微笑みの国タイ王国鉄道の旅2017年 Part5 メークローン線を撮る

第4日目 12月6日

今日はメークローン線の撮り鉄です。終点のレール上に設置された青空市場は今やバンコクの観光地と化して大勢の観光客がカメラを構えるようになっています。過去2回訪問していますのでもう撮りたい被写体ではありません。途中の路線はドロドロのバラスもない冠水した中にありました。線路はヨレヨレでいつ脱線してもおかしくなく、水しぶきをあげながら列車が走っていました。むしろ撮りたい被写体はこちらの方だとノミネートしていました。
カンチャナブリーでC56運行のイベントが中止になって目的を失ったクモハ73106さんと、ばけぺんさんは、代わりにメークローン線の乗り鉄を楽しんでおられました。そしていつの間にかヨレヨレ路線は整備されて列車は快走していたと言われるから失望驚きです。でも本当かなと、疑心暗鬼の訪問でした。

▲ 7年前の2012年12月7日に初めて訪れたメイクローン線の軌道です。こんな風に水の中に軌道が水没した所を走る箇所はいたる所にあり、列車は水しぶきをあげて走行していました。こんな状態が続いていたらそのうちに脱線転覆する日も来るだろう、そして修理復元は行われずに廃線になるだろうなあと最悪の事も予想していました。
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 正月はやっぱり阪堺詣で ②

神ノ木で“ギラリ”を

住吉で阪堺電車をたっぷり写したあとは、神ノ木へ来ました。阪堺上町線の一つ天王寺駅前寄りにあって、南海高野線とオーバークロスしており、すぐ近くには高野線住吉東駅があります。停留場は本線との交差部近くの築堤上にあるため、かなり高い位置にあります。ちょうど、冬の時期は、夕陽が電車の真正面に射し、高い位置のため遮るものがなく、日没直前まで“ギラリ”撮影が楽しめます。

“堺トラム”1001形は現在3編成、ベース色は同じ白茶だが、アクセントカラーがそれぞれ違う。この1002編成は、その色から“紫おん”と呼ばれている。

 

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微笑みの国タイ王国鉄道の旅2017年 Part4 父の日の記念列車を撮る

第3日目 12月5日

12月5日は、毎年タイ国民から絶大な崇敬を集めていたプミポン前国王の誕生日を祝って日本製パシナ重連が牽引する列車が走っていました。またこの日は前国王の誕生日にちなんで「父の日」に制定されています。昨年の10月13日に国王が死去されると、1年間の服喪が発表され、12月5日は今まで同様にSL列車が「父の日」記念号として走ることになりました。今年は東線の観光地チャチューンサオ(Chachoengsao )までを往復します。
今まで2回この列車を撮っていますが、今回走る東線は初めての撮影地です。今日は運転手付きのタクシーをみんなでチャーターしました。追っかけしながら昨日ロケハンした撮影地を回ります。
▲ 7:10 父の日記念号の始発駅ファランボーン駅に参りました。例年、多くの皆さんが取り囲んでおられますが今年はそうでもないようです。10両編成の客車をパシナ重連が牽引します。
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 正月はやっぱり阪堺詣で ①

新しい年が明けました。微力ですが、ことしも“デジ青”活性化に尽力できればと願っています。さて、ことし最初の鉄活動は……と思いを巡らすと、足は自然と住吉大社の初詣客への阪堺電車の大輸送に向かいます。住吉で思い出すのは、新春の恒例行事として長年続けられていた乙訓老人のことです。めっきり足腰が弱った老人が、阪堺詣でを止めてから数年が経ちます。その老人の思いを引き継ぐつもりで、私も何回か行きましたが、もう4年も訪れていません。この間に、住吉~住吉公園が廃止になり、車両面でも、新しい連接車が増備されて、旧型車の活躍もさらに狭められるなどの動きが出ています。しかし、正月だけは別です。すべての車両を総動員して、押し寄せる初詣客の輸送に当たります。旧型車両のとの再会を楽しみにしての住吉入りでした。
4年ぶりの阪堺詣で目についたのは、“堺トラム”こと連接車1001形の活躍ぶりだ。グッドデザイン大賞受賞のプレートも誇らしく、3連接車体で大量輸送に当たっていた。

