駅のメロディー続編

快速「つくばね」様

いつも有難うございます。「高原列車は行く」ですが、歌詞の中に「山越え谷越えはるばると」とか「明るい青空白樺林」が度々出てくるのでこれはてっきり小海線とばかり思いこんでいましたが友人から違うと言われたことを思い出しました。そう言えば2番には「君らの泊りも温泉(いでゆ)の宿か」とか3番には「五色のみずうみ」が出てちょっと小海線とは違うようです。高原列車の名に惑わされていたかもしれません。私は今はありませんが、磐梯国際スキー場の仕事をしていまして磐越西線猪苗代には何回か出張しております。民宿の方には沼尻鉄道の運転をした人もいました。あのあたりも磐梯高原ですね。沼尻鉄道は学生時代に川桁で1966.3.21に泊まり放置されていた客車を撮っています。私どもの先輩には沼尻鉄道の素晴らしい写真を撮った人が大勢います。▼


次に常磐線広野ですがここも川桁の前日に泊まり翌朝撮った通勤列車新地発232列車平行きC606[仙台]牽引を貼り付けさせていただきました。お撮りになった広野駅の汽車の歌碑は後年見ております。正しくこの通りで広野を出ると直ぐトンネルですし、久ノ浜辺りは太平洋が車窓からよく見えました。「今は山中、今は浜」ですね。▼

「ミカンの花咲く丘」ですが、同じような誰もが知る童謡が八王子市内では毎夕方17時になりますとかかります。「夕焼け小焼け」です。八王子市恩方にはその作詞者中村雨紅の生誕地があり、京王系の西東京バスがボンネットバスを運行していました。歌手の川田さんは従妹が音羽ゆりかご会に入っていましたのでお名前と歌はよく聞きました。

今回続編にしたのは快速「つくばね号」のずっと後ですが筑波山をバックに上野行き臨時列車「つくば」で筑波鉄道のDD501に牽引されたものを発表をしたく何度も失敗したからです。撮影は1978.5.20です。ご笑覧ください。いろいろとご教示有難うございました。今後ともどうぞよろしくお願い致します。▼

 

駅のメロディー続編」への2件のフィードバック

  1. 準特急様

    早速のコメントに対するご丁寧な返信ありがとうございます。
    ○「高原列車は行く」のカラオケのバック画像はほぼ小海線になっていますね。逆に「北国の春」は誰もが東北地方を想像し花輪線や田沢湖線の沿線風景が多いですが、作詞家のいではくが自身の故郷の長野県南牧村(佐久海ノ口駅から野辺山高原周辺)の信州の小海線沿線の情景を歌に描いたようです。「高原列車は行く」の作詞家丘十四夫は、病弱だった少年時代に自宅のあった磐越東線の小野新町から郡山で乗り換えて、沼尻軽便鉄道の列車に乗って湯治場に通ったことを思い出して詞を書いたといわれています。
    ○私が初めて上野発の221列車から久ノ浜に下車したのは学生時代の1967.8.25で、北海道旅行の往路に特急C62の牽引する「ゆうづる」号を撮るのが目的でした。撮影後、後続の227列車に乗車しましたが、当時の時刻表によりますと232列車とは小高で離合しています。この歌は、日本の近代化により発達した鉄道の速さを讃えた歌であるとの説明もありますが、昔読んだ地理学の本に列車のスピードではなく、大陸に比べてすぐに変化する日本の箱庭(ジオラマ)のような変化のある景色を詠んだのであるとの話が出ていましたが、私はこの説の方が正しいと思っています。
    ○八王子の発車メロディーは「夕焼け小焼け」でしたね。車内で作曲したことで思い出しましたが、古関裕而作曲の「若鷲の歌」も土浦海軍航空隊で発表するために上野から土浦(最寄り駅は荒川沖)へ向かう途中の常磐線の車内で、列車の走行音から突然古関の中に短調の曲が思い浮かび、急遽書き上げられたということです。もともとは長調の曲が完成していたのですが、予科練生がこちらを選んだようです。「みかんの花咲く丘」とともに前奏部分は、車内からの軽快な走行音が聞こえるような気がします。
    ○臨時列車「筑波」の写真ありがとうございます。実際この列車に乗車しましたが土浦でのEF80からDD501への付け替えが見ものでした。特に上り列車は土浦の配線の構造上、下り本線をまたいで転線したので時間がかかり、上り列車の方が所要時間が長かった気がします。急ぐ客は先行する電車列車に乗り換えていました。筑波鉄道は廃線後、一部小田城址部分を除きほぼすべてが『つくばりんりんロード』とよばれる自転車道になっています。駅跡もそのまま残っており、虫掛・藤沢・筑波・真壁・雨引・岩瀬の6駅は、無料駐車場やトイレ、自動販売機を備えた休憩施設となっています。いまでも枕木とレールがあれば直ぐに鉄道として復活できそうです。写真は、旧虫掛駅の休憩所です。

    • 快速つくばね様
      カラオケは苦手ですが、時々バックの風景を見て苦笑したこともありました。高原列車には古い白黒で行先が氷川駅(現奥多摩駅)のバスも出てきます。高原列車の作詞家丘十四夫さんも少年時代に小野新町から沼尻の湯池場に通ったのはさぞ大変だったことでしょう。廃線跡や古い駅舎探訪も一つのジャンルで昔を回顧するのもいいものですが、年齢を考えてあまり手を出さないようにしております。岡本敦郎は正統派で好きな歌手でした。いろいろ勉強させていただき有難うございます。

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