醍醐を走った市バス
京都市バスと街並みを続けます。平成9(1997)年10月に、京津線の一部が廃止され、地下鉄東西線が開業し、山科・醍醐地区にも地下鉄が走るようになります。それまで市バスは、山科・醍醐地区でも稠密な路線網を張り巡らせて、醍醐車庫には多くの市バスが配置されていました。それが地下鉄の開通によって、市中心部~山科・醍醐のバス路線は廃止されるなど、路線の再編成が行われ、同時に市バスは撤退して運営は京阪バスに一元化されることになりました。それに先立ち、昭和56年には、醍醐車庫の系統は、すべて頭に「東」を冠した系統に変更されますが、今回はそれ以前の様子です。
▲市バスを本格的に撮り出したのは、Fさんと一緒に行った醍醐車庫の市バスが始まりだった。ワンマン化が始まったものの、狭隘区間があり、まだ多くの系統がツーマン車で運転されていた。市中心部は、ほぼワンマン化されていて、山科・醍醐のバス事情は明らかに一歩遅れていた印象だった。撮影場所は、おそらく醍醐車庫の近くだったと思うが、周囲はいかにも開発途上の荒涼とした風景だった。バスは「京2い・743」で、昭和41年製の日野RB10のワンマン・ツーマン兼用車(昭和49年)。