1953年高校生東京へ その5

 

 


80系附属編成66011+80021+87027+80022+86012 1953年3月31日小田原

せっかく東京までやってきて、こんな詰まらんものしか撮っていないのかといわれるのが必定だろう。我ながら恥ずかしいが、恐らくこの時点若干ながら、皆と同じようなものを撮るのは気が進まなくなっていた―16歳にして、早くも臍が曲がりかけていたのかもしれない。それでも関西の高校生には17メートルのクハ65や、東京駅での、貫通幌に蓋をしたモハ72(附属編成の切り離し)も珍しかった。湘南電車の5両附属編成はその後の関西の急電と同じだが、3枚窓妻面は関西にはない。


クハ65109+モハ72015 1953年3月30日東京 丸ビルも国鉄ビルも今はない
クハ65031+モハ72142 1953年3月30日東京

モハ72142 1953年3月30日東京

モニ53005 1953年3月30日久里浜

これだけは珍しいというか、拙老なら?というのが1枚だけある。久里浜で撮ったワ50003で、一目で分かる木製省電←院電の名残り。経歴はデハ6331→サハ6443→サハ6024→ワ50003となる。なんでお前さんが電車、それも国電の経歴を知っている?とは聞きっこなしに願いたい。

(社)日本鉄道車輌工業会・貨車技術発達史編纂委員会共著の大冊(875頁で厚さ実に43.5ミリ)『日本の貨車―技術発達史』の458頁の解説を全文無断引用すれば次の如し。

「ワ50000形式10トン積有蓋車 昭和8年、ワキ1形式とともに宅扱い急行貨物列車に使用するため鋼製電車の登場で余剰になった木製電車サハ6形式・サハ19形式17両を改造した有蓋車である。同時に有蓋緩急車ワフ20000形式にも7両を改造した。車内の座席を撤去し荷摺木を設け、側には引戸を設置したが、外観は電車時代とほとんど変わっていない。戦中から戦後にかけ救援車(客車)の6630形式(記号ナヤ)に11両が改造され、残存車も昭和26年度までに廃車になった。」


ワ50003 1953年3月30日久里浜

実はこの本にこの写真を1枚だけご採用頂いたおかげで、当初は大冊かつ非売品ゆえ?、掲載部分の抜き刷り?だけを恭しくご送付賜り、まあドライな事と感心もしたが、その後電気車研究会が有料頒布(確か13,000円で、大阪なら旭屋にある)のため増刷し、この余得(これぞ拙老の日頃の善行を心から愛でた新島襄の加護ならん)で1冊ご恵送賜った。しかし拙老が国鉄車輌の写真をご提供申し上げるとは、余程写真が無かったんだろう。


常磐線荒川鉄橋でのモハ41系 1953年4月1日
常磐線上り列車C6247 1953年4月1日 荒川鉄橋

2 thoughts on “1953年高校生東京へ その5

  1. 須磨の大人(たいじん)様、先日は有り難うございました。今回も貴重な記録を提供いただき、毎度すごいなと感心しております。趣味内容がその後、軽便、内燃車両へと萌芽されましたが、ネットの世界でも御名前を拝借されるなどさすが人間国宝ですね。小生、凡人安楽マニアでして、曰く付きの車両がよくわからず、やはり、C6247の列車を眺めてしまいます。山科の特急を牽く姿と比べて常磐線のC62をどう感じられたのでしょうか。ダブルルーフの客車、特に先頭のトラス棒のついた客車は木造車ですね。ナハ22000でしょうか。小生、この鉄橋で撮影したのは1968年7月26日でして須磨の大人様から15年も後のことです。当時のネガを見ると、EF80、72系、103系、401系を撮っている様でして他は並行して走る東武の3210系、8000系、5700系急行おりひめ、6000系ゆにし、1700系特急、営団3000などもカメラを向けた様です。国・私鉄共に吊り掛け・カルダンが入り乱れている時代でして丁度戦後が終わり高度成長に入っていた時代だと思います。それより15年も前となると今からは想像も出来ない時代ですね。

  2. 須磨の大老様

    昭和28年に撮影された「東京の国電」の画像を拝見して感激しております。「せっかく東京までやってきて、こんなつまらんものしか撮っていない」なんてとんでもないお話しです。よくぞ撮ってくださいました。この時期に国電を記録された方は非常に少なく、パソコンで画像公開できる方は更に少ないと思います。

    この時期は戦後の混乱期が過ぎ、昭和24年から25年にかけて実施された「更新修繕Ⅰ」により、戦前製の電車が製造時の美しさを取り戻した時代です。翌年の昭和29年から「更新修繕Ⅱ」が実施され、ベンチレーターをグローブ形に取り替え、張上げ屋根車への雨樋の取付け等が行われ、スタイルが大きく損なわれてしまいました。

    ちなみにクハ65109は昭和16年大宮工場で鋼体化、昭和28年6月の改番でクハ16483に、昭和34年12月、仙石線用のクハ二19053に改造され、昭和41年12月に廃車されています。

    クハ65031は昭和13年2月大井工場で鋼体化、昭和28年の改番でクハ16423となり、昭和38年2月に廃車されています。

    モハ72142は昭和20年モハ63048として川崎車輛で新製、昭和26年に不燃化工事と併せて中間車に改造された車両です

    モニ53005は昭和8年8月、モハ34004として新製、昭和24年2月、荷電に改造され、モニ53005となり、昭和28年の改番でモニ13005となりました。

    常磐線の荒川鉄橋を渡る電車は両端モハ60、中間サハ57の4連で、私自身、昭和58年5月東京転勤以来、通勤で毎日通過しています。写真の鉄橋は7年位前に架け替えられてしまいました。

    昔撮影された国電の写真があれば、是非公開していただけますようお願い致します。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

wp-puzzle.com logo

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください