2014~2015年 凍える大地への旅 Part6 三道嶺 3日目 今日も見えぬ花火

夕刻からの撮影地は、小竹先生が昨夜花火の大爆発が見えたと言われる東露天鉱の信号所付近です。私もお立ち台から見てはいますが、発車時のみだったのと、余りに大きく明るく輝いていましたので花火?とは信じられませんでした。本当なのかどうかは行って見れば分かります。粘ってみました。
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▲ 18:46 粘った最後の走行写真です。牽引機は6209号機。この時は分からなかったのですが、この機が花火を演出できるポテンシャルを持った機でした。

【DATA】 ズーム116㎜ F5.6 1/125秒 ISO4000 露出補正-1.0段
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この列車だけ、信号所で一旦停車して5分後に発車していきました。そしてお立ち台下の急勾配を駆け上がる時に花火が見えだしました。

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2014~2015年 凍える大地への旅 Part5 三道嶺 2日目 花火は見えず

DSC_0256_112▲ 16:39 夕刻、斜光となった東露天鉱の信号場を発車する運炭列車。西露天鉱のズリ捨てが廃線となった今、夕陽を題材に撮れる撮影地です。

暮れてからは初めての三道嶺の花火に挑みます。さてどんな花火になるのか楽しみです。

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東急電鉄デト3014、3015に寄せて

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秋田中央交通デワ3001+ナハフ20+ワム+トラ/昭和43年9月1日 八郎潟

「昭和の電車」は、「小田急デト1」に続き「東急デト3014」が登場した。
今回のデト3014、3015について知る範囲で書いてみた。

デト3010形は東急の前身目黒蒲田電鉄のデト1~3、(1、2/大正11年、3/大正13年汽車会社)、東京横浜電鐵デト4、5(大正15年藤永田造船所)で経歴は下記の通りである。
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2014~2015年 凍える大地への旅 Part4 三道嶺 2日目

今日から3日間、終日三道嶺での撮影です。目的は新線の走行写真と花火ですが、新線は運行されなければ撮れません。花火は夕闇になる頃が勝負ですが、どの程度のスケールなのかさっぱり分かりません。見てからの楽しみとしました。

DSC_0133_109▲ 撮影地② 東露天鉱の高台から俯瞰撮影をしていましたが三道嶺の主、アイグリさんより北泉線にプッシュプルが運用準備中との情報が入りました。アイグリさんは回族で多くの友人を持っておられます。蒸気機関車運転手からの直接情報が瞬時に取れますので確実で信用できます。急いで向かいました。
10:45 空車とは言え
42両ものセキを牽引してゆっくりと上り勾配を上って行きます。噴きあがる白煙も見事で撮りながらも見入りました。

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三次の保存機

今朝の中国新聞県北版に載ったハチロクの記事をご紹介します。広島県下に保存されている9両の国鉄蒸機のうちの1両です。またハチロクは全国で23両が保存されているようです。昭和45年に三次区(芸備線管理所)で廃車になり、三次市内で保存されているこの48650を私はまだ訪ねていなにので 尾関山公園の桜が見ごろになったら訪ねようと思っています。

