近郊私鉄のBlue Moment、つぎは京阪。狙い目は、天満橋の東、大川(旧淀川)と寝屋川の合流地点で、土佐堀通を越える人道橋「大坂橋」からの光景です。この場所も、明るいうちから何度も行ったところです。中之島線の開業後、眼の前に見える、乗越橋を行く電車が飛躍的に増えて、以前より、写しやすくなりました。
▲大坂橋から見ると、川の向こうが、梅田方面になり、夕方ともなると、ビルの照明、天満橋もライトアップされて、美しい都市景観となる。手前に大柄な架線柱があるから、ビル影のなかに取り込んで、空に突き出ないような工夫が必要。電車を大きく見せるなら、淀屋橋行き限定になる。
投稿者「総本家青信号特派員」のアーカイブ
青い瞬間(とき) -Blue Momentを追いかけて -7-
青い瞬間(とき) -Blue Momentを追いかけて -6-
青い瞬間(とき) -Blue Momentを追いかけて -5-
亀山駅から歩いて ある碑を見に行く
9月4日に行われたクローバー会の三岐鉄道ツアー、孫のような現役生も参加して、三世代相当の参加者が乗り歩きを楽しみました(その様子については、伝言板〈会員限定〉に奈良の駅名研究家さんからの報告があります)。終わってからは、桑名駅前で年寄り限定の懇親会を行い、参加者は20時ごろの列車で帰宅しましたが、私だけは一泊して、翌日、ある目的を持って、JR亀山駅に降り立ちました。紀勢本線に沿って、鈴鹿川を渡り、歩くこと20分で、どこでも見られる、地方の集落のなかにある、中村公民館という、地域の集会所前に着きました。
▲紀勢本線の始発、亀山を出て、鈴鹿川を渡り、下庄トンネルに入る手前をJR東海のキハ25が行く。今から77年前の終戦直前、この付近を走っていた亀山発鳥羽行き列車に向けて米軍機による銃撃事件があった。
青い瞬間(とき) -Blue Momentを追いかけて -4-
極めて限定された時間帯にのみ可能なBlue Momentの撮影、天候にも左右されて、そうそう撮れるものではありません。感性を磨くためにも、近場でお気に入りの場所を見つけて、季節も変えて、足繁く通う必要があります。そのような意味で、今回は地元の京都で写した例を見ていただきます。とくに、これから紹介する叡電沿線へは、市から支給される敬老乗車証を使えば、無料で現地まで連れて行ってくれます。“朝練”ならぬ“夕錬”で腕を磨くことにしました。
▲叡電鞍馬線の高野川鉄橋、高校生の頃からよく通ったところだが、この時間帯に目覚めたのは、ごく最近のこと。画角のなかに夕陽が落ちていくから、快晴だと、Blue Momentの時間帯なのに、山の端はまだ赤く、微妙なグラデーションが期待できる。鉄橋がそれほど長くないから、2両より、単行が良い。また河原からあおり気味に撮るから、下回りを浮かせて撮るためには、複線の手前の上り線限定となる。それらの条件で絞り込むと、こちらも限定的になる。
青い瞬間(とき) -Blue Momentを追いかけて -3-
続いて冬の北海道ならではのBlue Momentを見ていただきます。この2018年、注目したのは富良野線の西中という駅でした。これには伏線があって、2011年、ぶんしゅうさんと一緒に北海道へ行った時、富良野線で撮影して、西中駅も訪れていました。名も無いような無人駅ですが、一面草原のなかの木組みのホームが気になって、いつか季節を変えて再訪したいと思っていました。改めて時刻表と、日没時刻を照合すると、西中駅で思い描いた撮影が可能かと分かり、宗谷本線に続いて、富良野線の乗客になっていました。
▲目指す西中駅は、富良野から40分ほど、まだ明るいうちに下車した。周りはずっと雪原が広がっていて、向こうのほうに、人家の灯りが見えるだけ。ただ、ひたすら最適の時刻を待つ。2月にしては、それほどの寒さでもないが、写真に見える2畳ほどの待合室に入って、身をかがめて、その時刻を待った。▲▲2011年訪れた、初夏の西中駅、「お立ち台通信」にも載っていないような無人駅だが、伸びやかな周囲の風景がずっと気になっていた。
青い瞬間(とき) -Blue Momentを追いかけて -2-
夏の終わりから一転して、冬の北海道へ飛びます。Blue Momentのもとで列車を撮る場合は、当然のことながら、限られた時間帯に列車が来ることが絶対条件で、事前の調査が不可欠です。この年の北海道行きは、Blue Momentの面白さに目覚めた時でした。昼間の撮影は適当にして、この時間帯に集中することにしました。第一日目、昼に千歳に着いて、足が向いたのは宗谷本線でした。旭川発名寄行き329Dが、その時間帯を走り抜くことが時刻表から読み取れ、日没時刻から計算して、最適の駅を塩狩としました。
