1953年高校生東京へ その7


小田急1301経堂  

小田急経堂車庫にも行った。特に情報や信念?があった訳ではない。単に電車の車庫だというだけの、全くの無自覚無個性無気力ええかげん撮影である。なぜか経堂にDT17台車をはいた国鉄モハ40044がおり、小田急線でテスト走行をしていたようだが、写真は撮っていない。

小田急1457経堂

小田急1602+1656経堂

小田急1703+1752+1704経堂

小田急特急「あしがら」経堂

小田急1801+1851経堂 云わずと知れた私鉄版モハ63だが窓は2段式になっている。関西では南海と、標準軌間の山陽にいた。

小田急1906+1953+1905経堂

小田急急行 経堂

小田急1402藤沢

箱根登山114+102小田原

箱根登山103小田原

1 thought on “1953年高校生東京へ その7

  1.  湯口さんの小田急ならびに箱根登山。ご本人はええかげんで特に目的なしの訪問と言うことですが、多分熟年小田急ファンがこれを見て懐かしく思うでしょう。小生も例えば、西武のような吊り掛け車天国、国電の払い下げや偽新車ばかりの車両は関東に住んでいても撮る気もさらさらなかったです。しかし、当時の八高線のD51の撮影の合間に撮った池袋線の車両や武蔵関の桜につられて撮った新宿線の車両を見るにつけ、もっと撮っておけばと今になって悔やんでいます。当時は701系カルダン車でもクハはTR11台車。各地に散らばった451系も典型的な偽新車。後になって撮っておけばよかったと言うことは結構皆さんおありではないでしょうか。直ぐに軽便やコッペルに目覚めていかれた湯口さんと異なり、小生はその後も平々凡々と国鉄、大手私鉄の撮影を続けました。
     さて、1301は3扉だったのですね。1300は2扉両運の時代しか知りませんでした。このあたり詳しい人にご登場願いたいところです。藤沢の1402、経堂の1457は1200共々小田急の戦前の代表車両の一つであったと思います。本線、江ノ島線でキャッチし、その後、新潟交通、岳南鉄道でも写しました。窓が小さくて高く、阪急920を不細工にした様な車両に感じました。1700特急「あしがら」も貴重です。特急専用の1703を見ると客用扉がどこにあるのか気づかないくらいです。東武5700と共に吊り掛け特急の最後の頃の車両で興味深いです。その後3扉通勤車に格下げされた車両には乗ったり、撮ったりしました。近鉄2250もこの頃の車両だと思いますが、出力、車体長、車体構造では相当な差があります。元ロクサンの1800も車体更新後の江ノ島線急行等を撮影しましたが、その後秩父鉄道に譲渡されたのは皆さんご存知の通りです。1900も複雑な歴史の車両で特急に使われたとは聞きますが、お客はよく文句を言わなかったものだと感心します。1600は、割合おとなしいスタイルで人気がありましたが、クハ1650の台車は貧弱なTR11。その1650は常総線に譲渡され、キクハ1、キサハ65となり、元南海のキハ5500や元同僚の小田急5000、5100等と共にしばらく活躍していました。箱根は最近までこのスタイルがいたと思いますがいつの間にか、小田原から消えてしまいました。

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