H27-1-17 中国新聞朝刊

H27-1-17 中国新聞朝刊

こち吹かば 鯰の鳴動 何処より Ⅰ

酒井福三さん撮影

酒井福三さん撮影

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20年前の1月17日、朝5時に目覚め布団の上で胡坐をかいて仕事の段取りを考えていた。松の内が終わり、いよいよ年度末工事の最後の追い込みが始まり、職人の取り合いが現場で、いや社内で始まるのである。その時グラグラときた。間をおいてドンドンと上下動があって、とたんに布団を頭から被った。治まって枕元の時計を見ると5時48分である。物干し場に出てみた。揺れ返しがあったが直ぐに治まり東南方向が薄赤い。とっさに浮かんだのがタイトルの一句、狂歌である。物干台が崩れなかったので余裕があったのであろう。夜明け前のしじまを縫って救急車のサイレンがあるが消防車の方はない。6時22分、ぱっと電気がついた、娘がテレビを点けた。神戸の姿が映し出されるが、これは一部だろうと思いガラス窓や建具のチリなどを点検した。小畑川を渡る5:35西向日発梅田行きはやって来たが、5:46長岡天神発河原町行きの橋を渡る音がない。以後11時を過ぎるまで阪急は来なかった。何時も風と共にやってくるJRの走行音もなく静かな一日が始まった。9時になって京都営業所に電話をしたら老人以外は全員揃っているとか。「阪急動かない」と言ったら、「電話もないしテレビの前に電話置いて待機してはったら……」となるも仕事より電車が気になり線路際にカメラ持参で出てみることにした。11:46にレールを伝わる音がした。振り向いてみると2300系7連が鉄橋めがけてスロー運転で登ってくる。5:46発の車両だろうが6時間遅れとなる。運転台には運転手以外に2人の制帽姿の添乗員がおり、渡橋前に一旦ストップとなり、それから超スローで橋を渡っていった。後部にも2人の添乗員、開通は15時頃となった。事務所に電話したら「何処からも電話がない、出てこなくても大丈夫」と言われ、自宅でテレビの番人となった。

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2014~2015年 凍える大地への旅 Part3 三道嶺 1日目

DSC_9915_105DSC_9895_100三道嶺の主、アイグリさんから王さんに南站から北二鉱への列車がもうすぐ発車しますとの連絡が入りました。急いで東露天掘り鉱での撮影を切り上げて向かいます。

▲ 16:56 撮影地② Google座標; 43.125831, 92.726284
夕暮れが近づいた頃、南站を出発して北二鉱へとテンダーファーストで向かう運炭列車。今日は風もなく空高く煙を噴き上げてきました。ドレーンは撮影している私たちへの運転士からのサービスです。

三道嶺露天掘り炭鉱は、戦前からの撫順阜新と違って中華人民共和国が建国されてからの1960年に採炭が始まった新しい炭鉱です。そのためか今尚多くの蒸気機関車が活躍しています。
ここへは2011年2月に準特急先輩、クモハ73106さんに連れて行ってもらってから3回目の訪問です。飽きるほど大型蒸気機関車の建設型が見られ堪能していましたが、今回は新しく露天鉱が開鉱されて蒸気機関車が走る運炭新線が開業した。また花火列車が見られるとの情報もあって参加をすることにしました。

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2014~2015年 凍える大地への旅 Part2 Z69次に乗って哈密へ 蘭新高速鉄路開業!

DSC_9837_101[googlemap lat=”43.132453″ lng=”92.66877999999997″ align=”left” width=”300px” height=”200px” zoom=”15″ type=”G_HYBRID_MAP”]43.132453,92.66878[/googlemap]
▲ 15:39  撮影地① Google座標; 43.131671, 92.668308
夕日を浴びながら東露天鉱積込場から石炭を満載して地上へと上がってくる運炭列車。三道嶺お馴染みの場所ですが、西露天掘り鉱が閉鎖された今、正向き力行で撮れるのはここだけになりました。

 

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上越線の重連列車

2014年10月30日付デジ青[52792]「秋は気ままに一人旅ー4ー」で深夜の水上駅で電気機関車重連の急行列車を撮影したことがあるとコメントしたところ、投稿者の総本家青信号特派員さんよりその写真を見せよと言われた。身震いするような写真ではないが、ここに昼間の重連列車とともに掲載させていただく。2枚共に逗子の旦那と一緒に撮影をした。

1980年1月18日金曜日の水上駅に23時41分着47分発の急行801列車上越線・羽越本線経由秋田行き「鳥海」が到着。本務機EF5887[高崎第二]の前に補機EF1630[水上]がつく。清水トンネルの中で日付がかわり、次の停車駅は長岡であるが、石内で補機解放のため運転停車する。▼s-80.1.18EF1630+EF5887鳥海

