あの日あの頃 ほぼ同月同日に還る ~34~

東京でも撮ってまっせ ① 「能登」を撮る 平成19(2007)年1月 

デジ青誌上であまり紹介のできなかった首都圏の撮影、今回、集中的に10~20年前のデジカメ撮影分を紹介します。元日に石川県能登地方を襲った能登半島地震の発生から、ちょうど1ヵ月が経ちました。改めてお見舞いを申し上げますが、「能登」を冠する列車が、かつて走っていたことを思い出しました。早朝の上野駅16番ホーム、6時05分、憧れの489系ボンネットの急行「能登」が姿を見せた。485系のボンネットは関西でも「雷鳥」で馴染みはあったが、先頭が原型の正調ボンネットは、定期列車では上野発着の「能登」「白山」でしか見られず、しかも夜間で撮影が限られていて、関西からも憧れがあった。この日は、最後の鹿島鉄道を撮るため、「ムーンライトながら」で東上し、乗り換えの間に上野駅で姿をとらえることができた。

判で押したような生活を繰り返していると、投稿の意欲がしぼんで来ます。そんな時、何かのきっかけが、投稿へのモチベーションになります。まさにその時、準特急さんから電話が入りました。さすがに遠隔地は少なくなったものの、近郊へは精力的に撮影に行かれると聞きます。ただデジ青に載せても、東京・首都圏の話題では、京都から発信するデジ青では、共感者が現れないとも聞きました。

いや、いや、そんなことありません、私も撮っています。ただ発表していないだけです。と言うことで、首都圏からの投稿にエールを送るためにも、しばらく、1・2月に撮影した東京周辺の写真を見ていただきます。さすがに変化の激しい東京です。少し前の撮影ですが、今は見られない光景ばかりです。

「急行」の札も映える先頭のクハ489-505 ボンネットでは、この角度が見るのがいちばん好きだ。自由席もある急行列車は、私の一番好きな種別だが、旧態の居住性が嫌われて、値の張る寝台特急に奪われていた。この日もガラガラでの到着だった。


「能登」は設定、廃止を繰り返しているが、この急行「能登」は、昭和50年3月改正で誕生した。それまでの上野~金沢の急行「北陸」2往復のうち、1往復が寝台特急に格上げ、残りの1往復が、「能登」に改名された。ロネ、ハネ、ロ、ハで編成された多車種の客車急行で、均一周遊券客にも愛用された。その後14系寝台・座席車となり、JRとなった。平成5年には489系電車に置き換えられた。信越本線経由から上越線経由になり、始終発が福井へ延長されるなどの変化があったが、北陸新幹線金沢開業を待たずに平成22年3月改正で廃止された。その十数分後、14番ホームには、特急「北陸」が到着、個室寝台車が多くを占めるグレードの高い14系編成だったが、「能登」と同じく平成22年3月改正で廃止された。

 あの日あの頃 ほぼ同月同日に還る ~34~」への15件のフィードバック

  1. 総本家青信号特派員様

    記事中、「ムーンライトながら」とありますが、この列車も消滅しましたね。日本で走る夜行寝台列車も今や「サンライズ瀬戸・出雲」のみとなりました。海外では、寝台列車が再び脚光を浴びているとのこと。日本でも機運が高まらないものかと思います。

    • 奈良の駅名研究家さま
      コメント、ありがとうございます。奈良の駅研さんは、この「ムーンライト」に乗られたことはありますか?私は高齢者になってからも、よく東上する時は利用しました。朝からフルに活動できました。
      駅名の投稿、ありがとうございます。いつもテーマに感心して拝見しているのですが、コメントができず、申し訳なく思っています。

      • 総本家青信号特派員様

        残念ながら「ムーンライト」はありません。乗りに行きたいと思ったときには、廃止となっていることが多いですね。そういう訳で、最近は「乗りたい」と思ったらすぐに行動に移すようにしています。

        急行「銀河」には乗ったことがあるそうです。物心がついていない時分の話で、全く記憶にはございませんが。

        駅名喫茶店は外から店内を覗いていただくだけでもありがたいです。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

  2. 総本家青信号特派員様
    総本家さんよりももう少し前の「能登」号です。
    旧型定期列車最後の頃の上野発上越線経由金沢行き3605列車「能登」の深夜水上駅での撮影です。1980年1月19日EF58175[高崎第2]牽引で到着。三国山脈(清水トンネル)越えのため前補機の到着を待つ。客車はスハ43系で後方には見えないが寝台車などが連なっている。

  3. 続いて前補機EF1625[水上]が連結されて重連で出発する直前の姿。この撮影にはDRFC-OBの逗子の友人も同行した。

    • 準特急様
      午前0時前後は、水上駅が夜行列車の到着でざわつく時間帯でした。このとき夜の雪降るホームで記念撮影した写真を見ますと、スーツにネクタイ、コートそしてビジネスシューズという服装で、お互い勤め先から直行してきた格好です。これで雪の中、5時すぎの上り一番電車まで駅ですごしたようです。
      変遷の激しい「能登」は、半分が寝台車という編成。水上駅は、補機の作業で国境越えの雰囲気のある駅でした。
      このあとも、土樽、越後中里、岩原スキー場前、越後湯沢、石打など何回か案内していただきました。臨時スキー列車も加わり冬の上越線が輝いていた時代でしたね。

      • 高田幸男さま
        お久しぶりです。背広姿で、午前0時の豪雪の水上駅で奮闘されているお二人の姿が目に浮かびますよ。鉄道そのものが輝いていた時代、そして何より若かったからこそですね。また、その時代を語り明かしたいです。

  4. いま発売中の国鉄車両の金属モデルコレクション(1/87サイズ)の初回分は、ボンネットのクハ485の「雷鳥」でした。これだけ2000円ほどで売っていて、私も買いました。2番目の写真と同じ、やや斜め後ろから撮ってみました。模型でも、なかなかいい角度でしょ。

  5. 総本家青信号特派員様
    上野駅を経由して30年以上通勤していましたので、「能登」「白山」は慣れ親しんだ日常の列車でした。「能登」については、旧客時代、14系客車時代、
    489系電車時代それぞれ想い出がありますが、1993年3月から2010年3月までのJR西日本の金沢総合車両所に所属する『白山色塗装』の489系電車で運用していた時代は、「ホームライナー古河3号」と「ホームライナー鴻巣3号」にも間合い運用で使用されていたので、2階ホームに停車しているのをよく見かけました。
    一方、「白山」は金沢出張の私のモデルコースに入っており、往路は午後の会議に間に合わせるため、長岡での「あさひ」と「かがやき」の乗継でしたが、会議終了後1泊して、「能登」と共通運用を組んでいた「白山」で帰る経路を利用し、各駅で気に入った駅弁を買い、四季の信越本線の車窓を楽しむといった今から考えると贅沢な出張でした。
    乗車券は、「北陸ワイド周遊券」を使用しましたが、フリー区間内は特急の自由席にも乗車できたため、車内で「糸魚川-上野」間の自由席特急券を別途購入しました。車内検札はいつも「高崎-大宮」間で行われていました。
    1996年9月28日の横川停車中の「白山」です。

    • 快速つくばね様
      「能登」や「白山」の思い出を聞かせていただき、ありがとうございます。昼行の「白山」車内で、駅弁を頬張りながら、浅間山など信越線の車窓を眺める、なんと贅沢な旅をされたのでしょう。ワイド周遊券で自由区間内を特急に乗れるようになったのは、“ニューワイド”の時代でしょうか。戻りの際に、検札が高崎-大宮で行われた理由も分かりました。疎ましく思われた車内検札も、ほぼ無くなってしまうと、妙に懐かしく思い出します。

  6. 高田幸男様
    順番が乱れてすみません。コメント有難うございます。
    背広にアクアスキュータムのコートで出かけていました。上り急行「能登」に乗るべくホームで待っていましたら荷物2044列車上沼垂発隅田川行きEF58136[高崎第二]が来ました。覚えていますね。東海道本線のEF58とは全く違うムードでした。

  7. 高田幸男様
    まだ暗いうちに大宮で降りましたが、後続の秋田発上越線経由804列車急行「鳥海」EF5886[高崎第二]です。鬼の形相と言われたのはこれですね。ピンボケですが雰囲気はわかると思います。

    • 準特急様
      記録と記憶が飛んでいました。帰りは、水上4時前発の上り「能登」だったんですね。「能登」のすぐあとを追いかけてきた「鳥海」は凄い形相でした。新潟方面からの直通列車がない今日、こんな光景に出逢うことはなくなりました。

  8. 「能登」が発着していた上野駅16番ホーム、まだ東北新幹線が開業する前の同じホームの写真です。「エル特急」の特急“ひばり”が発着していました。まだ大階段上の階上がなく、空が広がっていました。

  9. 一人コメント続けます。いっぽうの「北陸」が発着していた14番ホームには、山形へ向かう「やまばと」が発着していました。特急がバンバン発着していた昭和55年のことでした。

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