50年前の撮影地を行く -3- 余話その2

新幹線記事を切り抜く

新幹線の開業が迫っていた時期の京都での話題は、やはり最速列車の超特急(まだ愛称は決まっていなかった)の京都停車問題だった。当初の最速列車の停車駅は名古屋だけで、京都は通過扱いだった。これは、京都に停車すると、路盤安定後の営業運転で、3時間ジャストを維持できないと言うのが表向きの理由だった。なかには、京都周辺の土地買収がなかなか進捗せず工期も遅れ気味だったため、協力しなかった京都府市への仕返しだとも囁かれた。しかし、“特急が停まるとは言え、特急は各駅停車ではないか”と、京都人のプライドがいたく傷つけられた。各所を巻き込んでの陳情合戦の末、ついに超特急の京都停車が実現するのは、開業のわずか1ヵ月半前のことだった。

sy381220開業まで10ヵ月を切ったと言うのに、まだ停車駅が決まらない昭和38年12月20日の新聞。これから京都の逆襲が始まる。

sy390104開業年を迎えた昭和39年正月の京都駅の建設状況。躯体はできているが、外装、内装ともまったく出来ていない(昭和38年1月4日)

sy390224京都駅西の油小路の高架工事が終わり、これで新大阪~米原間の路盤工事が終わった。地上線路は現・近鉄京都線(昭和39年2月24日)

sy3904244月24日から関西でも営業車両を使っての試運転が始まった。鳥飼に運び込んだ6両編成が、米原まで4時間20分掛けて運転した(昭和39年4月24日)

sy390428名神高速道路を越える試運転電車、次第にスピートを上げて、同年6月には当初営業速度の200キロに到達する(昭和39年4月28日)

sy390428-2京都駅付近に姿を現した試運転列車。京都駅ホームもどうやら形を現してきた(昭和390428)。

sy390708突然のように新聞発表された愛称名。もともと、国鉄には愛称をつける予定はなかったが、世論に押される形で公募に踏み切った。新聞の扱いも、ささやかなものだった(昭和39年7月8日)。

 

 

 

 

 

 

 

 

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