東武鉄道1700型

米手作市様の[71488]16.5.12「東武鉄道モハ1700型」の写真である。1700型は1956年製造のカルダン車で、1971年12月までにこの車両は消えてしまい後継車の1720型と同じ車体の車両となった。さらに1991年までに1720型と共に現在「りょうもう」に使用されている200型に機器が流用されて生き続けている。

写真は東武日光発浅草行き特急「さち」で撮影は1968年7月26日松原団地-草加間で列車名「さち」とは中禅寺湖の別名「幸ノ湖」にちなんだ名前である。現在このあたりは高架複々線で風景は一変しており定点対比撮影はできない。製造はナニワ、日車、汽車の3社であるが写真の先頭車両1701はナニワ工機製。関先生のお描きになった1700型の姿からヘッドマークの位置が正面に変更されたり、窓下にライトがつけられたり多少顔に変化はあるが、ハンサムボーイのイメージはそのままで、機器流用で生まれ変わった200型や快速や下今市方面で活躍中の2ドアクロス6050系と比べても断然男前である。これはこの時代、このような顔、スタイルの車両を見て育った私の印象からかもしれないが。

s-68.7.26草加1701さち

木次線に乗ろう!!

ぶんしゅう氏の木次線レポートを見るに付けても行きたくなりました!
三江線と木次線、どちらも似た運命をたどりそうで、心配しております。三段スイッチバックも延命水も有るうちが花!
三江線旅行と同じように乗って残そうを実行しませんか?
木次線の話が出ると、時々投稿してくださる「おろち」さん、現地に在住の方と思いますが、ぜひともお目にかかってお話がしたいのです。
http://ameblo.jp/c56108/entry-12142086571.html

木次駅のはずれの跨線橋も金網が張られて撮影出来なくなるとか、会長様、ご一考下さい。

備後路の新緑を追う 2016年 Part3 木次線・奥出雲おろち号・芸備線も撮る

第2日目 5月6日 その2

比婆山温泉の宿を見てからも備後落合へと車を進めます。国道314号線は木次線に並行していますので所々でレールが見えます。そしてトンネルに入る直前で西村さんから「ここ良いですね」と見られた場所に停車しました。かつて山を迂回していた旧道跡です。その向こうに鉄橋が見えました。
DSC_3026024▲ 13:03 Google座標; 35.022221,133.122550
旧道に車を停めて先に進んでみましたが右方向は木々が生い茂ってレールは隠されています。左も同様でこれではおろち号全編成を撮影することが出来ませんが、自然に戻りつつある旧道のと合わせて山間を行く鉄路の雰囲気が出ています。前2両でも良いかなとアングルを組みました。 続きを読む

中国新聞小ネタ2題

三江線と芸備線関連の記事2件です。

平成28年5月14日 中国新聞朝刊 

平成28年5月14日 中国新聞朝刊

この会場となっている広島県立歴史民俗資料館ですが 三次駅からは遠い「みよし風土記の丘公園」内にある施設で、旧三次宿の街歩きルート内にある市立歴史民俗資料館ではありませんので ご注意を。 続きを読む

新緑の福塩北線

4月11日に70299で福塩線訪問記を載せましたが、あれから1ケ月が過ぎ、先般のぶんしゅう殿との旅で新緑の美しさを再認識させられたこともあって 少し遅いかと思いつつ 新緑や田植え風景を求めて福塩北線沿線を走ってみました。何しろ府中・三次間の午前の部は5:00から10:00までの上下6本が勝負です。一方 午後の部で撮影できるのは15:00から日没までの4本です。昼過ぎの通学用臨時列車が走れば2本増えます。昼間の 列車の走らない時間帯を芸備線や三江線に場所を変えてもやはり列車がありません。従って5時間の空き時間を持て余すので たいていは午前の部狙いで早朝の出撃となります。今回は前夜の準備がまずく 早く起きたものの出発でもたつき、下り1番列車1721D三次行きには間に合いそうになく、上り1番列車1720Dからの撮影となりました。今回は今までに撮っていない場所に行くことにして まずは備後三川に向かいました。

