船場まつり2012(船場鉄道フェスティバル)無事に終わる!

初めての投稿です。見づらい箇所がございますがご了承ください。
10月12日(金)~14日(日)に行われた船場鉄道フェスティバルは無事に終了した。最終日は会場近辺で行われた「みどうすじカッポ2012」の影響もあり、1日で何と1340人の方にお越しいただけた。ここ数年の現役のイベントではおそらく一番の来場者数ではないだろうか。

先日行われた三条京阪イベントで当会の展示を気に入り、わざわざ京都からお越しいただいたご家族もいらっしゃった。当会のリピーター(再来場客)も年々増えており、嬉しい限りである。現在の実働会員数は約20名であり、少し余裕も出てきた。今後は鉄道模型展示だけでなく、研究発表や写真展示など他分野の展示発表にも力を注いでいきたい。現役会員の知識・技能を結集すれば必ずより豊かな展示発表ができるだろう。
「同志社大学といえば鉄道同好会!」そのように言われる日が必ず来ることを夢見て→お客様のみならず、会員もリラックスし、イベントを楽しんでいた。


 

→Bトレの展示。実はこの棚に並んでいるBトレのほぼすべてが、1人の会員の私物である。

→子どもも大人も鉄道模型にくぎ付け。最終日にはきかんしゃトーマス(トーマス、パーシー)も登場し、来場客を大いに喜ばせた。

クローバー会活動報告 (その2)

佐竹さん講演会の報告のつぎは、同時開催のクローバー会写真展in青森「青森を走った汽車・電車」の報告です。私は、10日に青森入り、11日の設営、12・13日の受付業務を、クローバー会会員および校友会青森支部員の協力で行い、東京での別業務を済ませて、昨晩戻ってきました。写真展は、まだ17日まで開催中、これから行かれる方のために、現地レポートをお送りしましょう。

        ▲人通りの多い青森・新町通りで、ひときわ目立つギャラリーNOVITA

写真展会場は、青森駅から歩いて5分で到着する地の利のよさ、コンパクトシティを目指す青森市の中心部にあります。都市中心部の空洞化とは無縁の、人通りの絶えない新町通りに面し、唯一の百貨店、さくら野百貨店の真向かいという絶好のロケーション。しかも会場は、全面ガラス張りで、白を基調にしたスタイリッシュな会場は、道行く人から注目度抜群です。ギャラリーというのは、内部の様子が伺えないと、入るのに抵抗感がありますが、ここは内部の様子が一目瞭然、吸い込まれるように会場へと入って行きます。

写真は、全部で51点、過去の写真、現在の写真に分け、おおよそ時代順に、2列に並べたものの、スペースがなくなり、急遽、通路にも並べることになりました。50年前の東北本線の蒸機から、2012年の「はやぶさ」まで、国鉄・JRあり、私鉄あり、形式写真あり、情景写真あり、白黒写真ありカラーありで、渾然とした写真展は、これぞ集団で行う写真展の魅力でしょう。

今回は、同志社大学の行事が青森県で行われたことに協賛して行われました。青森県の同志社大学への入学者は、2012年度たったの3名、全国最下位の入学者です。何とかこれを挽回したいものと、毎年、風間浦村で行われる新島襄碑前祭の翌日に、会場近くのホテルで受験生集めのキャンパスフェスタが行われ、その協賛行事として、同志社大学、校友会青森支部の後援のもとに行われました。

設営はクローバー会員、および校友会青森支部の皆さんにも協力していただいた。この期間に来場いただいたクローバー会会員は、準特急さん、ぶんしゅうさん、K林さん、埼玉の勘太郎さん

確かに来場者に、“京都にある同志社大学の卒業生が撮りました”と説明しても、なかなか大学の名まで意識が行かない様子。受験生にとっては、東京を通り越して、遠隔地へ行く必然性は希薄のようです。ただ、京都への憧れは、青森でも抜群のものがあります。青森は三内丸山遺跡に代表される古代遺跡はあるが、そこからの歴史がスッポリ抜けていると言っておられた方の言葉が印象的。京都のように連綿とした歴史のある都市は、畏敬にも似た憧れを持っておられる。受験生集めにも“京都にある大学”は必須の惹句になるでしょう。この写真展開催が、受験志望者の増加の一助になり、ひいては入学者の鉄道同好会入会の動機付けとなれば何よりです。

閑話休題-。来場者から出る質問に“青森に在住する卒業生が撮ったものですか”が多くありました。“ウンと昔に、京都・大阪から一昼夜、夜行に揺られて撮りに来たものです”と返すと、一様に“ヒェー”という声が返ってきました。

鉄道が元気だった時代に青春時代を送った、50歳以上の方からは、思い出話がつぎつぎと吐露され、中には展示した弘南鉄道のクハニ1263の特徴ある姿を見て、50年前まさにこの電車に乗って通学したと涙ながらに語る方もおられました。

時折、若い男女も来場、ひとつひとつをじっくり鑑賞していた

         ▲平日午前中でもこの賑わい、やはり中高年が圧倒的、女性客も多い 

         ▲灯ともし頃になると、いっそういい雰囲気になってくる。

         ▲52点の写真をほぼ時代順に配置、黒のマットが白い壁面に映えた

青森県の地元紙、東奥日報の要職にある方も同志社出身で、事前に校友会支部から取材を依頼、開催直後に取材があり、その翌日版に掲載された。

10/14 クローバー会活動報告(その1)

