保存蒸機とその現役時代(47)

縁のない場所に保存されていると言えば四国の伊予西条のC5744がある。この機関車ははるばる北海道から来たものであるが、そもそもC57は四国では活躍したことはないのではないか。伊予西条は元国鉄総裁の十河信二氏の出身地であるが、誘致関係者が廃車後すぐに西条市市民公園に誘致し、2014年7月に現在の四国鉄道文化会館南館に移設された。

C5744は1938(昭和13年)3月に三菱重工神戸造船所で製番228で製造された。新製後は高崎に配属され、以降43年9月尾久、47年12月仙台、58年5月に渡道して小樽築港、66年3月室蘭、69年10月岩見沢第一と配属を変え1976年3月に廃車されている。現在風に言えば前半部はJR東日本、後半部はJR北海道で活躍していたと言える。

 

2017年7月26日 四国鉄道文化会館南館に保存中のC5744 ▼

スノープロー、予備灯とこの旋回窓が北海道育ちを表している ▼

 

室蘭区所属時代の記録です。

 

1969年3月15日 遠浅-沼ノ端間228列車岩見沢発室蘭行き ▼

 

1969年9月1日 長万部で下り急行103列車ニセコ3号の前補機の仕業待ちの小樽築港区のC623と同じく室蘭本線247列車仕業待ちのC5744が並ぶ。ニセコを追いかけたファンならこの光景はお馴染みである。どちらも旅客用蒸機の代表であるが、C62は北海道出身の大横綱北の湖に、また、細見の貴婦人C57は女性に人気のあった吊りの明歩谷といったところか。

 

この後C5744は247列車長万部発室蘭行きの先頭に立っていた。▼

 

四国鉄道文化会館には0系新幹線、DF501、DE101、キハ6534が屋内に、屋外にはフリーゲージトレインが展示されていた。特にDF50はC57の末期には旅客列車牽引に進出盛んで嫌な存在であった。しかし、出力等はさておき前にも述べたことがあるが、EF30、ED60・61、ED70・71などと同じようにあの頃流行った顔で私は好きであった。どなたかDF501を撮られていたら発表をお願いしたい。▼

 

 

 

16 thoughts on “保存蒸機とその現役時代(47)

  1. こんばんは。
    C5744、懐かしいですね。
    私も、C62との並びを長万部で撮影しています。同じ年1969年の8月1日ですが、C5744は「皿」でした。

  2. クモハ73東ウラ様
    皿とはクルクルパーのことですか。北海道のカマは予備灯や皿付きで貴婦人というより道産子おばはんといった感じでした。44と言えばクモハ73東ウラさんの好きな(?)球団の外人選手の背番号ですね。

  3. 準特急様、初めまして。1980年度生の四方と申します。
    DF50 1号の写真ですが、現役時代の写真は諸先輩方にお任せし、四国鉄道文化館入館直前の写真をお目におかけいたします。2007年11月6日、回9197レでDE10重連に牽引され伊予西条駅2番線に到着。入館のためDE10は機回しで写っていませんが、自走ではありません。ただ後部標識灯は自前の標識灯、バッテリーで点灯させていました。最後の意地といったところでしょうか。ちなみに1号機は、2番線に限定すれば1983年8月8日の171レ、駅としては同年同月17日の178レ(1番線)以来24年ぶりの登場ということになります。

    • 四方 誠様
      1965年度生の準特急です。これは珍しい記録だと思います。24年ぶりの登場ですか。よく現地に行かれたと感心しました。こうしてみますとDF50は綺麗な機関車ですね。私が最初に見た同機は福知山線で急行「出雲」を牽引する姿です。勿論茶色の時代でした。国会議員の前原さんは鉄道がお好きなことでも有名な方ですが、DF50については4号機が好みだとおっしゃっていました。私はマンとズルツアーの2種があることしか知りませんがいろいろある様ですね。貴重な写真によるコメント有難うございました。

      • ご返事いただき、恐縮です。入館前に再塗装しているため綺麗なのですが、全検標記が要検の年月に書き換えられたり、ワイパーの位置が変わっていたり、雨樋がふさがれていたりと、現役時代とは異なる部分もあり、少し残念です。
        準特急先輩の502号牽引の「三瓶」の写真も楽しませていただきました。1963年お召し牽引のため貫通扉手摺が大型化され、大分転出後HM取付のため大型のまま平型に改造された、原型時代の貴重なお写真でした。
        前コメントの「最後の意地」の証明写真を貼付しておきます。

        • 四方 誠様
          私は最近は特に鉄道事情に疎くなっていますが、四国もこの頃には電化されていたのですね。DF50の微妙な外見上の変化をよく研究されていると思います。初期の車は大窓があったのではないでしょうか。中学時代に福知山線で見た急行「出雲」は1961(昭和36)年10月1日の所謂よんさんとうの時に山陰線まわりに変更され、代わって大阪・大社間に三瓶が昼行の急行客車列車で登場しました。10月1日は初日の特急「まつかぜ」を宝塚で撮っていますがこの一番列車も故障で途中打ち切りになったと聞いています。遠い昔の話です。

