2012年 春の中国鉄路の旅 Part7の1 平庄煤礦鉄路 その2

第9日目 4月27日  平庄2日目

今日は、 撮影開始前に平庄駅に立ち寄って、切符を買わなければなりません。
① 4月27日 平庄→平庄南     K7384 次  1枚  O氏乗車
② 4月28日 平庄→阜新       4210次    2枚   O氏と私が乗車
③ 5月  6
日 ハルピン→瀋陽北     D102次    1枚  O氏乗車
④ 5月  6日 ハルピン東→満州里 K7059次orK7091次 1枚 私が乗車

は、昨年5月に来た時に眺望がすばらしいと、平庄南駅の裏山に2人で登ったのですが、いくら待っても列車は来ませんでした。O氏は最近、中国鉄ちゃんの集まりで、ここで撮った人の写真を見せてもらったら、かなり良かったとリベンジに燃えておられました。TaxiやBusで行くより、丁度良い時間に列車がありましたので、これに乗車です。
私は、五家炭鉱の路線や駅がどうなっているのか見たかったので、Taxiで向かうことにしました。午前中の撮影は、お互いの希望を尊重して、別々に行動することにしていました。

は、次の撮影地阜新炭鉱へと向かう2人の切符です。もっと早くに買っておきたかったのですが、ネットの残席情報では、なぜか「0」が並んでいます。始発駅の赤峰からは、1,000席以上の残席があるのですが、2日前(当日含む)にならないと、平庄からの残席はありません。ネット情報のミスかと思い、昨日も着いてすぐに平庄駅售票処で確認したのですが、「没有」と言われ、今日になりました。

は、 鉄道写真家小竹直人さんがプロモートされた「阿里河森林鉄道」のフォトランツアー(5月2日~6日)に参加後に、解散場所のハルピンから、日本へ帰国される飛行機の出る瀋陽へ向かわれるO氏の切符です。

は、同じく解散後にロシア国境の町満州里へと向かう私の切符です。

これだけの多種な切符です。間違いがあってはならないと、メモ用紙に分けて書き、售票処に2人のパスポートと共に提出しました。

ところが、ちゃんと書いたつもりでしたが、售票処駅員から「どの列車に誰が乗るのか?」と聞かれました。 あ~やっちゃいました。いつもは、同時にこんな多種な切符を買っていませんでしたので、名前まで書いていませんでした。ボケて頭が回らなくなっていた私のミスです。すみませんと謝って、再度説明して発券していただきましたが、受け取って確認すると、の切符が1枚しか発券されていません。今度は、駅員のミスです。もう1枚発券していただきました。
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2012年 春の中国鉄路の旅 Part6 平庄煤礦鉄路 その1

第8日目 4月26日  平庄1日目

瀋陽19:05(K
7362次)→5:35平庄
574キロ 10時間30分

平庄を訪れるのは、昨年5月、今年3月に続いて3回目です。中国鉄ちゃんで訪中50回以上を誇られる、O氏もなぜか同じです。近くの元宝山には、何回か行かれているようですが、ここに蒸気機関車が走っているのは分ってはいたけれど、前進型が驀進する集通線等々、行くなら優先すべき撮影地がいくらでもあった。ここや阜新が注目されだしたのは最近で、蒸気機関車が撮れる場所がなくなったせいでもあると言われます。

1回目2回目とまずまずの撮影はできましたが、確かに平庄では、際立って素晴らしいと感動を持てる撮影場所はありませんでした。
しかし、いつもは平凡単調でDATAから、消してしまいたくなる撮影場所でも、いくつかの条件が揃えば、一転してしまうことがあります。今迄撮り逃がしたのは、西露天口からのズリ捨て列車でした。特に山に夕日が沈む頃の光景は、考えただけでも心が躍る瞬間です。
今回、私たちが平庄に来た目的は、ただの石が突然にダイヤとして輝く、この瞬間を撮りたいがためです。滞在2日間をこれに賭けたいと思ってきました。今日は、雲1つない雨上がりの快晴です。条件1をクリアーするでしょう。きっと素晴らしい夕焼けが見られる事を期待しました。


▲ 常宿化してきた宝山大酒店にチェックインして、ホテルの朝食をとった後、直ぐにTaxiで撮影目的地に向かいました。
10:14
に到着、中々の場所です。ズリ捨て列車がくれば、そこそこの写真は撮れます。近くにいた作業員も10:20には上ってくると言われますが、煙は見えてもここまでやって来ません。
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2012年 春の中国鉄路の旅 Part5 瀋陽から平庄へ

第7日目 4月25日

① 天津 21:40(K345次)→7:45 瀋陽北  785キロ 10時間5分
② 瀋陽北駅 10:34(地鉄)→10:52 瀋陽駅
③ 瀋陽 9:05(K7362次)→5:35 平庄    574キロ 10時間30分

▲ 温州始発の列車は、既に約28時間も走行してきたせいなのか、ゲリラ暴風雨のせいなのか分りませんが、26分遅れの22:06発車となりました。乗車後は、列車の窓に叩き付ける雨音を聞きながら、睡眠に入りました。

▲ 翌朝も、雨音を聞きながらの早起きです。寒いなあと思って通路の温度計を見ますと、15℃です。今迄が暑かっただけに寒さをより感じます。車窓には、雨をたっぷりと吸い込んだ大地が続いていきます。駅に着いても叩き付ける暴風雨で、大きな荷物を持った乗降客は、必死の歩行です。窓から撮ろうとしても、コンデジのピントは合ってくれません。朝食を食べに食堂車に行きましたら、ご覧のとおり、無座客の座席車になっていました。

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2012年 春の中国鉄路の旅          Part4 天津天重公司の上遊型蒸気機関車

第4日目  4月22日

鄭州10:55(T254次)→20:08天津  831キロ 9時間13分

今日は、鄭州からかつての駐在先であった天津に向かいます。駅前のホテルに宿泊していましたので、徒歩で30分前に着きましたが、約50分も列車が晩点(延着)しました。これでは、天津着は21時近くになります。中国のホテルは、21時を過ぎますと、キャンセルとみなして部屋を飛び込みで入った人民に売ってしまうことがあるので、心配です。
鄭州鉄道日記さんに電話をしますと、このT254次は、遅れることが多いので有名ですとの事です。本当は、前夜の夜行寝台に乗りたかったのですが、彼に頼むのが遅かったので空席なしで、仕方なく昼間の列車にしました。


▲ 座席は残念ながら下段はなく上段になりました。同室客は、始発駅から乗ってきたと言うおばさん達でしたが、至って静かにしてくれていたので助かりました。食堂車を覗きましたが、品数が少なく今日はパスです。昼夕食とも車内販売の弁当にしました。

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2012年 春の中国鉄路の旅 Part3 鄭州世紀歓楽園の満鉄展望車トク2形

第3日目 4月21日

今日は朝5時半に起きて、鄭州駅で4月25日に乗車する瀋陽から平庄までの切符を買いに参りました。上海で買うのを忘れたからで、残席が十分ある列車ですので、昨日鄭州到着後で良いなあと思っていましたら、降りたメインの東口では何と前日の切符しか売っていません。
鄭州鉄道日記さんによると、裏の西口では10日前からの切符を売っているとのことですが、通り抜けの通路がありません。大きく迂回していかなければならないとの言われましたので、夜道は危ないと昨夜は断念して今日の朝にしたわけです。

