2013年 春の中国鉄路の旅 Part1 四川省広元の栄山鉄道へと向かう その1 上海

第1日目 5月1日
① 長岡京→大阪/梅田→なんば→関西空港
② 関西空港10:25(JL891)→11:55上海空港

ミャンマーから帰国してから1ケ月、今度は小竹直人先生からのお誘いを受けて中国へと向かうことになりました。当初は冬に行った興隆鎮森林鉄道の予定でしたが、都合で四川省广元市の有名な監獄鉄道(栄山鉄路)に変更になりました。昨年10月にO氏と行く予定でしたが島の問題発生で仕方なく訪問を断念した鉄路で、初めての訪問です。変更は大歓迎と喜んでの参加となりました。
行程は今年はまだ行っていない同じ四川省の芭石鉄道を先乗りして訪問する予定を組んでいました。丁度田植えの季節でいつもとは違った光景を撮って見たかったのですが、4月20日に芦山地震が発生しました。震源地は約100キロと近くで、成都から向かう高速道路は震災支援復旧輸送の専用道路となってしまいました。一般道は込み合いますので時間が読めません。直前で断念しましたが、集合場所の成都空港に直接行くのは乗り鉄魂が許さず、上海から運行が始まったZ列車(直通)で行く事にしました。

問題は列車の切符手配です。中国鉄路の残席情報を調べてみますと高い運賃の寝台専用列車だけあって当日でも購入できるほど空席があるのですが、乗車予定日の5月1日だけは中国の労働節休暇とあって満席です。いつものように鄭州鉄道日記さんに助けを求めますと、翌日なら平日同様に空席があります。地震の起こったこの時期に四川省に観光に行く人民は極めて少ないでしょう。乗車当日でも切符購入は大丈夫と思います。ただ切符を買って15時発の列車に乗車するのは、もしも飛行機が遅れたりすると無理があります。1日早く訪中されて前日に買って上海に宿泊してからをお奨めしますと教えられました。その通りです。これで出発日は決まりました。

01_ラウンジ上海は久しぶりの訪問です。関空のJGCラウンジは羽田や成田と比べるとしょぼいものでまともな朝食を食べられませんがいつものコンビニおにぎりに大阪もんブランドの「川上さん家の犬鳴豚のメンチカツサンド」が新たに加わっていました。JALの業績復調が原因か、LCCが増えだした関西空港での搭乗客略奪競争が始まったのが原因かどうかは分りませんが、少しでもサービスが向上されるのは大歓迎です。

02_機内食

機内食もグレードアップがされていました。わずか2時間半のフライトですので言うことはありませんが、私の好きな日本酒を乗せていないのは不満が残ります。

着いた上海はうららかな春晴れを迎えていました。こんなに晴れているのでしたら地下鉄に乗って行くのは勿体ないとリムジンバスで市内に向かいました。予約してあるホテルのある人民広場には近いというので乗車しましたが、降りてからたっぷりと30分を歩かされました。しかし良い事もあるものです。途中で鉄路切符の代理販売所がありました。昨夜予定をたてたばかりで最終決定ではありませんでしたが、迷っていても優柔不断の私には中々決められません。いつものように確保できたルートで参ろうと、小竹先生と一緒で決まっている分から買い求めました。

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2013年 はにかみの国、ミャンマーSL撮影の旅 最終稿 Part15 ヤンゴンを走る日本からの譲渡車両、キハ58、キハ47

第9・10日目 3月30日、4月1日 その2
① ヤンゴン10:08(国鉄環状線)→イノセン11:08
② ヤンゴン23:45(KE472)→8:05仁川9:15→10:05関空
③ 関空→難波→梅田/大阪→長岡京