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微笑みの国タイ王国鉄道の旅2017年 Part3 MRTパープルラインに乗る。撮る

第2日目 12月4日 その2

▲ 11:01 4駅目のPreng(プレン)駅を発車です、

左はチャチューンサオ(Chachoengsao )から乗車した280列車の時刻表です。前回乗車した経験からタイ国鉄は日常的に遅延が多いと思っていました。今回も大幅ではないですが少し遅延していました。前はノンカイまでで約3時間以上遅れていましたので、まあ、想定内ですね。

時刻表はタイ国鉄の公式HPからの転載です。
http://www.railway.co.th/
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微笑みの国タイ王国鉄道の旅2017年 Part2 東線ロケハン

第2日目 12月4日 その1

6:00 バンコク一の高層ホテル、バイヨークスカイホテルでの朝食は朝食は78階と82階のレストランで食べられます。バンコクを一望できる屋根なしのオープンデッキもあって他では味会えない眺望を見ながらの快適な朝を迎えられます。メニューは、タイ料理は勿論、一般的な洋食、和食、中華なども選べ食べきれないほど豪華です。

▲ 8:00 今日の午前中は明日パシナが走る東線のロケハンです。東線の列車に乗車するためにホテルから徒歩でタイ国鉄のマッカサン駅に来ました。

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微笑みの国タイ王国鉄道の旅2017年 Part1 旅立ち

今回のお誘いはサハリンにご一緒させていただいたクモハ73106東ウラさんより千住のヤスベイさんもいかれるがどうですかと、9月23日にありました。目的地は3カ所あって、1つ目はタイのカンチャナブリC56、2つ目は前国王誕生日(父の日)に走る日本製パシナ重連、3つ目は今回初めての撮影となるLRBEです。パシナは3回目の撮影となるので興味薄ですがC56走行はまだ撮っていません。泰緬鉄道の「戦場に架ける橋」でのイベントで走るC56は是非見てみたい撮ってみたい。
また、ミャンマーには40数回も訪問された丸谷さんに教えてもらったLRBEはまだ実際に見た事すらありません。レール軌道をタイヤで走るLRBEも是非見たい乗ってみたい、撮ってみたい車両です。期待一杯の参加表明でした。

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 18きっぷで東海道を巡る -7-

鶴見線大川支線を訪れるには、前項のように、分岐駅の武蔵白石にはホームがないため、ひとつ鶴見寄りの安善で乗り換える必要があります。訪れたのがちょうど冬至のとき、関東では、関西より20分は早い日の入りを迎え、16時30分になると、周囲はもう薄暗くなりました。決して優れた風景ではないものの、目障りなものも隠してくれて、あたりは暮色に包まれました。そんななかに、見掛けはごく当たり前の列車ながら、異色の列車が到着しました。
高圧線を併設した背の高い架線鉄柱も、最近はあまり見かけなくなった。暮色の安善に到着したのは……。

 

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 18きっぷで東海道を巡る -6-

鶴見線の枝線を巡る ①

全JR路線のなかで、まだ相当残っている未乗車区間の踏破も、遅々としながらも継続中です。しかし、乗りこぼしの区間はアプローチ困難なところが多く、心して訪問しないと距離も伸びません。とくに関東地方には意外な未乗車区間が残っています。鶴見線もそのひとつです。過去に、ひと駅だけ乗ったものの、未乗車区間として残ったままでした。南武線の尻手から浜川崎へ向かい、鶴見線の踏破をスタート。尻手~浜川崎は南武支線と呼ばれ、貨物線として敷設され、のちに旅客営業をするようになった。3番ホームが南武支線の専用ホームで、終端部は行き止まりになっている。車両は205系の2両編成のワンマンカー、本日はクモハ205 1001+クハ204 1001

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秋の中国路 Part9 山口線 D51200号機とC571号機の重連を撮る

