何気に写した駅の風景
大阪通信員さんは、車両以外も、多くの写真を撮っておられます。否、車両以外の日常的な風景にこそ、通信員さんの鋭い感性が発揮されているように思えます。スライドを点検した際にも、「鉄道の施設」として、分類された袋があり、意識して撮られていたことが分かります。駅や撮影地で、何気に通信員さんが撮った、そんなカットを見ていただきます。▲あったなぁ、こんな洗面所が‥。夜行列車の発着する主要駅では、朝に列車が到着すると、われ先に顔を洗ったものだった。私自身は、蒸機を写していた時代、一時間でも機関区に居ようものなら、顔の周辺が汚れでムズがゆくなり、ホームや駅舎にあった洗面所へ駆け込んだものだった。写真は大阪駅で撮られたが、洗面所付近を黒くツブし、対向の471系急行を際立たせたのも、非凡な才能を感じる。
▲蒸機時代の必須アイテム、腕木信号機もよく撮られていた。▲若き群衆が何故ホームに? 実はコレ、DRFCマイテ乗車の際の出発式の様子。通信員さんは、この日の記録もカラーで撮っておられるが、この1枚で注目したいのは、上のデッカイ「北陸線特急停車駅時刻」の案内、特急の停車駅が、一列車ごとに丁寧に図示されている。「白鳥」が走っていた時代なので、終端は青森である。一枚一枚、手作業で仕上げていた時代である。▲京都駅、1・2番ホームの朝の情景。153系新快速の先頭はクハ153の低窓車だ。向こうのナハ11は、「桜島・高千穂」だろう。二列車を上手くとらえられている。いずれも青を基調とした塗装が、国鉄への信頼感を醸成している。
▲信楽駅で、貴生川へ下って行く貨物の発車直前のシーン、信楽には転車台がないから、必ず逆行となる。いいなぁ、こんな風景、まわりの施設も、現在の信楽駅とは違う。
三枚目の京都駅1番ホームの大屋根。京都駅の名物だった。タレの板の開けられた丸い穴と共に一目で京都駅と分かる。
いまは京都鉄博でEF58の展示用屋根として威厳を見せている。
2013年11月26日に京都駅で撮りました。このときはまだ名物の屋根は残っていました。
ひさしの丸い穴の部分を拡大しました。