復旧早まる中国路の鉄路
7月の西日本豪雨災害から4ケ月が過ぎました。私がおります広島県三原市には、まだ避難所生活を強いられている方が大勢おられます。比較的軽微な被害で済んだ、床上浸水の被害を受けられた知人(85才)が 「昨日ノーやっと新しい畳が入ってノー、久しぶりに畳の上でゆっくり寝られたワイヤー」とうれしそうに話されていました。山陽本線も全通し、山陰迂回貨物は終わりましたが、支線にはまだ不通区間が残っています。JR西の当初見込みより早く復旧する区間もあるようです。
早回り ヨーロッパのトラム巡り 〈4〉
バーゼル (Basel) スイス ②
▲宿泊したホテルの前は、トラムが通る絶好の撮影地だった。
昼間のバーゼルでのトラム撮影を終えて、いったんホテルで食事を済ませ、再び街へ出ました。この時期のヨーロッパ、現地時刻で午後8時ぐらいまでは、じゅうぶん明るく、手持ちでの撮影が可能です。しかも、この時期は、全欧で1時間のサマータイムが実施されていますから、実際は午後9時ごろとなります。ホテルの目の前に、Grosspeterstrの停留場があり、すぐ近くを、スイス国鉄(SBB)、ドイツ国鉄(DB)、フランス国鉄(SNCF)を跨ぐ橋があり、絶好の撮影地となりました。
札沼線を走っていた頃のキハ141系(4)
【キハ143の着雪防止装置】
キハ143のうち、1995年1月31日に苗穂工場でオハフ51 34から改造された104には着雪防止対策を施して登場しました。781系電車の運転室上と同様のスタビライザーや後位妻面の装置が目立ちました。他には床下機器箱の変更などで、落成後効果の検証が行われたそうです。いつ撤去したのでしょうか。
2018年 山陰迂回貨物列車追っかけ撮影旅 Part1
台湾から帰国してすぐに前回、青春18きっぷで回った長崎・山陰路で会った迂回貨物列車の撮影に向かうことにしました。列車ダイヤと撮影場所は、893-2さんにご教授いただき、同行は準会員になられた不銹鋼號さんと加賀野井さん、相棒はぶんしゅう7号です。
▲ 山陽線一部運休のため迂回貨物列車は岡山~山口を伯備線・山陰本線・山口線と大きく迂回して走行します。この時期の日中の撮影可能区間は上りが仁保~黒坂、下りが黒坂~津和野です。番号を入れましたのは893-2さんお薦めの撮影地で、あらかじめIpadのグーグル地図のマイプレイスにラべルを入力してたどり着けるようにしておきました。こうしておけば撮影後直ぐに次の撮影地に向かえますので追っかけがスムーズにできます。
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近場でGO 相も変わらず近鉄田原本線 今回は大輪田で
天気が良いので近場をお散歩。行き先は近鉄田原本線大輪田駅界隈。界隈というと何やらにぎやかなイメージであるがそんなことはない。以前、田原本線の電車に乗っていて、ふと窓から外を眺めていると五輪塔が目にとまった。ちょっと気になる。ということでその場所へ行ってみようと考えた。電車の窓から見えるのであるからその場所からは電車が撮れるはずだ。それと開業100周年記念で10月14日からの行先サボが付けられているか。気になるのである。家から新王寺駅まで数種類あるお決まりのルートを歩いて行く。行先サボが取り付けてあればいいのにと思いながらブラブラ歩いていると新王寺に着いた。駅に停まっている電車を見ると
赤の電車に行先サボが取り付けてあった。さあ、赤の電車に乗って大和田へ行こう。
札沼線を走っていた頃のキハ141系(3)
【キサハ144】
1994年3月に新形式の中間付随車キサハ144 101~103,151が登場しました。101~103はオハフ51 7,9,10から、151はオハフ51 33から4両すべて苗穂工場で改造されました。101~103は戸袋窓が小さいのが特徴です。
101~103にはトイレがなく、151はトイレ付きでしたがのちに撤去され104に改番しました。
また、登場時は非冷房でしたが、その後冷房化されました。
2018年夏、酷暑の旅 Part14 迂回貨物列車と遭遇、帰路もトラブル発生
第5日目 8月31日(金)

① 東萩 7:44⇒8:55 益田
