やっぱり蒸機が好き! 《区名板》で巡る北海道の蒸機 (29)

宗谷本線の貨物列車

もう終わったはずの“やっぱり”シリーズですが、あと一回だけ割り込みます。南稚内~抜海のカラー版を見ていただいた際に、廣瀬さん、紫の1863さんから、同区間で見られた貨物列車に対するコメントを頂戴し、貨車の形式や積載について、詳細な情報をいただきました。私も写真は撮っていたものの、あまり続けるのも、という思いでお蔵入りしていましたが、少しでも参考になればと思い、追加で載せることにしました。宗谷本線の貨物を牽いていたのは、南稚内にあった稚内機関区の9600で、“現地闘争”で行った昭和44年には12両の9600が配置されていました。また名寄機関区にも9600が15両配置され、名寄本線などと共通で運用されていました。南稚内~抜海で見られた昼間の貨物は2往復あり、11~12時に通過の396レ、391レと、13時30分ごろ通過の3371レ、15時30分ごろの1354レでした。

南稚内~抜海の原野を行く396レ、29607〔稚〕牽引。ランボード上に載った切り詰めデフ、2個ライトと、北海道ではスタンダードスタイルの9600、貨車のあとに続くのは、ンッ! Wルーフの客車が2両、昭和44年とは思えない光景が‥‥。

 

 

 

 

 

Wルーフの正解は救援車2両だった。旭川区のスエ30あたりだろうか、貨物に挟まれて回送されて行くところだった。396レの後部を写して、またンッ!   車掌車に添乗しているではないか、羨ましい!二軸車のデッキから見る原野の光景はさぞ爽快だろう。

これも396レで、上記の救援車込みの前日の同列車。59603〔稚〕の牽引、同じ列車でも、貨車の組成がずいぶん違う。

抜海で貨物同士が交換して、すぐに391レが来る。カラー版でも紹介した、冷蔵車が半分繋がれている。59603〔稚〕

その391レの前部アップ、貨車の3両目、道外禁止のトムの次に見えるのは、北海道だけに見られた三軸貨車のチサ100であることが分かる。13時30分ごろの3371レ、29638〔名〕Sカーブをゆっくり走ってきた。1両目だけ冷蔵車だろうか。

15時30分ごろの1354レ、もう陽が傾き始める。1354レを連写、牽引は39602〔稚〕

 

眼前を通過する9600をゆっくり振りながら写していくと‥‥。日本海、利尻島が見える展望地点に躍り出る。海岸線に沿う細い道が道道、バスも走るが、全くクルマが見えない。

翌日の13時30分ごろ通過の3371レ、59689〔稚〕牽引 タキが1両、稚内の石油スタンドへの供給だろうか。

豊富で日曹炭鉱線を撮ってから、すぐ横を行く1354レを撮る。無蓋車ばかりで、編成後部は原木が積まれていた。

南稚内~抜海の展望台から見た利尻島。▲▲豊富駅のホームからもその姿が望め、圧倒的な存在感があった。

 やっぱり蒸機が好き! 《区名板》で巡る北海道の蒸機 (29)」への12件のフィードバック

  1. おねだりをかなえて頂きまして・・・
    感激です。
    しかも、救援車回送の貴重シーンまで!
    連なる貨車達は、1両1両興味津々な面々ですね。

    • 廣瀬さま
      客車の回送と言えば、同じ区間で、昭和47年3月に、こんな貨物を撮っていました。客車は、名寄区のスル381と思われます。一形式一両で、もとはスヤ39 31でした。
      おねだり、何なりと言ってください。

      • さすがです!
        スル381ってなんだったけ???
        え~と、元を正せばスロシ38000だった車ではないですか!
        43・10も過ぎた、こんな時まで3軸台車の車が、本線を走っていたのですね! 配給車なので、止まっている時間の方が長かったとは言うモノの、旭川局を巡っていたのですね。食堂車時代も、道内を走り回っていたはずですね!
        「石狩」あたりでしょうか?

