【97344】 東海道線開業時の面影を巡る 桂川~西大路~京都 ⑥

東海道線の開業時巡りは、旧線に平行していた塩小路通を東へ、堀川通りを横断して京都駅近くに入って来ました。塩小路通は、平安京の八条坊門小路に当たる古道で、別名を、付近の史跡から三哲通とも呼ばれました。市バス車庫名にその名をとどめるものの、あまり聞かれなくなりました。開業時の東海道線は、塩小路通の南に平行して、単線の線路が敷かれていたことになります。塩小路通の道幅は、堀川以西は古道と同じ狭い幅であり、堀川以東のように拡幅されるのは、大正3年、東海道線が南に移設され用地が払い下げられた結果、現在見られるような道幅となりました。
京都駅周辺は、駅ビル新築時の前後に、周辺も大幅に再開発され、開業時を偲ぶ遺跡は何も残っていない。このオムロン本社の裏手の写真からも、何ら手掛かりもないように見える。しかし「ブラタモリ」の言葉ではないが、微妙な凹凸地形を観察すると、土地の歴史が浮かんで来るように、ここから140年前の東海道線の面影が見て取れる。

14 新線移設を示す地蔵さん
堀川通塩小路の交差点を渡ると、正面にはアパホテル京都駅堀川通がある。つぎの南北の通りである油小路通までの約50mの旧線跡は、民間に払い下げられて、現在ではホテルとなっている。油小路通側に回ってみると、ホテルと南隣のコンビニの間には、細い私道があり、堀川通までつながっている。この細道が旧線の南端となる。目を手前にやると、小さな地蔵尊があるのが見える。京都なら、どこでも見られる地蔵尊だが、彫られた建立年を見ると「大正三年八月」とある。まさに旧線が廃止されて、現在線に移設された年と一致している。昭和の時代には、この油小路通に、いわくありげな煉瓦塀や、「工」マークの入った境界石、「ケ」と刻印された石柱など、小品ながらも旧線を偲ぶ遺構もあったが、現在では見られなくなっている。
アパホテル京都駅堀川通の建つ用地が旧線跡、堀川通に抜ける細い私道が旧線跡の南端に当たる。左の地蔵尊に、線路移設と同じ大正三年の建立年が刻まれている。

15 いもも残る旧線跡の微高地
アパホテルの東側、油小路通を挟んで建つのがオムロン本社ビルだ。ビルの南側には、京都駅側へ抜けられる歩行者専用路があり、そこから南側の民家を見ると、1mほど低くなっていることが分かる。これこそが旧線時代の土盛りの痕跡なのだ。昭和の時代、ここには国鉄バス京都営業所の車庫があった。その後、西日本JRバスになって車庫も吉祥院に移転し、その跡地がオムロン本社となった。当時から、バス車庫全体が微高地となり、同じ地点には、石積み擁壁が築かれていた。石積みも、開業時ではないものの、旧線時代に築かれたものと、案内の大西さんは推測されていた。
オムロン本社裏の歩行者路の南側にある民家・道路は1mほど落ち込んでいる。
昭和の時代、旧線跡を偲ばせる石積みの擁壁があった。塀の向こうは国鉄バス車庫で、車庫全体が微高地になっていて、線路部が土盛りされていたことを示す。車庫全体がオムロン本社の用地に転用された。

ここから少し東へ行くと、ハローワーク京都がある。昭和の時代、この付近には、国鉄アパートなどが並んでおり、前庭には無数の煉瓦片が散らばっていたことを覚えている。ちょうど、旧駅西側に存在した、機関庫など煉瓦造りの建築物の残骸だと大西さんから説明があった。その後、平成に入って、北側のハトヤ瑞鳳閣・現アパガーデン京都の建設工事の際に遺跡調査が行われ、土中に埋まっていた京都鉄道時代のターンテーブルが発掘され、煉瓦の構造物が多数見つかることになった。

発掘されたターンテーブル跡、煉瓦積みが残っていた。現在は埋め戻されて、ホテルが建つ。トラ模様の柵に沿うのが西洞院通。

16 「工」境界標が無数に

そこから東へは、旧線跡は、京都中央郵便局などの用地に飲み込まれ、完全に消滅している。そして、京都駅前にやって来た。初代の駅は、塩小路烏丸東入る南側だから、現在のタクシープールのある当たりにあった。と言っても、開業時は、二面三線程度のごく小さな構内だったようだ。この付近の様子は、何点かの古写真、絵葉書で見ることができるし、そのあと京都駅前まで伸びてきた京都電鉄と駅舎が並ぶ写真も何点かある。初代の京都駅があった、現在の京都駅前のタクシープールの当たり、背後の(左)現・セレマビルは以前ステーションホテルのあったところ、(右)メルパルクル京都との間を旧線が抜けていた。
上記のセレマビル、メルパルク京都付近の路面を探索すると、国鉄用地を示す「工」マークの境界鋲、法務局の境界鋲、様式の異なる境界鋲と、3種の鋲が各所に無数に打ち込まれているのが見つかった。試しに手書きの地図に写し取ってみて、境界を探って見たが、よく分からない。いまでも、用地所有が複雑に入り混じっているようだ。

17 再開発が進む京都駅東側

東洞院通塩小路下る、ここは、日本初めての電車、京都電鉄伏見線の始発点で、「電気鉄道事業発祥地」の記念碑もあって、日本の鉄道史の歴史的な場所となっている。京都駅を出発した上り列車は、東洞院通塩小路下る一筋目の細い道を通っていた。ここには、通称「さる寺」の正行院がある。ここには、江戸時代、この付近に敷かれていた車石が保存されており、以前、車石の研究団体の探索ツアーに参加した時に、この寺も見学させてもらい、ご住職から旧線時代のことを聞かせてもらった。ご本人の祖父からは境内の北側を走っていたことを聞かせてもらったそうだ。また江戸時代の絵図が残されており、まだ鉄道が走る前、ここには御土居があったことが分かる。

京都に殺到する観光客ニーズに応えるため、この付近は、どこを見てもホテル、ホテルの建設工事が続いている。

東洞院通塩小路下る一筋目東にある正行院、この横の道を旧線が走っていた。正行院は北側へもっと広い敷地を持っていたが、鉄道建設時に用地を召し上げられた。

開業時の東海道線は、現在の奈良線のルートをたどり、山科方面に向かって行くことになる。この区間も追って現状を探索したいと思っている。ともあれ、鉄道の遺跡巡りの楽しさを再認識した一日だった。

 

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