DSC_58609:56、ミャンマー最終日はヤンゴン駅から環状線に乗車することにしました。跨線橋での撮影を終えた後、ヤンゴン駅に参りました。

環状線ホームに降りますと欧米人もお待ちです。

03_路線図

01_ホーム01_ホーム2▲ 環状線ホームにある切符売場です。時刻表が掲示されてあるのですが、現地語のために時間も行先も分りません。
02_キハ58_04
環状線の総延長は約48キロ。ヤンゴンの市内を約3時間弱をかけて最高速度約40km/hでノロノロと一周しますので、丁度いい市内観光が楽しめるそうです。現地人だけでなく観光客も利用しています。昨日撮り損ねたキハ52がいるかなあとホームに降りますと、今日はキハ58+キハ47が発車待ちでした。

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都電5500型

PCCカー・5500型に腹違いの兄弟があるとはしらなんだ。京都市電では900型や700型が出る時期で、はるか東京のPCCカーなるものは変な形で900型の方が断じてカッコええ!と思った程度の知識でした。具体的にはどんな電車だったのでしょうかね?都電5500型_NEW都電5500型(文)_NEW

かぎろひ

連休最終日に横浜方面へ出掛ける機会があり、その一日を藤本・INUBUSE両氏の案内で横浜近郊のJR・私鉄を体験してきました。新子安を皮切りに池上線、多摩川線、東横線、京急本線と多種に亘る車両を1日ではありましたが撮ることが出来ました。特に東横線、京急では関西では経験できない、一つの路線上をメトロをはじめ多くの会社の車両が走り回る様を目の当たりに(行き先を見ても想像がつかない)したり、伊賀線の兄弟達にも会えたりと充実した1日でした。両氏には1日時間を取っていただいて、この場をお借りしてお礼申します。写真は整理しています(正直なところ車両/鉄道会社名の区別がまだ付いていません)。さて、今回は横浜に出掛ける当日名張で偶然に出くわした「クラブツーリズムのかぎろひ」を紹介します。団体専用貸切車として12200を改造したものです。かぎろひ1かぎろひ2

信貴電の不思議 村田式台車を考察する。 その1

近鉄生駒線の大和川橋梁の橋脚が複線用となっていることから始まった「信貴電の不思議」はさらに芋ずるのごとく次から次へと「信貴電の不思議」が出現した。天理参考館で買った絵葉書にあったデハ51形の仲間が池上電気鉄道や目黒蒲田電鉄、そして水間鉄道などにも同型車があったこと、そして遠く新潟県の蒲原鉄道にもあったことがわかった。そして、デハ51形が走り出す前の開業時に走っていたデハ100形は日本電機車輌株式会社という謎めいた会社に発注されたが当時の経済環境から自社製造となった電車である。このデハ100形と日本電機車輌株式会社については調べれば調べるほどナゾの深みにはまっていった。そして、このデハ100形については当時としては画期的と思われる村田式台車と言われる台車をはいていたという。とりあえずはこの村田式台車について数少ない資料から考察してみようと思う。

考察するにあたって、私の手元に村田式台車に関する資料として以下のものが手に入れることが出来た。ほとんどが図書館などの複写資料であるが鉄道史料第130号については書店で購入した。

1.特許第29813号 明細書 車台動揺防止装置

2.奈良県公文書 大正10年信貴・生駒電気鉄道 土木課

3.鉄道史料第98号 大正期・大軌関連資料を探る(3)

信貴生駒電鉄創業期の車両について   今井健夫

4.鉄道ピクトリアルNo.727

信貴生駒電鉄開業時の車輌101形を探る  吉川文夫

5.鉄道史料第130号 目蒲・東横 戦前期の車両  高山禮蔵

6、DRFC OB会の長老様より送っていただいた写真と図面のコピー

最近は公立図書館などがネット上でデジタル化された文献などが閲覧や文献の検索ができるので便利である。各図書館で必要とする文献が蔵書されているか調べて、蔵書があればその図書館に行けば目的の文献が閲覧できるのでたいへんに助かる。便利になったものである。上記の1番目の特許明細書と2番目の公文書にあった図面を主にし、その他を参考文献として考察をおこなった。