平成28年5月13日 6:45 備後三川駅

平成28年5月13日 6:45 備後三川駅に到着する1720D府中行き

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三江線 住民説明会始まる

ローカルな話題でこの掲示板を賑わして恐縮ですが、ひとつの鉄路の消長のあゆみを後世にとどめてゆくのも「青信号」の特技と思って投稿しています。本日の中国新聞朝刊です。

平成28年5月13日 中国新聞朝刊

平成28年5月13日 中国新聞朝刊

明日から沿線各地で住民説明会が開かれます。その結果がまた紙面に紹介されると思います。引き続き転載してゆきます。

兵庫・鷹取工・高砂工・姫路4

鷹取工場の構内に放置されている車輌の内には、阿波鉄道買収のコッペル機を技能者養成所が研修のため改修し近代化した「若鷹号」、7号「へっつい」機がある。後者は熱海線(現東海道本線)建設=丹奈隧道掘削ズリ出しのため、大日本軌道小田原支社線を「極めて高額で買収」し、即日熱海軌道組合に貸出して運行させたのだが、関東大震災で壊滅。国鉄建設局の所管になっていたこの「へっつい」機は各地で建設に従事したことにより、幸いにも残存した。鷹取工場では教習用標本機として右側ボイラー、シリンダ等を切開していた。戦後でも小規模博覧会などに貸し出され、当OB会諸氏も八瀬で撮影しておられるのが紹介された。

鷹取工7号標本機1960.5.20S

鷹養標本機7 旧大日本軌道小田原支社7号で越中島鉄工所製

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備後路の新緑を追う 2016年 Part2 木次線・奥出雲おろち号を撮る

第2日目 5月6日 その1

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▲ 6:00 宿泊している奥出雲多根自然博物館では昨夜の夕食は、通りを隔てた温泉施設のお食事処でしたが、朝食は最上階の8階レストランで用意されています。周辺では最も高い建物ですので一望できます。朝起きての心配は空模様でしたので、見に行ってみました。
昨日のように青空は見えず雨が落ちてきてもおかしくない曇り模様です。今日は厳しい撮影になりそうに思えました。
おばさん4名が厨房で朝ご飯の用意をされています。朝食は7時からですが、コーヒーをいただき、「もうすぐ出来上がるから来て待っていただいてもいいですよ。」と案内されました。部屋に戻って西村さんを呼びに行きました。
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凝りもせず三江線ネタ

ぶんしゅう殿から新緑を訪ねる中国山地旅のレポートPart1がアップされましたが、Part3で三江線が少し登場すると思います。その三江線について またしても中国新聞に記事が載りましたので 凝りもせずご紹介します。

平成28年5月12日 中国新聞朝刊

平成28年5月12日 中国新聞朝刊

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備後路の新緑を追う 2016年 Part1 尾道鉄道、木次線・奥出雲おろち号を撮る

三江線津軽鉄道に続いては若葉映える新緑の備後路を目指しました。ご案内役はご当地に永住されるようになった西村さんにお願いして、ご愛車を出していただき3日間を駆け巡りました。

第1日目 5月5日
① 長岡京5:29(快速)⇒7:30姫路7:40(こだま731号)⇒8:45新尾道

当初の出発は5月7日を予定していましたが天気予報の具合がよくありません。急遽5日出発に切りあげることになりましたが、5月連休中は新幹線の格安回数券が使えません。おとなびも急で手配できないので最も安くて向かう手段は姫路まで快速で行ってこだまに乗り換えるのが1番でした。

8:45 約3時間余りをかけて新尾道着。重いカメラバックとキャリアケースを持って降りますが、新尾道駅は、下りエスカレーターもエレベーターもありません。長い階段を降りるしかない不便な駅です。バリアフリーとはなっていない駅が新幹線駅にあるとはショッキングでした。

