ここはどこ?私はだれ?【増7】に王寺より【併結1】 投稿日時: 2019年1月27日 投稿者: どですかでん 列車指令により併結いたします。 真夜中の併結完了。それではおやすみ。 この記事を共有:TwitterFacebook印刷 関連 関連記事: ここはどこ?私はだれ?【臨4】 ここはどこ?私はだれ?【臨】 ここはどこ?私はだれ?【増6】 ここはどこ?私はだれ?【増2】 ここはどこ?私はだれ?(5) ここはどこ?私はだれ?(3) ここはどこ?私はだれ?(2) ここはどこ?私はだれ?
どですかでん様 「素晴らしい」の一言に尽きます。黙々と田植え仕事に励む夫婦の向こうを、煙をたなびかせて汽車が行く。かつては日本のいたるところで見られた日常の風景でしたが、いつの間にか忘れてしまったように思います。機関車はC58ですが、形式をとやかく言うより『汽車』と呼ぶ方がふさわしく感じられ、何も考えずに、いつまでも見ていたい一枚です。 返信 ↓
いたみいるお褒めの御言葉ありがとうございます。私も気にいっている写真のひとつです。このような「新日本紀行的鉄道風景写真」があと2枚あります。それは加太、馬堀そして、おっとアブナイ!場所を行ってしまいそうになりました。いま、ヒントを考えているのですがこれがまたまた難しい。そんなところです。これからもよろしくお願いします。 返信 ↓
どですかでん様 これは紫の1863さんと同様の感想で非常にいい作品と思います。最近はこういう暖かい日本的な写真が少なく、かえって新鮮に感じました。場所は関西線かその支線あたりと思いますがわかりません。ところで上笠田の古い写真の投稿ではコメントできず失礼しました。また、先日は執念で田原本線の緑の電車をキャッチしてきました。 返信 ↓
まだ緑の電車走っていましたか。私は赤い電車だけで緑の電車はご無沙汰しています。ところで、このような日本的な雰囲気のところは探したらあると思うのですが・・・また、上笠田の投稿ですが「こころ旅朝版」で月曜日の放送は採用されなかった手紙を紹介するのですが、静止画をアップにしたりとかしているのを同じようにしてみようと試したものです。2枚の写真がうまくつながりちょっと満足しています。写真の場所は関西線あたりではありません。ヒントを考えているところです。もう少しお待ちを 返信 ↓
併結と言えば和歌山から普通列車に連結した寝台車を急行大和に王寺で併結していました。急行かすがも併結していたのですか。記憶にはありませんでした。王寺駅はJRの駅で奈良駅より乗降客が多い駅です。今も王寺駅で快速が高田行と奈良行との分割作業があります。ところが、併結はありません。高田来る列車はそのままJR難波行となっています。快速に乗っていると王寺到着の手前になると列車接続の案内がありますが、待ち合わせ時間が20分とか40分とかの案内があると何か遠くに旅行した気分になります。いまでもちょっとした旅気分になる路線です。 返信 ↓
どですかでん様 皆様のコメント通り、すばらしいカットですね。ところで、肝心の場所ですが、山田線とか釜石線ではないでしょうか。時期は田植え時期に違いなにのですが、右手にある、刈り取った稲を乾かすための稲架木(はさぎ)にヒントがあるように思います。新潟地方にもこのタイプは多いのですが、新潟方面にはC58の線区はなく、岩手ではないかと推察しました。 返信 ↓
みなさん、ちがっているでえ~~。わからんけ。このあたりの名産といえば食べるときに使うもの。ほれ、あれやがな~。伝統工芸品で高いものでは2万円ぐらいするんやでえ~~。いま超人気の魚を焼いたものも名物。これでわかったけ。いまは電車が走っているのでおいでな。 返信 ↓
