新年早々 広島から新聞ネタで失礼します

デジタル青信号をご覧頂いている皆様 明けましておめでとうございます。本年も広島から新聞ネタも交えながら投稿を続けたいと思っています。どうぞよろしくお願いします。そこで早速 元旦の中国新聞の記事をお届けします。今年の広島の鉄道の話題は広電の新駅ビル2階への乗り入れだと思われます。当初予定より遅れていますが、夏ごろに駅前大橋線が開通する予定です。なお紙面の分割スキャンの都合上、読みにくい箇所があることをご容赦下さい。

令和7年1月1日 中国新聞朝刊

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クローバー会が韓国の新聞に載りました

明けましておめでとうございます
今年もデジ青を宜しくお願い致します

昨年の12月11日、韓国の国際新聞にクローバー会の明知鉄道見学会での写真が掲載されました。

これについて説明致します。
私の法学部の後輩・朴明欽氏からの紹介で、彼の友人で東明大学情報社会学博士・髙ヨンサム教授が編集している連載記事「人生二毛作」シリーズに出て欲しい旨依頼されました。これは鉄道と関係の無い老後の人生を紹介する記事で、日本人が登場するのは初めてとのことでした。
その中で私の老後はDRFCクローバー会での友人関係が大きいと書きましたところ、鉄道趣味がない韓国人には理解できず、この説明に時間を費やしました。かつて会員有志と釜山にあるコレイルの基地を訪問した話や、日々のデジ青などの説明の中でこの写真を見せたところ掲載されたと言うことです。

この新聞記事をここで見せようか、ずいぶん悩みました。でも写真が使われたからには紹介しないといけないと思ったのと、一部の友人に聞いてみたところ「見たいので掲載しろ」と言われて反対がなかったので出すことにしました。あくまで鉄道主体の話ではなく私個人の話なのでつまらないかも知れませんがお許しください。

なお、韓国から送って来た記事の訳文をそのまま載せますが私の書いた原稿とはずいぶんちがう所がありますのでそれもご理解の上お読みください。

〈見出し〉
70代の日本人交流の生活で 活力 「韓国が好きで 200回も 訪れた」

田野城 喬さん(前列中央の赤いシャツ)が鉄道同好会活動の一環として日本の「明知鉄道」を見学し、記念撮影をしている。 写真の右側に立っているのは機関車の説明員だ。

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駅名喫茶店(第123回:東武特急の停車する駅名)

昨年はスペーシアXに乗車する機会に恵まれました。やはり特急列車は長距離が似合っています。今度は、リバティ会津で会津田島、そして乗り換えて会津若松に行きたいですね。【2025/1/4修正】

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駅名喫茶店(第122回:全国の一の宮の最寄り駅名)

デジ青読者の皆様、明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。新年初のメニューは「全国の一の宮の最寄り駅名」です。ご利益のあるワードが並んでおりますね。今回紹介した一宮は、一の宮巡拝会の「全国の一の宮」に依ります。

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デジタルカメラ元年、2004年(その後)

2024年ももう終わりです。デジタル一眼レフを使いだした20年前、2004年当時の撮影をシリーズ化して出すつもりだったのですが、やはり今の自分には「連載」は困難なことを認識した次第です。前回は2004年4月、大阪駅での撮影を紹介しましたので、今回は、その後の撮影をまとめて掲載することにしました。

(鹿島鉄道へ)

2000年代半ばまで、たまに東京へ行くと常磐線の普通電車で鹿島鉄道、茨城交通(現ひたちなか海浜鉄道)、他には関東鉄道常総線、鹿島臨海鉄道に行っておりました。その手段も、ムーンライトながらが便利だったのですが、2009年に季節列車化され、指定の取得が難しくなり、コロナのさ中の2021年には廃止になってしまいました。その列車利用で活用した青春18切符も、2024年12月からは連続した日程でしか使用できなくなりました。鹿島鉄道は2007年に廃止となっています。旧式のディーゼルカーが最後まで活躍していましたが、その沿革はウィキペディア等に詳しく書かれていますのでそちらをご覧ください。

