第11日目 2月21日 その1
今日はVişeu de Susから南西へ約170キロにあるJudețul Cluj(クルジュ県)の県都のCluj-Napoca(クルージ・ナポカ)へと向かいます。
Vişeu de Susから鉄道や車で帰路につかれる方もおられますが、殆どの方はチャーター車でCluj-Napoca空港へと乗車されます。
7:25 今日を入れて8日間お世話になったペンションのご家族にお礼を申し上げて出発です。
大きな荷物はガタガタ泥道では持っていけませんので宿の車でGaraCFF駅まで運んでいただきました。ご覧のように今日は暖かくなって、ツルツルと滑った凍結路はとけてぬかるんでいます。
皆さんは道中央の泥んこ道を避けて、道路の端を歩いて行かれます。▲ 7:37 集合場所の駅では一昨日乗って撮影した古典的ディーゼルカーが出発準備を整えていました。今日はイタリア人鉄ちゃんが乗車するのでしょうか、それとも別のツアー客が来るのか・・。
7:41 チャーター車がやってきましたが、後部にトレーラーを連結しています。狭い車内です。到底荷物は積むことは難しいと思っていましたが、これなら大丈夫です。
昔、オートキャンプをしていた頃は、トレーラーを牽引して来ている仲間たちがいましたが。これなら大型車が通れない道でも走行できます。
日本の山間部の観光地送迎用にも利用できますね。
▲ 7:56 Tanagoのミッシェルさんはじめ欧州鉄ちゃんが泊まっておられた町1番のホテルです。皆さん乗り込まれてからの発車です。
▲ 9:07 途中の国鉄線との踏切でのショットです。40-0585-6号機が貨物列車を牽引して行きました。ブカレスト駅でも見た1965年製造の古い電気機関車です。
▲ 10:05 途中で寄ったガソリンスタンド、ドイツと同じくコンビニが併設されています。
▲ 買い出しに入りましたが目につく一番の陳列棚にはチョコレートの数々が並べられています。どうしてかとIpadで検索しましたら何とルーマニアは、国民一人あたり世界一のチョコレート消費国なんだそうです。国際菓子協会/欧州製菓協会の2009年資料に基づいて調べられた結果で、一人当たり1年間で15.4㌔も食べるそうです。ちなみに2位はドイツで11.3㌔、3位はイギリスの10.9㌔で、日本人は2.1㌔との事です。どおりでメイン陳列台に置かれている訳です。
▲ もう1つ意外な物が冷蔵ケースに入っていました。ビール等のアルコール類です。ドイツでも見かけましたが、日本では考えられない事です。他の欧州各国ではどうなのでしょうか?
17:55 Cluj-Napoca空港に到着、Sさん、Kさんはここから帰国されます。他の皆さんともお別れです。O氏ご夫妻と私の3人はTaxiを拾って市内のホテルへと向かいました。
▲ 市内に近づくと中世時代の古い建造物が目につくようになってきました。トロリーバスは結構走っているようでトロリー架線はありますが、トラム線は見えません。
【 Cluj-Napoca(クルージ・ナポカ) 】
Județul Cluj(クルージ県)の県都、現在の人口は324,576人(2011年10月国勢調査)でブカレスト、ヤシに続いてルーマニア第3番目の町となっています。
町の歴史はローマ時代に遡るほど古く、要塞・自由都市そして東西交通の要衝として発展してきました。ハンガリー時代にはブダベストに次いでの都市として繁栄しましたが第1次世界大戦後の1918年からはルーマニア王国に編入されました。1940年に第2次世界大戦が始まるとソ連占領下におかれ、ルーマニアがドイツ側につき参戦してからは占領下を脱しました。しかし、ドイツ敗戦となると王制は廃止されて1947年には再びソ連勢力下におかれた共産国家の都市となりました。そして1965年からはチャウシェスクの独裁政権が始まり、1989年12月に起こったルーマニア革命によって失脚・処刑されるまで暗黒の時代が続きました。
歴史に翻弄された町は、住む人種も替えていきました。
ルーマニア人とハンガリー人との比率は、第2次大戦後は大きく変わってルーマニア人が増えてきました。
ここ20数年はルーマニア人は総人口の3/4を占めています。
▲ 11:19 乗継を含めて約3時間30分でクルージ・ナポカのHotel Sevenに到着しました。国鉄駅に1番近いホテルと思い予約しましたが、急坂の続く丘の上にありました。
▲ 部屋は広く明るく快適です。これで1泊151Lei(約4,060円)は、リーズナブルです。
浴室洗面所も綺麗でした。
少し休憩を取ってからクルージ・ナポカの街散歩です。さて、どんな町なのでしょうか。 Part21に続く