▲15時前の列車で塩狩に到着、実に50年ぶりの塩狩下車だ。名物のラッセルが停車していて、待ち時間を有効に使うことができた。次第に周囲が暗くなって、雪のなかのBlue Momentを迎えた(以下、2018年1月)。
青い瞬間(とき) -Blue Momentを追いかけて -1-
写真展を終えて、一服しているところです。こんな時こそ、久しぶりの旅行をと思うのですが、連日の不順な天気では、その気も失せてしまい、相変わらず引き籠もり生活が続いています。いっぽうデジ青も、「カビが生えたような写真は止めて、色付きの写真でも載せたらどうや」の声に対抗できる新作はほとんどありません。それならばと、数年前から、密かに(?)温め続けていたテーマを、今回、公開しようと思った次第です。と言っても、「またか」の発表済み写真もありますが、「デジ青テーマは無限、タテで切ったら、ヨコにも、斜めにも切れる。もっと横断的なテーマを」と吹聴した当事者としては、これもアリかなと思った次第です。
テーマは、Blue Moment(ブルーモーメント)。日没後に一瞬だけ訪れる、空が青く染まった時間帯です。デジカメの普及で、アプローチしやすいテーマとなり、写真用語では「マジックアワー」とも言われています。ここ数年、意識して、“青い時”を求めて、写した記録をランダムに見ていただきます。
▲夕景でも夜景でもない、日没後の5分程度見られる“青い世界”、撮影には事前の計画も大事だ。遠くへ出かける気力・体力がめっきり減退した高齢者体質となったいまは、自宅近くの鴨川での“夕練”が日課になった(8月30日撮影)。
保護中: 会員が大活躍! ~最近の鉄道雑誌から
“ナメクジ”に 魅せられる (6)
貨物列車を牽く“ナメクジ”
本シリーズも最後となりました。今回は、“ナメクジ”が本領を発揮した貨物列車を牽くシーンです。旅客を牽いた前回と比べて、さすがに多くの写真を撮っていました。いまの動態D51は旅客ばかり牽いていますが、やはり、D51は貨物を牽く機関車だったと改めて思います。その中の“ナメクジ”ですが、全国分布は、前回に記したとおり、東北・北海道に多く見られました。機構上、集煙装置を取り付けられないことと、第一動輪の軸重が少し軽く、勾配区間ではあまり好まれなかったようですが、それでも、全国的に“ナメクジ”の牽く貨物列車が見られました。
▲最終回に当たり、改めて“ナメクジ”と標準型の差異を並べて見た。左:D51 61[尻] 初期グループの半流線形、1~85、91~100の95両がいた。右:D51 164[戸] 給水温メ器を煙突前に置いた、“デゴイチ”の代名詞、日本の蒸機の代表的スタイル。これ以外に戦時タイプの1001~1161の161両がある。両者を比べると、“ナメクジ”は煙室端面にRがあるが、標準型は角型、煙室扉の取っ手は、“ナメクジ”は両側の2個、標準型は片側1個。
写真展 トークショー行われる!
祇園「ぎゃらりぃ西利」で開催中の第9回クローバー会写真展「鉄路輝く」も、あと2日を残すのみとなりました。来場者は、この5日間で120名程度でしょうか。決して“大賑わい”と評価するほどの数ではありませんが、その分、来場の皆さんとは、ゆっくりと対話を楽しむことができました。遠来からは、首都圏からわざわざお越しいただいた方も数人、なかには鉄道雑誌の敏腕編集部員にも来ていただきました。
さて、20日(土)16時からは、恒例となった「トークショー」が会場で行われました。16時前から続々と会員が集まり、開始時には14名、そのあと、途中入場、終わってからの来場も含めて、計18名が集まりました。遠く、四国は香川県から、愛知県、兵庫県からも来場をいただき、皆さんで写真にまつわる、自慢話、失敗談、あの話この話で大いに盛り上がりを見せました。
▲さっそく、あちこちで話が盛り上がる
▲撮影者でないと語れない興味深い話が惜しげもなく披露された。
▲開始前に記念撮影、その後も途中入場者も含めて18名が来場、その場にいた出品者全員から、ありがたい話を聞くことができた。
“ナメクジ”に 魅せられる (5)
旅客列車を牽く“ナメクジ”
昨日からクローバー会写真展「鉄路輝く」が開かれています。私も初日から受付をさせてもらいましたが、東京、京都、大阪から著名な鉄道ファンや、デジ青でお馴染みのコメンテーターの皆さんに来場いただきました。3年半ぶりに行われた写真展では、同席した会員相互の親睦だけでなく、外部の皆さんとも交流できるのは、何より写真展の魅力です。来場者との話は、デジ青にも及び、やはりクローバー会活動の源泉を担っていることも再認識しました。