かつてデハ100形が走っていた大和川橋梁、今は近鉄電車が走る。

かつてデハ100形が走っていた大和川橋梁、今は近鉄電車が走る。

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岳南電車の現況

クモハ7003走行-2
吉原~ジャトコ前間を走行するモハ7003

4月9日「青春18」の消化を兼ねて、昨年3月16日貨物営業廃止以降、話題性が薄くなった「岳南鉄道」改め「岳南電車」を訪れた。

今年4月1日「岳南鉄道」の鉄道部門が分社して「岳南電車」が設立され、親会社の「岳南鉄道」は、不動産事業、ゴルフ場事業、物品販売事業を行い、鉄道事業は子会社の岳南電車が行うことになった。背景には貨物営業廃止による減収により経営環境の悪化があげられる。
沿線自治体の富士市は、2014年度までの公的支援を表明しているが、以降のついては不透明である。

東京駅9時15分発の快速熱海行に乗車、熱海で静岡行の待合せが24分あり、駅前に保存されている「へっつい」を見に行くと以前と向きが変わっていた。
熱海へっつい
静岡行は211系3連と313系2連の5両編成であった。東海道本線の静岡地区のローカルはオールロングシートで211系にはトイレがなく長距離を利用する場合は注意が必要である。
211系

吉原での岳南電車との接続は6分であった。平日用の1日乗車券を購入、値段は700円で岳南江尾までの往復運賃と同額である。休日は400円で更に安い。停車中のモハ7003に乗ると乗客は20人程で、平日のためビジネスマンの姿も結構あった。車庫のある岳南富士岡でED501が見えたので降りて撮影した。パンタが2挺とも上がっており通電されていた。後にはワム380128、ワム380411、ED403、ED291の順に連結されていた。

隣にはデハ7001がパンタを上げて停車、車庫の中ではED403が検査中でこちらもパンタが上がっていた。次の電車(モハ7002)で岳南江尾に向かったが5名程の乗客が降りると一瞬車内はゼロになり私一人の貸切状態であった。次の須津、神谷の駅周辺にはそこそこ住宅が立ち並んでいるが電車の利用には繋がっていないのであろう。新幹線を潜ると直ぐ岳南江尾に到着した。ホームの反対側にはラッシュ時に使用されるモハ8001+クハ8101が停まっていた。帰りはジャトコ前で降りて富士山をバックに撮影後帰宅した。

【現 況】
〔電 車〕

モハ7000形3両、モハ8000形1両、クハ8100形1両の計5両在籍する。
モハ7000形(7001~7003)
元京王井の頭線の3000系の中間車デハ3100形を京王重機整備で両運転台付に改造した。旧車号、改造年月は次の通りである。
京王デハ3103→モハ7001(平成8年12月)、デハ3101→モハ7002(平成9年9月)、デハ3102→モハ7003(平成9年9月)
モハ7002とモハ7003は総括制御が可能であるが、モハ7001は単行運転しかできない。

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2013年 はにかみの国、ミャンマーSL撮影の旅 Part14 ヤンゴンを走る日本からの譲渡車両、キハ52、のと鉄道NT100

第9・10日目 3月30日、4月1日 その1

今日は深夜便で往路と同じくソウル経由で帰国します。昼間はたっぷりと時間がありますのでヤンゴン駅環状線を見てまわることにしました。まずは昨日ヤンゴン駅到着前に車窓から見つけておいた跨線橋を目指しました。

0832_2列車▲ 8:36、ヤンゴン駅を出発した混合列車ですがどうも入替中のようです。その横を6両編成の環状線の列車がヤンゴン駅から出発していきました。
0839_環状線列車▲ 8:39、ヤンゴン駅に向かう5両編成。これも環状線列車かな。
0843_長距離▲ 8:43、ヤンゴン駅に向かう6両編成。走行路線が違っているので本線のローカル列車と思われます。

