なく、その面影を51048に求めたものでした。
    終焉は遠く 故郷を離れた仙石線で、車体をウグイスに塗られて快速専用車
    での活躍でした。
    会社を休んで(いや、休日だったかな?)仙石線詣でをして興奮した記憶が甦ります。

  2. 河 昭一郎さん
    お待たせいたしました!国電の登場です。
    今回と次回はノーシル・ノーヘッダーのシリーズとなるので、撮りためられた写真を拝見したいと思っております。

  3. 小生が国電を『写真で記録』に目覚めた頃、張り上げ屋根車はことごとく改造されてしまっており、記憶では関西国電には添付写真のクモハ51048のみが改造工事の網から漏れて存続していたが、それも後には結局標準化されてしまった。
    美しいとされた張り上げ屋根が標準化されたのには、桜木町火災事故の教訓から屋根の絶縁強化が叫ばれた事が影響しているとも考えられる。

    一方、ノ―シル、ノ―ヘッダーについては、ことさら帯を追加する必要も無かったためか、手を加えられる事なく悪く言えばノッペラボー、良く言えば滑らか車体のままだった。

    ここでは、当時の関西国電で天然記念物化していたクモハ51048と当時73、72系に埋め尽くされた仙石線にあって、快速運用で気を吐いたクモハ54の写真を添付する。

    クモハ51048  1961(昭和36)年8月12日 京都駅にて 

  4. この“ヌメッとした”顔を見たことがありますが、写真は撮っていませんでした。これとよく似たオハ35は北陸地方に多くありました。

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