② 益田 8:57⇒9:46 浜田
③ 浜田 10:05(快速〕⇒12:53 米子
④ 米子 12:56(快速)⇒14:35 鳥取
⑤ 鳥取 15:19⇒16:06 浜坂
⑥ 浜坂 16:16⇒18:03 豊岡
⑦ 豊岡 18:31⇒19:39 福知山
⑧ 福知山20:17⇒21:27園部
⑨ 薗部 21:48⇒22:29 京都
⑩ 京都 22:35⇒22:47 長岡京
▲ 7:44 今日は5日間の青春18きっぷの旅の最終日です。東萩から15時間3分、ほぼ1日をかけて10本の列車を乗り継いでの帰宅です。
1番目は、益田行キハ47系2両編成1562Dに乗車してのスタートです。
新王寺駅は開業100年目の大賑わい
昨日、ちょっと通りがかった近鉄田原本線新王寺駅。駅前は大賑わいでした。しばらくするとぞろぞろと駅のなかへ。駅員さんが「次の列車は貸切列車です。一般のお客様は乗車できません。」との案内がありました。添乗員さんもおられます。どうもツアーのようです。めったに人だかりのない新王寺駅で大変な人だかりですのでお巡りさんも何事かという感じでした、駅員さんから説明を受け納得の様子。しばらくすると西田原本から緑色の電車がやってきました。11時43分着です。大勢のツアーのお客さんと電車を降りてきたお客さんで新王寺駅はごった返しています。そして、折り返しの貸切列車として11時49分発でツアーのお客さんを乗せて発車していきました。
調べてみると、このツアーは近鉄が企画して開催されました。新王寺駅から西田原本駅、そして大和西大寺駅で折り返して、再び来た道を新王寺駅に帰るものです。弁当とお茶、そして記念のクリアファイル付きです。やはりポイントは田原本連絡線を乗車できることでしょう。ツアーに参加された方は十分に楽しまれたことでしょう。 続きを読む
札沼線を走っていた頃のキハ141系(2)
広島駅に残る客車への給水設備
最近広島駅は橋上化され、南北の通り抜けが容易になり 大きな商業施設(EKIE)もできて様変わりしました。一方地上ホームに降りると昔のものが姿をとどめています。広島へ行った帰りには5番ホームで上り電車を待つのですが、5番ホームと6番ホームの間には長距離客車列車が走っていた頃の給水栓がいくつも残っているのが目にとまります。
2018年夏、酷暑の旅 Part13 門司港から萩へ夕陽を求めての乗り鉄旅
第4日目 8月30日(木) その3
① 門司港 14:07⇒14:13 門司 14:34⇒14:41 下関
② 下関 15:01⇒15:42 小串 15:45⇒16:59 長門市
③ 長門市 17:36⇒19:29 奈古 18:42⇒18:58 東萩
当初、今回の旅は山陰線経由で長崎へ向かい、帰路は門司港からは阪九フェリーで海路で戻る予定でしたが台風の影響と持病の再発治療のため新幹線で長崎に向かい、リベンジだった山陰線幡生から京都へのルートに変更となりました。
海路での旅は次回に持ち越しとしましたので今日は萩に宿をとりました。
◀ 14:07 門司港からは813系に乗車して門司まで、乗り換えて関門トンネルを越えて下関に14:41到着。とっても広いホームです。
今度こそ全通
7月の西日本豪雨によって不通だった広島県内の山陽本線が9月30日に開通すると同時に、今度は9月末の台風24号によって柳井・下松間がまた不通となっていました。10月13日、山口県内のその不通箇所も復旧し、99日ぶりにJR貨物のコンテナ列車がようやく通り抜けられるようになりました。結局山陰迂回貨物は10月中旬まで走ったのでしょうか。

平成30年10月14日 中国新聞朝刊
10月14日 また広電のカープ花電車を撮ろうと、朝からいそいそと出かけました。
2018年夏、酷暑の旅 Part12 門司港レトロ訪問
第4日目 8月30日(木) その2
筑豊電鉄撮影後はホテルに戻ってチェックアウト、次はJR九州811系に乗って門司港へと向かいました。
▼ 国鉄時代に製造された415系も現役で運用されています。
札沼線を走っていた頃のキハ141系(1)
北海道の国鉄がJR北海道になって少したった1990年3月、オハフ51を改造したキハ141-1,キハ142-1が試作車として登場し、札沼線を走り始めました。そして1995年夏まで増備され形式も増え総勢44両の所帯になりました。
