昭和の電車 改訂版(144)ーAFS車:奈良電デイボ1024ー

8 thoughts on “昭和の電車 改訂版(144)ーAFS車:奈良電デイボ1024ー

  1. 油阪を走る奈良電、よく乗ったけど写真を撮っていませんでした。
    もう一度見たいものです。
    同じ事は地上時代の国鉄奈良駅、これも写真は持っていません。関西線、奈良線、桜井線などの交差点で奈良機関区もあったのにです。思うに大型機関車がなかったことで多少軽く見ていたのでしょう。悔やまれます。どですかでんさん、ゴメン!

    • 米手さん「悔やまれます。どですかでんさん、ゴメン!」と言われても、私も撮っていないのですから。その頃は大阪に住んでいたのでほんまにたまにしか奈良へ行っていません。奈良の風景や仏像の写真で有名な入江泰吉さんは鉄道写真も撮っておられます。持っている図録の中で「入江泰吉 古都の暮らし・人ー昭和20年から昭和30年代ー 」には油坂や地上駅の近鉄奈良駅、そして奈良機関区などの写真があります。油阪の写真を見ると、この辺りは京都とは違う古都ならの印象が強く感じられます。

        • 調べてみるとライカのカメラも愛用されていたようです。油阪の写真は電車のうしろの窓から撮ったような写真です。町や村を歩きながらスナップされた写真もあるので手持ち撮影されたのだと思います。残念ながら奈良電はありませんでした。生駒山をバックにモ800形が走っている写真(昭和34年4月撮影と解説)がありますが、撮影場所の解説図によると、今は業務スーパー奈良店があるところのようです。今ではちょっと想像ができない風景です。60~70年ほど昔であれば当然でしょうが。

  2. 米手作市さま
    「奈良機関区に大型機がいなかった」とはちょっと失礼な話ですよ。D51もC57も居りましたよ。加太でご覧になっていたハズですが。まあC59以上が大型機とするなら居なかったことになりますが。ぜひ判断基準をお示し下さい。
    地上時代の奈良駅は写真こそ撮っていませんが、度々利用していました。母方の実家が柏原にあったので、里帰りは通常阪急P-6~城東線~関西線のルートでしたが、たまに無理を言って(母は遠回りになるので嫌がりました)奈良線~関西線も使っていました。当時の関西線の奈良以西は、長編成(8~10両くらいだったと思う)の客車をD51が牽いていました。奈良線のキハ17で奈良駅に着き、時間待ちの間に隣の線路にD51が居たりすると、汽笛の「ボーッ」が怖くてずっと両手で耳を塞いでいたものでした。天王寺回りの時は客車の窓から顔を出していて、よく煤が目に入って大騒ぎしたものです。たまに柏原止りのキハ17に当たると嬉しかったですね。

    • なるほどなるほど
      たしかにD51やC57はいましたね。なぜそれらを大型蒸機と認識していなかったか、思い返せばボイラーの太さかな?それとも東海道線や山陽線で優等列車を牽いていなかったからかな?説明出来ないけどC57は山陰線の軽量列車用で、D51やC58は蒸機との認識範疇に入っていなかったのかも知れません。今考えると気の弱い私に似合わず傲慢な事でした。反省しています。

      • 米手作市さま
        いえいえ、当時はSLを撮りに行こうかといっても、何が走ってる?、なに!C58にD51か、フン、止めや、という雰囲気があったのも事実ですし、ボイラの太さは確かに基準の一つかもしれませんから、認識がズレることもあったことは理解できます。ですから気が弱いのに傲慢だった、などと反省されることはさらさらありません。だいいち誰も気が弱いなどとはツユほども思っていませんから、余り似合わないことは米手さまらしくないのでしないで下さい。

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