南草津図書館の会館10周年を記念するイベントが、鉄道記念日の10月14日に開催された。
この記念行事の一環として佐竹先輩の講演会が企画され、大人も子供も楽しいひとときを過ごした。

今回は、一般の親子連れが中心に集まるため、専門的な話よりもかえって難しく、企画段階から佐竹先輩、沖中顧問がかなり苦労されたことがうかがえた。スライドは、トーマスの絵本を交えて実写のSL写真を説明したり、半世紀前の地元写真と現在の草津付近の写真を交えたりして、新しく住み着いた若い人たちにも、子供達にも興味を持たせて飽きさせないようした気配りには感心した。

終わりにあたって、主催者の草津市から当会に対して懇篤なるお礼の言葉を頂いたことをご報告する。また、休みを返上して手伝ってくださった会員有志各位にお礼申し上げる。

お手伝い頂いた会員有志は以下の通り。
沖中(司会・進行)、玉田(模型運転担当)、弘津(記録写真)、井原(スライド・照明)、奥山、滝本、田野城、(敬称略)

話しに飽きた子供達には、壁を隔ててレイアウトとプラレールが用意されている。子供達へのサービスに努める玉田会員。ご苦労様でした。

八月だ、もっと熱くなろう!赤道直下のインドネシアSL撮影の旅 Part15 PG.SUMBERHARJO(スンバルハルジョ製糖工場)

神谷武志企画のテレマカシーツアー  第10日目 8月13日

am; Nirwana Hotel 6:30→7:52 スンバルハルジョ製糖工場→市内
pm; 市内→ スンバルハルジョ製糖工場 20:27→ 23:12  Hotel

▲ 集落の橋近くの揚げ物屋さんで撮影していたら集まってきた元気な近所の子供たち。お茶目な笑顔は小さい頃から得意のようです。

昨日晩かったにもかかわらず鉄ちゃん魂の入った猛者軍団は、早起きです。

5:30前には起きてホテルで朝食後の6時半には、スンバルハルジョ製糖工場へと向かいました。

機関庫前では、燃料の薪の運搬に皆さん総出で取り組んでおられます。
毎日消費する薪は相当な量です。どこで伐採して持って来るのでしょうかね? 続きを読む

井笠バス 続報

昨日 突如事業終了が公表されたため 岡山県西部と広島県東部で困惑の声がひろがっている。今朝の中国新聞も1面トップで扱っている。路線廃止まであと2週間ほどだが、引き継ぎ先も決まっておらず、 通学や高齢者の足が突然なくなる事態になりそうだ。道路運送法では廃止届は半年前に提出すべきとなっているそうだが、違反すると100万円以下の罰金も 会社がなくなれば取り立てられないということで、何の歯止めにもなっていない。全国の殆どの路線バス事業者が赤字経営に苦しんでいるわけで、いつどこでこのような事態が起こっても不思議ではない。

掲示板更新

管理人小西です。以前の掲示板システムの更新に加えて、本日テーマファイルの更新を行いました。

  • コメントにアイコンが表示できるようになりました。

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  • スマートフォンからの閲覧に対応しました。
  • デザイン変更が行いやすくなりました。
  • 機能追加が行いやすくなりました。
  • その他、追加機能多数。

以前使用していたテーマファイルは2002年度版”Kubrickカスタム”のため、今回適用した2011年度版”Twenty Eleven”では細部で見た目が異なります。できる限り以前の見た目・使用感に近づけるよう努力中ですが、気になる箇所などありましたら、こちらの記事にコメントをお願いします。

井笠鉄道の名前が消える!

昭和46年に井笠鉄道は廃止され、バス事業が井笠鉄道の名前を引き継いで続けられてきたが、今日 今月末でバス事業を終了する旨の発表がなされた。すなわち今月末で井笠鉄道の名前は消えることになりそうだ。71系統のうち どの系統が中国バスなどに引き継がれ、どの系統が廃止されるのかなど詳しいことは不明だが、明治44年に走り始めた井笠鉄道の灯が消えるのは バスファンではない私にも寂しいニュースです。我が町にはまだ「鞆鉄道バス」が走っています。トモテツよ永遠なれ!

広電三昧(撮影編-完)

KAWANAKAです。

広電撮影の完です。メモも取らずに只管撮り続けていたので橋を間違えた??申し訳ないです。

さて、広島駅を出た電車は半分以上、原爆ドームを経由しています。ここでの写真はもはや定番ですが車が被って中々思うように撮れません。ロケ中でも三脚を据えたお兄さんがいましたが、ここは機動力を発揮した方が楽です。また、歩道の端には潅木が植え込んでありますのでガツガツ撮るのではなしに無機質な舗装を和らげてはどうでしょうか。ドームを入れた写真はおもい切って橋の渡り切るくらいまで引いて撮りました。では、どうぞ。京都市電は景色にマッチするのは当然と思いましたが、新型の連接車もよく合いますね。

 

 
その先は十日市町です。江波・西広島へのルートと横川へのルートが分岐します。本数・車種が多いのでいっぱい撮るにはぴったりです。ただ、今回の掲示板の趣旨に合いませんので写真は割愛します。