▲東京駅での一コマ 2004年5月2日 湘南電車の113系も185系の踊り子号もとうに代替わりしました。

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 青い電車と、丸物と、~京都市電烏丸線写真展から③

続いて烏丸線の写真展、あれこれ噺を、年内ギリギリまで載せていくことにします。

50年前の真展会場

「烏丸三条」電停の真ん前という、烏丸線ゆかりの会場で写真展ができたことは何よりの幸運でした。加えて、50年前の現地の様子を皆さんから寄せていただき、展示に花を添えることができました。この地の歴史をたどると、明治30年に京都で初めての電話交換局ができたことに始まります。大正15年には新しい京都中央電話局が竣工、その建物は背後の古風な建築で、いまは複合商業施設の新風館となり、手前のビルは新館として建てられ、50年前は、電電公社三条営業所となっていました。最初に見つけたのは、顧問の故・大西友三郎さんのネガから。「電電三条営業所」「烏丸三条」と文字情報も言うことなし。市電、クルマもいい位置に入っている。最初にNTTへ申し込みに行った際に、同志社出身の担当者に見せると、入社前の姿に驚いていて、すっかりフレンドリーな関係になった。

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DF50 4号、解体撤去される!

今年(2024年)も残すところあと5時間半となりました。

少し時間が経過してしまいましたが、DF50 4号の解体撤去は、私にとっては今年最もショッキングな出来事でした。                          ▲DF50 4号(左:2010.08.10、右:1983.02.13) 続きを読む

 青い電車と、丸物と、~京都市電烏丸線写真展から②

年も押し詰まりましたが、烏丸線の先を急ぎます。二つ目の「丸物」、京都駅前にあった百貨店だけに、来場者の皆さんからも、「ありましたなぁ」の声が聞こえてきたのでした。昭和27年ごろに撮られたTさん撮影の写真にも、中央に丸物があった。もともとは土産物を販売する京都物産館として誕生した。写真の建物は大正15年に完成し、次第に百貨店としての業態を整えて行った。マークが、“物”をマルで囲んだもので、“マルブツ”が通称名、のちに商号となった。ポールの200形が旧の系統板を付けて、ボンネットの市バスと並走する。 続きを読む

久しぶりに見るC57と関連写真

本来は『「カシオペア紀行」を追いかけて』としたいところであるが、高齢者ファンなので「懐かしいC57を見る」という回顧録的懐メロ的な題とした。歳をとったことを自覚する題で今年最後の投稿とした。

2024年11月30日初電を乗り継いで8時過ぎに新潟駅に降り立った。今回も駅撮影よりも走行撮影がお好きなクモハ73106東ウラさんの運転するレンタカーでEF8195の牽引する「カシオペア紀行」とその折り返し回送を撮影することが主目的で台湾のお好きな千住のヤスベイさん(ぶんしゅう旅日記によく登場する芸名)とデカンショまつりさん号さんの4人で行った時の記録である。

集合場所は新津駅で「ばんえつ物語号」の牽引機C57180を見るのが最初の撮影目的で、日本海側特有の雨混じりの天気であったがどういうわけかこの時間に少しだけ晴れてくれた。この後ろ姿はかつて京都、園部、東和歌山(現和歌山)、亀山、福知山、米子、出雲市等々で客車と連結する際に見られた風景で電機からバトンタッチする時などはワクワックして眺めた後ろ姿である。▼