        早速、模型で再現と言いたいところですが、キットが発売されていたかどうかも怪しいです。

        • 廣瀬さま
          コメントありがとうございます。そうなんですね、もと半室の食堂車が出自だったのですね。留置ならともかく、本線を三軸車が走っているのは貴重なシーンと改めて思いました。昨日、OB会のイベントで、元祖、客車の“鬼”、米手さんと一緒になり、さっそく上申しておきました。

    • 稚内機関区の9600、ありがとうございます。私は北海道の主だった機関区へは行ったつもりですが、稚内だけはついに訪れることはありませんでした。扇形線のある、かなりの規模の機関区であること、分かりました。

  2. 当会の「探偵団」でご協力頂いているSN様から、この記事に関して調査報告を頂きましたので代理投稿させていただきます。SN様、いつもありがとうございます。

    【以下本文】
    2021年10月1日付け総本家青信号特派員様が投稿された『やっぱり蒸機が好き! 《区名板》で巡る北海道の蒸機 (29)』
    ▲南稚内~抜海の原野を行く396レ、29607〔稚〕牽引。ランボード上に載った切り詰めデフ、2個ライトと、北海道ではスタンダードスタイルの9600、貨車のあとに続くのは、ンッ! Wルーフの客車が2両、昭和44年とは思えない光景が‥‥。
    ▲Wルーフの正解は救援車2両だった。旭川区のスエ30あたりだろうか、貨物に挟まれて回送されて行くところだった。

    ・説明の396レの写真を一見して駅等の現場に事業用物品を輸送する配給車を連結した貨物列車ではないかと思いました。北海道のような山間部・原野にあって鉄道以外に交通の便のない駅等では配給車が事業用物品のほかに職員・家族へ日用品や一部娯楽の提供(注2)を行っていたようです。2両のWルーフの車両一部の窓が白く塞がれていることに気づき配給車を思い出しました。

    参考に私が撮影した配給車オル31222(東鉄局隅田川駅配置、元オハフ303)を添付します。撮影は1969年(昭和44年)9月27日川越線川越駅2484レに組み込まれていました。

    客車改造の配給車の特徴として
    ① 事業用品を収容する部分の窓が白窓となっています。なお、白窓は、採光のためすりガラス風のものか完全に塞がれているものか分かりません。

    ② また通常貨物列車に連結し運用されるため、車体中央の側面裾付近に貨車同様票差しがあります。

    396レの写真を拡大してみますと2両には票差しと思しきものが白い点として見えます。また前は荷扱いの扉が1か所、後ろは荷扱いの扉が2か所あります。

    ・そこで1969年(昭和44年)前後の客車配置を旭川局のインターネットで調べました。直近昭和43年(1968年)版を見つけました。

    昭和43年には旭川局旭川区に オル30104、オル31203の配置の記載がありました。
    オル30104は元スユ3020から改造され荷扱い扉が2か所
    オル31203元オハ31206から改造され荷扱い扱い扉が1か所

    ・デジ青の既掲載で関連するものを検索しますと

    西村雅幸様が2017年4月17日に投稿
    『寒中北海道見聞録 8号車』
    音威子府駅に停車中のオル31218(旭アサ)の写真と説明の『駅で使用する鉛筆1本まで用品庫から配給車によって運ばれたという、まさに国鉄一家の時代だった。』

    オル31218元オハ31426から改造され荷扱い扉が1か所

    ・これらから昭和44年頃旭川区にはオル30とオル31が配置されていたことが分かります。

    以上より396レの写真のWルーフは旭川区の配給車で前がオル31、後ろがオル30ではないでしょうか。北海道の鉄道事情を物語る配給車の記録としして貴重なものと思います。

    • 米手さま
      SN様のご連絡、またご自身の写真も掲載いただき、ありがとうございました。私の不勉強さを補っていただき、助かりました。実は、投稿して即、連絡を入れてくれた方がいました(あえて名を秘す)。「救援車ではなく配給車」「形式はオル31、オル30」とあり、今回のSN様のコメントと一致しました。当時の北海道ならではの客車だったのですね。

  3. 素晴らしいです! なんとオル31、オル30と特定できるんて!
    模型で作りたくなってきました~

    私が撮った配給車はシングルルーフだけでした。
    賑やかしに貼らせて下さい。
    オル32102 1979年8月 恐らく石北本線

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