2014年 遥かなる東欧の旅 Part22 バルカン諸国一人旅 ベオグラードのトラム その2
第12日目 2月26日 その3
ベオグラード21:50→8:13ソフィア
11:20 総延長が127キロもあるベオグラードのトラムです。終点まで行きたいのですが、どの系統に乗っても、往復約2時間以上はかかると思われますのでNGです。近場で良さそうな所はないかと、地球の歩き方を見ますとカレメグダン公園が良さそうに掲載されてありましたので2系統に乗車して向かう事にしました。
▲ 2系統は環状ラインを走行します。電停には停車するトラムの路線と電停名がハッキリと記載されています。 続きを読む
2014年 遥かなる東欧の旅 Part21 バルカン諸国一人旅 ベオグラード本駅
第12日目 2月26日 その2
ベオグラード21:50→8:13ソフィア
国際列車の出るベオグラード本駅は、欧米からのバックパッカーが多い駅です。私も今夜ソフィアへ向けて乗車する駅を明るいうちに見てみたいので、入って見ました。
▲ 駅舎横に展示されているJŽ 11-022号機です。ハンガリーのブタベストで1947年に製造されています。説明書きはペンキが剥がれて読めませんが、ネットで調べてみますと、動輪周1,600㎜、全長21,039㎜、軸配置2D+4、出力1,320w、最高速度90km/hです。
http://www.miniaturna-zeleznica.com/SZ_vlaki/11.php
セルビア鉄道の公式HPは、こちらへ http://www.zeleznicesrbije.com/
2014年 遥かなる東欧の旅 Part20 バルカン諸国一人旅 ベオグラードのトラム その1
クローバー会2014年春「北近畿タンゴ鉄道(KTR) あかまつ・あおまつに乗りに行こう」ツアー開催 次期会長公募について
クローバー会では「2014年春、北近畿タンゴ鉄道 あかまつ・あおまつに乗りに行こう」ツアーを、5月10日(土)~11日(日)の1泊2日にて20名参加で開催させていただきました。当日朝は昨日からの雲が晴れずでしたが、集合場所の西舞鶴駅に着く頃には晴れて、開催2日間は絶好の好天に恵まれました。

西舞鶴10:15(丹後あかまつ1号)→12:51豊岡14:01(丹後あかまつ2号)→15:39宮津
西舞鶴で集合後に豊岡まであかまつに乗車、豊岡では下車して各自で街角散歩。宮津まではコミュータ車に乗車して宮津へと向かいました。
宮津到着後は、KTR本社会議室にて幹部の方々との会合を開催しました。会合では上田清和社長より直々の現在KTRが置かれている現状と、上下分離方式による運営会社公募の結果、ウィラー社を選定した理由説明がありました。
遠州鉄道二俣線
関センセの遠州鉄道二俣線木製モハ1型が出た。この線に関しては乙訓ご老人が、古くは1960年の急電101号に「遠州鉄道二俣線」、その38年後の1998年には「ちょっと電車を見に行こう―元気印の遠鉄二俣電車線」として、鉄道ピクトリアル657号に書いて御座るから、須磨老人の出る幕などない。しかしそれでも1958年に何枚か撮っていることを想い出し、5コマだけ諸賢のご笑覧に供することにする。撮影はいずれも1958年8月3日。
関センセもお書きの通り、この線は大日本軌道浜松支社、軌間2呎6吋の蒸気軌道であった。1919年遠州軌道に譲渡後、遠州電気鉄道として1923年4月1日3呎6吋に改軌・電化されたが、その日で一旦軌道を廃止し、同日地方鉄道として開業という手続きを踏んでいる。1943年遠州鉄道に。
浜松鉄道(戦後合併し遠州鉄道奥山線)とは板屋町で接続し、極度に狭い市街のため国鉄浜松駅には達し得ず、かなり手前の遠州浜松を始点としていた。遠州馬込まで0.7kmを1924年2月1日延長し、2呎6吋、軌道のままの仲ノ町線と接続した。しかし浜松駅とはかなり離れているため、遠州馬込-旭町(浜松駅前だが国鉄駅とは接続なし)間を3呎6吋に改軌しなお馬込は国鉄浜松駅のヤード東端北側で、貨物受け渡しはここでやっていた。
旭町の本格ターミナル化は1927年9月で、晴れて電車が浜松駅前発着になったが、それも一旦東進して馬込でスイッチバックし、改めて西北に向かい、遠州浜松から北東にという運行は戦後も長らく続いた。この区間は30分毎だが、仲ノ町線の単端式ガソリンカーが実に15分ヘッドのため、電車の合間にその0.7kmのみ、日車製双頭スタイル(両方にボンネットを突き出してはいるが機関は1個、当然逆転機あり)30人乗りガソリンカーレカ1が終日ピストン往復していたのである。旭町の新浜松への改称は1953年8月1日で、その後周知のように新浜松は高架化され、馬込での折返しもショートカットで消滅している。