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京都市電 烏丸線写真展を振り返って

来場者は5日間で600名強
写真展 「京都からすま市電通り」は2024年12月16日(月)~20日(金)まで、中京区烏丸三条角のNTT西日本三条コラボレーションプラザで開催されました。京都の市街地の交通至便な場所での開催ながら、歳末の平日のみ5日間での実施でもあり、来場者の動員が心配されましたが、京都新聞に掲載(12月17日「市民版」)やNHK京都の地域ニュースで紹介(12月18日の夕方、夜間)されたこともあり、来場者は5日間合計で延べ610名を数えました。特にNHKの放映翌日の12月19日には1日の来場者が200名を超え、大賑わいでした。(12/16=48名・12/17=101名・12/18=126名・12/19=207名・12/20=128名 総計延べ610名様)

ギャラリーのあるNTTビルは烏丸通りに面したガラス張りの建物
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 青い電車と、丸物と、~京都市電烏丸線写真展から①

京都市電烏丸線の写真展、多くの皆さんに来場いただき、いろいろな話をお伺いしました。まだその余韻に浸っています。なかには、初対面の方から“デジ青、見てまっせ”の声もあり、本欄が多くの皆さんに支えられていること、改めて感じています。

さて、写真展会場では“珍しい写真、見せてもらいました”の声をもらうのも、ひそかな楽しみでした。その一例が、表題の「青い電車」「丸物」でした。見学者の中心である中高年にとっては、小さい頃に、見たような、見たことがないような、かすかな記憶が、写真によって蘇ったことでしょう。なかでも、“色”や“文字”と言った、視覚にしっかり訴える要素は、より強烈なものだと感じました。

青い電車

▲  “こんな色、走ってましたんか!” あえて入場口の柱の目立つところに掲げただけに、皆さんから声を掛けられた。「見たことある」より「見たことない」が多かったようだ。京都市電2000形2600形は、昭和39年にデビューして、烏丸線などを走り始めた。ラッシュ時は連結市電ツーマン、閑散時は単行ワンマンカーとして使用するため、その識別、とくに初のワンマンカーとして、事前の料金の用意を促すため、スカイブルーに塗られた。 続きを読む

須田寛氏を偲ぶ

デジ青「伝言板」で特派員氏やT氏が須田氏の思い出を披露されています。今朝の中国新聞朝刊に須田寛氏に関するコラムが載りましたので、「伝言板」ではなくこちらに投稿し 偉大な先輩を偲びたいと思います。

令和6年12月25日 中国新聞朝刊

「京都からすま市電通り」終了~多くの皆さまが ご来場

京都は烏丸三条、NTT西日本京都支店内で行って来ました写真展「京都からすま市電通り」は、5日間の会期を終え、昨20日(金)滞りなく終了しました。写真展の企画・進行・応援で多くの皆さんのお世話になりました。そして600名以上の皆様に入場いただき、楽しく、有意義な時間を共有することができました。厚く御礼申し上げます。最終日20日(金)の14時ごろの様子、この日も引きも切らずにご来場、最終日のため、15時終了予定のところ、その段階でも20人が滞留、まだ次つぎとご入場のため、急遽一時間延長、16時過ぎにようやく終了。みなさんに手伝っていただいて、素早く撤収することができた。

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駅名純喫茶店(12/19:日豊本線にも新駅が開業予定)

どうやら、日豊本線でも新駅が開業するようです。その名も「仙巌園」(せんがんえん)駅。シンプルな駅名で好感が持てます。末永く愛される駅名となってほしい限りです。https://trafficnews.jp/post/494968

https://www.youtube.com/watch?v=DFOgonGKyB4

駅名純喫茶店(12/18:信越本線の新駅名は「豊岡だるま」)

駅名のニュースを取り上げる駅名純喫茶店。信越本線に誕生する新駅名が「豊岡だるま」に決まったとのことです。なかなかインパクトのある駅名ですが地元の方々の支持を集めたという駅名です。末永く愛されてほしいと思います。

https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCC130Z80T11C24A2000000/