 

続いて1980年1月6日日曜日の日中走行上り重連列車。メモに列車名がないが1980年10月号時刻表では急行9702列車「佐渡54号」の時間帯の列車。本務機EF58135[高崎第二]+前補機EF1623[水上]で土樽を通過し清水トンネルに向かうところ。尚、この頃のスキー臨時列車にはEF58単機牽引も見られた。▼83.1.6土樽(2)

 

2014~2015年 凍える大地への旅 Part1 旅立ち、北京到着

新年好! 昨年はよく動きましたのでしばらく休養を取らせていただきましたが、年末年始は凍える大地の鉄路を求めての旅に行って参りました。驚く発見もありましたので、これより発表させていただきます。
製造67年も迎え老朽化が進み出しました老体ではございますが、身体が動ける元気な間は頑張って大好き鉄路を世界各地のどこまでも追い続けていきたいと思っております。今年もよろしくお願い申し上げます。

DSC_1241_3今年1番目のショットは火の粉を吹き上げながら向かってくる新疆ウィグル自治区の露天掘炭鉱「三道嶺」の運炭列車です。中国語では汽車を『火車』と書きますが、まさにその通りの火の玉列車です。海外鉄ちゃんの間では「花火」とも言い、インドネシアのシュガートレインが有名ですが、ナローゲージの小さな蒸気機関車です。こちらは標準軌の大型蒸気機関車ですのでスケールは比べようもなく、大輪です。
【DATA】NikonD800E、レンズ;VR28~300㎜ f/3.5-5.6G、焦点距離100㎜、AF-C、3Dトラッキング、手ブレ補正ON、露出; f5.3、シャッタースピード;1/25秒、露出モード;マニュアル、露出補正;-1.0段、ISO感度設定;6400、手持ち撮影

この驚きのシーンを動画撮影されておられた同行者がおられます。YouTuduにアップされましたので、是非にご覧ください。もっと、もっとすごいシーンが見られます。下記をクリックしてください。
http://youtu.be/ANFlnrZMoMA

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ひたちなか海浜鉄道-お正月-

正月休み、ひたちなか海浜鉄道を久し振りに訪れました。
勝田駅に上り列車が進入。ヘッドマークは Happy New Year(右下に拡大)
右は常磐線ホーム。2015.1.1
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「鏡に映った”汽車”」によせて

クローバー会の皆様 新年おめでとうございます。どですかでん様の投稿を拝見しながら、どこかで見覚えがあるナと思ったのが近江鉄道日野駅のひとコマです。ホームの反対側から写すとこのようになります。

平成23年10月10日

平成23年10月10日

鏡に映っているのはクハ1808+クモハ808 近江八幡行、到着したのはクモハ223 貴生川行です。確かに日野駅はレイアウトセクションにしてみたいような 好ましい雰囲気です。この写真は550円のS・Sフリーきっぷを手に貴生川から彦根まで乗り鉄をした際のスナップです。

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鏡に映った”汽車”

 新年あけましておめでとうございます。本年も珍奇な投稿をしますがよろしくお願いします。

 ところで、ついに越年してしまった「備後・備中に消えた鉄道を訪ねて」であるが、いまだに新山の井笠鉄道記念館から進む気配はない。とにかく先に進めなけらばならないところであるが、ちょっとだけ寄り道。

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謹賀新年 京浜電鉄ク25

新年早々ですが、関先生も少しネタ切れかと思われます。
段々とマイナーな車両になってきたように思います。
京浜電鉄ク25_NEW 京浜電鉄ク25(文)_0001_NEW

