カラー版◆大阪通信員さんが撮った 昭和の鉄道 (10)

別府鉄道、片上鉄道

兵庫県下にも、山陽本線沿いには中小私鉄がいくつかありました。別府鉄道、片上鉄道へも大阪通信員さんは行かれていました。

山陽本線の土山から出ていた別府鉄道の土山線、別府港からの貨物輸送が中心で、DLが貨車と二軸客車を牽くと言う、なんとも浮世離れした編成が、昭和59年まで運転されていた。旅客数は極めて少なく、西日本の私鉄で最低の輸送人員だったが、ファンにとっては格好の乗車対象となり、私も何度か乗ったものだった。晩年は貨物量も減少し、写真のように、貨車なしのDL+二軸客車も見られ、手小荷物は、客車のデッキに積まれていた。DLはDD1351で、もとは江若鉄道で、廃止後に別府に来た。

同和鉱業片上鉄道は、瀬戸内海航路の要衝であった片上から、国鉄和気を経由し、硫化鉄鉱を産出する柵原までの33.8キロ、貨物最盛期には、150両もの貨車を擁していた。出鉱量の減少、トラック輸送の転換で、平成7年限りで鉄道は廃止された。車両基地は片上にあり、晩年は、DL5両、DC5両、PC5両の陣容だった。キハ703は、国鉄キハ07の払い下げで前照灯の窓下2灯化などの改造がなされた。和気を出て、吉井川に沿って、山に分け入ったところにあった河本駅。キハ303は国鉄キハ41000の払い下げ、ディーゼル化ののち、シールドビーム窓下2灯となった。ほとんどが有人駅で、貨物輸送のため構内の有効長も大きかった。鉱山の積み出し設備が横にある終点の柵原、駅舎は三角屋根の洋風駅舎、平成3年の廃止後、片上鉄道保存会の手で、ひとつ手前の吉ヶ原周辺では、保存整備された車両を使って、動態運転が行われていたが、コロナ以降は休止されている。

カラー版◆大阪通信員さんが撮った 昭和の鉄道 (10)」への10件のフィードバック

  1. 別府(べふ)鉄道と片上鉄道、どちらも懐かしい思い出のある名前だ。
    中学生の夏休みに母の故郷の倉敷への途中、加古川で降りて高砂線、別府鉄道の小旅行をした。また別の日には和気で降りて片上鉄道に乗って片上港へも行った。どちらも山陽本線に沿ったローカル私鉄が生き残っていた頃のことだ。
    昭和30年代の別府鉄道は貨物輸送がこんなに盛んだった。最後部の客車ハフ7より撮影。

    • 米手さま
      ハフのデッキからは、こんな写真が撮れるのですね。私も、みんなと別府へ行った時、ずっとデッキに立っていました。素通しのオープンデッキですから眺めは最高でしたね。これだけ貨物が多かったのは、別府港から荷揚げされて国鉄に向かう貨物と、別府港周辺の工場からの出荷貨物もあったのでしょう。

  2. 片上鉄道への旅は別府より少し後だった。時間の都合で片上まで往復して、柵原までは次回の楽しみに取っておいたが次回が訪れることはなく、悔やまれてしかたがない。

    • 客車は、のちにブルーに白線を入れた“ブルトレ”になつて、私もメンバーと乗りに行きました。ちょうど国鉄の調査アルバイトをDRFCで受けてやっている期間で、和気まで乗車証で乗って、下車する際のアイコンタクトも学んだものでした。

  3. 別府鉄道は子供の頃(小学校5年)の74年11月3日に訪問しています。子供の頃ゆえ「べふ」と読めず「べっぷ」と思っていました。晩秋の朝は少し寒く昼間は暑いくらいで土山に着くと夕刻まで列車がなく歩くかとなり別府港まで歩きました。子供の足でも1時間半くらいで着いたように思います。
    奇跡的に大学在学中まで残っていました。江若の機関車は木造の蔵の中にいました。画像は別府港に入線する土山線の列車です。この日撮影した野口線のキハ2は現在静態保存されています。

    • 893-2さま
      思い出を、ありがとうございます。昔は時刻表にはルビがなく、鉄道会社名でも何と読むのか分からなかったこと、よくありましたね。新快速も走る山陽本線の駅から、こんな浮世離れした鉄道が、昭和59年まで走っていたこと、つくづく不可思議な思いにとらわれました。

  4. 片上鉄道は小学校の同級生の親戚がこの鉄道会社に勤めていた関係で新幹線岡山開業前の75年1月に一度訪問していますがその後は行く機会に恵まれず廃止前の日曜日に雨の中訪問しています。雨だったため殆ど車から降りず車の窓越しに撮影して退散しました。もっと撮影しておけば良かったと思います。画像は廃止前に車窓から撮影した客車列車です最後尾に回送のキハがぶら下がっています。中山駅近辺かと思います。雨で眠たい画像なのはご容赦ください。

  5. 会報の編集作業で、手が離せませんでしたが、ようやく一段落しましたので、スキャンしました。和気に停車中の片上鉄道キハ311です。昭和58(1983)年3月21日、片上から柵原まで全線を乗りました。
    写真のキハは自社製で昭和28年製造です。終点の柵原はこじんまりした硫化鉄のホッパがありました。ホームの植栽もきれいに整えられていました。

    • 勘秀峰様
      10/15、某日帰りバスツアーで、岡山県赤磐市の「西の屋菊ケ峠店」に立ち寄りました。
      駐車場の隅に保存されていた車両が車番はわからなかったのですが、この写真とよく似ていたのでネットで検索しているとズバリヒット、2017.11.9のデジ青の西村雅幸様の記事もヒットし、読ませていただきました。
      傷みが進んでいますが、西村様が訪問されて以後に再塗装はされた様で、まだ静かに佇んでいました。

      • 77ータツ様 片上鉄道の保存車輌に関する、貴重な情報をありがとうございました。地図で見ると廃線跡からそう遠くない国道沿いのドライブインに保存されているようですね。
        私は片上鉄道の投稿を見て、紹介されていない車輌を掲載しただけなのに、その気動車が保存されて、2017年に西村先輩がレポートしているのを知って何だかキハ311が愛おしくなりました。前面2枚窓で、お世辞にも整った顔だちとは言えませんが、それはそれで存在感があるものですね。
        添付の写真は乗車中のキハ702から途中駅で交換のシーンです。何せ40年前で、駅名は覚えていません。1983.3.21撮影です。

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