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お茶畑新緑、女王様快走

去る5月2日、朝日新聞夕刊大阪版に、『立山ふもと、テレビカー快走』の記事が大きな写真入りで紹介されたそうです。3月末で引退した京阪電車3000系、今も走っている富山地方鉄道だけが紹介され、大井川鉄道は一文字も無かったとか。
そこで、新緑のお茶畑を行く女王様の近況報告です。
5月3日快晴。抜里の新緑が良く似合います。下り千頭行き、14時7分。
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折り返して来た上り金谷行き。家山駅、16時5分。
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翌5月4日、朝から晩まで終日運転、よく働いていました。
下り千頭行き、下泉駅にて交換、8時45分。
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折り返し上り、下泉-塩郷間の横郷付近を快走。9時48分。ここでも新緑がお似合いでした。
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金谷折り返しの下り11時52分、下泉から崎平まで乗車しましたがゴールデンウィークの最中、車内は満員でした。社内移動が出来ず、下車時の料金支払いは、一旦ホームに降りてワンマン運転士に窓から手渡しでした。

3往復目の第一橋梁(川間温泉笹間渡付近)を行く上り。日がすっかり落ちていました。
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なお、翌5月5日早朝、上りの1本を見ましたが、その日は終日お目に掛からず。3~4日に一度のお休みのようでした。

大阪市営地下鉄、半世紀前

大阪地下鉄開業80周年イベント、100型の展示。新聞で見、どんな様子かと思っていましたら、大津の86さんが紹介して下さいました。
そこでこちらは、古い写真を引っ張り出します。
1号線あびこ-梅田間。まだ新大阪駅までが開通する前、1962年3月15日撮影です。
下の2枚は心斎橋駅。
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天井から大きなシャンデリア。この様子は現在も変わっていないようです。
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こちらは、1号線の終点梅田駅。比較的空いている時間帯の様子。
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混雑している時間帯。阪神電車との連絡口のある、梅田駅南側(なんば寄り)の階段上から眺めた様子。まだ島式ホームの時代で混雑の様子が判ります。
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2013年 はにかみの国、ミャンマーSL撮影の旅 Part 13 ヤンゴン

第8日目 3月30日 

02_駅02_駅構内202_駅構内302_駅構内1▲ ミャンマー鉄道、総延長約5400キロの中心のヤンゴン駅は、英国植民地時代に建築されています。駅舎は東と西ホールに分けられていて天井が高く立派な駅でした。
今日は、皆さん疲れておられますので、駅構内をざっと見ただけで、まず食事をとった後はホテルへと向かいました。
02_駅構内 続きを読む

大阪市営地下鉄80周年イベント

先日、スルッとKANSAIの3dayチケットというのを買って今日はその2回目、今までなじみのなかった南海沿線に行って来ました。淀屋橋から難波に行く地下鉄の中吊りで大阪地下鉄80年のイベントがあり、その中に今日から中之島の大阪市役所玄関前に地下鉄旧100形が展示されると書いてあったので、帰りに寄ってみました。この車両は大阪地下鉄開業当時に使用された100形車両の内の1台で、昭和44年に現役を退いた後、105号車のみが静態保存されています。2005年に大阪市指定有形文化財に指定され、住之江にある緑木検車場に置かれて、イベントの折には一般公開されているようです。今回大阪地下鉄80年のイベントに合わせ、4月27日の夜にトレーラーで運ばれ、市役所の正面にすえつけられました。同時に市役所ロビーではパネル展も行なわれていますので、お近くに行かれた際に、寄ってみられたらいかがでしょうか。但し、展示は車体だけで、台車の代わりに台の上に置かれているのはちょっと興ざめですが・・・

車両の展示は今日から5月24日まで、パネル展は4月15日~5月17日の9:00~17:30となっています。IMG_3888 IMG_3891

台湾一周駆け足旅行(3)

<3月22日>高雄⇒太麻里⇒台東⇒鹿野⇒關山⇒玉里⇒花蓮

三田会のお三方は早朝の列車で海を入れた撮影のため枋山に、続いてSさん、Tさんは遅れてどこか途中下車で撮影のため出発。私は高雄駅の新旧対比で駅周辺を撮影することにした。高雄駅は地下化工事でこれまた激変しており、撮影は厳しい。旧駅舎は現在の駅舎に向かって右側、高架橋を越えた場所に移築されていた。年配者や警察で旧駅舎にあった位置を確認したが、どうも現在の駅舎は旧駅舎よりもやや左側に建てられたようである。