気動車ではありますが客車改造でしたので興味がわき、時々出張で札幌へ行く仕事がありましたので、出張をできるだけ土日の前後にしたりして全車現車調査をしたのですが写真も少し撮りました。その後札沼線の電化により10両のキハ143がワンマン化改造・ATS変更・保全工事を受け苫小牧に移り、JR東日本の「SL銀河」用としてさらに変身した仲間が4両あって、残りは廃車になったりミャンマーに譲渡されました。
現在ではキハ141が形式消滅し国内では14両が残るだけになりましたが、札沼線を走っていた頃に撮影した(出張のついでに撮影しましたので全車を網羅できていませんが)キハ141系をご紹介します。
なお、「キハ141系」とは、キハ141形,キハ142形,キハ143形,キサハ144形計4形式11番代(SL銀河用含む)のグループの便宜上の呼称です。当初、「キハ140系」と呼んだことがあったようですが、JR九州に出自の異なる「キハ140形」がありますので「キハ141系」とします。
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早回り ヨーロッパのトラムめぐり 〈3〉
広電の単車 2軍落ち

平成30年10月11日 中国新聞朝刊
春と秋には大正電車101号が、寒い時期にはハノーバー電車238号が週末の一般運用に入って横川・江波間を走っていましたが、空調設備、IC乗車券対応の問題で一般運用には不向きとされて2軍落ちし、イベント時のみに出場することになったそうです。IC乗車券を使わず、冷暖房がなくても文句の一つも言わないクローバー会が貸切運行をお願いすれば、請けてもらえるのでしょうか。
伊勢志摩ライナーと豪華客船
本日鳥羽まで行って来ました。「伊勢湾フェリー」のH.Pを観ていて、10/9豪華客船が鳥羽湾に停泊することを知りました。以前にも偶然「日本丸」に出会ったのですがうろうろしている間に出港していました、本日は「ダイヤモンドプリンセス(115,875トン)」です。「しまかぜ」の1時間以上前に鳥羽に着いたのですが鳥羽城跡には既に10名前後の列が出来ていました。さらに客船から上陸した観光客(当然外人)も来ておりカメラの列に興味深々の様子です、「ここでなにしてはるの?」「近鉄電車と客船を撮ってますねん」「私あの船に乗って来ましてん、船から小さなボートで着きましてん」「そうですか、どこから来はりましてん?」「私、カナダからですねん」「なんで写真写したはるの?」「好きやから」…(大阪弁やとこうなります)。そうこうしている間に伊勢志摩ライナーがやってきました。
11万トンの船はでかいです。 続きを読む
2018年夏、酷暑の旅 Part11 筑豊電鉄に乗る、撮る②
第4日目 8月30日(木) その1
今日は、9時まで筑豊電鉄の撮影をして門司港に向かい、その後山陰線の乗り鉄旅のリベンジ、宿泊は萩に宿をとりました。出発は6時20分、ホテルの部屋に荷物を置いて筑豊電鉄の黒崎駅前駅へ向かいました。
▲ 6:24 広い歩道橋から見た2001年(平成13年)11月開業のCOM CITYと右側は1984年(昭和59年)10月に改築された6代目の黒崎駅舎(橋上駅舎)です。筑豊電鉄の黒崎駅前駅はCOM CITYの1階奥にあります。
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デホユ(南大阪6600系)と二上山
デホユのコメントで1970年の6600系を載せました。その時米手様が「この場所はもう無くなっているいるやろうね?」と心配されていましたが、本日確認に行って来ました。ぜひ再訪したいと思いつつその機会を作れず今となってしまいました。1970年の場所と全く同じとはいかなかった(「報道ランナー」とはならなかった)のですが、磐城~当麻寺~二上神社口の間で二上山をバックに走る区間が残っていました。住宅地がかなり線路の近くまで迫っているのですが水田が残っている場所がありました。吉野行き急行(6039+)です。
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