江波方面は次は土橋。ここで西広島行と分岐。ここも本数が多くまた十日町方面も遠望できます。ちょうど101が来ましたので乗って江波へ向かいます。

独特の前後が上下に揺れるのり心地を味わって江波に。通常のダイヤに割込むのですから江波-横川がピッタリなのでしょう。しかし乗客はまばら。これで2人乗務員がつき、贅沢な乗り物となっています。

101号車は市民にも珍しい。携帯でパチリ。
車庫風景。ひまわりが夏の名残?ちょいと花をあしらってみました。

 

 

 

 

 

 

 

 

そうこうしているうちに、700が出てきました。この続行でさっきの101が出来てます。西村氏の写真を参照ください。

こんどは戻って、広電本社千田を訪問。

そ、そのまえに、鷹野橋でのカーブが一興であるので駄賃にとっておきました。ご覧ください。橋の階段から撮影したもので、2枚は互いに反対方向である。

        

車庫での様子です。既に西村氏がUPしていますので少し補完しておきましょう。

そのあとは、広島港です。3線あるホームは広大です。ただし周囲の雰囲気は海が見えるわけでなし、平々凡々。色々試みましたがあかんものはあかん。

 

左は駅ナカ。右は駅に入線する連接車。このあと一旦停止し、大きく右に曲がって駅に到着します。

ここから駅に戻るには皆見町六丁目から的場までバイパスするルートがあります。ショートカットであるが本数は少ない。1カットあるのでUPします。

あまり良い場所はなさそうですが、それなりの雰囲気は、まあこんなものでしょう。

さて、土橋から西広島に行く途上に間違った天満があります。その前の電停は道路にフレームを印しただけのもので、何か阪堺線の雰囲気がある。こんどこそ天満の橋を通ります。

 

このつぎは白島と行きたいのですが、わずか1.2km。投稿の夜も遅いのでUPしないことにしました(スミマセン)。

さて、何といっても市内電車の魅力は人です。広電は(大体、地方鉄道は親切な乗務員が多いのですが)親切です。それと意外と言っては失礼ですが美人が多いのです。

土橋で車窓越しにであった人はハッとする美形でした。プライバシーに関わるので、画像処理をしました。これで。

 

←画像処理をしています

 

 

 

次の写真は横川駅頭です。京女が京都市電に乗ってたびに出ますといったのがピッタリ?します。

 

 

 

やはり、白島線も載せておきましょう。ただし車両ではなく、そこの風景です。親子3代、幸せそうな雰囲気で下車してきました。八丁堀は街の中心、ショッピングでもお楽しみください。いや、ご老人と若い家族かも知れませんが・・・。

最後に幸せそうな家庭の雰囲気で締めくくりたいと思います。

如何でしょう。広電はしばらくすると旧車は淘汰されていきます。今がまさに色んな車種を見ることができる最後のときと思います。これを見て行かれる気になれば幸甚です。

広島には中国支部長?がガイドしてくれると思います。

緊急報!「船場まつり」12日は午前中のみ開場

船場まつりは主催者側の都合で、10月12日(金)は午前中のみの開場となりました。13,14日は午前10時より午後5時まで開場となります。DRFC参加内容は模型運転展示のみで、参加内容の変更はありません。

以上、現役渉外担当から緊急報として連絡ありましたので、「デジ青」愛用者の皆さんにお知らせします。

広電三昧-続き(撮影編)

KAWANAKAです。
1日遅れになりましたが大人しくしておく筈が西村氏の投稿で出さない訳には行かなくなりました。何をどう巡ったかは大体検討がつくと思われるので、読者の方を広島へ誘うために3日(といっても初日は夜に到着、2日めは時間があると決め込んで日和り、最終日に西村氏と合流した)の成果というものでもないが、開陳しましょう。それにしても600円のフリー切符で初回日の乗車回数12回(単価は市内で150円、宮島線は別途)、歩いた距離は3日めの西村氏万歩計でお昼過ぎで既に1万歩だったのですから、この歳で還暦を過ぎた重車体の小生はかなりばてました。

広電のMapを掲載しますので、撮影場所の参考になるかと。

宮島線

鈴楽女子前から歩いて1分のところに広電鉄橋と並行して山陽線鉄橋がある。この写真は並行する道路橋からのものでグリーンムーバーを撮ったもの。宮島線は移籍組の車両は輸送力の関係から見ることはできないけれど、その代わり、休日にはマリンビューも見れるし、JR山陽の色の変更過程にある国電、貨物が平行して撮れる。広電ホームからでも撮り放題。    こんな具合です。

   

続いては、有名な阿品の瀬戸内海を入れた駅の陸橋からの写真、と言いたいのですが溢れているので割愛して、広電の中では季節感のある風景を紹介。高須辺りと思います。気が向いたら降りて撮るのを信条にした旅なので記録をしていませんが、夏の風景と秋の始まりの風景がいっぺんに取れました。ただし花にフォーカスしていますので、それは好みに合わんイヤやという人がいるかもしれません。ただ、ひまわりはしょぼいですねえ。

さて、市内線と宮島線の接続口である西広島に戻ります。広電では数少ないトイレがある(八丁堀の交差点にもあります)ので、ほっとする駅でもあり、整然としたとは言えない線の配置は写欲をそそられます。ここでは移設組の単車車両も来るので、乗り降りする人と共に絵になります。飽きません。古き良き時代を彷彿させる駅頭風景をどうぞ。
ここから、土橋を通って横川に戻ります。そのついでに日本離れした街路樹の茂った欧州風の場所があります。小生が勝手に思っているのでそうではないかも知れませんが。