▲ 駅前のホテルから歩くこと約30分余りで西口に到着しましたが、開いている窓口は1つだけです。そして早朝にも関わらず、約50人以上が並んでいます。丁度、労働節休暇(4月29日~5月1日)の3連休があって、小旅行に出かける人民達が多くなっているためだそうです。

途中で別の1つの窓口も開きましたので、ダッシュで前に並んで20分後には購入できましたが、軟臥下鋪2枚と書いた紙を渡しているのに、上下です。おまけにコンパートメントの部屋が別々です。これはダメだと申し立てるのですが、窓口のおばさんは頑として聞き入れず、途中からは次の客の発券をやりだし、完全無視です。困ったおばさんです。
諦めてホテルにトボトボと戻り、まだ終わっていない前回の旅日記の投稿作業をやりだしましたら、瞬く間に時間が過ぎていきました。
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2012年春の中国鉄路の旅 Part2 満鉄客車を求めて鄭州へ

第2日目   4月20日

① 大世界(地鉄)→上海虹橋火車駅
② 上海虹橋7:45(D286次)→15:09
鄭州 990キロ 7時間24分

今日は、昨日上海駅で受け取った切符を手配していただいた、鄭州鉄道日記さんがおられる鄭州へと立替金支払と、満鉄客車を見るために向かいます。


▲ ホテルの窓から見る上海の下町です。近代的なビルが立ち並ぶ上海ですが、中心部でも昔の上海を見ることが出来ます。
上海虹橋は、市内中心から約40分かかりますので、5時半には目覚めて直ぐに地下鉄駅へと参りました。


▲ 乗車しましたD286次は、「はやて」ベースのCRH2型です。1等車の切符ですが、2等車の車内を改造した1等コンパートメント車になりました。グループ旅行には最適のシートですが、シートピッチが狭いので、他人同士が乗るには辛いものがあります。 続きを読む

2012年 冬から春への中国鉄路一人旅  ドイツ風的蒸気機関車の撮影の旅 総集編

海外旅行では欠かせない、クレジットカードを忘れるという大失態から始まった旅でしたが、倹約を重ねて何とか手持ちの現金でやりくりしながら、O氏に自宅から送ってもらったクレジットカードを持ってきていただくまでを凌ぎました。
O氏と合流できなかった場合は、街角に這いつくばって道行く人からの施しをお願いするしかないかと覚悟しておりました。O氏様、助かりました。ありがとうございました。

44日間の人生最長の旅は、前半の「2012年冬から春への中国鉄路一人旅」と、後半の「ドイツ風的蒸気機関車の撮影の旅」になっております。まとめましたので、ご覧ください。


▲ 今回の旅では、成都から广州までと、深圳から大連までは、飛行機を利用しましたので、乗車地図では、つながっていません。

▲ 昆明のメータゲージ区間は、時刻表に記載がないので、現在調べております。分り次第に差し替えます。广州~九龍間の乗車距離は、中国鉄路区間のみです。

下記をクリックしていただきますと、内容をご覧いただけます。

【2012年冬から春への中国鉄路一人旅】

Part  1  とほほのスタート
Part  2 1891次に乗って齐齐哈尔へ
Part  3 富拉尔基(フラジル)の蒸気機関車
Part  4    国境の町、黒河(ヘイフー)へ
Part  5  国境の町、黑河(ヘイフー)のあじあ号展望車
Part  6 ( ハルピン )から鸡西(ジーシー)へ
Part  7  鶏西鉱業集団鉄路 その1
Part  8  鶏西鉱業集団鉄路 その2
Part  9  鶏西鉱業集団鉄路 その3
Part10 大地横断5,010キロ 鸡西から昆明へ
Part11 昆明のメータゲージ、 湏越(雲南)鉄道
Part12  昆明のミシェラン 雲南鉄路列車陳列館
Part13  成昆鉄路に乗って、グースの里 北碚(ベイベイ)へ
Part14  江合煤鉱鉄路 グースの里北碚(ベイベイ) その1
Part15 江合煤鉱鉄路 グースの里北碚(ベイベイ) その2
Part16 江合煤鉱鉄路 グースの里北碚(ベイベイ) その3
Part17 北碚(ベイベイ)から重慶(重庆)へ
Part18 重慶モノレール(重庆軌道交通)
Part19 重慶から芭石鉄道へ
Part20 芭石鉄道その1
Part21 芭石鉄道その2
Part22 芭石鉄道その3
Part23 簡単便利に購入できる中国国内線航空券と鉄道切符
Part24 一旦出国、再入国で大連へ
Part25 大连市電(大连軌道交通)

【ドイツ風的蒸気機関車の撮影の旅】

Part  1 瀋陽鉄道博物館(沈阳鐡路陳列館) その1
Part  2 瀋陽鉄道博物館(沈阳鐡路陳列館) その2 展示車両
Part  3 平庄炭鉱(元宝山の建設型と、平庄の上遊型)
Part  4 平庄炭鉱(元宝山の建設型と、平庄の上遊型) その2
Part  5 平庄炭鉱から阜新炭鉱へ
Part  6 阜新炭鉱(阜新煤礦鉄路)その1

Part  7 阜新炭鉱(阜新煤礦鉄路)その2
Part  8 北台製鉄所 その1
Part  9 北台製鉄所 その2
Part10 北台製鉄所 その3
Part11 錦州八角台発電所の建設型
Part12 瀋陽から天津へ、そして帰国

以上です。現在、次の中国鉄路乗車の旅も始まっております。近々にアップロード始めさせていただきますので、またご覧いただければ幸いです。

2012年春の中国鉄路の旅  Part1へ続く

 

ドイツ風的 中国蒸気機関車の撮影の旅 Part12  瀋陽から天津へ、そして帰国

第11日目(訪中43日目)   4月1日

中街(地鉄)→瀋陽駅8:30(D164次)→14:14天津西 699キロ 5時間34分

 

長かった旅も最終へと入りました。お連れいただいたO氏にお礼を申し上げて、7時前にはホテルを出ました。着いた瀋陽駅も大連~哈尔滨間の新幹線建設工事で、瀋陽北駅と同様の大改造中です。駅横のマクドで朝食後、乗り込みました。

▲ 乗車した車両は、何とオール6人掛けのコンパーメント車でした。しかも、シートピッチが狭くて、後ろにリクライニングもできずで窮屈です。これなら、1+2列にしてくれたら、どんなに快適だったでしょうか。
この日は通路側席でしたので、いくらかはマシでしたが、途中から真ん中席には赤ん坊を連れた2組が乗車してきましたので、ウトウトもならずです。幸いにして電気は使えましたので、乗車中はひたすらHP用の画像処理に専念しました。


▲ 殆どの乗客は1つ手前の天津駅で下車しましたが、私は北京~上海間新幹線が開業して大変身を遂げた天津西駅にはまだ行っていません。
まあ、昔の駅を知っている者にとっては、びっくりです。 11本もの相対式と2面の片式ホームの数は以前とは比べようがないくらいに多く、コンコースは広大です。ホームから地下鉄まで15分もかかりました。

この日の夕食は、馴染みの日本料理屋へ行き、久しぶりのカレーライスを頼みました。

第12日目(訪中44日目)   4月2日

① ホテル 11:30(Taxi)→天津空港14:00(JL840)→17:45 名古屋空港
② 中部国際空港 18:36(ミュースカイ)→19:05名鉄名古屋
③ 名古屋 19:25(のぞみ247号)→20:02 京都 20:08→20:19 長岡京

 