どですかでん様 「新日本紀行的鉄道写真」とは言い得て妙ですね。加太や馬堀の写真も、見せてください。 さて、皆様は場所の特定にご苦労されているようですが、小生も見とれているだけではなく参加させていただきます。 西村様が着眼されたように、稲架木に特徴があります。昔何かの本で見たような気がして、高校生の時に買った「旅と鉄道」を広げてみますと、冬枯れた田んぼに一列に植えられた木が、同じような種類に思えました。撮影地は直江津です。しかし、新潟県にC58が走る路線はなかったので、範囲を広げて日本海側としました。 小浜線か宮津線はいかがでしょうか? 返信 ↓
どですかでん様 なるほど、そうでしたか。この線区はC56のイメージが強かったのですが、C58もいたのですね。かつては〇水から分岐する△△線もありましたね。羽◇から分岐する私鉄にはとうとう行かずじまいでした。 返信 ↓
どですかでん様 ここはどこ?と言われても、正直さっぱり分かりませんでした。 唯々、昭和の日本を写し出した素晴らしい作品だなぁーと感心し、その気持ちをお伝えしようと思っていましたところ、博覧強記の皆様のコメントを拝見しますと、我がふるさと嶺南地方の一コマのようですね。益々素晴らしく感じた次第です。 返信 ↓
コメントしていただいたみなさまへ 1人ずつコメントするところをコメント欄を一つのところに返事を書きます。 「紫の1863」様、さすがです。「小浜線か宮津線はいかがでしょうか?」書かれているのを見て、これで万事休すと思いました。ヒントを見られて「場所は〇方〇湖の近くと思うのですが…。」と書かれましたが、近くではありません。他の2枚は、この田植えの写真と同じ日に撮った写真も含めてお見せしたいと思います。この写真はOBの方で同じ時期にDRFCにおられた方ならご存じの写真です。あまり、期待しないでください。 「西村さん」変なヒントで勘違いされたようです。実はこの勘違いはひょっとしたら西村さんのように思うのではないかと心配していました。西村さんが乗れなかった私鉄は北陸鉄道能登線ですね。私も乗るつもりで行ったのですが、七尾線の蒸機列車を撮っていると同じところで撮っていた人から尾小屋で蒸機列車が特別運転するから行かないかと誘われて尾小屋に行くことにしました。その後、乗ることもなく廃線になってしまいました。ちょっと残念な気がします。 「マルーンさん」福井出身のマルーンさんには失礼な怪しい嶺南地方の方言のつもりでヒントを書いたのですが、文字にすると難しいです。伝統工芸品とは若狭塗箸、超人気の魚を焼いたものは焼サバです。これでお判りと思います。小浜線です。さてどの区間でしょうか。ちょっと難しいかもしれませんが、いまでも撮影ポイントらしいです。 この時に西村さんも一緒に小浜へいっているのです。その時の記念写真があります。1971年5月の新入会員歓迎旅行が小浜線で行われた時の写真です。これにて一件落着。 返信 ↓
焼き魚に引っかかってはいたのですが、小浜線でしたか。参りました。確かに小浜線で撮った写真があるのですが、いつ誰と出かけたのかメモがなく、記憶では列車には乗らずクルマで沿線を走ったように思います。是非他の写真を披露して下さい。 返信 ↓
1900生様 お見事です! 沿線をずいぶん探してみたのですが、どの場所も帯に短し襷に長しで、山の重なり具合が一致する場所を見つけられませんでした。脱帽です。勢浜の小浜方は低い築堤で、南方には棚田がありましたね。ストリートビューで若狭自動車道付近まで上って振り返ると、どですかでん様の写真と同じ風景が見えます。現在はコミュニティ施設ができて、ずいぶん様変わりをしていますが、C58がいた頃と自然は変わらないようです。右に見える山は、小浜湾を隔てた久須夜ヶ岳でしたか。勢浜とは気が付きませんでした。 勢浜-小浜間は背景に海を入れた写真を多く見ますが、なるほど、この角度なら海は列車に隠れて見えません。小生も何度か勢浜へ行きましたが、もう少し小浜寄りにある高台での撮影が多く、このような良い場所があったとは知りませんでした。 返信 ↓