その広島工大前の西観音町で、雰囲気がよろしいのでここで、数カットを撮ることにしましょう。
連接車を撮っても絵になりますが、ここは余命短い車両にするべきでしょう。

西広島で会った旧大阪市電762が電停を離れていきます。旧京都市電1905が西観音町の左L字カーブを曲がります。   

ところで横川駅はJRと連絡していますが、大屋根のある2線の駅頭は風情があります。昼と夜とそして西村氏の待ち合わせで朝とよ~け撮影しましたが風情のある夜景をUPします。この写真の1分後、京都市電が入ってきて2ショット!!となるはずでしたが、入線する直前に発車してしまい、粘るもついに2ショットは取れませんでした(大阪+京都の2ショットは撮れましたが・・・)。どなたかチャレンジしてみては如何でしょう。この写真は35mm換算400mmでの望遠で交差点の対面からです。車に被るかどうかは運次第。
横川駅を少し下ったところに天満橋(だったかな。大阪と違いまっせ)があり、並行している橋から走行写真が取れます。はしは上に凸なので車さえなかったら橋の上を向かってくる電車が撮れます。写真はそのサイドの昼と夜です。雰囲気が違っていて面白いですね。
なお、その先、別院前には電車は橋の坂を下っていきますが、線路のカーブがきれいにはいる場所で旧車が来るのはここです。橋は車が通ると揺れるので被られることと横を大型のバスなどが通らないことが条件です(小生は重い三脚を持って行きませんので振動は関係ないですが・・・)。

ここは単車のオンパレードなので面白い写真が撮れるかも・・。夜は雪景色と同じように見苦しいものが映らないので好きですが、皆様はどうでしょうか。

カーブを強調するためにうんと長いタマを慎重にブレないよう使いました。
JRとの主要な接続ターミナルは勿論、広島駅です。駅から的場町までが経路廃止になるので撮っておいたほうが良いのでしょうとは西村氏の言。ただし、旧車は来ないし連接車の西鉄3000は昼は来ないようです。

ターミナル風景2枚とタクシー乗り場からタクシーの頭越しに超望遠で狙った風景、途中電停の風景をUPしました。

     

      

と、ここまで写真を拾い上げてきましたが、ファイルも大きくなり、明日の仕事に差し支えるので、続きは追って。

車庫の様子と沿線の風景、乗客、お目当てだった100系や車内をUPしてオシマイとします。

なお、車両の解説はタイトルの趣旨からありません。クローバー会のメンバーには不要でしょうが、
http://www.hiroden.co.jp/train/sharyo/index.html
を見て頂くとわかります。
では次回に続きます。

2012鉄道記念日・DRFCはあついぜ!

今年の10月14日は1872年に日本の鉄道が新橋ー横浜間で開通して140年の節目の日です。

図らずもこの日、同志社大学鉄道同好会は3ケ所で活動をすることになりました。一つは青森で、同志社大学校友会からの声懸かりで、校祖新島襄先生と縁ある青森で「青森を走った汽車・電車」をタイトルとして写真展を、10月12~17日間で、開催することになりました。会場は青森駅から徒歩5分、ギャラリーNOVITAです。詳しくは次の電話でお問い合わせください。017-773-3746です。クローバー会会員も会場に日替わりで詰める予定です。

二つ目は大阪のど真ん中、船場センタービル中心に開催される「船場まつり」です。立命館大学、関西大学の鉄道研究部と共に、大学現役生が、御堂筋寄りの10号館1階で鉄道模型を走らせます。こちらの会期は10月12日~14日で、午前10時~午後4時間の催しです。

そしてしんがりは10月14日、JR琵琶湖線南草津駅前・フェリエ南草津5階、市民交流プラザ大会議室で、鉄道ファンならご存知のSLおじいちゃん「佐竹保男さん」の講演会があります。日本の蒸気機関車全盛時代の写真を通してのお話です。午後1時30分から午後3時まで、草津市立 南図書館の催しです。

 

広電三昧

昨日KAWANAKA氏と600円の1日乗車券を手に、広島市内を歩き回りました。秋空の下 元気な広電の姿を堪能できた1日でした。

江波車庫を出庫する101号

広電本社に隣接する千田車庫に居並ぶ電車たちを撮りたいとダメモトで頼んでみたところ、「ピットにはおりないでくださいね」とだけ念押しされた他は 車庫内を自由に見学させてもらえました。

乙訓の大先輩殿 この台車の解説をお願いします

 唯一のガッカリはドルトムント市電改装のレストラン「トランヴェール・エクスプレス」で豪華なランチを予定していたのですが、何と定休日。楽しみは次回回しとなりました。

広電本社前にて

 宮島線以外の各線で京都市電1900型は大活躍です。15両が在籍し、9両が千田車庫、6両が江波車庫所属です。900型の製造初年が昭和30年ですから、還暦に近いわけですが、そんな歳には見えません。広電さんの手入れの良さに感謝です。

 

秋空の下広電がゆく。高いビルはドコモ広島大手町ビル。

京津線が100周年を迎えるのと同様、広電も100周年の節目です。10月20日から12月16日まで特別展も開かれます。広島方面へお越しの節は、是非お立ち寄り下さい。三原ではボランティアガイドも待機しています。

KAWANAKAさま。広島遠征お疲れさまでした。前座はこれぐらいにしておきますので、3日間の成果のご披露をお願い致します。

 

