28年前のエドモントン



Baldwin1919年製107号  1C1 元Oakdale & Gulf R.R.

先般クアラルンプール(マレーシア)の、それも37年も前の写真を並べ立て、多分に諸兄の顰蹙を買ったばかりだが、それに懲りずめげず、今度は28年前のエドモントンでの写真を無理やりご覧頂く。エドモントンと聞いてすぐ位置が分る人は少なかろう。カナダには10の州と3の準州があり、総人口は3,300万人程度。

ところがアルバータ州には108万人のカルガリー、104万人のエドモントンの2大都市がある。前者はカナディアン・ロッキー観光=バンフーへの入り口やスキー等で世界的に著名だが、州都はその約300km北のエドモントンで、日本領事館もある。後年ウエスト・エドモントンなる、世界最大のショッピング・モールが出現したが、観光地とはいえない。ただしカナダ北限の大都市ではある。

時は1983年6月、カナダでは最高の季節(のはず)だったが、少し寒い日もあり、若者が上半身裸で走り回ったり、日光浴の一方、結構ぶ厚い防寒衣の老人や、中には毛皮を着た婆さまもいた。広大な町を斜めにノース・サスカチワン河が蛇行しながら横切り、その部分は深い峡谷状を呈し、両岸は超高級住宅地で、日本領事公邸もそこにあった。

小生ともう1人が先遣隊で半月早く現地入りし、ホテルや車、日本人居住者のボランティア通訳を確保。後から来る本隊=2年後神戸で開催するユニバーシアード神戸大会のための、エドモントン大会調査団(事務局及び各競技団体役員)の受け入れと運営に当った。

その間ほぼ睡眠も3~5時間程度。若かったから何とか保ったが、安ホテルに1か月滞在しながら、町の見物をする暇すらなかった。それでも3時間ほど寸暇を盗み、当時開園間もないフォート・エドモントン・パークにだけは行くことができた。

ノース・サスカチワン河に面した広大な地に、1846、1885、1905、1920年の開拓砦や町並みを復元した、素朴で健全、結構見ごたえのあるテーマ・パークで、エンドレスの線路を敷き、本物の蒸気機関車や馬車が園内の交通を担っている。確か当時は週末だけだったかと記憶するが、現在は夏場が毎日、冬場は週末のみ開園のはず。売店の売り子に至るまで、ことごとくボランティアだと聞いたが、皆それなりの時代にふさわしい衣装であったのも印象深い。


入園するとすぐ蒸機列車に乗り園内に向かう 乗車は入園料に含まれる

キャブ略号はEdomonton Yukon & Pacific 蒸機に限らずすべてボランティアによる運営


右の代用客車は無蓋車の改造らしい


手前の建物代わりのカブースは旧カナダ国鉄

コンビネーションコーチは1913年 デイコーチは1914年製

園内交通の駅馬車や荷馬車も無料で乗れる

公園全体がまだまだ建設途上だったが、驚いたことにトラムラインが敷設中で、架線も一部張られていた。その後Edomonton Radial Ry. の路面電車が数両復元されて走行していると聞く。現在では公園外でも、ノース・サスカチワン河にかかる高い鉄橋を含めた線路に世界中から大量のトラムが集められて動態保存。阪堺電車も健在のはずで、このあたりは電車屋さんの解説が欲しい。

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