西村さんのお迎えを受けて新尾道駅からの備後路出発です。 続きを読む

兵庫・鷹取工・高砂工・姫路3

兵庫の次は鷹取である。兵庫-鷹取間には1954年4月1日新長田駅が新設されたが、この当時では兵庫の次が鷹取である。ここには機関区だけでなく貨車区、それに鷹取工場があり、先ずは工場へ。看板は復元なった義経号で、目立つところに鎮座しているだけでなく、博覧会の類にも貸し出されていた。確か事前に文書で見学を申し入れていたと記憶するが、たった1人の学生(その実受験生)にも助役がつききりで案内してくれる。正直言うとこっちは早く機関車や救援車を撮りたいのだが、そこは礼儀正しくご案内に従う。ブレーキシューの自動鋳物システムが面白かったと記憶する。
義経鷹取工場1955.37.16S
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レトロ列車出発 加悦鉄道まつり

いささか旧報になるが、5月4日朝日新聞京都版でタイトルの如きキューズ(旧ニュ-ス)が掲載された。加悦で何ごとぞと、読んでみたら次の通りであった。

「与謝野町滝の加悦SL広場で3日、初夏の加悦鉄道まつりが始まった。多くの親子連れなどが、風船プレゼントや再現列車乗車会といったイベントを楽しんだ。4日まで。

加悦 続きを読む

関三平先生からのお手紙 その2

近鉄・京阪の相互乗り入れに関する会員各氏からの投稿をご覧になって、関先生からお手紙が来ました。談論風発的な投稿はDRFCの特技ですが、今回も貴重な写真や体験談など記録としても残しておきたいことばかりです。そんな中に関先生からも貴重な体験談が来ましたのでお手紙を掲載します。関先生の学生時代と言うことは乙訓の長老の学生時代、昭和30年代初頭でしょうか。京阪三条駅の阪急版です。準特急さん、どう思いますか?
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奥津軽、春の1人旅 桜満開の津軽鉄道 Part4 芦野公園を撮る

DSC_2358001DSCN4577035 第3日目 4月26日

朝5時に起きて真っ先にロビーへ行きました。そして地元新聞の東奥日報を広げて「高さ7㍍からの桜360°」を見ました。

実は昨日芦野公園で撮影中に興味深いものを見てしまい、列車が来る間に東奥日報のカメラマンに製作した経緯等をお聞きしていました。
興味深いものは長~い高さ7mもある三脚です。この三脚は写真スタジオでよく使用されています米Mabfrotto製のライトスタンドを屋外用に組み合わせを変えたものです。中々よく考えたものですね。
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兵庫・鷹取工・高砂工・姫路2

兵庫は和田岬線、それから分岐する兵庫港線、神戸市中央市場線への貨物を主体に、結構広いヤードが拡がっていた。これは神戸港も然りで、市街地に展開した貨物ヤードは梅田貨物駅が典型だが、貨物がコンテナに集約され、その基地が都心を少し離れた個所、神戸の場合は鷹取になり、無用と化したヤードは再開発された。
ついでに記すと、国鉄はポートアイランドのド真ん中にかなり広い土地を確保していて、恐らくは関西新空港がポートアイランド沖に建設されることを見込んでいたかと思われる。ところが当時の宮崎神戸市長は、革新系を標榜=社会党の支援を受けた2期目で、自民党候補と熾烈な戦いになり、社会党の主張でこの折角の神戸沖空港を拒否し、結果的に関西新空港は現在のところに。宮崎市長はその後伊丹空港が廃止になる前提で、自前の神戸空港をミニサイズで作り、神戸ワインと共に神戸市民終生のお荷物となるのだが。

話が脱線したが、兵庫のヤードはきれいに消えてキャナルタウンと称し再開発され、高層住宅が立ち並んでおり、地震後和田岬線は電化電車化された。朝夕のみの乗客の大方を占める三菱重工も縮小の一方で、今後どうなるんじゃろか。以前にも書いたが、国鉄-JRは、なんでこんな歴史だけはやたらと古い盲腸線に執着しているんだろうか。和田岬線が廃止されれば、三菱重工の職員は神戸市地下鉄海岸線を利用せざるを得ず、通勤費は当然高額になる。

兵庫木製客車6連1955.4.22S

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