いざ青森へ -3-

583 3本並び

毎年12月、御用納め後の年末は、大人しくしているが、平成9年は、珍しく青森へ出掛けた。当時新幹線は盛岡までで、盛岡~青森の新幹線リレーに583系「はつかり」などが走り、年末はとくに臨時も多い。隠れ583系ファンの私も、これを逃す手はない。

朝の青森駅、確かに583系があふれている。夜行列車の発着も多く、在来線優等列車の最後とも言うべき華やかなシーンを見せていた。「はつかり」「はくつる」の並びを撮っていると、さらに向こうのホームにも583系が停まっているではないか。“あっ”と思った瞬間、くだんの583は動いてしまった。583が3本も並んでる。さぁ、取り逃がした魚は大きい。一計を案じ、当日は、函館経由で弘前泊の予定だったところを、急遽宿泊先を青森に変更し、翌朝、再び同じ時刻に待ち構えた。やっとのことで3本並びを撮ることができた。過去、583系の営業列車がホームで3本並ぶケースがあったのか把握はしていないが、年末の青森駅で、貴重な体験をしたと今でも思っている。

回送で発車していく583系の運転士に向かって、感謝の手を振ると、向こうも敬礼で応えてくれた。

 ▲右から、「はつかり5号」、「はくつる81号」、「はつかり6号」、3本が並んだ

 ▲跨線橋からは2本並びを。青森駅の跨線橋は窓が低くて撮影に適している

 ▲年末のため多くの583系が東北本線を行き来した。野内~浅虫

いざ青森へ -2-

「白鳥」と「オリンピア」

青森も山間部になると、日本有数の豪雪地帯となるが、平野部はそれほどの積雪ではないようだ。事実、昭和47年2月、北海道の帰り、連絡船で明け方の青森駅に着いた時もホームがわずかに白くなる程度で、以後の訪問でも大雪に見舞われた経験はない。

連絡船から降りて駅ホームに行くと、向かいホームに5時20発の「白鳥」が発車待ち。青森から、延々大阪まで、1000km以上を16時間余りかけて走り抜く。昼行特急としては破格の当時日本一の長距離特急で、今となっては考えられないような列車だ。この年の10月、日本海縦貫線の完全電化で「白鳥」は電車化される。

そして、左のホームに入線してきたのが、やや遅れて到着した臨時特急「オリンピア1号」だった。以前の掲示板でも触れたが、この時、札幌オリンピックが開催中で、観客輸送のため、上野~青森間に走った583系による臨時特急であった。上野を前日の19時30分に出て、青森には所定4時45分着、連絡船で渡って函館から82系の「オリンピア2号」に乗ると、札幌に13時56分に到着するダイヤだった。特急「オリンピア」と言えば、東京オリンピックの際に東海道本線に運転されたものが有名だが、札幌オリンピックの際にも、わずか2週間だけ運転された「オリンピア」だった。

午前5時の青森駅に並ぶ、82系「白鳥」と583系「オリンピア」。ヘッドマークもあるが、露光オーバーで、いくら焼きこんでも、ヘッドマークは表れなかった

 ▲その後、雪が降り出した。「はつかり」がゆっくりホームを離れて行った

津軽線はDC化されていたが、朝夕のみC11の引く客車列車が残っていた

いざ青森へ -1-

  ▲右のガラス張りが写真展会場のNOVITA、青森の中心部、人通りも多い

 ▲会場NOVITAの内部、右の壁面が展示スペース、外を行くバスもよく見える

 ▼会場への道のり、駅からまっすぐ5分、さくら野百貨店の向かい

青森写真展が目前に迫ってきました。昨日、準備作業も終わり、写真を梱包して青森へ発送を完了。あとは、11日の設営を待つだけです。私は例によっての極貧旅で青森へ向かいますが、今回は、震災後初めての東北入りともなりますので、被災地の様子も見て行きます。

青森展の盛り上げの一助になるかは分かりませんが、何回かの青森行きで撮った写真の中から、惜しくも選に洩れた?写真の数々を、ランダムにご覧いただきましょう。

日本一の機関区、青森区

青森県を初めて訪れたのは、昭和43年8月、大学一年生の時だった。当会の龍ケ森での狂化合宿のあと、北海道へ向かうため、青森駅に降りた時である。ところが、連絡船のことばかりが気掛かりで、青森駅では撮影どころではなかった。列車が青森に着くと、脱兎の如く連絡船通路を走って連絡船改札へ向かった。連絡船は定員制だから、混雑時は積み残しの可能性もあり、以後のスケジュールに狂いが生じてしまう。東京~北海道の旅客のほとんどが連絡船を利用する時代、それほど左様に連絡船の混雑は激しかった。

だから、青森でゆっくり撮影できたのは、北海道からの帰途時だった。昭和43年8月の時も、まず機関区へ向かった。東北本線完全電化の直前で、青森機関区の蒸機は65両、小樽築港、門司を押さえ、日本一の蒸機配置区だった。ところが、大規模機関区の例に洩れず、駅からは見えないぐらいに遠い。長旅で痛む足を引きずって、やっと区に到着した。

