JR西日本は11月17日付けで近畿運輸局に関西本線八尾と阪和線杉本町を結ぶ通称阪和貨物線(正式には関西本線の一部)の廃止届を提出した。「問題なし」と認められれば、1年後の平成21年11月18日付けで廃止となる。理由は「平成16年7月以降使用を停止しており、今後も使用する予定がないため」としている。
阪和貨物線は関西本線と阪和線の短絡を目的として昭和27年9月1日に開通した。当線を走った定期旅客列車は、名古屋発着の「くろしお」の車両基地への回送を兼ねて、昭和40年3月1日から昭和42年9月30日まで東和歌山~名古屋間を運転された特急「あすか」のみであったが、臨時列車、団体専用列車は時折運転されていた。記憶に新しいところでは、昭和62年に京都から奈良線、関西線、阪和貨物線、阪和線経由で紀勢本線白浜まで381系で運転された「ふれ愛紀州路号」がある。また、昭和48年9月20日、関西本線湊町~奈良間が電化された際、当初線内に電車区がなく、昭和60年3月奈良電車区が開設されるまで同区間に使用される電車は日根野の所属で、当線を経由して送り込みが行われた。(これが原因で奈良電車区の103系は向きが逆になっている)
杉本町駅から阪和貨物線に入る東和歌山発名古屋行特急「あすか」 (昭和41年5月27日撮影)
途中の停車駅は、堺市、王寺、奈良、伊賀上野、亀山、四日市であった。和歌山、奈良から名古屋へのビジネス客を意識した時間設定であったが、乗り換えが伴っても新幹線や近鉄特急を利用した方が速かったため乗車率は低迷した。また、「あすか」の停車に合わせて「金岡」は「堺市」改称した。
クハ111-32を先頭とする回送電車で吹田工場からの出場車 (昭和48年11月11日)
ED608の引く和歌山方面行貨物列車 (昭和48年11月3日)
ED60のラストナンバーで、昭和35年川崎重工兵庫工場製。新製以降昭和61年廃車になるまで、一生を阪和線で過した。
EF527の引く竜華操車場行貨物列車 (昭和48年11月3日)
昭和2年川崎重工兵庫工場製。最初の配置は国府津区で東海道本線東京口で活躍。その後中央東線用として甲府区に転属、昭和32年鳳区に転属した。昭和51年廃車となったが、生れ故郷の川崎重工業兵庫工場で保存されている。
EF15120の引く竜華操車場行貨物列車 (昭和48年11月18日)
昭和29年三菱重工三原工場製。最初の配置は新鶴見でその後宇都宮に転属、再度新鶴見に戻り、昭和45年に竜華に転属してきた。昭和58年に廃車となったが、摂津市の新幹線公園に保存されている。
ED604の引く竜華操車場行貨物列車 (昭和48年11月3日)
昭和33年汽車製造大阪工場製。当初作並機関区に配置され、仙山線の直流区間で使用、2年後の昭和35年鳳区に転属、以降昭和60年廃車になるまで阪和線で活躍した。
ED6117 (昭和49年1月4日)
昭和34年東芝府中工場製。当初甲府区に配置され中央東線で使用、昭和47年に竜華区に転属、昭和53年、浜松工場で飯田線用のED6216に改造された。阪和線のED61は、17、18の僅か2両の在籍で、しかもED62に改造のため昭和53年に姿を消したため、あまり目立たなかった。