今日は、生涯で最も長い旅の最終日です。2月19日に旅立ち、44日間何とか無事に過ごせました。一人旅を続けたわけではなく、途中からはO氏、そしてドイツ人一行と合流しての変化にとんだ旅でしたので、一人旅の楽しさ、グループでの旅の楽しさの両方を味合えました。撮った写真の枚数も生涯最高です。

どの1日が最高だったか、どの1枚が最高だったと問われても、毎日が思い出に残り、1コマ1コマのシャッターを押す度に生きている幸せを感じていました。学生時代に戻ったような感覚を持つ事が多い旅でした。また、こんな旅をしたいと思っております。

これができるのも元気な身体があってこそです。私は、丈夫な身体ではなく、いつポックリ逝ってもおかしくない持病を持っていますが、じっとしておられない性質ですので、ついつい出かけてしまいます。

▲ ホテルでゆっくりして、正午前に天津空港に向かいました。出張ペースでの駐在でしたが、その頃と比べようがないほどの渋滞です。ちょっとヒヤリとしましたが、中心部を抜けるとスムーズに進み空港に到着しました。
搭乗前のラウンジサービスがありますが、北京等と比べるとしょぼいものです。
機内食も近距離で、初めて天津から日本への国際線が飛んだ時は、おにぎり1個と信じられない機内食に搭乗客のみならずCAさんも唖然としましたが、今日はマシです。昔のように国際線はステーキがどかんと出ることはありませんが、これなら我慢内です。もっとも私としては、アルコールがあれば問題ありませんが・・・。

久しぶりのセントレアに着陸、名鉄、新幹線の流れで無事帰宅しました。自宅では、まだ1歳の孫が誰が来たのかと、不思議そうな顔で迎えてくれました。
2012年冬から春への中国鉄路一人旅 ドイツ風的 中国蒸気機関車の撮影の旅総集編へ続く

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ドイツ風的 中国蒸気機関車の撮影の旅 Part11  錦州八角台発電所の建設型

とうとう紀行記を完了投稿することなく、また次の旅に出ています。只今、大地に中心地「鄭州」からの書き込みです。2週間の予定は立てていますが、その先はいつものように未定で切符が買えた方向に向おうかと、気ままな乗り鉄旅を楽しむ予定です。

第10日目(訪中42日目) 3月31日

① ホテル 8:10(Taxi)→9:07 錦州八角台(Bus)→錦州市内’Taxi)→ホテル
②   
ホテル(Taxi)→錦州駅(Bus)→錦州南站(D9次)→瀋陽(地鉄)→中街

今日は、帰りがけの駄賃として、O氏と一緒に锦州から約40キロ先の八角台にある発電所に走る建設型の撮影に参ります。錦州市内のホテルに昨夜チェックインしましたが、約40キロの発電所までの所要時間が分りません。八角台まで行くには駅前ターミナルからの路線バスがありそうですが、駅まで行って乗り換えてとなると結構時間がかかりそうです。今日夕刻の列車で瀋陽に戻りますので、早めについておかないと撮影にさしつかえがでます。

昨日の感じではTaxiで行っても50元(約680円)前後だろうと思いましたので、ホテル前からTaxiで向かいました。広い道路を走り出しましたが、郊外に出ると左に回って迂回します。道路が混んでいるので、抜け道を行くのかと思っておりましたら、コの字型に回り道をしたのが、後でGPS通過記録で分りました。昨夜といい、この地のTaxiの運転手は、メーターは倒すが、よそ者と分ればわざと迂回をします。何とも、せこい人民ですね。おまけに、復路に乗ったトロトロ走る路線バスと比べて、所要時間は殆ど変わらずでした。


9:07、迂回を重ねて、国道と交差する踏切に到着しました。ヤードの向こうに白煙が見えました。左手前にも蒸気機関車が止まっています。
さあ踏切からヤードに入って撮影しようとしましたら、門番から大声で静止させられました。見つかったらおしまいです。仕方なく踏切を国鉄八角台方向へと通過する建設型6211号機を見送りました。
そして門番が発電所から出る車のチェックをしている間に、踏切番の部屋に行って、運行状況を聞きました。
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ドイツ風的 中国蒸気機関車の撮影の旅 Part10  北台製鉄所 その3

第9日目(訪中41日目) 3月30日

① ホテル→北台製鉄所→食堂→ホテル→15:10瀋陽空港→16:33地鉄奥体中心駅
② 奥体中心(地鉄)→17:13瀋陽北駅18:38(D8次)→19:58錦州南(Taxi)→ホテル

今日は、TANAGOの中国SL撮影ツアーの現地最終日です。午前中撮って昼食後には、瀋陽空港に向かいます。最終日とあって皆さん元気よく出発しました。


▲ 3日間の定番となった朝の通勤列車の発着シーンです。撮り飽きていますので、早くに入場したいのですが、発車した後で開門です。この編成は、鞍山~ 田师府等の区間列車にも使用されています。ドイツ人も撮影はもういいのか、カメラは向けず朝飯屋台を覗いていました。


▲ 朝から活発にスラグ捨て作業が始まっています。
今日は、撮り逃がしたシーンがないかと、工場内をうろつきましたが、ここでの最高は、夕刻以降の暗くなってからです。今年の冬まで、蒸気機関車の運用が続くことを願って、今まで見たことのなかった衝撃シーンを撮らせてくれた北台製鉄所を去りました。再見!

今日会えた上遊型は、448、1075、1191、1560、1561、1648号機と昨日と同じ蒸気機関車の6両でした。


▲ 13:30、初めてお会いして9日間、人種、国籍は違っても蒸気機関車を愛する気持ちは一緒の仲間たちとの最後の食事です。昨日と同じ食堂での麺でしたが、箸を使えなった人も、ホーク感覚でで使っていました。左上は、待ってる間に食べられる漬物類です。今日は昨日食べた美味しい白菜はなかったですが、結構つまみましや。


▲ 15:10、瀋陽空港に到着しました。彼らは、一旦国内線で上海に向かい、出国手続きをしてから、改めて国際線でドイツに帰国します。スイスから来たという方は、何やらおかしな物を持っているので見せてもらったら、北台のヘルメットです。こんな者を持って帰るとは参りましたね。彼の職業はお医者さんです。サイクリングも趣味の1つで、アルプスを走り回っているそうです。

▲ 16:33、彼らを見送った後、そのままバスに乗って、地下鉄駅まで送ってもらいました。通訳の史超さんも両親と住む長春へ帰るようで、一緒でした。2号線の奥体中心駅から乗車しましたが、面白いことに乗車時にチェックされるレントゲン機がありません。1号線にはありますが、乗り換えられる2号線にないとは、検査はええ加減ですね


▲ 17:13、着いた瀋陽北駅は、大連~ハルピン間の新幹線建設に向けて大改造中でした。改札が始まりましても、左右に曲がったり、階段を上下したりで、ホームに着くまで10分以上かかります。乗車したのは、CRH5-31Aでしたが、1等車は真ん中でなく両端でしたので、たどり着くのは大変でした。