ただ、実態は、電化直前のため休車も多く、国鉄争議のため蒸機の整備も良くなく、形式写真の決めも撮れないままで、青森区の最盛期は過ぎていた。

早々に退散し、駅へ戻ると、青森駅構内改良工事のため、列車はすべて運休で、奥羽本線では、次駅の津軽新城からの特発で、代行バスでの移動となった。このため、長い間、青森~津軽新城間のみが未乗区間として残っていた。

 ▲この地区としては珍しい長工デフのD51281 「青森」の標示も見える

 ▲形式写真としては、これぐらいしか撮れなかった C6010

 ▲落書き機関車の典型、石灰で書いた落書きとアジビラ

 ▲梅小路蒸気機関車館でいまも保存中のC612も団結号になっていた

その中でもC6030は美しく整備されていた 小デフつきのC6030

 ▲ラウンドハウス内部から見ると、絶えずターンテーブルに乗る蒸機が見えた

 ▲北国らしく、扉つきのラウンドハウスだった。本州では比較的珍しい

浜大津イベントのお知らせ

昨年同様、スカイプラザ浜大津にて土曜、日曜だけの計4日間ですが、浜大津ターミナルの復元ジオラマ展示と江若、京阪の模型運転を行います。最新版のチラシが主催者から届きましたので、添付します。今回も多くの会員諸氏のご協力のおかげで 準備も最終段階に入っています。場所は京阪浜大津駅の隣のビル6階で、開場は10:00~17:00です。皆様にお会いできるのを楽しみにしております。なお11月3日には京阪のイベントが錦織車庫で開催され、毎年多くのファンや家族連れでにぎわうようです。

八月だ、もっと熱くなろう!赤道直下のインドネシアSL撮影の旅 Part14 PG.SUMBERHARJO(スンバルハルジョ製糖工場)

神谷武志企画のテレマカシーツアー  第9日目 8月12日

am; Nirwana Hotel 6:40→8:02 スンバルハルジョ製糖工場→市内
pm; 市内→ 14:50スンバルハルジョ製糖工場 20:01 22:53  Hotel


▲ 今日の指令所脇の公園?には、先日とは違った子供たちがきました。その中に一人、ちょっと垢抜けた感じの女の子は、異風を感じさせました。サトウキビ畑の中の1本のスィートコーンのようにも見えました。


▲ ペガロンガンのNirwana Hotelは、インドネシア3日目から3連泊したホテルです。B班でも昨日から3連泊します。今日は、ホテルを6時半過ぎに出発して、スンバルハルジョ製糖工場へと向かいました。走行距離は約50キロ、所要時間は約1時間半でした。

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青森写真展 着々(遅々?)進行中

クローバー会写真展in青森の開催まで、一週間を切りました。今春から始めた準備作業も、ギリギリになってから、やっとエンジン全開、得意?のラストスパートで、ようやく全容が見えてきました。

厳選された珠玉の作品は、16人から49点もの点数に。京都から1000kmも離れた青森というピンスポットなテーマにも関わらず、50年以上前のキハ41000から、2012年の新幹線「はやぶさ」まで、あらゆる年代の写真が集まりました。地震で突然廃止になった南部鉄道もちゃんとあります。この撮影年代の広がりは、さすがにクローバー会の懐の深さを示すものと言えます。

明日にはすべての準備作業を完了し、青森へ発送します。

一点一点丁寧にプリントされた写真は目を見張る美しさ。今回は額・マットは一体化した軽量既製品を使用し、準備・輸送の効率化を図った。また、以前から要望の高かった、作品リストなどのチラシも完備。

同志社校友会誌“The Doshisha Times”にも、ホームカミンクデーの案内とともに、写真展記事が掲載された

「イルカ」がいる

9月12日木曜日のこと、「ゆりかもめ」がレインボーブリッジ手前のループを通過中に、INUBUSE氏から「尾久にイルカがいる」とのメールをいただいた。引き返して見に行きたいのはヤマヤマだが、仕事の関係上諦めざるを得ない。翌日の夜「今日もいた」との電話をいただいたので、もしかすると明日もいるかも知れないと思い、14日土曜日の朝、尾久に出向いたところ、下りホームから2線隔てた留置線に「どうぞ撮って」と言わんばかりの位置に停まっていた。時折雲の切れ目から太陽が顔を出す変な光線状態であったが上野寄りの先頭車クハ481-1504から最後尾のクロハ481-1501まで順番に撮影した。

午前中時間が空いており、東十条の環七下で近く姿を消す211系でも撮影しようと思って行ったが、天気が怪しいのでパスして赤羽で185系「草津1号」撮影した。帰りに乗車した上野行が尾久に停車すると、パンタが上がっており慌てて降りて撮影後、都電荒川車庫前まで歩き、町屋経由で帰宅した。

(1)「イルカ」とは
勝田車両センターに配置されている485系の波動用車両のK60(6両編成)とK40(4両編成)2編成のことで、先頭車に「イルカ」のイラストが描かれているため「イルカ編成」とか単に「イルカ」と呼ばれている。

日常的な定期運用はなく、K60編成が行楽シーズンの土休日にいわき~鎌倉間で運転される「ぶらり鎌倉号」に使用される他は主に団臨に使用されている。この日はK60+K40の10両フル編成で、恐らく常磐線沿線の学校の修学旅行臨で上野に来て、帰りまで尾久で待機していたものと思われる。

車号は次の通りである。
K60編成、←上野クハ481-1504+モハ484-1013+モハ485-1013+モハ484-1011+モハ485-1011+クハ481-1505
K40編成、←上野クハ481-345+モハ484-1053+モハ485-1053+クロハ481-1501