紫の1863さま 過分のお褒めにあずかり恐縮です。実はこのポイントは、急行わかさと一部ローカルにキハ58系の急行色が残っていた頃に何度か撮りに行ったことがあったのでハタと気が付きました。すぐ後の列車で移動するため駅近くを探していて見つけたポイントでした。そういえば名古屋からの夏季臨時急行エメラルドを撮ったのもここでした。今回の出題は当初は皆目見当がつかず、どですかでんさまの箸と焼きサバ寿司のヒントでやっと気が付きました。しかしそのタイミングでコメントすると、また米手さまから後出しジャンケンと言われかねませんので控えておりました。ただ皆様の解析により小浜線にまで絞られてきたものの、具体的な場所名が出ていなかったので指弾を恐れずコメントした次第です。二重投稿になったのは満を持してのコメントでといいたいところですが、パソコンの一時的な不調によるものですのでご容赦願います。 仰っている東方の高台とは勢浜トンネルの西端の上からでしょうか。ここも行きました。傍を国道が走っているので少々ウルサイですが、若狭の海を入れて俯瞰気味に撮れる数少ないポイントの一つですね。小浜線は海沿いというイメージが強いのですが、国道があるため海を入れて綺麗に撮れるポイントはそう多くはありません。 返信 ↓
勢浜であることは間違いありません。なにぶんにも戦闘的でなく日和見ですので勢浜駅からそんなに遠くに行きません。5名ほどで撮りに行ったのですが、ちょうどナポレオンのメンバーがそろっていたので当然撮影の合間でやっていました。田植えの撮影した場所は私一人しかいませんでした。棚田のあぜ道のところで撮ったもので大体の列車が来る時間がわかっているのですが、木の影から突然現れるのでちょっと前からカメラを構えたままでじっとしていました。下り勾配なのでドラフトもなく静かに速くやって来るのでビクビクものでした。撮影した場所がわかったのですが、 地形図で見ると今は荒地となっています。当時の写真を見たいと西村さんがご所望なので投稿したいと思っています。お楽しみに。たいした写真はありませんが。 返信 ↓
どですかでん様
「素晴らしい」の一言に尽きます。黙々と田植え仕事に励む夫婦の向こうを、煙をたなびかせて汽車が行く。かつては日本のいたるところで見られた日常の風景でしたが、いつの間にか忘れてしまったように思います。機関車はC58ですが、形式をとやかく言うより『汽車』と呼ぶ方がふさわしく感じられ、何も考えずに、いつまでも見ていたい一枚です。
いたみいるお褒めの御言葉ありがとうございます。私も気にいっている写真のひとつです。このような「新日本紀行的鉄道風景写真」があと2枚あります。それは加太、馬堀そして、おっとアブナイ!場所を行ってしまいそうになりました。いま、ヒントを考えているのですがこれがまたまた難しい。そんなところです。これからもよろしくお願いします。
和歌山線?
ちょっと、大変、かなり違います。ヒント考え中
どですかでん様
これは紫の1863さんと同様の感想で非常にいい作品と思います。最近はこういう暖かい日本的な写真が少なく、かえって新鮮に感じました。場所は関西線かその支線あたりと思いますがわかりません。ところで上笠田の古い写真の投稿ではコメントできず失礼しました。また、先日は執念で田原本線の緑の電車をキャッチしてきました。
まだ緑の電車走っていましたか。私は赤い電車だけで緑の電車はご無沙汰しています。ところで、このような日本的な雰囲気のところは探したらあると思うのですが・・・また、上笠田の投稿ですが「こころ旅朝版」で月曜日の放送は採用されなかった手紙を紹介するのですが、静止画をアップにしたりとかしているのを同じようにしてみようと試したものです。2枚の写真がうまくつながりちょっと満足しています。写真の場所は関西線あたりではありません。ヒントを考えているところです。もう少しお待ちを
王寺より併結!