▲ 1時間20分で錦州南駅に着きましたが、周りに建物はありません。結構たくさん降りましたので、ついていくとTaxi乗り場に着きました。ホテル名を書いたメモを渡して、連れて行ってもらいましたが、後でO氏がお持ちにだったGPSで見ると、かなり遠回りをしていました。メーターは倒しましたが、セコイ錦州のTaxiです。
ホテルチェックイン後に近くの食堂で羊肉の しゃぶしゃぶを堪能しました。こんな美味しいものがあるのに毎日同じような夕食でした。どうしてかなと思いましたが、O氏は、欧米人はみんなで鍋をつつくといった食習慣がないので、あえて出なかったのではと言われます。チーズフォンデは別として、確かにそうですね。
この食堂、私達が食べ始めると、日本の音楽を流しました。店長らしき人が来て、横に座って何やらコミュニケーションを取りたいようですが、日本語も中国語もさっぱり分かりません。
でも、肉を追加サービスで出してくれたり、親日的なのは分かりました。
  Part11  へ続く

ドイツ風的 中国蒸気機関車の撮影の旅 Part9  北台製鉄所 その2

第8日目(訪中40日目) 3月29日

今日もホテルで朝食後に出発しましたが、北台製鉄所正門前で数人降ろしてホテルへ戻ってしまいました。説明もないのでどうしてかなと思っていましたら、何とドイツ人2名をホテルに置いたまま、乗せずに出発していました。二人はホテル前に出たら、バスが出発して行ったので、大声を出したが行ってしまったと嘆いていました。通訳さん、途中で気がついたので引き返したそうです。10数名なのに、出発前に分からなかったのですかね。
朝から、 こんなエピソードで、笑いがあふれた車内でした。 
▲ 昨日、工場内は歩き回り慣れましたので、入場すると皆さん思い思いの行動に出ました。スラグ捨ての取鍋車は何を動力に鍋を回しているのかとO氏に質問しましたら、我々の見ている反対側に電源コードを入れるコンセント口があって、作業員がその都度に走り回り、接続してモーターを回していると返答をいただきました。


▲ 8:40、推進運転で、高炉のスラグ流し口に取鍋車を移動させての作業が始まっていました。
▲ ヤードでも、石炭積込み、給水、そして作業開始と上遊型が動き回っています

▲ 9:34、スラグ捨て場に着きましたが、今日は昨日撮った場所より手前で作業中です。おまけに水を撒きながらの作業で水蒸気がたち込めていて、蒸気機関車しか見えません。

▲ 12:05、昨日と違って曇天で天候も悪く、中々思ったカットは撮れずじまいでした。皆さんも同じだったようです。また、検査院の偉いさんが来ているようで、昨日撮っていた場所に入るのを拒まれました。これも要因だったかもしれませんが、いつもより早めの昼食です。刀削麺ではありませんが手打ちの平麺です。スープも美味しく、何といっても麺ができる前に食べた漬物が絶品でした。写真を撮ろうと思った時は、O氏と私でお皿一杯に盛られた漬物を全部食べてしまっていました。


▲ 昼食後は、一旦ホテルに全員戻りました。予定どおりの行動だったのか、工場側からの要請だったのかは不明ですが、夕方にバスに集合となりました。
そうなれば、帰途の瀋陽から天津への切符を買える時間ができました。ホテル横の工場正門で客待ちをしていた三輪Taxiに乗って、国鉄北台駅へと向かいました。

13:27北台駅に到着。駅前広場にTaxiがいないので、待つように頼むとOKです。
窓口には、切符発売暫定停止と表示してありましたが、声をかけると、やってくれました。パスポートを出しますと、驚いた表情です。他の駅員5名も呼んで大騒ぎになりました。
それはそうでしょう、こんな片田舎の駅で日本人が切符を買うなど、まずありえない事です。みんなでパスポートを珍しそうに見ています。そして、どうして北台に来ているのか等々の質問の嵐がきました。 おかげで1枚の切符発行まで20分以上もかかってしまいました。右上に発行場所が記載されています。


▲ 夕刻、スラグ捨て場でのショーが始まりました。昨日の昼間も良かったのですが、夕闇が近づくとさらに格別です。もう少し暗くなれば、水蒸気がもっと紅くになって迫力が出るでしょうね。
昨日、皆さんがバスに集まった時間が遅かったので、正門は閉じられて出られず、別の出口になりました。
迷惑をかけてはと、もっと粘ろうと言われるO氏を説き伏せて、バスに向かいましたが、ここに最後まで残って撮られたドイツ人の写真を見せてもらいましたら、ものすごいシーンでした。O氏は盛んに残念がっておられました。申し訳ございません。次回の宿題になりました。


▲ やはり、蒸気機関車を撮るなら夜撮ですね。この工場は7時には職工交代時間で、作業が止まります。見学者も7時以降の滞在は不許可となっています。12月冬至頃に来ることができましたら、もっと早くに暗くなりますので、撮影チャンスは増えます。最高でしょうね。O氏と暗黙の了解をしました。案内人の谷さんに依頼すれば、入場できるとの事でルートもできましたので、参りたいと思っております。


▲ 今晩も夕食は8時からです。明日は昼食後に瀋陽に向かい解散します。私たち二人は、瀋陽から锦州の発電所に走る建設型を見に行きます。
この地での最後の夕食とあって、白酒も頼んで、よく食べ、よく飲みました。

この日に出会った蒸気機関車は、上遊型448、1075、1191、1560、1648、1561号機の6両でした。昨日の946号機は見られませんでしたが、1648号機が新たに出会えました。これで7両が確認されました。  Part10  へ続く

ドイツ風的 中国蒸気機関車の撮影の旅 Part8  北台製鉄所 その1

第7日目(訪中39日目) 3月28日


▲ 昨夜ホテル(北鋼賓館)にチェックインしたのは夕食後でしたので、真っ暗で周囲の状況が全くわかりませんでした。
7:18、朝食後に部屋の窓の外を見ますと、右手に工場への門があって、通勤バスがひっきりなしで入って行きます。左手には、鉱石を満載した大型トラックが、列をなして並んで入場時間待ちでした。


▲ 7:42、バスに乗って中国国鉄北台駅の駅前跨線橋に到着しました。出口前では、朝食屋台がたくさん出ています。
7:50南芬始発の6314
(12両編成)が到着しました。満員の通勤客がいっせいに降りてきます。すべて北台製鉄の従業員です。

▲  発電所が駅正面にある北台駅ヤード、北台製鉄専用線も並行しています。6314次は、北台で折り返して6315次として、8:19に出発します。満員の乗客は。夜の勤務を終えて帰宅する通勤者です。

【 北台製鉄所 】
戦前に南満州鉄道の出資で設立した鞍山製鉄所が有名ですが、 北台製鉄所は戦後1955年に、中国独自で建設されました。4つの高炉を持ち、製銑から製鋼、鋳造、圧延の工程を経て鉄鋼製品まで製造しています。
この道の専門家であるO氏は、どうも鉄線を製造しているように思える。ただ高炉は小さく、蒸気機関車が使用されている現状からも分かるように設備自体も前世紀のものです。近々新しい高炉ができるようなので、その時点で蒸気機関車も終焉を迎えるのだろうと言われました

ここには、中国で唯一の蒸気機関車牽引のスラグ捨て列車が残っていると言われています。単独で行く事は不可能で、許可を取るのも難しく、中々ルートが見つからずでしたが、今回ドイツのTANAGOからの撮影ツアーでは企画できたとの事でしたので参加しました。



▲ 全員、ヘルメットをかぶって工場内へと向かいます。日本では、安全性を最優先しますので、見学コースも決まっていて、自由行動は絶対にできませんが、ここでは全くのお構いなしです。目指すは、スラグ捨て場です。