新年は雪を求めて叡電へ

クローバー会の皆さま、またデジタル元祖青信号の読者の皆さまに、新年のご祝詞を申し上げます。私こと、昨年後半からは、本欄とはご無沙汰が続いていましたが、忘れ去られないうちにと新年早々の投稿と相成りました。60何回も正月を経験していると、月日が変わっただけで、何の行事もせずに無為に過ごす正月ですが、気持ちのなかには新たなものがあるようです。
そんなことを思い巡らせていると、京都は、正月早々から雪となりました。見る見るうちに雪は深くなり、数十年ぶりとかの16センチの積雪となりました。この時ばかりは、家に引きこもりの毎日から決別し、早朝からの外出となりました。行き先は、雪の多さに惹かれて叡電にしました。写真に添えて、ご無沙汰の本欄へ新年第一号としました。

syo150102_037雪は結局、元日の晩には止んだものの、冷え込んだ分、溶けずにそのまま2日の朝を迎えた。手にしたのは叡電一日乗車券「ええきっぷ」、これで主要駅に下車することにする。
最初は定番の八瀬比叡山口、雪の日も、桜の日も、紅葉の日も、数年前から懲りずに通っている。ドーム屋根を通して見る入線・発車のシーンは、いつ来ても惹かれるものがある。今回は、反対側から駅舎をバックに発車する姿も写してみた。723号に付けられたヘッドマークは、テレビアニメ「有頂天家族」のキャラクター電車の終了を記念したもの。
八瀬の駅前は、遊園地、博覧会場、プール、リゾートホテルと、時代、時代でその姿を変えてきた。子どもの頃からよく行った、思い出と重ね合わせていた。

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青信号71号増刷決定

現役生が毎年発行している会誌「青信号」。嬉しいことに、先日の同志社EVEで青信号71号は完売となったようだ。今後も需要が見込まれることから第2刷の発行を決定した。
第2刷は、今後のDRFC のイベントで販売予定である。

青信号71号にまつわる裏話も紹介しておこう。
http://drfc.blog54.fc2.com/blog-entry-198.html
(同志社大学鉄道同好会ホームページ DRFC日記より)

青信号71号表紙

青信号71号表紙

メリークリスマス 都電のクリスマス電車

昨日12月24日藤本先輩と都電荒川線のクリスマス電車9001号を追っかけてきました。朝から何度か撮影し 最後に三ノ輪橋発車を写し 町屋駅前で先輩と別れ 王子駅前で降りて地下鉄で帰る予定でしたが ふと飛鳥山公園の保存車都電6000形を思い出し見に行きました。

↓ 9000形9001号(クリスマス電車) 三ノ輪橋行  (大塚駅前ー巣鴨新田 間)
都電20141224DSC_3187
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奈良機関区のC51-奥山先輩のアルバムから

C58からC51へ。話は転々、とうとう奈良機関区のC51にまで及びました。先日の奈良線の写真と共に、奥山先輩のアルバムに梅小路、奈良機関区のC51が特別に分類・整理されていましたので、ここに紹介します。なお、最初の1枚だけは梅小路所属のC51です。

▼C51256 【梅】 京都駐泊所にて 1960.10.26
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奈良線の思い出

どですかでん氏の投稿に続いて、tsurukame氏から奥山先輩の貴重な写真のご紹介があり 昨日来 奈良線の写真を改めて探すことと相なりました。奥山氏の写真を拝見して、撮影地点などを推測してみました。

(1)D51750牽く客レ

撮影月日が10月24日ということで この臨客は10月26日に開催される天理教秋季大祭に向けて全国から信者が天理に向かう臨時列車だと思われます。通常奈良線にはD51は走らず、このような長編成の臨客にD51が使われていました。

(2)632D

準急色のキハ55を4両もつないだ列車があったとは驚きです。たまたま私の手元に1961年6月号の時刻表がありますのでこれを見てみると 確かに632Dは王子発9:06 桜井線、奈良線経由京都着11:50の普通列車として走っています。しかし奈良線には当時準急列車は設定されておらず、強力なキハ55を4両も普通列車に組み込むのは不思議です。何かのアルバイト運用なのか、よくわかりません。この列車の先頭はキハユニ16ということですが、京都向きにキハユニ16を組み込んだ列車が1往復走っていました。従ってこのキハ55はうしろからの撮影だと思われます。

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