1968.3.20 小さくて見難いが人力車やボンネットバスらしきものが見られる↓s-63.3.20高雄駅舎

2013.3.22 現在の高雄駅 旧駅舎は右手高架橋のあたりにあったとのこと↓

s-13.3.22高雄駅舎

2013.3.22 移築保存されている1940年建造の旧駅舎↓

s-13.3.22旧高雄駅舎

駅周辺の撮影後9時25分発莒光751次で太麻里に向かう。途中で撮影を終えたSさん、Tさんと予定通り車内で落ち合う。Sさんは母君がこの近くの屏東で育ったとのことで、先年家族旅行をされているほか台湾には何度も足を運んだとのことで詳しい。因みに私の母は4年前に亡くなったが、これから行く花蓮の生まれである。さて、太麻里には定刻12時2分に到着したが、台鉄も事故でもない限り定刻を守っており、東南アジアのどこかの国のようなことはないので有難い。太麻里もSさんの案内で10分ほどで有名撮影地に着く。先日このあたりがテレビ放映されたが、山に上がれば上るほど海が入るので次回のチャレンジコースにしたい。

太麻里~知本 自強231次 新左営発樹林行き 12両もつながり慌てる↓

s-13.3.22太麻里231次 続きを読む

2013年 はにかみの国、ミャンマーSL撮影の旅 Part12 キハ47、181、183系発見、ミャンマーの蒸気機関車、マンダレー~ヤンゴン夜行列車の旅

08_マンダレー駅808_マンダレー駅9▲ マンダレー駅ホーム端にある水汲み場にボトルを持ってきていたお嬢さんたち、ちょっと振り向かれた時に出ましたはにかみ笑顔、久しぶりに見させていただきました。

 

第7日目 3月29日 その2
マンダレー 17:00(D4n)→9:15 ヤンゴン

08_マンダレー駅308_マンダレー駅615:15、マンダレー駅に到着しました。2階駐車場から構内を見ていますと見慣れたカラーのDC2両が入線してきました。飛ぶようにホームに向かいました。

2両のDCは2011年にJR四国から譲渡されたキハ47系です。

キハ47-116→RBE2571
キハ47-117→RBE2572
と、改番されていました。

車内を見たかったのですが、制止させられました。
列車は2時間遅れで到着したそうで、乗降が終わるとすぐに折り返していきました。
制止はそのためでした。
ドアは開けっぱなしで去って行きました。
行先は時刻表がなく分かりません。

08_マンダレー駅008_マンダレー駅108_マンダレー駅4▲ 車庫を覗くともう1両が留置されていました。

キハ47-1087→RBE2574
3両とも車体制限のため屋根上のベンチレーターは撤去されていました。
JR四国からはもう1台が譲渡されています。
こちらはヤンゴンに配車されているそうです。
キハ47-503→RBE2573

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2013年 はにかみの国、ミャンマーSL撮影の旅 Part11 マンダレー

07_踏切1 マンダレー駅周辺のロケハン途中の踏切前でお会いした洗濯をしていたお嬢さん。明るくさわやかな笑顔で答えてくださいました。それにしてもマンダレーの皆さん、昨日と同じく愛想良く元気です。またきたくなりますね

第7日目 3月29日 その1
マンダレー 17:00(D4n)→9:15 ヤンゴン

02_朝食2 02_朝食▲ 6:30、清々しい朝を迎えました。欧米人もかなり泊まっておられたSwanHotelでの朝食です。欧米人や我々にも口に合うような各種メニューが用意されていました。ほっとしてたくさん食べましたが、しばらくするとお腹の調子がおかしくなりました。Nさんも同じで、どうも二人とも食べ合わせが悪かったようです。私は正露丸を飲んで強制的に治めましたが、Nさんは持参されていた別の薬が効かなかったのか、重症になられました。一方のO氏はとても元気で人間性だけでなくお腹も違っておられるようで頑丈です。旅の途中での腹痛は大変です。今日はスタートで失敗しました。