▲ 8:36、初めは、みんなで一緒に奥の方へ向かって進んで行きました。
O氏の説明によると、鉄鉱石コークス石灰石が混ぜられて高炉で溶解され銑鉄スラグに分けられます。
スラグは軽く上部に、銑鉄は下部に溜まるので、上の穴からスラグを、下の穴から銑鉄を流し取ります。
受けるのは、お椀の形をした取鍋車です。高炉の左右に線路が敷設されていて、右はスラグを、左は銑鉄を取鍋車に受け入れます。1,500~2,000℃の溶解したスラグ銑鉄を入れるので、取鍋には特殊な耐熱加工をしてあります。この 取鍋車を牽引するのが、上遊型蒸気機関車です


▲ 高炉を抜けるとヤードになっていました。SY1191に続いて、1560号機が動き回っていました。

▲ 9:05、みなさんにくっ付いて行きますとスラグ捨て場に着きましたが、もうもうと水蒸気がたちこめています。しばらく見ていると、前へとスラグ列車は進み、取鍋を傾けて、ドロドロのスラグを捨てました。釜の中は全てドロドロではなく、最後は取鍋をガタガタと振って表面が固まってしまったスラグを落とします。




▲ 当分、スラグ捨てがないとの事なので、取鍋車への流し込み場に戻って、落ち着いて撮ってみました。

▲ 10:33、反対側は、 銑鉄の流し込みが行われていました。こちらは、ヤードから先にある製鋼所へと運ばれて、炭素を除去して、ニッケル等の他の金属を混ぜて粘りあるに製造されます。

▲ 11:03、次のショーが始まりましたが、全部がドロドロはありません。最後は揺すられてドスーンです。O氏が以前に見たショーは、塊はなく生々ドロドロだった。築堤から流れ落ちる光景は、噴火した火山の溶岩のようだったと語っていただきました。


▲ 12:01、ぼちぼち昼食に行くのかとバスに乗りましたら、降ろされたのは珍しく鉄橋の袂です。ドイツ人の目当ては東ドイツ製のELです。氷が溶け出した本溪の太子河にかかる鉄橋を長編成の鉱物列車が行きます。多分、満鉄時代に建築されたものでしょうね。昼食は、肉饅頭とビールが配られました。


▲ 13:10、再び 北台製鉄所へ戻りました。まずは、 取鍋車への流し入れの撮影ですが、適正なシャッタースピードと絞りが分かりません。
花火を撮る時は、三脚にカメラをセッティングして、ASA200で、シャッタースピード2~5秒、絞りはF10前後が目安ですが、このシーンは未経験です。

撮りながら、モニターを見て確認する事から始めなければなりませんでした。自分としては、シャッタースピード1/4~1/8、絞りはF7.1程度かなと現場判断をしました。
しかし、三脚はバス中です。手持ちでの撮影です。 シャッタースピード1/8程度で手ぶれしないのには自信がありましたが、1/4となると結構きついものがあります。また昼間ですので、例え三脚があっても露出が絞りきれません。夜間撮影でのセッティング準備のために、試行錯誤を強いられました。



▲ 製鉄所の中では蒸気機関車が主役です。SY946、1075、1191、1561号機たちです。


▲ 15:22、3度目のスラグ捨て作業を見ました。最初に水蒸気がたち込めて見えなかったのは、水が張ったプールに直接に1,500℃のスラグを入れているためです。阜新のフライアッシュの粉塵には及びませんが忽ち水蒸気が上がります。
これを水砕スラグと言い、乾かしてからセメントに混ぜるそうです


▲  水砕スラグ が終ると、列車は前進して、残ったスラグを捨てます。

▲ こちらは、砕石スラグと言い、砕いてから道路舗装前にひく砂利として使用されるそうです。
この作業を努めたのは、1566号機でした。作業時間は、約30分でした。


▲ 16:48、スラグ入れに戻りますと、活発な作業が始まっていました。SY10751561号機です。


▲ 一旦バスに戻って三脚を持ってからの夜撮です。制限時間は、門が閉まる6時50分までと決められています。どんな写真に仕上がるかは、撮ってみないと分かりませんが、私は長年の感でシャッタースピードと絞りを決めてのマニアルでのぞみます。思った以上の写真になることは稀ですが、1年に1回くらいは、「やったね」があります。
しかし、ここのように、明るい場所と暗い場所の明暗差が大きい所は、特に撮り難いですね。


▲ 今日は、夜撮もあって、夕食は8時を過ぎました。皆さん、お腹はペコペコです。ビールを飲んでいたら、食べるものはなくなっていました。こんな時のために、O氏と私はいつも麺を特別に追加注文していますが、これもドイツ人に食われてしまいました。

この日に出会った蒸気機関車は、上遊型448、946、1075、1191、1560、1561号機の6両でした。結構いましたね。  Part9  へ続く

ドイツ風的 中国蒸気機関車の撮影の旅 Part7  阜新炭鉱(阜新煤礦鉄路)その2

第6日目(訪中38日目) 3月27日

 


▲ 6:39、
今日の朝の通勤列車は、高徳駅発車で撮りました。1210号機でした。


▲ 6:58、 直ぐに蒸気機関車が来るとの情報で、待ちました。1378号機牽引です。


▲ 7:15、昨夕の追い出し勧告にもメゲず、平安駅踏切にまたきました。堂々と線路際での撮影です。ドイツ人と来て良かったと思える瞬間です。昨日朝より多くの蒸気機関車が集まってきました。
左から、1319、1818、988、770号機でした。


▲ 7:271319号機と運転手が乗り込む1818号機。

▲ 7:421818号機は一足先に五龙炭鉱へと仕事に向かいました。

▲ 車庫で休む1320号機


▲ 8:00までに平安駅ヤードに集まった蒸気機関車は、SY770、988、1210、1319、1818、1320、1378号機の7両でした。


▲ 8時になると警備責任者の出勤時間だそうです。引き上げて、8:13五龙炭鉱上のズリ捨て山に上がりましたが、今日の朝は、かなり霞んでいます。待ちましたが、列車が来ないと言うことなので、降りました。
8:58、途中でズリ捨て列車が発車しそうだとバスを降りて向かいましたが、残念ながら蒸気機関車の方が先に来てしまいました。
10:12西部駅付近まで移動しましたが、好撮影地に着くまでに、ここでも列車が来てしまいました。
11:06、再び 五龙炭鉱上のズリ捨て山に戻ると既に列車が来ていました。谷案内人、迷走の連続です。


▲ 全員駆け足でズリ捨て路線に上がって撮影開始です。各自、目指す撮影ポイントに散りました。列車の後ろを追いかける者、終点近くまで向かう者、足に自信のない高年齢者の私たちは、近場の高台に登りました。もう撮影は無理かなと思われましたが、この列車は空転ばかりで前に進みません。おかげで終点を目指したO氏他6人は、絶好のポイントまで行けたようです。

ズリ捨てが始まると、見たことのない爆煙が舞い上がりました。採炭が終って、捨てるズリではなく、発電所からの廃土のフライアッシュです。

▲ この瞬間を撮られたO氏の写真を送っていただきました。まあ、凄いとしか言いようがありませんね。O氏は、6人が現場にいたが、列車がどこに止まるかが不明で、絶好のポジションを確保できたのは3人だけだったとの事です。バスに戻ると、撮れなかっったドイツ人は、「どうでもいい所をタイミングも悪く、連れまわしておいて、どうしてもって早くに肝心の場所に連れて来れなかったのか。これを撮るために阜新に来ているのに・・・。」とクレームを言っていたそうです。