遠州鉄道モハ1
157系「こだま」号
総本家青信号特派員さんがデジ青[47114]50年前の撮影地を歩くー2-で京都駅高倉陸橋から撮影された替えダマ153系「こだま」号を発表されておりました。151系の復旧までのピンチヒッターで153系を12日間使用した後157系が後続の繋ぎで1か月近く走りました。私が157系の「こだま」を撮っていることをコメントに書きましたら、それを載せろとご本人からの要請がありましたので掲載します。代行運転使用日数の差および準急・急行用車両の特急使用ということで記録的希少価値としては153系に軍配が上がりますが、当時既に準急用から特急用にグレードアップして臨時特急「ひびき」に使用されていた157系は151系に近い設備等のイメージもありましたので「替えだま」に続く「似だま」としてコメントし、これも記録として今回掲載しました。撮影は1964年4月24日大阪駅です。▼
北近畿タンゴ鉄道ツアーは明日です。
北近畿タンゴ鉄道見学ツアーが明日に迫りました。現地、京丹後市の明日の天気ですが快晴です。翌11日も好天は続きそうで何よりです。
北近畿タンゴ鉄道では、上下分離方式方式での運行会社について審議中でしたが、先日デジ青にて投稿いたしましたとおり、ウィラー社に決定と昨日に正式発表がありました。
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梅小路に新駅誕生か!
D5270 客車を曳く
段ボール製D51
準特急様の記事に「門鉄デフを付けた段ボール製D51」の新聞記事、と書いたら「どこにそんな記事があるねん!」と質問がありましたのでURLでリンクを張ります。ごらんください!
http://sankei.jp.msn.com/life/news/140501/trd14050117590015-n1.htm
http://livedoor.blogimg.jp/agricoaqua/imgs/0/8/080618dc.jpg
『阪神国道電車』、朝日新聞に紹介される
今日5月8日(木曜日)朝日新聞・阪神版に、神戸鉄道大好き会編著『阪神国道電車』が大きく紹介されました。上記編著者に加え、当会の福田清二さんが編集、トンボ出版から3月に発刊された本です。写真・文が福田さんの他、当会の鶴さんも参加されています。
また、デジタル青信号46076(本年4月7日)に準特急さんが、『本の紹介』と題され、投稿されたのも同誌です。その後、沢山のコメントで賑わいました。
街の人々に密着した乗り物だっただけに、この本を読んだ方々は、『懐かしいなぁ』、『こんな写真があったんや』、『僕ら子供の頃、よそ行きは先ずこの電車からや』、などなどの感想を語っていました。多くの路面電車がそうであったように、この国道電車(こんな呼び方は、他所では何のことやら判らんでしょうが)も同じだったようです。
都市伝説だったのか?オレンジ色に塗りまちがえられたクモハ32
「【46552】昭和45年6月27日 高槻電車区見学会」のなかで「車両班見学メモ」にクモハ32が吹田工場で塗り間違えた話があったことが書かれていました。その後に関三平さんの「昭和の電車」でオレンジ色のクモハ32002が紹介されて、“あれあれあれ”という感じで「【46728】まいど!お騒がせの高槻電車区 クモハ32002の不思議」を投稿しました。この投稿に関して井原、藤本両先輩から貴重なコメントをいただきました。
さて、「まいど!お騒がせ・・・」に書いてある文章を後で読んでみると、何やらぐちゃぐちゃに混乱していて恥ずかしいぐらいです。コメントをいただいてから、このままの状態にするわけにはいけないのでわかる範囲で調べてみました。まず最初にコメントで教えていただいた電車の所属区と所属区の移動について図解しました。図解してみると淀川の002と高槻の001が交換された形跡が見られないように思いました。そして、オレンジ色のクモハ32は001なのか002なのか、それとも・・・。では、推理をしてみましょう。
50年前の撮影地を歩く -2-
“タカバシ”で撮った「替えだま」
▲高倉陸橋から眺めた上り「第2こだま」、新幹線開業数日前の光景(昭和39年9月)