(2)K60編成
クハ481-1504/上:尾久 下:勝田 (21-9-8)
函館本線の特急「いしかり」用として昭和49年4月日立製作所で新製された車両。北海道での使用が遅れたため、約1年間暫定的に青森区に配置され、特急「白鳥」に使用され大阪に顔を出していた。昭和55年新型特急車781系と置換えで再度青森区に転属、その後新潟区に転属後、平成11年車体更新時に窓を上方向に拡大した。

モハ484-1013+モハ485-1013
昭和51年4月日本車輌製で、奥羽本線秋田~羽前千歳間の電化対応用として寒冷地仕様で新製され、秋田区に配置された。その後新潟区に転属して平成11年車体更新時に窓を上方向に拡大した。

 モハ484-1011+モハ485-1011
昭和51年4月東急車輌製、前述のモハ484-1013+モハ485-1013とはメーカーが異なるだけで、あとは同じである。

 クハ481-1505/上:尾久 下:勝田 (21-9-8)
経歴等はクハ481-1504と同じ。

(3)K40編成
磐越西線郡山~会津若松間の特急「ビバあいづ」に運用していた車両で、平成14年12月7日運用終了後6両編成の内、中間のモハ484-1008+モハ485-1008を抜き、波動用として勝田区に転属した。
クハ481-345
昭和51年2月日立製作所製で当初の配置は青森区であった。

モハ484-1053+モハ485-1053
昭和53年8月日川崎重工製で当初の配置は秋田区であった。窓は原形のままである。

クロハ481-1501
経歴は極めて複雑で、昭和53年上越線特急「とき」用のサロ181-1101として日本車輌で新製、この時、既に上越新幹線の開業が迫っていたため481系への改造が考慮されていた。58年1月予定通り盛岡工場でサロ481-1501に改造。62年には「ひたち」号のクハ不足のため、運転台の取付けと普通車への改造が行われクハ481-1104となった。平成5年「ビバあいづ」用として車体前方部分をグリーン室(定員16名)に改造して現車号になった。



(4)その他
常磐線の特急は新型車両E657系への置換えが進行中であるが、現時点ではE651系、E653系も使用され、特に「フレッシュひたち」はE653系が多い。E657系に統一される日は未だ発表されていないが、刻一刻と近づいていることは事実である。E651、E653は共に7両編成と4両編成があり、乗客数に応じて7両、11両、14両(E653系のみ)編成で運転されているが、E657系は10両固定編成のため弾力性に欠ける。
「イルカ」も置換えの対象になっており、まもなく見納めになるだろう。運用のない時は勝田駅ホーム横の電留線に停車していることが多い。
目撃情報によると10月1日も尾久に停まっていたとのことである。

サハ78(Ⅱ)

5月14日【20382】関 三平さんの「ロクサン型」を受けて、5月21日【20523】「モハ63→クモハ73」、7月4日【21668】「サハ78」と進めてきたが、前回はサハ78300番代で終わったため、引き続き400、450番代と500番代に話を進めたい。

(1) サハ78400、450番代
昭和43年4月27日、御殿場線沼津~国府津間の電化時、線内の普通列車に首都圏で余剰になった旧形国電を転用することになり、クモハ60、クモハ73、モハ72、クハ79、サハ78が配置された。非電化時代の気動車、客車にトイレが設置されていたため、サハ78の一部にトイレを設置して4両基本編成中に必ず1両連結された。
戦前形4扉改造車は400番代(400、401)、63形グループ車は450番代450~457)が付番された。

呉線電化時にもサハ78とクハ79の一部にトイレが設置されたが、改番されたのはクハ79の1両のみであった。後日呉線から改番されていないトイレ付のサハ78111,113、119、120の4両が御殿場線に転入したため、改番された車両とされていない車両が混在する結果になった。

サハ78401/(52-2-11) 沼津
昭和6年4月田中車輌でサロ45003として新製。19年9月大井工場で4扉化(戦時改造)してサハ78024に改番。43年12月浜松工場でトイレを設置して現車号に改番。54年10月11日付で廃車。

 サハ78450/(49-4-2) 沼津
昭和21年6月近畿車輌でサハ78101として新製。43年12月浜松工場でトイレを設置して現車号に改番。54年9月14日付で廃車。

サハ78451/(49-4-2) 沼津
昭和21年6月近畿車輌でサハ78103として新製。43年12月浜松工場でトイレを設置して現車号に改番。54年9月15日付で廃車。

 サハ78453/(49-2-17) 沼津
昭和21年8月近畿車輌でサハ78110として新製。43年12月浜松工場でトイレを設置して現車号に改番。54年11月9日付で廃車。

 サハ78454/(49-4-2) 沼津
昭和21年12月近畿車輌でサハ78128として新製。43年12月浜松工場でトイレを設置して現車号に改番。55年10月13日付で廃車。

 サハ78455/(49-2-17) 沼津
昭和21年12月近畿車輌でサハ78129として新製。43年12月浜松工場でトイレを設置して現車号に改番。55年4月22日付で廃車。

 サハ78456/(48-5-13) 沼津
昭和19年10月川崎車輌でサモハ63005として新製。26年12月大井工場でサハ78304に改造。43年12月浜松工場でトイレを設置して現車号に改番。52年2月18日付で廃車。元サモハ63→サハ78300番台のため、78450~78455とは戸袋の位置が異なる。