阜新での最大最高の撮影ショーです。残念な気持ちは私も一緒でした。 ちなみにこのショーは毎日11時に開催されるそうですが、不定期です。

フライアッシュは、石炭燃焼時に灰が生成されます。燃焼ガスとともに吹き上げられるレベルの球状の微粒子です。産業廃棄物ですので、電気集塵機などで回収されて、厳重にタンクに詰めて保存され、相性の良いセメントに混ぜられて建築材料として使用されています。

ここ阜新には、3つの発電所があって、2つは直ぐにセメントに混ぜられたり、水で溶かしてから廃棄されていますが、もう1つの発電所は設備がないために、そのまま捨てられています。粉塵は空に舞い上がって阜新の町に降り注いでいます。他の国でしたら大きな環境破壊、健康問題として取り上げられるでしょうね。


▲ 13:44阜新での撮影が終りました。山を降りる途中で、信じられな~い。止まってとみんなで撮りました。氷も張っている黒い泥池に入って、スコップで底を掻き混ぜているおじさんがいます。石炭粉を溶かした泥水で、このまま蒸発させて乾かして「タドン」のようなものを作るそうです。そのために時折掻き回す必要があるそうです。何箇所も同じ泥池がありました。

▲  一旦ホテルに戻ってシャワーで汚れを落としてから、15時前にバスに乗って北台に向かいました。併走する国鉄線を見ていましたら、トラス橋が見えました。多分、戦前の満鉄時代のものでしょうね。中々見られるものではありません。DLでも良いのでここを走るシーンを撮ってみたいものです。


▲ 阜新から快調に走り続けましたが、瀋陽を通過する高速道路がないので、夕方ラッシュに巻き込まれて、北台には19:40着でした。お箸が初めてだった人も使い方が慣れてこられて、10数品の料理も直ぐになくなりました。

明日から今回の最大イベント、北台製鉄所での撮影です。期待が膨らみました。
  Part8  へ続く

 

ドイツ風的 中国蒸気機関車の撮影の旅 Part6  阜新炭鉱(阜新煤礦鉄路)その1

第5日目(訪中37日目) 3月26日


▲ 6:08
平安駅ヤードに到着しました。日の出前には撮影を始めたかったのですが、既に上がっていました。朝6時にホテルを出発しましたが、元宝山から東へ300キロ近くは来ていますので、日の出は13分早くなります。蒸気機関車は、SY1396号機

▲ 6:22、蒸気機関車が集まり始めました。左は1818号機


▲ 7:05、朝の目玉は、2両ですが唯一の蒸気機関車が牽引する通勤列車です。今日は、1012号機です。皆でそろって、折り返し回送まで撮影しました。踏切から近いこの場所は、最近訪問された方が追い出されたとネットでレポートが載っていました。日本人には躊躇するところですが、ドイツ人には関係ありません。一緒に付いてしっかりと、撮影できました。

▲ 7:50、一仕事終ったので、踏切近くの食堂で朝職です。さっぱりしたスープの麺で、美味しかったです。

▲ 朝食後は、近くの五龙炭鉱に上がりました。8:571378号機の空の石炭列車、9:01には1818号機ズリ捨て列車が発着しました。右側正向きで待機するは、1396号機です

 


▲ さて次は、五龙炭鉱上のズリ捨て山に向かうかと思っていましたら、撮影ガイドの谷満春(Gu Manchunさんは、今ズリ捨ては3ヶ所の分割されています。次の列車は、別の場所に行くかも・・・。山に向かうスイッチバック地点なら両方が狙えますと案内くださりました。

9:56、言葉通り1396号機の牽引する次のズリ捨て列車は、山に向かわずに直進していきました。


▲ 10:33、新しくできたズリ捨てを案内されましたが、元の海州露天鉱へのルートでした。広大な露天鉱の穴を埋めるためのようです。

10:57、次に案内されたのは昨日夕刻に行った機関区。左から1319、1378、988、1210号機の4両が待機中でした。
機関区には約40分も4両の機関車周りを歩いていました。その間、案内人の谷さんは、携帯電話で走行情報を聞いています。専用線には決まった列車ダイヤがないので、案内する方も大変です。


▲ 12:03、昼飯を食べに行くのかと思っていましたら、高徳駅に立ち寄りました。ドイツ人は、高い所からの撮影が大好きです。どこへ行ってもよじ登っていました。
12:19、ズリ捨て列車の予想が外れ、1378号機単機がやって来ました。
13:32、ついでにDL客車列車も撮って去ろうとしたら、踏切番からもう直ぐに石炭列車が来るから待つようにとの声がかかりました。谷さん、さすが地元です。コミュニケーションも十分です。
13:50、先ほどの1378号機がヤードから空の石炭列車を牽引して戻って来ました。そしてスイッチバックをして、画面右へと推進運転で去っていきました。谷さんは、3番目のズリ捨て場があると言われます。
こんな可愛いレールバスが昼間の職員輸送用に走っていました。

▲ 14:44、五龙炭鉱上のズリ捨て山に蒸気機関車が走るとの情報があったようで上がりましたが、ガセネタです。
谷さんも困ったらしく、蒸気機関車がいる機関区に戻って、特別ショーです。


▲ 15:26、3両並んでの機関区ショーですが、こんな事で承知するドイツ人ではありません。4両並んで一緒に向かってくるようにとの要求です。ちょっとな事では納得できない頑固なドイツ人気質が出ました。
左から988、1319、1210、941号機です。
ちなみに、特別ショー代ですが、200元(約2,500円)と聞きました。今夜の白酒代程度ですね。


▲ 16:39、朝に来ました平安駅踏切に戻って今日最後の撮影ですが、踏切番から離れろとの注意を受けました。しかし、少しすると警備局員が来て強制退去を命じられます。仕方ありません、今日の撮影は終了です。


▲ 移動回数が多かっただけに長~い1日だったように思えました。今夜も食欲が進むドイツ人です。中国は初めてだった人もすっかりと慣れた様子でした。
 Part7  へ続く

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ドイツ風的 中国蒸気機関車の撮影の旅 Part5  平庄炭鉱から阜新炭鉱へ

今日は、337キロ先の阜新炭鉱へと向かいます。平庄駅からは9:29発昼行と、19:08発夜行の2本の列車があります。夜行は、阜新に02:02着ですが、一旦ホテルに入ってから早朝撮影に向かえば良いかなと勝手に思っていました。どちらになるのか史超さんに聞いてみましたら、列車は7時間もかかって遅いので乗りません。瀋陽から大型バスを呼んでいます。高速道路を走れば4時間以内で着きますので、昼食後に出発しますと言われました。

第4日目(訪中36日目) 3月25日
①  ホテル6:00(チャーターBus)→元宝山鉱_西駅→風水溝駅
② 風水溝駅7:40→8:58平庄装煤駅→五峰付近10:10→10:45西露天鉱
③ 
装煤駅12:40→市内13:30→13:45ホテル14:20→17:55阜新機務段
④ 阜新機務段18:15→夕食→20:00ホテル


▲ 西駅で数人を降ろしてから、橋まで連れて行かれましたが、風が強く気温も上がって来ていたので、狙ったカットにはならずでした。
7:37、通勤列車が
風水溝駅に到着しました。今日は、ヤードにセキの姿はなく、降りた大勢の職工達は迂回せずに炭鉱に直行して行きました


▲ 8:58、今日は、直ぐに平庄炭鉱装煤駅に参りましたが、機関車は1425と1017号機の2台だけです。毎日運用が違っています・
9:27五峰駅方面に移動しますと、1083号機が空車を回送して装煤駅へと向かってきました。