遠い昔ありましたね。気動車準急で。紀勢線和歌山線と走ってきた『はやたま号』と湊町からやってきた『かすが号』が王寺駅で併結して加太を越えて名古屋へ走ってました。
併結と言えば和歌山から普通列車に連結した寝台車を急行大和に王寺で併結していました。急行かすがも併結していたのですか。記憶にはありませんでした。王寺駅はJRの駅で奈良駅より乗降客が多い駅です。今も王寺駅で快速が高田行と奈良行との分割作業があります。ところが、併結はありません。高田来る列車はそのままJR難波行となっています。快速に乗っていると王寺到着の手前になると列車接続の案内がありますが、待ち合わせ時間が20分とか40分とかの案内があると何か遠くに旅行した気分になります。いまでもちょっとした旅気分になる路線です。
どですかでん様
皆様のコメント通り、すばらしいカットですね。ところで、肝心の場所ですが、山田線とか釜石線ではないでしょうか。時期は田植え時期に違いなにのですが、右手にある、刈り取った稲を乾かすための稲架木(はさぎ)にヒントがあるように思います。新潟地方にもこのタイプは多いのですが、新潟方面にはC58の線区はなく、岩手ではないかと推察しました。
西村様 残念ですが山田線と釜石線は乗っただけです。傷心の花巻電鉄の時です。ヒントはもう少しお待ちください。
みなさん、ちがっているでえ~~。わからんけ。このあたりの名産といえば食べるときに使うもの。ほれ、あれやがな~。伝統工芸品で高いものでは2万円ぐらいするんやでえ~~。いま超人気の魚を焼いたものも名物。これでわかったけ。いまは電車が走っているのでおいでな。
どですかでん様
「新日本紀行的鉄道写真」とは言い得て妙ですね。加太や馬堀の写真も、見せてください。
さて、皆様は場所の特定にご苦労されているようですが、小生も見とれているだけではなく参加させていただきます。
西村様が着眼されたように、稲架木に特徴があります。昔何かの本で見たような気がして、高校生の時に買った「旅と鉄道」を広げてみますと、冬枯れた田んぼに一列に植えられた木が、同じような種類に思えました。撮影地は直江津です。しかし、新潟県にC58が走る路線はなかったので、範囲を広げて日本海側としました。
小浜線か宮津線はいかがでしょうか?
どですかでん様
コメントを投稿し終えると、ヒントが載っていました。やはり、そうでしたか…。
場所は〇方〇湖の近くと思うのですが…。
どですかでん様
なるほど、そうでしたか。この線区はC56のイメージが強かったのですが、C58もいたのですね。かつては〇水から分岐する△△線もありましたね。羽◇から分岐する私鉄にはとうとう行かずじまいでした。
どですかでん様
ここはどこ?と言われても、正直さっぱり分かりませんでした。
唯々、昭和の日本を写し出した素晴らしい作品だなぁーと感心し、その気持ちをお伝えしようと思っていましたところ、博覧強記の皆様のコメントを拝見しますと、我がふるさと嶺南地方の一コマのようですね。益々素晴らしく感じた次第です。
コメントしていただいたみなさまへ
1人ずつコメントするところをコメント欄を一つのところに返事を書きます。
「紫の1863」様、さすがです。「小浜線か宮津線はいかがでしょうか?」書かれているのを見て、これで万事休すと思いました。ヒントを見られて「場所は〇方〇湖の近くと思うのですが…。」と書かれましたが、近くではありません。他の2枚は、この田植えの写真と同じ日に撮った写真も含めてお見せしたいと思います。この写真はOBの方で同じ時期にDRFCにおられた方ならご存じの写真です。あまり、期待しないでください。
「西村さん」変なヒントで勘違いされたようです。実はこの勘違いはひょっとしたら西村さんのように思うのではないかと心配していました。西村さんが乗れなかった私鉄は北陸鉄道能登線ですね。私も乗るつもりで行ったのですが、七尾線の蒸機列車を撮っていると同じところで撮っていた人から尾小屋で蒸機列車が特別運転するから行かないかと誘われて尾小屋に行くことにしました。その後、乗ることもなく廃線になってしまいました。ちょっと残念な気がします。
「マルーンさん」福井出身のマルーンさんには失礼な怪しい嶺南地方の方言のつもりでヒントを書いたのですが、文字にすると難しいです。伝統工芸品とは若狭塗箸、超人気の魚を焼いたものは焼サバです。これでお判りと思います。小浜線です。さてどの区間でしょうか。ちょっと難しいかもしれませんが、いまでも撮影ポイントらしいです。
この時に西村さんも一緒に小浜へいっているのです。その時の記念写真があります。1971年5月の新入会員歓迎旅行が小浜線で行われた時の写真です。これにて一件落着。
焼き魚に引っかかってはいたのですが、小浜線でしたか。参りました。確かに小浜線で撮った写真があるのですが、いつ誰と出かけたのかメモがなく、記憶では列車には乗らずクルマで沿線を走ったように思います。是非他の写真を披露して下さい。
どですかでん さま
勢浜駅のすぐ東南の山側ではありませんか?