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2013年 はにかみの国、ミャンマーSL撮影の旅 Part10 ナムツからマンダレーへ その2 マンダレー駅

02_空港前12_edited-102_空港前13▲ Paleik分岐駅で遊んでいた子供たち。底抜けに明るく踊って、お得意のポーズで決めてお迎えしてくれました。

第6日目 3月28日 その2
① ナムツ6:55(チャーター車)→8:55シッポー駅10:10→14:43マンダレー空港
② マンダレー空港14:50→パレイク駅16:15マンダレー駅

01_メイヨー1シッポー駅を出発する1日1本の列車の発車を撮ることなくマンダレーへと急ぎました。往路では途中で渓谷を上下する急ないろは坂がありました。車体が長いトラックは急なカーブを曲がるのは大変で、片側通行になって大渋滞しました。ここを超えるのがネックになっています。
運転手さんも飛行機に遅れてはいけないと渋滞を心配されておられましたが、復路では渋滞がなく無事通過しました。ほっと一安心でした。

01_メイヨー312:50、順調に走り続けてメイヨーに到着しました。メイヨーは植民地時代からの避暑地で海抜は約1000mもあります。ここからマンダレー空港までは100数10キロです。これでフライト時間には間に合います。これなら大丈夫とネイトンさんは申され、市内のとあるレストランに入りました。

01_メイヨー4▲ ドカ~ンと今まで食べていなかった料理の数々が出てきました。これがミャンマー料理なのでしょうね。美味しくいただきました。

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E233川越線試運転

午後から悪天候が予想された26日、205系を撮影に指扇~南古谷に行ったら、10人くらいの先客。何でも新車試運転とのこと。そう言えば、大宮や川越車両センターでも見かけたのでいよいよ205系を追い出すことになるのか。番号は7001であった。INUBUSEさんから埼京線と横浜線が近々E233に置き換わるとの報告があったのでとこのことだと思った。

s-13.4.26指扇E233

2013年 はにかみの国、ミャンマーSL撮影の旅 Part9 ナムツからマンダレーへ その1 シッポー駅

05_シッポー駅19▲ シッポー駅ホームの上で葉っぱに乗せたクーンと呼ばれる噛みタバコを売っていた少女。初めはとても恥ずかしそうで、中々表情を引き出せませんでしたが、お話をかけながら何枚かシャッターを切っていくうちに自然と、はにかみ笑顔が出ました。カメラに慣れていない素朴な表情がとっても素敵でした。
05_シッポー駅27▲ おばあちゃまにしっかりとおんぶされた可愛いお孫さん。べちゃこい笑顔は我が家の孫にそっくりです。思わず両手を差し伸べました。

 

第6日目 3月28日
① ナムツ6:55(チャーター車)→8:55シッポー駅
② シュポー駅10:10→14:43マンダレー空港→16:15マンダレー駅

01_朝食6:30、今日の朝食はパンではなく麺です。さっぱりとした味付けは日本人好みです。美味しく召しあがらせていただきました。
6:55、今日は朝からナムツを出発してマンダレーへと向かいます。マンダレー空港でM1さんとM2さんを見送りますが、当初予定していた時間よりフライトが1時間も早くなっていますので急ぐことになりました。 01_ナムツ→マンダレー地図701_時刻表▲ 赤線が移動した軌跡です。O氏がGPSロガーで記録されたDATAをいただきました。

国鉄線とはほぼ平行していますが、車窓からはほとんど見えず踏切を渡る時に分かる程度でした。
帰路のどこかで走行写真を撮ってみたかったのですが、急いでいました。初めてで車窓からのロケハンもできていません。従って走行写真は撮れずでした。