さて、“ナメクジ”のこと進めます。これからは、客貨列車を牽く“ナメクジ”を見て行きます。改めて“ナメクジ”の地域別の配置を調べてみました。昭和42年(55年前)の配置を見ますと、“ナメクジ”95両のうち、廃車になったのは4両だけ、なんと91両が現役で走っていたのです。地域別にみると、北海道33両、東北30両、中部・近畿13両、九州15両となり、北海道・東北で大半を占めています。なぜ、こんな偏りがあるのでしょうか。考えられるものとして、“ナメクジ”製造直後の配置には北海道が多く、その後も道内を転々として、海を渡らなければならない北海道では蒸機も封じ込めの例があったこと、“ナメクジ”は構造上、集煙装置を取り付けられず、北海道には集煙装置の使用線区が無かったことなどが挙げられます。ただ、貨物を牽く“ナメクジ”は多く撮ったものの、旅客列車に限定すると極めて少数です。
▲雪に覆われたニセコ・アンヌプリを背景に上目名の勾配を上がって行くD51 64[長] C62重連「ていね」「ニセコ」の先頭が時々D51に差し替えられてガックリきたと聞くことがある。それがもし“ナメクジ”だったら、C622先頭より価値があっただろう(上目名~目名、昭和46年3月)。
“ナメクジ”に 魅せられる (4)
これも“ナメクジ” 変形機のいろいろ
“ナメクジ”95両のうち、ほかとは異なる外観をした機体もいました。前号の長鉄式デフの95号も含まれるかもしれませんが、今回は、デフなしナメクジと、標準型になったナメクジという珍品です。

▲吹田第一機関区のデフなしナメクジ、D51 78 吹田一区のD51の役目は、おもに吹田操車場での入換え。付近を電車で通ると、はてしなく広がる操車場のあちこちにD51の煙が立ち上っていたものだ。何十両も連結した貨車編成を、ハンプへ押し上げて突放し、係員がデッキに飛び乗り、前後動を繰り返していた。係員の立ち位置の確保と見通しを良くするため、思い切ってデフを取り去ったもの(梅小路、昭和41年10月)。
“ナメクジ”に 魅せられる (3)
形式写真を見直す
先般の鉄道ピクトリアル「D51」特集で、改めて思ったのは、形式写真の美しさでした。小さいころ、車両だけをきっちり写した形式写真にも憧れを持ちました。ピク蒸機特集に載った、形式写真の第一人者、西尾克三郎さんの写真を飽かずに眺めたものでした。自分でも形式写真を撮りたいと思うようになり、フィルム現像を覚えたり、ブロニー判のカメラを買ったりしたものでした。周囲に邪魔がなく、ロッドが降りて、下回りにも光線が当たり、公式側を3:7あたりで撮った、形式写真の条件を満たす写真の美しさを改めて思ったものでした。こんな好条件で撮れるのは、万にひとつぐらいですが、それだけに、近い条件で撮れた時の喜びは大きく、現在では、個人レベルで、現業部門で形式写真を撮ることなど、不可能になっただけに、余計にその価値を感じます。
▲ D51 25[福] 近くの山陰本線にも“ナメクジ”がいた。福知山機関区にD5125、D5166の2両がいて、貨物を牽いている姿が見られた。66号は米手さんもコメント欄に寄せていただいた。もう1両の25号は、で、正面に形式入りナンバープレートを付けた白眉の“ナメクジ”。「形式D51」と小さく入るだけで、なんとも格が上がったように見える。私の写した“ナメクジ”のなかで、形式入りはあと1両、出水区のD5194だけだった。梅小路区に配置の時代もあり、その時は東海道本線で貨物を牽いていた(福知山区、昭和42年10月)。
ほぼ50年前 同月同日メモリーズ ⑥
昭和45(1970)年8月13日 ポールからパンタへ
“ほぼ”シリーズに戻ります。開業以来、ポールで走っていた京阪大津線(京津線・石坂線)の電車が、いっせいにパンタ化されることになり、その最期の姿を写すため、この日、大谷と浜大津へ向かいました。同線にいた80、260、300、350形は、パンタの準備工事が進められ、8月22日から全車パンタとなります。ただ一両生き残った「びわこ」号63号には、もともとパンタ・ポール両方が付いていて、そのまま可能かと思われましたが、同時に行われたATS工事から除外され、唯一廃車となりました。
▲最後のポール姿を見せて、80形が浜大津の交差点を曲がって行く。浜大津では前年の秋に江若鉄道が廃止になっていて、ターミナルの再開発工事が始まったばかり。まだ夏休みの最中で、琵琶湖の水泳帰りの客で電車も超満員で発車して行く。周りもバスだらけで、右端の近江バス(?)の後部行き先窓には「急行 木之本」と出ている。木之本と言えば、琵琶湖の反対側だ。こんな長距離のバスが走っていたとは驚き。







