なりゆきまかせ “天然色版 昭和の鉄道”  〈16〉

晩秋の北陸鉄道白山下駅で

石川県下に多くの路線を張り巡らせていた北陸鉄道ですが、石川線加賀一の宮~白山下の金名線もその一つでした。「金」は金沢、「名」は名古屋であり、何とも大仰な線名ですが、免許区間は上記の区間だけで、「金名」はキャッチフレーズのようなものでした。その終点の白山下へ、加賀一の宮のユースに泊まって、朝6時45分に到着しました。土砂降りの雨のなかで降りたのはあと一人だけでした。文字どおり、白山の麓の駅で、シーズンには、登山客や温泉に向かう客で、ささやかながらも賑わいを見せることもありました。

白山下はホーム一面、機回し線一本の終端駅、電車は、金沢市内の野町まで直通していて、金名線、石川線は一体として扱われていた。駅の裏には、手取川の渓谷が見られる。その間の空き地に、バスが二台、うち一台は‥‥、これこそ、朝早くに白山下まで来た理由だった(昭和51年11月)。

駅裏の駐車場から、駅前にやって来たところを撮影、北陸鉄道に残るボンネットバス、白山下8時50分発の中宮温泉行き、バスは、石2う13-83で、いすゞBXD20、1967年式、金産自動車工業製である。ボンネットバスは、もう一両あって、白山下から岩間温泉、中宮温泉など、白山の麓まで路線が伸びていた。断崖絶壁を走るスリル満点の車窓だったらしい。冬期は雪で運休になり、この日が、中宮温泉行きは最終で、来春まで運休となるため、朝早くから今年最後のボンネットバスを撮影した。ボンネットバスは、2年後の昭和53年に廃止、金名線も、昭和58年に豪雨で鉄橋が流されて不通になり、翌年には復旧したものの、その直後にまた不通になり、結局、復旧することなく、昭和62年に廃止となった。いま白山下には電車もバスも来ない過疎地になっている。

 なりゆきまかせ “天然色版 昭和の鉄道”  〈16〉」への2件のフィードバック

  1. 7年前まで勤務していた会社に、元ワンゲル部とか山好きが何人かいて、私も嫌いな方ではないので、時々「山歩き」をしていました。
    「白山に登ろう」と提案したところ「即行こう」と言うことになり、昭和52年10月14日、夜行の「立山4号」に総勢8人で乗車、金沢に5時前に到着、上りの初発で西金沢まで1駅バックして、初発の白山下行の電車に1時間以上乗車しました。
    駅前には、岩間温泉行のボンネットバスBXD20 と別当出会行の当時最新型MP117Mが停まっており、我々は別当出会行に乗り、1時間で終点に到着して、ここから登山になりました。
    白山下駅に到着したモハ3762です。

  2. 翌日は、岩間温泉に下山しました。7時間くらいかかるというので、朝食後直ぐに出発して昼過ぎに岩間温泉に到着したのですが、1日2往復のバスは夕方までなく、中宮温泉発のバスが通る道まで更に1時間下り、そこからバスで白山下駅まで戻りました。当時の金名線は、昼間はバス代行になっており、程なく来た別当出会発金沢駅行のバスに乗り、金沢から「雷鳥」で帰りました。
    当時、白山下駅から岩間温泉、中宮温泉ともにBXD20が2往復していました。
    2両のうちのどちらかが湯布院の九州自動車歴史館に保存され、ナンバーを取得しており、イベント時には動いているようです。

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