第9日目 11月26

昨夜も車中泊で宿営地は893-2さんお泊りの東萩駅から約2.2㌔と近い「道の駅 萩しーまーと」でした。今日は一緒に惣郷川橋梁を渡るトワイライトエクスプレス瑞風」を撮影後に山口線を走るD51200号機C571号機の重連、SLやまぐち号も撮るという豪華なスケジュールです。
▲ 東萩駅から惣郷川橋梁までは26.6㌔と近く所要時間は約34分です。7時50分前後に通過しますので7時半には現地に着きたいと6時起床で宿営地を出発しました。
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秋の中国路 Part8 山口線 D51200号機を撮る

第8日目 11月25

昨夜は「道の駅 仁保の郷」で宿営、2晩続いての車中泊となりました。もう寒くになっていますので68歳の老体が選ぶ宿泊方法とは言えませんが、何しろ年金生活者です。愛妻を亡くなってから年金支給額は約4万円も下がってしまい、余裕ある暮らしがさらにできなくなりました。趣味の鉄ちゃんを続けるためにはホテル代はできるだけ削っていかないといけない辛さがあります。

▲ 6:40 夜明けが来た「道の駅 仁保の郷」です。泊っている車の殆どは鉄ちゃんたちです。
今日合流する893-2さんは、
新山口に8:29着のさくら541号でやってこられます。
7:05 9号線を新山口駅に向かって走り、途中のマクドで朝マックです。
8:34 新山口駅で893-2さんをキャッチして、第一撮影地の宮野~仁保の「大山路踏切」を目指します。朝に脚立が設置で来ているのは確認済みですので余裕の到着でした。
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秋の中国路 Part7 山陰本線 惣郷川橋梁

第7日目 11月24

昨夜は迷った末、結局3泊目の宿営地となる道の駅「道の駅 サンピコごうつ」で早めの就寝としました。既に零下近くまで冷えるので下段寝台です。

7時過ぎに起床、併設されている6時開店のコンビニで朝食を仕入れてから西へと向かいました。ナビが教える走行予定距離は104㌔、所要時間は約1時間50分です。
7:26 
途中、海の見える「道の駅ゆうひパーク浜田」休憩をとった後、惣郷川橋梁へ向かいました。高台にある道の駅から俯瞰できるのは浜田漁港です。かつてオートキャンプ世界大会が浜田で開催された時に家族で参加しました。その時に採り立ての海産物を買い込むために朝の浜田漁港市場に行った楽しかった思い出が浮かびました。

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秋の中国路 Part6 三江線から木次線へ

今日は「ばけぺん」さんのご希望もあってから三次間で撮影します。その後木次線の坂根坂根を目指しまます。ここでお別れ、私は日本海へと向かい山陰本線の撮影予定です。

第6日目 11月23
▲ 8:29 撮影地 口羽~江平 Google座標;34.841624, 132.722262
三江線らしく赤褐色の石州瓦の屋根をバックに江の川橋梁を行く列車が川面に写る場所を探して選びました。山霧が出ていたのも良かったですね。橋梁は、江平手前の第四郷平橋梁です。
423Dは、キハ120 311+キハ120 307の編成でやってきました。


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2017年晩秋の中国路 Part5 三江線へ その3

▲ 先日12月15日、JR西日本から2018年3月17日に改定する列車ダイヤのあらましの発表がありました。その中に廃止直前の三江線も含まれ、現在最後の乗車記念にと超満員になっている424D-426Dの混雑緩和のためにもう一本、三次~江津を直通するDC運行が追加されました。運行期間は15日間、最後の荒稼ぎと言われる方もおられますが全国から押し寄せるファンにこれだけでは対応しきれないだろうと思われます。
私は「葬式鉄」を好みませんが愛妻の実家があった三次となれば思い入れもあります。見送りに参加するつもりですが廃線となる3月31日は、愛妻の一周忌(3月29日)が終わってすぐです。ぶんしゅう7号で深夜走行していくか、新幹線+レンタカー利用で行くか思案中です。
桜の季節は直ぐです。三江線の開花時期は4月上旬前後です。毎年1週間幅で前後していますが、開花が早ければ最後の桜とコラボで撮れるでしょう。
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2017年晩秋の中国路 Part4 三江線へ その2