          • 準特急様、
            私もこの撮影で鉄趣味が復活したようなもので、DF50の現役時代とは運転番線が異なっていたり、DE10の帰路の速度記号がC0(「ムーンライト松山」運転の際の基準運転時分のようです)となっていたりと、かなり戸惑った覚えがあります。
            京都発あるいは経由の優等列車が福知山線経由であったことは、大阪という都会を考えれば当たり前のことですが、子供の頃は、距離の短い山陰線経由でないのかと、あまり面白くなく思っていたものです。

      • 四方 誠様
        伊予西条駅での貴重なカット、ありがとうございます。DF501は昭和32年2月、西条の対岸の三原で誕生しています。製番877でした。生まれたばかりの姿が残されていますので、ご紹介します。今から63年前です。

        • 西村雅幸様
          そういえば西村さんも勿論伊予西条の四国鉄道文化会館にお出ましを聞いておりますが、DF501は三原生まれだったのですね。貴重な写真を有難うございます。実にイケメンじゃないですか。その後のDD51などDD13入れ換え機を大きくしたようなものでどうも好きになれませんでした。

          • 西村雅幸様、初めまして。
            DF50 1号の落成前の超貴重なお写真、ありがとうございます。この当時の三原工場は、ED70や定山渓鉄道ED500の製造もあり、てんてこまい状態だったものと思います。元々DF50 1号は1956(S31)年12月落成予定だったそうですが、北陸線の電化計画の決定が遅れ、ED70の工期の皺寄せ(私の勝手な思い込みですが)で1957(S32)年3月22日の落成となったようです。
            私の2段目の写真と同じ2エンドを見比べてみると、準特急様ご指摘の大窓(ちなみに1エンドは小窓に修理されました)と助士席側のワイパーぐらいしか製造当時の状態を保っておらず、DF50 1号の歴史を感じます。
            銘板の写真を貼付いたします。この銘板左上の昭和31年は、一般には落成年と考えられますが、銘板の楕円形時代は受注年もしくは受注時の落成予定年度と解釈しないと矛盾を生じます。ご存じであれば、いずれなのか、はたまた別の解釈があるのか、ご教示いただければ幸いです。

  4. 四方誠様
    DF501の銘板の写真 ありがとうございます。ご質問の「受注時の落成予定年度」かどうかについて、私には判断できません。当時ED70や定山渓が工場に並んでいたのはご指摘の通りです。私なりに以前作っていた三菱三原の製番表(番号順)のDF50登場時期を時系列で並べ替えてみました。小さな表で見にくいかもしれませんが、当時はインド国鉄向けに1D1テンダー機を作っていた時代でした。確かにDF50に割り込むようにED70が並んでいます。こうして見るとDF501の製番は877ですが、多分竣工予定年だったのが遅れて、昭和32年にずれ込んだように見えます。今となっては当時のことをご存知の三菱OBはおられないでしょうし、正確なことは闇のなかです。こんなリストからあれこれ想像していただければ幸いです。

    • 西村雅幸様、貴重な資料をありがとうございます。
      昭和31年度後半は、インド国鉄向けのSLが大半だったのですね。これも、戦後賠償的(?)なものだったのでしょうか。DF50が四国で石灰列車を牽引しておりましたが、この貨車が実はマレーシア向けの貨車(これも戦後賠償的な意味合いがあったようです)の車長両端を切り詰めただけの車両だったことを後に知り、大笑いしたことを思い出しました(以前に、こちらの掲示板で話題になっていたロ付の貨車でしたが、形式写真的な適当な写真がなかったもので、コメントは控えさせていただきました)。
      さて脱線してしまいましたが、1~6号機までが矛盾しますので、こちらの資料と突き合わせてみました。*1が当初の落成予定、*2が西村先輩ご教示の竣工年、*3が私の調べです。*3は国鉄への引き渡し日ですので、*2は三原工場内部での竣工時点なのかな、と考えています。後で7号機以降もじっくり見て、ゆっくり考えさせていただこうと思っております。
      取り急ぎ、お礼まで。

  5. 西村雅幸様、こんばんは。
    製造銘板に標記の年は、
    昭和32年までは竣工年度、昭和33年以降は竣工年ということにしました。17号機が昭和33年3月竣工で「昭和32年」、昭和34年1月竣工の33号機は「昭和34年」となっているためです。
    楕円形から長方形の変化は、昭和32年12月6日付の国鉄工作局動力車課長の通達によるものですが、1~7号機についてはこの通達前に作成されていたため楕円形であり、工期延長により昭和32年度にずれこんだ4~6号機はこれを反映させなかった、つまり作成し直さなかった、と解釈することとしました。
    これで、今までボヤーっと疑問に思っていたことの一つがスッキリいたしました。何故、昭和33年に年度から年に切り替えたのか、新たな疑問が生まれ、チャラなのですが。
    以前のコメントで1号機の落成予定は昭和31年12月と書きましたが、これは私の記憶間違いで、正しくは下表のとおり、昭和32年1月10日でした。
    私のまとめた表を、小さくて見にくいかもしれませんが、貼付いたします。

  6. 準特急様、
    本来C57 44号の話題であり、恐らく準特急様はDF50 1号の現役時代の写真を見たいと思われて書かれた一文に、調子乗ったことをしてしまったようで、申し訳ありませんでした。
    先ほど、この掲示板を見ていた友人から、「うまいこと、DF50にもってたな」的なメールがきました。

    西村雅幸様、
    上段のメールの中で、三原工場内の1号の写真を「初めて見た」と喜んでおりました。

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