カラー版◆大阪通信員さんが撮った 昭和の鉄道 (8)

尾小屋鉄道

福井鉄道に続いて、北陸の鉄道、ナローゲージの尾小屋鉄道です。北陸本線の小松駅の裏側にあった新小松から、山あいの尾小屋まで、16.8キロ、762mm軌間で、昭和52(1977)年に廃止されています。実質的には、日本最後の非電化軽便鉄道でした。撮影時期は、昭和40年代後半と思われます。町内会の遠足だろうか、キハ3+ホハフ8から、ホームいっぱいの人が下車した。車内にまだ人が乗っている。日中は単行であり、一両は増結だろう。こんな何もない山のなか、これからどこへ行くのだろうか。

駅名標から「金平」で撮られたことが分かる。日中は、交換が行われていて、尾小屋鉄道の中枢駅だった。尾小屋方面からキハ1が着いたところ、側線に置かれているのは、先ほどのホハフ8で、切り離されて留置中、遠足の帰りを待っているのだろうか。この留置線は、普段から増結車の折り返し用に使われていた。続いて、終点の尾小屋へ。庫を通して留置車を見る。保存鉄道の「なかよし鉄道」はこの付近にあり、尾小屋のDCなどが動態保存されていて、公開運転も行われている。

通信員さんのカラーのなかには、記念写真も多く撮られていた。その時代の活動ぶりを示す写真としては最適で、プライバシーに配慮したうえで、載せて行きたい。この時もDRFCの仲間とともに、卒業後の撮影旅行だった。もう旅立たれた方も見られる。小松駅の裏手から、もう一つの私鉄、北陸鉄道の小松線が、鵜川遊泉寺まで5.9キロ伸びていた。通信員さんは、尾小屋鉄道の帰りに、乗り鉄されたようだ。昭和61(1986)年に廃止されている。小型車の3000形5両が最後まで活躍していた。

カラー版◆大阪通信員さんが撮った 昭和の鉄道 (8)」への18件のフィードバック

  1. 私にとっても訪れることができた最後の非電化ナロー路線として尾小屋鉄道は井笠鉄道と共に印象深いものです。
    ところで、1枚目の写真、キハ3に連なっているのはホハフ8ではありません。妻面の窓が2枚ですからホハフ3です。
    中勢ボコ2→ハニ2→三重鉄道ホハ12→三重交通サ321→尾小屋ホハフ3
    2枚目写真の側線に留め置かれているのは、妻面の窓が3枚ですのでホハフ7、8のいずれかですね。
    北勢鉄道ハフ11→北勢電鉄ハフ11→三重交通サニ403→尾小屋ホハフ7
    北勢鉄道ハフ9→北勢電鉄9→三重交通サニ401→尾小屋ホハフ8

    • 乙訓の老人の甥さま
      さっそくのコメント、また、ご指摘、ありがとうございました。書籍でも違いを確認しました。甥さまのご協力をいただいた、下の本には、尾小屋鉄道もあって、甥さまや故・湯口徹さまが撮られた写真、それに私の写真も使っていただき、忘れられない書籍となりました。

  2. 乙訓の長老様の残された写真に、ほぼ同じ場所からのものがありました。
    以前に「ここどこ?」シリーズで紹介しましたが再度ご覧下さい。駅名標にある広告のスポンサーがちがうので撮影時期が違うことが分かります。

    • このキハ1は、1937年日本車輌製です。機械式ガソリン車として生まれましたが、戦後にディーゼルエンジンに換えられています。

      • 金平は、日中の唯一の列車交換の駅で、交換時間もあって、多く撮られていますね。上に紹介した「軽便鉄道」にも、乙訓の甥様が撮られた同所の写真がありました。駅名標の下の広告は、良く変わっているのですね。こんな田舎にスポンサーがよく付いたものと思います。

  3. 762ミリゲージはそれでもまだあったと思いますが、興味がなかったのか下津井にも行っていませんので恐らくこの尾小屋が最初で最後と思います。夜行列車を小松で降りて夜明けを待って撮ったものです。キハなのかコハなのかケハなのかはたまたケコキハなのかよくわかりませんが伸ばして見てみるとキハ2と読めそうです。新小松行きは通勤通学客なのかよく乗ってますね。

    • キハ2で間違いございません。
      1938年日立製作所笠戸工場製の機械式ディーゼル車です。戦前製ながらガソリンエンジンではなく最初からでディーゼルエンジンを搭載していました。

    • 準特急様
      はい、私もナローか蒸機かと問われると、どうしても蒸機になってしまい、それほどナローゲージは訪問したことがありませんが、尾小屋だけは、何度か行きました。本数が多くないので、私も小松からどんどん歩くのですが、田んぼばかりで、なかなか山間部へ行けず、途中で写したことがありました。

    • 3フィートゲージの西大寺鉄道じゃないですか。やはり3フィートは2フィート6インチと比べると広いですね。場所まではわかりません。

    • 車両はキハ7、1936年川崎車両製、フォードV8エンジンのガソリン動車でしたが、戦後にいすずDA45ディーゼルエンジンに換えられています。
      現在も保存されていますね。

  4. どですかでんさん、乙訓の老人の甥さん、
    さすがです!
    もう西大寺鉄道などご存じの方はないだろうとタカをくくっていました。
    廃止が決まり、後の車庫には代替の両備バスが並んでいました。でも、これだけの乗降客があったのですね。

  5. 通りすがりの者です。
    旧尾小屋駅ですが、ここで保存運転を行なっていたのは赤門軽便鉄路クラブでした。なかよし鉄道は山を降りた粟津にある児童館の中にある400mほどの線路を走る保存鉄道で、キハ1が走っています。旧尾小屋駅ではキハ2を走らせていましたが、2010年くらいから活動が休止となり昨年出水があり地元の方にレスキューされたとのことです。かつて遠鉄奥山線のキハ(180)3も旧尾小屋駅構内におりましたが、そちらは尾小屋鉱山資料館に移されて、地元の方が動態保存されております。20mほどですが動かすこともあるようです。
    写真は1995年7月にキハ2を動かしに行った時に、地元の方が来てキハ3も動かした時のものです。もう30年近く前です。
    この写真を湯口さんに差し上げたところ、白黒の尾小屋鉄道の現役時代の写真をいただきました。是非一度現地にも、とお誘いしましたが、それはええわ、とおっしゃっておられたと沖中さんから聞きました。

    • 訂正です。「赤門軽便鉄路クラブ」ではなく「赤門軽便鉄路保存会」でした。一応別団体の赤門鉄路クラブと混じってしまいました。

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