10:07、いつもの五峰~平庄南間の橋での撮影です。橋手前まで行きたかったのですが、皆さんのカメラ視界に入ってしまいます。多人数での撮影のデメリットです。風が強い日でした。この前後のカットは、全部風が前に吹いていて機関車を隠していました。牽引機は、1425号機です。


▲ 10:45、今日は、直ぐに西露天鉱行きです。またEL撮影かなとウンザリしていましたが、1764号機が作業車を牽引して上がってきました。これなら好し好しです。
▲ 空車のセキを牽引してELが降りていきます。ドイツ人には感激シーンなのでしょうね。

▲ 未舗装路を石炭を満載したトラックが通過するたびに、半端でない粉塵が舞います。通訳の史超さんもこれには参っていました。
踏切には、多くの注意看板が立っています。左から「火车小心=列車に注意」、左下は「紅灯停车・灭 灯停车=赤灯停車・点滅停車」、右上は「铁路道口・一停・二看・三通过=鉄道踏切・1に停車・2に確認・3に通る」、右下はZ型の変形道の様子です。真ん中下3つの看板はお分かりと思いますが、問題は「☓ ∧ 」。この標識が分かりません。どなたか教えてください


▲ 皆さんは、EL撮影に励んでおられましたが、O氏と私は一足先に露天掘を離れました。12:00、午前中の運行が終って休む1025と1764号機。この2両がズリ捨て専用でした。


▲ 平庄での最後の昼食は刀削麺でした。スープが美味しく結構いけました。ただ調理のスピードが追いつきません。
外国人が珍しいと近所からも人民が集まってきて記念撮影の連続でした。


▲ ホテルに戻って、シャワーで汚れを落としてから、大型バスに乗換えて、阜新へと向かいました。国鉄の新線建設が始まっています。沿線は、赤土のハゲ山、丘陵がおおく植林が進められていますが、数10年以上は必要ですね。


▲ 17:55、平庄から高速道路を約3時間半で夕日の阜新炭鉱機関区に到着しました。列車の半分の所要時間です。前回見つけられなかった機関区です。SY上遊型0941、0988、1210、1319号機の4両が休んでいました。12両が在籍のはずですが、みんなに会えるでしょうか・


▲ 夕食時には、明日から阜新と北台を引率していただく案内人の紹介がありました。阜新の住民だそうです。どんな撮影地を案内いただけるか楽しみです。
今日も皆さんの食欲は衰えることなく旺盛でした。  Part6  へ続く

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ドイツ風的 中国蒸気機関車の撮影の旅 Part3  平庄炭鉱(元宝山の建設型と、平庄の上遊型)

瀋陽鉄道博物館は、広大な蘇家屯機関区内にあります。敷地内に食堂車を使った食堂がありましたので、みんなでバスを降りて撮りました。


▲  蒸気機関車は、博物館にも展示してあった工建型1018号機でした。1958年製造、軸配置;0-C-0、動輪直径;1,000mm、最高速度:35km/h。1959年に撫順化学工場に配属、1989年に 蘇家屯機関区に転属され、2009年9月に引退しました。、食堂車はCA23-890666+CA23-890888の2両でした。門の前の保線のモニュメントも立派です。機関車も客車も磨かれてピカピカでしたが、案内表示は日焼けして年月が経っているように見えます。食堂車は、1両定員は48人ですから全部で96人。使用されている様子がなく、単に展示してあるだけか分かりません

瀋陽鉄道博物館の場所はこちらです。列車食堂こちらです

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ドイツ風的 中国蒸気機関車の撮影の旅 Part2 瀋陽鉄道博物館(沈阳鐡路陳列館) その2 展示車両

第1日目(訪中33日目) 3月22日

ドイツのツアーですが、我々日本人2名も入場拒否にあわず入れました。前回の時は、私とTaxiの運転手に館内案内人がピッタリと付きましたが、今回は総勢16人の団体に案内人1名です。監視が行き届かない事は明白です。できるだけ案内人に近づかず撮影に専念しました。前回途中から撮影を拒否された車両からご紹介します。

前回の訪問記はこちらをご覧ください


▲ GJ(工建型)、鉱線や入換用として、1957~1961年までに122両が製造されました。GJ型は、工建(GuoJian)の略です。


▲ SY(上遊型)満鉄のミカロ(JF6)のコピーで性能も同じです。1960~1996年まで1,769両が製造され、今も現役で数10両が地方鉄道で活躍中です。軸配置1D1、全長21,168mm、動輪直径1,370mm、1,500PS。韓国や米国にも輸出されました。韓国では901型として今なお休車扱いで店村駅に展示されています。


▲ JS(建設型)、 満鉄のミカイをベースに1957年から総数1,558台が製造され、上遊型と同様に今も現役で数10両が地方鉄道で活躍中です。軸配置1D1、全長23,053mm、動輪直径1,370mm、2,270PS。

▲ 正面にも置いてあった蒸気機関車と同じ、OJ(前進型)。今や数台がイベント用や工場専用線で働いているのみです。


EX9800(維修車)997310とあるが、種車が分かりませんが、間違いなく「大陸」号用の客車でしょう。ドアは、半円形のガラスが入っていて原型を留めていますが、改造されて、台車も換えられて、定員9名、自重42t、全長24.5mとなっています。製造は、1933年(昭和8年)満鉄鉄道工場です。

▲ GW997310(公務車)とあるが、前身は展望1等寝台車「テンイネ2」です。1936年(昭和11年)に満鉄工場で3両(?)が製造され、初めは奉天~北京間の急行列車に使われましたが、後に釜山~北京間の急行「大陸」として使われていました。豪華なダブルベットとバスタブまでついた客車で、黒河で見たあじあ号の展望1等車「テンイ8」と比べると内容的には豪華だったかも・・・。現在、北京に2両(G
W97347・GW97349)と合わせて3両が保存されています。この車両とよく似た特別車「トク2」が製造されていますが、詳しい資料がありません。鄭州世紀歓楽園に保存展示されているGW97351がそうではないかと言われています。


▲ YZ5-22436(硬座車)とあるが、前身は
鋼製三等車「ハ5」と思われます。2010年に天津地方鉄道を訪問した紀行記に掲載した客車と類似しています。

客車は他にも、YW22硬座寝台車、YZ5硬座車、 CA23(891113)食堂RW24(551436)軟座寝台車、YW25G(661613)硬座寝台車、YW25K(000001)硬座寝台車、最新のYW25T-000002硬座寝台車が展示されていました。


▲ 満鉄の貨車群です。

【ディーゼル機関車】


▲ 東方紅1型は、中国初の量産型液体式ディーゼル機関車として1966~1972年までに107両が製造されました。軸配置B-B+B-B、全長16,550mm、1,820PS、重連運用を前提とした型運転台です。1998年に退役しています。


▲ 北京3型は、1975~1991年までに358両が製造された液体式ディーゼル機関車で、1部永久重連型もありました。軸配置B-B、全長15,045mm、2,670PS、最高速度120km/h。2000年に退役しています。

▲ 東方紅3型は、東方紅1型の後継機として、1976~1988年までに268両が製造された液体式ディーゼル機関車です。1,350PSを2機装備しており、牽引両数に応じて、片方のみを使用できる特徴を持っていました。軸配置B-B、全長11,855mm、2,700PS、後期型は3,000PS、最高速度120km/h。2000年に退役しています。