まあ、1往復の運行しかなく、待ち受けも遅延が日常的ですので、よほどラッキーでないと撮れないのが現実です。
次回の機会ができましたら、終着のラショー駅ナムツ鉱山鉄道の休止線沿いを辿って、ナンヨー駅も寄ってみたいですね。

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デジ青、クローバー会写真展の写真掲載のお知らせ

クローバーでは活動の一環として写真展を開催しております。
不定期開催ですが、今までに開催をしました4回の作品の数々をデジタル青信号に掲載いたしました。トップ画面のツールバーのクローバー会をクリックして、リンクをお選びいただきますと写真をご覧いただけます。
現在第1回目を掲載中です。2回目以降は現在制作中ですので、お待ちください。
デジ青_edited-2デジ青3

三岐鉄道北勢線立ち寄り記

東員走行
東員~大泉間を走行する クモハ272+サハ147+クモハ172

2月28日名古屋での所用が午前中に片付いたので三岐鉄道北勢線を訪れた。同線を訪れたのは2回目で、前回は何と半世紀近く前の京阪沿線の高校時代、昭和40年5月9日である。

手早く昼食を済ませて近鉄名古屋駅から12時1分発松阪行急行に乗車。電車は5200系4連+1810系2連の6両編成であった。「この電車は伊勢中川で大阪上本町行急行に連絡します」のホームのアナウンスを耳にして名阪連絡急行が健在であることを再認識した。実際に伊勢中川では1分接続で上本町には15時14分に到着する。桑名には僅か20分で到着して暫くホームで撮影後、北勢線西桑名駅に行き「三岐鉄道1日乗り放題パス」を購入した。1日かけて両線を往復すると完全に元が取れるが、今日は阿下喜往復のみである。それでも行きは阿下喜まで直行し、帰りに東員で途中下車したため、通常運賃は460円+300円+300円=1060円となるため元は取れた。

13時5分発の阿下喜行に乗車。クモハ273+サハ142+サハ136+クハ141の4両編成で学校帰りの高校生でほぼ満席であった。在良で上り電車クモハ276+サハ135+クハ134と交換、次は東員で上り電車クモハ272+サハ147+クハ172と交換と車両振替えがあり全員下車。乗ってきた電車は車庫に引き上げ、替わりに入線してきたクモハ271+サハ146+クハ171に乗車。ここまで来るとさすがに乗客は少なくなりローカル線の風情となってきた。楚原でクモハ277+サハ201+サハ101+クハ202の連接車編成と交換して1時間丁度で阿下喜に到着した。
阿下喜駅では美しく整備された元モニ226が保存展示されており感激した。帰りは楚原で降りて「めがね橋」で撮影しようとも思ったが、今回は車両中心に撮影して半世紀の空白を埋めることと連接車を撮影したかったので東員で降りた。ここは阿下喜方面の電車が綺麗に撮影可能である。約1時間撮影後再訪を約して西桑名行電車に乗車した。

北勢線が近鉄から地元の三岐鉄道に経営移管後、電車の増発、駅の統廃合、駅舎の改築、パーク&ライド、キス&ライド施設の設置、車両の冷房化等乗客を増やすための様々な努力は大いに評価できる。近鉄時代減少が続いた乗客数は微増に転じているが赤字解消にまでは至っていないようである。
現在の最高速度45㎞/Hを70㎞/Hに引き上げる計画で、車両の工事は完了しており地上の工事が進められている。

平成15年4月1日、三岐鉄道は地元自治体と10年間の約束で近鉄から運営を引継ぎ、今年3月末で10年が経過した。4月1日より10周年の記念乗車券の発売、電車にヘッドマークの取付け等が行われており、約束期間満了により廃止ということにはならない。次の10年こそが正念場で、今後いかにして定期外客を増やすことが課題となるが、「軽便鉄道」と東員以遠の自然を売り物にすることにより可能と思われる。銚子電鉄やひたちなか海浜鉄道のように東員~阿下喜間を旅行会社のバスツアーコースに組み込んで集客するのも一案である。そこで一旦ボツになった下津井電鉄の「メリーベル号」の活用も是非検討をお願いしたい。

