さよなら 近鉄特急色 〈2〉

12200系の行くところ

最近の情勢を踏まえて、鉄道各社では、優等列車の本数削減、終電の繰り上げなどが行われています。近鉄でも、一度リリースがあったあと、昨日、特急に関しては、さらに踏み込んだ運休計画が発表されました。なかでも驚いたのが、土・休日の特急半減です。土・休日の特急運転総数446本のうち222本が運休と、文字どおり半分が運休です。身近なところでは、観光乗車の多い京伊12本→6本運休、京橿56本→22本運休はまだしも、衝撃的だったのは、京奈61本→59本運休と、一日たった一往復の運転に。さらに阪奈に至っては、32本すべてが運休と、奈良線の土・休日は特急ゼロ線区になってしまいます。

ここ数年、近鉄特急の乗車率の低下は、身を持って体験していますが、いくらコロナ禍と言っても、これほどの運休とはホントに衝撃的でした。「当分の間」と書かれていますが、もう完全に元に戻らないのではと危惧します。それだけに、満員の乗客を乗せて、近鉄特急色の12200系が縦横に走り回っていた、つい最近までの状況が、もう何か遠い別世界のように感じられます。今回は、いかにも近鉄らしい風景とともに12200系を見ていただきます。

薬師寺西塔を見て、橿原線西ノ京付近を行く。西塔は昭和の再建だが、朱塗りの仏塔のすぐ近くを12200系が行くのは、いかにも奈良らしい光景。一角だけ田んぼが残っていて、真横から撮れたが、いまは大部分が駐車場に変わってしまった。

同じ橿原線、郡山城のすぐ横を走る12200系。桜の時分は華やかさを増す。筒井順慶の築城で、大河「麒麟がくる」にもよく登場していた。

同じく橿原線のファミリー公園前~結崎、桜、菜の花と、春を彩る。以前は、保線車輌の引込線から自由に撮れたが。昨年久しぶりに行ってみると、厳重に柵がされて、近づくことができず、一枚も撮れずに退散した。いっぽう奈良線大和西大寺~新大宮、平城宮跡のなかを一直線に近鉄が横切っているのも、奈良らしい光景。新緑の頃は、背後の若草山をはじめ、緑一色のなかカーブを駆け抜けて行く。オレンジの帯も鮮やかだ。▲▲目を南に転じると、再建された朱雀門が見える。

 

ジャンクション、大和西大寺、奈良線、京都線、橿原線、それに車庫の入出庫線も加わり、さまざまな出会いが見られる。これは、車庫からの回送12200系と、かつての近鉄一般車色を復刻した900系との出会い。12200系の塗装も、団体用に残してもらいたいものだ。(2001年11月)

名古屋線阿倉川~霞ヶ浦を行く。付近の丘には羽津城跡がある。近鉄が城跡を分断して通り、城跡公園を結ぶ2連のアーチで抜けている。(2002年10月)山田線漕代~斎宮、菜の花畑を行く。編集中の本の表紙撮影時は、ここ! と決め打ちして、何度も漕代まで通った。(2016年3月)wakuhiroさんから、地元の赤目口にレンゲ畑があるとお聞きして行ってみた。青空のもとの12200系。(2016年4月)

鳥羽湾に沿って快走する。手前はJR参宮線。池の浦~鳥羽(2002年8月)

豊かな自然風景とは対称的に、雑踏の駅ホームで見る12200系もいい。なかでも夕方の鶴橋駅、近鉄最大の乗降数の駅で、焼き肉のニオイを切り裂くように、乗客であふれるホームに入線して来る12200系、この状況下、生活感あふれる12200系に懐かしさすら感じる。(2002年11月)

 

 さよなら 近鉄特急色 〈2〉」への3件のフィードバック

  1. 総本家青信号特派員様

    素敵なお写真をありがとうございます。私にとって近鉄特急といえば、この塗装です。引退は残念ではありますが、これも時代の流れと受け止めざるを得ません。

    どこかで、せめては静態保存してもらいたいものです。

  2. 西大寺駅のジャンクションを行く12200系です。あとは大井川鐡道の近鉄からの移籍した16000系で見ることできるので・・・まあいいか!

  3. 12200系は、’70年大阪万博に間に合わせて開業した難波線、鳥羽線と、改軌された志摩線を結んでの難波・京都~賢島間のロングランはもとより、短距離の京奈、阪奈特急に至るまで、近鉄標準軌線の特急として長く活躍を続けました。リクライニングシートや洋式トイレといった先進的なアコモデーションも備えており、当時は乗車する特急が10100系や11400系だとガッカリしたものです。(昨今では逆に22600系や22000系でなく12200系に乗車となればガッカリなのでしょうが)

    たまたまですが、参急の名車2200系とナンバー上も似ており、時期的にもちょうど2200系と交代する形で活躍の場を広げていったように思います。今回多数の特急が運休ということで、引退の場がやや早まることになるかもしれませんが、本当にご苦労様でしたと言いたいところですね。

    古いモノクロ写真の紙焼きからのスキャンでやや不鮮明ですが、初詣輸送の10連の姿を添付します。1976(昭和51)年元旦、12236F(4連)+12206F(2連)+12245F(4連)の難波・京都行(副標は「迎春号」)。榛原~長谷寺間の当時の「お立ち台」です。現在は植林された杉が成長し、この場所での撮影はできなくなっています。

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