ちなみに来年1月には関西で夢洲駅が、来年3月には新潟の越後線で上所駅が開業します。新駅誕生は嬉しいことですが、一方で消えゆく駅名もあり複雑な気持ちです。

京都市電写真展 12月16日から開催

京都 烏丸三条で、京都市電の写真展「京都からすま市電通り」を開催します。総本家様と私、勘秀峰が企画を練って、OB会を含む大勢の方から写真の提供をいただき、鉄道友の会京都支部や伏見チンチン電車の会の協力を得ながら、烏丸線廃止後50年の節目となる2024年12月16日から20日まで行います。

展示会では市電烏丸線に的を絞ったカラー・モノクロ写真や電停付近今昔対比だけでなく、最終日の烏丸線の様子・オリジナルの烏丸線年表・明治大正昭和の今昔地図対比・初公開のスケッチ画・増刷した切符ファイルの展示などバラエティーに富んだ内容となっています。

会場は烏丸三条北東角、NTT西日本京都支店の1階の多目的ホール(ギャラリー)です。広いスペースに市電の写真や資料がびっしりと展示されるように、現在準備を進めていますので、ぜひお越しください。

<写真展の詳細です>
写真展 京都からすま市電通り
日時:2024年12月16日(月)~20日(金) 10:00~17:00(最終日は15:00まで)
会場:NTT西日本三条コラボレーションプラザ
京都市中京区烏丸三条角 NTT西日本京都支店 三条ビル1階
地下鉄「烏丸御池」下車 南改札より5番出口真ん前

 叡電で2時間 紅葉三昧

カビの生えた古典テーマの投稿に励む一方、出版や写真展で多忙な毎日を送っていますが、こんな時に限って、“撮りに行きたい”症候群に駆られます。今年は、紅葉が遅れに遅れて、12月に入ってからも見頃が続きます。短時間で行ける先は、叡電しかなく、天候を見計らって出かけました。一人で撮影に行くのは、約半年ぶり、自主的に撮りに出掛けるのが、ホント少なくなったと実感しますが、間が空くと、カメラの操作も分からなくなり、説明書片手の電車乗車となりました。向かった先は叡電鞍馬線「二ノ瀬」、ホームの紅葉は、いつになく鮮やかだった。次駅の貴船口ほどではないものの、日本人、外国人でいっぱいだった。

二ノ瀬に到着する“青もみじ”、2019年からメープルグリーンに塗り替えられていた「きらら」901-902だが、工場入りに際して本来のメープルレッドに戻されることになり、この塗装で走るのもあとわずかとなった。

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駅名喫茶店(第121回:パーミルの会の駅名)

鉄道ファンにとって、「‰」はなじみ深いものです。今回は、パーミルの会に所属する鉄道路線の駅名を紹介します(PDF中の青色で示されている路線の駅名のみを取り上げています)。

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 車両のある風景  ~37枚目の写真から~ 〈16〉

ナンバーの話④ 形式入りナンバー C51225余話

前項で1900生さんから、C51ゆかりの鳥羽快速と修学旅行の思い出を記していただきました。私も京都の小学生でしたから、往復とも鳥羽快速に乗車して、伊勢志摩へ一泊2日の修学旅行へ行ったものです。ただ、道中のことは全く記憶になく、卒業アルバム用に客車内で撮ってもらった写真に、木の背摺りが写っていましたので、乗車したのはオハ61系だったことは判明しました。1900生さんが目撃された加太越えの補機もC51だったかも知れませんし、折り返しで7分停車する亀山駅では、C51225が車窓を横切って行ったのかも知れません。修学旅行で出会っていたかもしれないC51225だったが、そのあとは、亀山へ行く機会もなく、同機は昭和40年に廃車となってしまい、私にとってはこの眼で見ることが叶わない幻の名機となったが、その廃止を前にして行事が行われた。

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今日の京都貨物駅

なにげに外を見たらこんなのが出て行きました。
電車に詳しい方、どこへ行くのでしょうか、この電車の素性を教えてください。

京都貨物駅16:23発 上りです。