ディーゼル機関車は、この他に東方紅5型、ND5型、東風4B型(DF4B)、東風5型(DF5)、東風4C型(DF4C)、東風6型(DF6)、東風7型(DF7)、最新の和階3型(HXN3)も展示されいました

【電気機関車】

▲ 電気機関車は、交流式の国産最初の韶山1型(SS1)が1両だけ展示されていました。ソ連と蜜月時代の1959年にソ連製のVL60型電気機関車をベースに製造しましたが上手くいかず、途中からソ連との対立関係に入りました。仕方なくフランスの技術を仰いで、1967年までに7台の試作車の製造を重ねました。ようやく、製造技術が確立して、1968年から量産体制に入り、1988年までに819両が製造されました。軸配置C+C、全長19,400mm、4,200kw、最高速度90km/hで、1961年に中国で初めて電化(交流25,000V、50ヘルツ)された、四川省と甘粛省を結ぶ山岳路線の宝成線宝鶏~鳳州間で使用されました
宝成線のこの区間は、敗戦国となった日本の満鉄職員が戦後徴収されて、調査設計をして建設した路線でもありました。


▲ かつて満鉄で活躍した貨車群です。


▲ 信号設備の歴史も展示されていました。

▲ レールや橋梁も今昔が展示されていました。

▲ 最新のCRH3(ICE3)も惜しげもなく展示されています。これを見たドイツ人は一言です。「コピー!」、卑下した表現でした。


▲ 前回、撮るなと言われたパネルもじっくり見てみれば、抗日戦線を表現するものではありません。目くじら立てて撮影を拒むようなものではなく、理解に苦しむところです。

撮影途中に、どこからか現れた前回の案内人が、カメラ前で阻止する姿を表現しましたが、今回はドイツ人が多数一緒です。黙って無視すると、そちらの方へ行ってしまいました。ドイツ人は、多少の阻止にもめげず、撮影を大胆なアングルからでも堂々と撮り続けます。案内人の監視はそちらに向いていきました。

ドイツ人を案内する中国人男性は、日本語の通訳でもありました。ここを案内したことはあるのか。手続きは簡単なのかと聞きますと、以前に2名と3名の2組を案内したことがある。しかし、ここは入場許可を取るのは難しい。30人以上の団体でなければ受け付けていない。
博物館の場合は入場料をとると、政府からの給料はそこでストップする。入場料収入だけでは、給与が出ないし安定しない。そのために。ここの職員は、入場料収入を求めない。だから入場者もさせないし、制限もすると言いますが、中国を知っている私としては、それだけの原因とも思えません。2~3人を案内したと言うのも、団体ならOKと矛盾する返答です。もっと違った真実があると思いますので、この通訳の発言は信憑性を欠くものと、無視してください。

▲ 夕食は久しぶりの中国料理のフルコースでしたが、やはり欧州人にとって、箸の持ち方は難しそうです。ちょっと可哀想でしたので、スプーンを取ってきて渡してやりましたが、中国人の案内人は、そんな気を使ったりせずに自分たちで、ワイワイと会食中です。日本なら即、クビですね。
まあ、この国の人民に、気配りを求めること自体無理なのも分かってはいますが・・・。

夕食後、夜行列車に乗車するために瀋陽駅に向かいました。   Part3  へ続く

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ドイツ風的 中国蒸気機関車の撮影の旅 Part1  瀋陽鉄道博物館(沈阳鐡路陳列館) その1

2012年冬から春への中国鉄路一人旅 Part26ですが、今日からは一人旅ではなくO氏とドイツTANAGO中国蒸気機関車の撮影ツアに参加します。TANAGOは、現在世界中に残る蒸気機関車や歴史ある内燃車の撮影ツアーを企画されています。昨年、東アフリカに行きましたのも彼らのツアーでした。今回は、元宝山・平庄・阜新・北台とまわりますが、北台では製鉄所内に3日間撮影する事ができます。
中国鉄路撮影に慣れている我々が、単独ではなく費用のかかるツアーに参加したのは、単独では行くことが不可能で特別なルートを通さねば許可が得られない、北台製鉄所撮影が含まれているのが、大きな理由です。勿論、日本のツアーにはありません。加えて、ドイツ人から見た中国鉄路撮影は一体どのような視野を持った内容なのか、好奇心がありました。
よってタイトルは、ドイツ風的 中国蒸気機関車 の旅として発表させていただきます。
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2012年 冬から春への中国鉄路一人旅 Part25  大連市電(大连軌道交通)

第31日目 3月20日

大連駅前(路面電車)~ 华乐广场

今日で1ヶ月を経過しました。北の黒竜江省の黒河や鸡西から雲南省の昆明までの、南北5,000キロを横断往復して戻ってきました。マイナス7℃から30℃と温度差37℃を2度も体験しましたので、還暦を過ぎた身体には応えないわけがありません。これからウィグル自治区へ向かいますので、身体を慣らすための大連入りです。部屋でアップロードに努めて、あまり動かずお散歩程度にしようと思っておりましたが、鉄ちゃん魂はじっとしていられません。

▲ 昨日、大連駅前電停には市電の姿がありませんでした。それもそのはず、電停には何らかの原因で故障が発生したので昨日(19日)と今日(20日)は、兴工街~大連駅前の間は運休してバス代行にします。华乐广场方面へは、100m東に臨時の乗降所がありますのでご利用くださいと掲示してありました。

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2012年冬から春への中国鉄路一人旅 Part24  一旦出国、再入国で大連へ

昨夜、ようやく中国鉄路への44日間の長い旅を終えて、無事帰国しました。途中で中国鉄路通で有名な小竹直人さんが、東北奥地で2000年に廃止された阿里河森林鉄道C2型蒸気機関車を復活チャーターされるので参加しないかとの連絡がO氏より入りました。勤め人の方を対象にされているので5月の連休予定です。中々こんなチャンスはありませんので、即決で参加申込をしました。
問題は往復の航空券代です。結構しますので、このままどこか田舎の安いホテルでゆっくりと休んだ方が安くつきます。家内にもしばらく中国にいるかもと了解を取りましたが、現在ノービザ(15日間)で滞在中です。30日ビザなら公安に延長申請できるそうですが、ノービザでは申請不可と分かりました。また出国しなければなりません。ベトナム、ロシア韓国北朝鮮のどちらかにしようかと迷いましたが、持病持ちですので日本で車体検査にも行かなければなりません。不本意ですが選択肢が消えました。

今回、宿泊したホテルでは、香港を除いては全て無料でインターネットが使用できましたが、接続安定性が確保できなかったり、疲れて就寝する方を選んでしまったり、夜行列車も多かったので、即日の投稿ができませんでした。申し訳ございません。随分と遅れていますが、紀行記を続けさせていただきます。

第29日目 3月18日

① 淘金12:00→12:25广州東駅13:52(T809次)→15:57紅磡(九龍)
② 紅磡16:20(MTR)→16:36油麻地


▲ 鄭州鉄道日記さんとは一緒に广州の5つ星ホテルに宿泊しました。60㎡以上はある広い部屋で、バスルームだけでも6畳以上はあります。久しぶりにゆったりとしました。
彼は、若いですが、鄭州にある大学の日本語先生です。 明日は授業があるので帰られます。私も30日ビザの失効日まであと1日です。ノービザで行けるベトナムへ列車に乗って、出国と入国という選択肢もあったのですが、どうも風邪が完治していなくて、くしゃみが止まりません。微熱もありますので、慣れている香港にしました。

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