また投稿途中で新たな訪問を入れてしまいました。途中で引き続きの投稿を行うつもりはあったのですが、動き回ったので出来ずとなり申しわけございません。戻りましたので引き続き続編を投稿させていただきます。

第4日目 11月21日
▲ 7:55 昨夜は車中泊ではなくベッドの上でまったりと熟睡することが出来ました。朝風呂に入り、三江線撮影の常宿になってきた潮温泉大和荘」の店先からの三次行きの2番列車423ので撮影です。

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 地図を携えて線路端を歩いた日々 -17-

飯田線⑧ 中部天竜のバス
飯田線シリーズの最後は久しぶりのバスネタで締めくくります。前回紹介した中部天竜駅前から、たった2台という日本最小の路線バス会社が佐久間ダムの間を結んでいました。
終点「佐久間ダム」で発車を待つ共益バス、前身は長距離用に造られた国鉄バスで、国鉄時代のナンバーは641-7901、昭和42年製造のいすゞ製。共益バスはあと1台所有するだけの事業者で、手許にあった当時の日本バス協会「会員名簿」によると、ともに香川県の鬼ヶ島観光自動車、直島バスも路線バスが2台だったが、両者は貸切バスも保有しており、路線バス2台だけの共益バスが当時、日本最小のバス会社だった(昭和52年8月)。

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思い出の明智、岩村、、、

宇都家氏の記事を大変なつかしく拝見しました。明知線と明知鉄道には何度か訪ねていますが、岩村の思い出を少しだけご紹介します。まずは国鉄時代。

昭和45年10月18日 岩村駅で発車を待つ明智行き461レ C1274

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ここは 明智、岩村、、、

国鉄明知線にも明知鉄道にも乗ったことはありませんが、明智(線名と字が違うようです)には6年前に行ったことがあります。明智は古い街並みを活かし、「大正村」として観光地となっています。施設のうちの一つのおもちゃ資料館には古い電車やSLの魅力的なブリキのおもちゃが展示されていました。北原氏ならこれらの素性もたちどころに鑑定されるのでしょうか?

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 地図を携えて線路端を歩いた日々 -16-

飯田線⑦ 中部天竜

伊那路を抜け、天竜川の渓谷美を眺めながら、中央構造線を長大トンネルで抜けて、飯田線は中部天竜に至ります。ここには、中部天竜機関支区があって運輸上の要の駅になっていて、いつも、ひと電車遅らせて、区を訪問したものです。

中部天竜機関支区を横に見て発車する辰野行き1227M、クモハ52004+サハ75102+クハ47108+クモハ54119 “流電”の活躍は中部天竜以南が多く、辰野まで足を伸ばすのは1往復のみだった(昭和45年8月)

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半世紀前の阪急神戸線(1)西宮北口-夙川間、併せて今昔対比

恐ろしく長いタイトルです。お待たせ致しました。阪急920型など1961(昭和36)年の画像が中心です。 また今回、車両解説に使用しました参考文献は、我らが青信号4号1959(昭和34)年12月発行、高橋正雄 『京阪神急行 神戸宝塚線 使用車両の現状について』です。(*)で示します

▼西宮北口-夙川間 925型4連 上り三宮発梅田行き普通車  1961年3月11日撮影
【920型の解説】一般に920型と呼ばれる一連の神戸線車両のうち920~924、950~954はその最も初期に製造されたもので、いずれもMTc恒久連結車である。昭和33年から34年にかけて全10両が提起更新を完了したが、二段シルやリベットは撤去され、雨樋も新しい形のものになっている。(中略)通風器はガーランド式で中央一列、Tc車のパンタ取付台は撤去された。
【925型925-928(M)、955型955-958(Tc)  】 通風器がガーランド式2列になっている事とM車の台車が川崎-16である他は920型と大差ない。現在920,950型に続き更新工事実施中である。(*)  ということから、画像は更新後の姿の様です。  続きを読む