 サハ78457/(49-2-17) 沼津
昭和21年9月川崎車輌でサモハ63376として新製。27年2月大井工場でサハ78378に改造。43年12月浜松工場でトイレを設置して現車号に改番。51年10月18日付で廃車。

 画像の無いサハ78400とサハ78452の経歴は下記の通りである。
サハ78400
昭和6年6月川崎車輌でサロハ46010として新製。12年1月トイレを設置してサロハ66010に改番。20年3月大井工場で4扉化(戦時改造)してサハ78018に改番。43年12月浜松工場でトイレを設置して現車号に改番。54年10月11日付で廃車。

サハ78452
昭和21年7月近畿車輌でサハ78108として新製。43年12月浜松工場でトイレを設置して現車号に改番。54年11月19日付で廃車。

(2) サハ78500番代(501~515)
昭和44年10月から45年3月にかけて元モハ63形改造のモハ72を大井工場で電装解除した車両で78501~78515の15両在籍した。鳳区に配置された78506以外は関東地区の配置で、50年代の前半に廃車されたため、撮影できたのは、502、506、509の3両のみである。
尚、トップナンバーのサハ78500は三河島事故で大破したモハ72549(28年11月東急車両製)を電装解除して復旧した車両で、モハ63形とは直接関係ない。

サハ78502/ (49-5-1) 拝島
昭和21年10月日本車輌でモハ63161として新製。27年3月日本車輌でモハ72051に改造。45年2月大井工場で電装解除して現車号に改番。51年12月21日付で廃車。

 サハ78506/(49-6-16) 天理
昭和21年6月日本車輌でモハ63023として新製。27年5月東急車両でモハ72163に改造。45年2月大井工場で電装解除して現車号に改番。50年2月1日付で廃車。
関西に配置された唯一の車両で、阪和線で活躍した。

 サハ78509/ (48-2-25) 拝島
昭和22年9月近畿車輌でモハ63518として新製。27年8月大井工場でモハ72201に改造。45年3月大井工場で電装解除して現車号に改番。48年12月17日付で廃車。

 画像の無い車両の経歴は下記の通りである。
サハ78501
昭和21年9月日本車輌でモハ63111として新製。26年12月大井工場でモハ72033に改造。45年1月大井工場で電装解除して現車号に改番。46年12月8日付で廃車。

サハ78503
昭和21年9月近畿車輌でモハ63364として新製。26年12月大井工場でモハ72096に改造。45年2月大井工場で電装解除して現車号に改番。50年3月22日付で廃車。

サハ78504
昭和22年8月川崎車輌でモハ63194として新製。27年2月日立製作所でモハ72118に改造。44年10月大井工場で電装解除して現車号に改番。48年2月17日付で廃車。

サハ78505
昭和22年11月川崎車輌でモハ63637として新製。27年2月日立製作所でモハ72153に改造。45年1月大井工場で電装解除して現車号に改番。50年10月29日付で廃車。

サハ78507
昭和21年10月日本車輌でモハ63145として新製。27年5月汽車会社でモハ72167に改造。45年2月大井工場で電装解除して現車号に改番。48年2月10日付で廃車。

サハ78508
昭和21年11月日本車輌でモハ63257として新製。27年5月東急車両でモハ72171に改造。45年3月大井工場で電装解除して現車号に改番。51年12月21日付で廃車。

サハ78510
昭和22年10月近畿車輌でモハ63522として新製。27年10月大井工場でモハ72212に改造。44年10月大井工場で電装解除して現車号に改番。50年10月24日付で廃車。

サハ78511
昭和23年2月日本車輌でモハ63772として新製。27年6月日本車両でモハ72252に改造。44年10月大井工場で電装解除して現車号に改番。48年2月17日付で廃車。

サハ78512
昭和23年8月汽車会社でモハ63685として新製。28年1月日本車両でモハ72265に改造。44年10月大井工場で電装解除して現車号に改番。53年5月8日付で廃車。

サハ78513
昭和23年1月汽車会社でモハ63749として新製。28年1月汽車会社でモハ72287に改造。44年12月大井工場で電装解除して現車号に改番。48年1月23日付で廃車。

サハ78514
昭和23年1月汽車会社でモハ63747として新製。27年12月東急車両でモハ72306に改造。45年1月大井工場で電装解除して現車号に改番。51年2月5日付で廃車。

サハ78515
昭和22年12月汽車会社でモハ63731として新製。28年1月東急車両でモハ72309に改造。44年10月大井工場で電装解除して現車号に改番。53年9月16日付で廃車。

【参考】サハ78516、78517について
モハ72522と72523(いずれも昭和28年10月日立製作所製)を昭和45年6月と7月に浜松工場で電装解除した車両で63形とは直接関係ない。片町線で使用され、78516は52年3月16日付、78517は51年9月1日付で廃車になった、

取り外された電装品は、身延線の準急増発用として計画されたサハ87108、87111の電動車化に利用され、パンタ部分を低屋根化してモハ80850、80851となった。座席幅が狭く内装が木製のため、全金製のモハ80800番代と比較すると見劣りし、予備車となっていることが多かった。

サハ78516/ (47-2-20) 放出


 サハ78517/ (48-7-1) 住道

63形について、クモハ73、サハ78と話を進めてきたので、時期を見て残るクハ79、モハ72についてもまとめてみたい。