今回の撮影地は、京都駅東側に架かる高倉陸橋、通称“タカバシ”だ。京都駅に発着する列車が眺められる陸橋は、昔から汽車見物の名所地で、多くの写真が残されている。私も小さい頃からよく行ったものだ。構内に梅小路機関区の支区があって、蒸機がいたのを覚えている。支区は、東海道線電化後もしばらくあったから、小学校の1年か2年に行ったことになる。新幹線建設前だから、陸橋上を走っていた伏見線は、廃止前とは違うルートで八条口方面へ向かっていた。
さまざまな列車を眺めるのが、無上の楽しみだった。貨物列車の両数を数えるのも楽しかった。乙訓の老人も同じことをしていたと言う。老人の時代は80両あったそうだが、私の時は45、6両だった。日によって貨物の量も違うだろうが、決まってこの両数だった。さて、50年前の“タカバシ”、ある列車の撮影を目的に自転車で訪れた。
2014年 遥かなる東欧の旅 Part19 バルカン諸国一人旅 ザクレブ→ベオグラード列車移動
第11日目 2月25日 その3
ザクレブ11:16(EN415)→18:05ベオグラード
10:10 ホテルセントラルに戻ると朝食タイムがまだ続いていました。もう一度、コーヒーをいただいてからチェックアウトをしてザクレブ駅に向かいました。

▲ 昨夜購入したベオグラードまでのきっぷです。
サラエボ→ザクレブのきっぷと全く同じで手書きでした。
きっぷを見ますが、行先、乗車日と運賃ぐらいしか書いていなく、肝心の列車番号、発車時間や乗車できる車両の記載がありません。
1番上が表紙です。2014年2月25日~3月11日としてありますので有効期間なのでしょうか?
運賃は、281.78kn(クーナ)で、約5,300円です。
ザクレブ~ベオグラードは、約444.2キロですので日本JR幹線なら7,340円です。
乗車する列車は、国際列車ですので特急扱いと考えるとJR-A特急料金なら2,910円、合わせて10,250円です。日本と比較すると1/2ですね。サラエボと違って支払いは、VISAカードでできました。
1番下のメモ書きはきっぷの裏面で、車内検札の際に車掌がサインしたものです。サラエボ~ザクレブに乗車時も同様のサインがありました。
保存蒸機とその現役時代(28)
赤い「ラピート」参上
菜の花満載の桂川へ
桜もアッと言う間に散って、すっかり新緑になりました。陽も長くなり、五月晴れが続く、鉄道写真には格好の季節です。デジカメで「風景」モードにすると、青空、新緑がホントにキレイに写ります。私も重い腰を持ち上げて出掛けることになります。遠方へ行くのは困難なため、地元ばかり回り、ワンコインよりもさらに安い激安撮影です。
▲阪急桂川鉄橋、毎日のように電車で通ると、河川敷は菜の花がいっぱいだ。車窓から見るだけでなく、ぜひ行ってみたい。桂川は、昨年の台風18号の豪雨で、嵐山が洪水になるなどの被害があったが、今も河川敷には、流木が残ったり、土砂がたまったりと、まだ荒れた状態がまだ残っているが、季節は間違いなくやってきた。
2014年 遥かなる東欧の旅 Part18 バルカン諸国一人旅 ザクレブのトラム2の2
第11日目 2月25日 その2
ザクレブ11:16(EN415)→17:32ベオグラード
8:17 国鉄ザクレブ駅前電停に立ち、これからどこへ行こうかとホテルでもらった市内地図と地球の歩き方を見ながら考えますが、今どこにいるのかぐらいしか分からず全体像が全く読めません。サラエボのように山に囲まれていませんので、視点が確かめられる目標物がありません。少し動くだけで東西南北が分かずの方向音痴になります。
こんな時はとにかくトラムに乗って移動することで糸口がつかめます。1番良いのは終点まで行って見ると、距離感がかなり分かってきますが、今日はベオグラードへの列車移動が決まっています。自ら探索できる時間は約2時間程度しかありませんので、トラム路線でも10系統が走行しているイェラチッチ広場を目指すことにしました。
イェラチッチ広場までは距離的にも約1.2キロと近く、わずか2電停先です。10系統(日中は7系統)も停まるのだったら大概のトラムは行くのだろうと勝手に思い込んで目の前のトラムに乗りました。
ただ手元で見ています路線図は簡素化した直線で描いてありますので、地図と合わせて見るには慣れが必要です。当然、理解が出来ていなく、頭の中でのナビゲーションも出来ていません。発車後、右に90度回ってから真っ直ぐに行くと思っていましたら、途中から左方向に90度曲がってしまいました。これではイェラチッチ広場に行きません。周囲の光景も気になりましたので、1電停で降車です。












