地図を携えて線路端を歩いた日々 -14-

飯田線⑤  G地点 上片桐~伊那大島
伊那大島は南アルプスの塩見岳、荒川岳、赤石岳への登山口であり、ホームにも案内の標柱が立っている。朝のホームに到着した電車、先頭クモハ51001から降りてきたのは、元祖山ガールの集団だった(昭和52年8月)。

上片桐~伊那大島の中間にある半径200mのカーブを行く、ED193の牽く251レ(昭和49年6月)

G地点の上片桐~伊那大島は、半径200m前後の急カーブ、上片桐に向かって連続25‰の一方勾配が続き、河岸段丘を上がっていきます。前回の飯島~伊那本郷と違い、「田切地形」となる河川はなく、段丘面を右に左にカーブしながら、高度を稼いで行き、撮影に適した地点が何ヵ所かありました。当時の地図を見ると、等高線を赤くなぞり、付近の地形の形状を撮影前に想像していたようです。

上片桐駅での240M(辰野発飯田行き)、クモハ43007+クハ68409+クハニ67901+クモハ51200、いずれの形式も当時は多く配置されていた形式で、いわば典型的な飯田線編成といえる。先頭のクモハ43は、京阪神の電化時に新製された2扉クロス車で、クモハ42(両運)とクモハ43(片運)がある。多くは3扉・4扉化され、クモハ43007のように2扉で残ったものは少ないが、パンタがPS13に換装されている。
上片桐で交換する左:247M(天竜峡発上諏訪行き)手前クハ68405、右:240M(前出)、私は、旧国のスカ色編成が本家の横須賀線で活躍していた時代は知らないが、北鎌倉駅で交換する列車は、きっとこんなシーンだと想像させるような光景だ。
対向式ホームの伊那大島で交換する、左:急行「伊那1号」(名古屋上諏訪行き)、右:1228M(上諏訪発豊橋行き)。「伊那」は、昭和36年、それまでの快速に代わり、名古屋~辰野間の準急「伊那」として誕生した。当初から80系4両編成で、昭和41年の急行格上げのあとも湘南電車で運転されていた。全金300番台とは言え、当時でも湘南型の急行は少なく、昭和47年3月改正で165系化された。
クハユニ56004先頭の1228M。伊那大島のホームは段丘の途中にあり、ホームからは伊那谷がきれいに望めた。またホームには、桜の並木が続いている。残雪の南アルプスをバックにした満開の桜とスカ色電車は、さぞ絵になるだろうと思われたが、私の飯田線訪問では、ついに果たせなかった。

 地図を携えて線路端を歩いた日々 -14-」への4件のフィードバック

  1. 総本家青信号特派員様

     待ちかねていた総本家さんのご投稿、うれしい限りです。

     いろいろお疲れと思いますが、皆さん楽しみにされていると思いますので、次々とご投稿をよろしくお願いします。

  2. 総本家青信号特派員様
    旧国はいろいろ変遷があり面白いと思います。河さんのような知識がないのでコメントを出し難いですが、長いことこの趣味をを続けていますと私も若干記録がありますのでそのうちに総本家さんの真似事でもしようかなと考えております。

  3. 準特急様

    『地図を携えて線路端を歩いた日々 -14-』を読み返していて、貴殿のコメントの中に小生の名前が登場しているのに気付きました。
    ・・・で、俄然『参加しなければ・・・』と、遅まきながらのコメントです。
    この投稿には小生の得意な(と自分では思っている)旧国の記事&写真が大半を占めていて、
    嬉しい限りです。

    記事に登場する42系車両は何れも旧国バリバリで、関西に省線電車が走り始めた1934(昭和9)年7月20日に投入された『関西固有種』でした。
    関東では未だ32系などの17メートル車が幅を利かせていた時に、2扉クロスシートの20メートル車である42系が関西専用電車として82両が新製配置されたのでした。
    この42系電車には両運の42と片運の43が有り、基本編成に使用された43の歯車比は2.26と駿足仕様で、急行と各停の兼務運用でした。

    これ等の車両は戦後の1950(昭和25)年5月~9月に東西間の車両大移動(交換)が行われ、関西の42系40両が横須賀線の70系増強用に東上し、反対に73系に押し出される形となった
    中央線の51系23両+80系新車(関西の52系急電の刷新用)28両の合計51両とのトレードが行われました。
    しかしながら、スカ線に入った42系は使い勝手が悪かったためか横須賀―久里浜間の2連折返し運転用を残して1950年代後半には雑形車両との交換用に飯田線への移動が行われ、これが42系が飯田線で活躍するきっかけとなりました。

    他方、今回の投稿記事の頃には73系に追われた51系が在来の10系17メートル車の取り換え代替車としてどんどん都落ちして来るようになり、クハ68にはローカル線特有のトイレ取り付け改造が行われ、400番台への改番となりました。
    さらに、これに続いて関西特有で500Kw強力車のクモハ54までもが異動投入され飯田線に花を添える事となりました。

    なお、記事に有るクモハ51001は窓配置から見てクモハ43系ではないかと思われます。
    それにしても旧国はやっぱり貫禄があって、見ていて惚れ惚れしますね。(・・・って、私だけ?)

  4. 河 昭一郎様
    東西大量トレードの話は興味深く読ませていただきました。以前、通学の行き帰りの途中などで京都駅で撮影した旧国を見ていただきましたがあの程度でして河さんに喜んでいただくとこれは下手でももっと出さんといかんという気になってまいりました。総本家さんの物真似になるかもしれませんがまた準備します。京急、阪急も用意します。いつも有難うございます。

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