車両について
電動車(クモハ)9両、制御車(クハ)5両、付随車(サハ)11両在籍し、3両固定編成4本、4両固定編成3本に組まれている。
編成は下記の通りである。(斜字は冷房車)
←阿下喜
クモハ271サハ146クモハ171
クモハ272サハ147クモハ172
③クモハ273-サハ142サハ136クハ141
④クモハ274-サハ144サハ137クハ143
⑤クモハ275-サハ138クハ145
⑥クモハ276-サハ135-クハ134
⑦クモハ277-サハ201-サハ101-クハ202

撮影した車両を中心に解説する。
クモハ270形(271、272) クモハ273形(273~276)
クモハ277形(277) クモハ170形(171、172)
近鉄時代の昭和52年北勢線近代化のため、モ270形(271~276)6両、ク170形(171、172)2両が近畿車両で新製された。従来電動車が付随車を牽引して終着駅で電動車を先頭に付替えるスタイル(機回し)から、電動車を阿下喜側、制御車を西桑名側に連結することにより機回しが不要になった。制御車の不足分は付随車の改造で補った。
平成2年に1本残っていた旧形車を置換えるためモ277が増備された。座席が阿下喜向き1人掛けのクロスシートとなり方向幕の幅が広くなった。

三岐鉄道移管後、モ271(17年5月)、272(18年6月)の運転台寄り動力台車をク171、172の連結面の台車と振替えられ自重の分散化が行われ、称号がクからクモハに変更された。
18年8月にクモハ272編成、12月にクモハ271編成が冷房化された。冷房装置が室内に置かれたためその部分の窓が埋められルーバーが設けられた。
クモハ273~277は連結されているクハが改造車のため、台車の振替え及び電装品の搭載が不可能で、冷房装置を搭載すると重量オーバーとなるため、連結相手のクハとサハのみに搭載され自車への搭載は見送られた。そのため、クモハ273~276と車内の仕様が異なるクモハ277は別形式となった。
また、クモハ276、277編成は現在のところ冷房化はされていない。

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京成電鉄3300形リバイバルカラー車、寅さん電車引退

3353青-2
    高架前の高砂~柴又間を走行する青電編成/(22-11-23)

京成電鉄3300形は4両編成8本が普通列車で運行されていたが、今年2月から3月にかけてリバイバルカラー3本(全車両)と寅さんのラッピング車が相次いで引退し、残り4本となった。
引続き金町線、千葉線等で運行されているが見る機会は大幅に減少した。特に金町線は以前は2本とも3300形のことが多かったが、2本とも3500形のことがあり乗車、撮影には注意が必要である。
ここ最近の3300形の動きを写真でまとめてみた。

2月15日寅さん電車運行終了/ 3320+3319+3342+3341(前2両44年2月日本車輌、後2両47年2月汽車会社製)
平成18年7月より葛飾区がスポンサーとなり「寅さん」のラッピングが貼付されていた。
 柴又駅の高砂寄りポイント通過/ (25-2-11)
3320 寅
モハ3319 / (24-7-15) 柴又~高砂
3319寅
   モハ3342 / (24-7-15) 柴又~高砂
3342寅

 2月18日青電編成運行終了/ 3356+3355+3354+3353(47年3月汽車会社製でラストナンバー編成)
京成電鉄創立100周年記念行事の一環として平成21年6月に塗替えられた。過去この色の3300形は存在しなかったが意外によく似合っていた。
初日の6月30日上野発金町行の臨時特急が運転されたこともよき思い出である。(平成21年7月7日【3541】「京成電鉄創立100周年記念列車運転」を参照)
最終日の運用は、津田沼6時16分→上野着7時12分、同発7時17分→芝山千代田9時11分、同発9時15分→成田9時25分の普通列車であった。
柴又~高砂/ (21-11-23)
3353青
柴又駅発車/ (21-11-23)
3356青
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