老人は富山から大阪へ転勤後も東京出張に恵まれた。其の時は旅館宿泊でなく民家の2階を丸ごとアパート代わりに仕立てた家屋があり、会社はそれを社宅代用で借用していた。東京出張所は文京区で、社宅代用は西武鉄道池袋線桜台下車徒歩5分の地であった。これで東京へ出張すれば西武電車に乗れることになった。ある朝、池袋駅に10両編成が山手線を乗り越えて入構するのに気付いた。湘南型6両+4両の固定編成で10両である。その頃の関西私鉄は6両編成が最長で、関西では見られない10両編成がしずしずと下り勾配を降りてくる姿に見入った。その電車の兄貴分あたる車両に大井川鐡道で出会ったのだ。大井川での車号は312+512、313+513の2編成となる。これらの編成が10連になったのではないが、湘南型と言われている前頭部の姿があっさりしているのが特徴で、老人は好きなのだ。
そして制御装置が国電ご愛用のCS5型系に統一されていた。これが相性良ければ増結OKの話の出所となった。地方の鉄道で寄せ集め車両となると走行用諸機器類が統一されていないことが多く、連結運転が儘ならず運行計画が立てられない。それが大井川鐡道では今回紹介の車種については相性が良かったようで4両連結で走っていた。1999年、DRFC設立40周年記念行事では、澤村君を通じ白井副社長のご協力を受け全線走破ができた。これで参加の諸兄は3ケのシステムで運転されていることを知る事が出来た。それより先に現役諸兄たちがSE車に同志社のヘッドマークをつけて走らせた、との話もある。大西顧問の退職記念行事を兼ねていたとか……。