どですかでん さま
勢浜駅のすぐ東南山側からではないでしょうか?
1900生様
お見事です!
沿線をずいぶん探してみたのですが、どの場所も帯に短し襷に長しで、山の重なり具合が一致する場所を見つけられませんでした。脱帽です。勢浜の小浜方は低い築堤で、南方には棚田がありましたね。ストリートビューで若狭自動車道付近まで上って振り返ると、どですかでん様の写真と同じ風景が見えます。現在はコミュニティ施設ができて、ずいぶん様変わりをしていますが、C58がいた頃と自然は変わらないようです。右に見える山は、小浜湾を隔てた久須夜ヶ岳でしたか。勢浜とは気が付きませんでした。
勢浜-小浜間は背景に海を入れた写真を多く見ますが、なるほど、この角度なら海は列車に隠れて見えません。小生も何度か勢浜へ行きましたが、もう少し小浜寄りにある高台での撮影が多く、このような良い場所があったとは知りませんでした。
紫の1863さま
過分のお褒めにあずかり恐縮です。実はこのポイントは、急行わかさと一部ローカルにキハ58系の急行色が残っていた頃に何度か撮りに行ったことがあったのでハタと気が付きました。すぐ後の列車で移動するため駅近くを探していて見つけたポイントでした。そういえば名古屋からの夏季臨時急行エメラルドを撮ったのもここでした。今回の出題は当初は皆目見当がつかず、どですかでんさまの箸と焼きサバ寿司のヒントでやっと気が付きました。しかしそのタイミングでコメントすると、また米手さまから後出しジャンケンと言われかねませんので控えておりました。ただ皆様の解析により小浜線にまで絞られてきたものの、具体的な場所名が出ていなかったので指弾を恐れずコメントした次第です。二重投稿になったのは満を持してのコメントでといいたいところですが、パソコンの一時的な不調によるものですのでご容赦願います。
仰っている東方の高台とは勢浜トンネルの西端の上からでしょうか。ここも行きました。傍を国道が走っているので少々ウルサイですが、若狭の海を入れて俯瞰気味に撮れる数少ないポイントの一つですね。小浜線は海沿いというイメージが強いのですが、国道があるため海を入れて綺麗に撮れるポイントはそう多くはありません。
勢浜であることは間違いありません。なにぶんにも戦闘的でなく日和見ですので勢浜駅からそんなに遠くに行きません。5名ほどで撮りに行ったのですが、ちょうどナポレオンのメンバーがそろっていたので当然撮影の合間でやっていました。田植えの撮影した場所は私一人しかいませんでした。棚田のあぜ道のところで撮ったもので大体の列車が来る時間がわかっているのですが、木の影から突然現れるのでちょっと前からカメラを構えたままでじっとしていました。下り勾配なのでドラフトもなく静かに速くやって来るのでビクビクものでした。撮影した場所がわかったのですが、
地形図で見ると今は荒地となっています。当時の写真を見たいと西村さんがご所望なので投稿したいと思っています。お楽しみに。たいした写真はありませんが。