“平成”の思い出 鉄道の記憶 〈2〉

旧線時代の馬堀駅付近

山陰本線京都口は、昭和46年に蒸機が消えて無煙化されました。その後、車両は、客車は50系、12系化、DCは40系の新系列に置き替えられたものの、国鉄末期の窮乏状況では、単線非電化から抜け出せないまま、昭和から平成を迎えました。京都~園部では、客車列車なら1時間20分程度を要し、蒸機時代とほとんど変わりませんでした。ネックになっていたのは、やはり蛇行する保津川の渓谷を行く狭隘区間で、改良計画では、この区間を6つのトンネル、5つの鉄橋で一気に突き抜けるものでした。これにより、距離は1.6キロ短縮され、保津峡、馬堀の駅は新駅に移転するものでした。

朝の馬堀駅で交換する列車、どちらも28・58系だが、左は131D園部行き、右は136D福知山発の普通列車で、いずれも急行列車の間合い利用のようだ(以下撮影、すべて平成元年3月4日)。

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 “平成”の思い出 鉄道の記憶 〈1〉

2018年も3ヵ月近くが経ちました。よく考えたら、来年5月から新しい元号が施行され、「平成」という時代も、あと一年余りなんですね。我々の世代が、本欄で思い出を綴っている「昭和」も、来年になると、二世代前の出来事になってしまいます。昭和の時代、鉄道趣味の面では確かに面白い時代だったことに違いはありません。しかし、昭和の賛美だけに終始していると、来年、新しい元号になると、平成は“失われた時代”になりかねません。
いまの現役会員や20歳代は、すべて平成生まれです。昭和は生まれる前の時代であり、昭和40年代に20歳代だった我々の時代に置き換えると、デジ青で戦前の話を聞いているのと同じで、これでは20歳代にはなかなか理解できないでしょう。別に若い世代に迎合するつもりはないのですが、若い世代から共感が得られる記事も必要だと思いました。
平成の時代も、細く長く鉄道を撮り続けてきた積もりですが、それらの整理、見直しは、ほとんどできていません。平成が終わろうとする今こそ、写真・データの整理を始めなければと思った次第です。これからは、“昭和”も記録しつつ、“平成”も平行しながら、鉄道写真のアーカイブス化を進めて行きたいと願っています。そこで、昭和から平成へと移った直後の記録を順に綴っていこうと思います。
平成に入ってからも、私の撮影はモノクロが中心だった。ただ、カラーも平行しながら撮っていて、最初はカラーネガが中心だったが、徐々にカラーポジでも撮るようになった。カメラは、平成に入ってEOS-10、EOS-55、EOS-1Nと買い換えてきた。前の2機は手許にないが、中古で買った1Nだけは記念に置いてある。価格はボデーだけで12万円ほどと、当時の中古カメラは高価だった。電池がなく今は作動しないが、“カシャ”と言う鋭いシャッター音が忘れられず、時々、空シャッターを切って懐かしんでいた。フィルムカメラを止めて、デジカメに転向するのは、もっと先のことだ。

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 市電が走った街 京都を歩く トロバス編⑤

その後のトロバス

トロバスの営業は、昭和44年9月限りで終わり、翌日から、トロバスと同じ区間を走る、代替バスの77号系統が新設されて走り始めました。トロバスの活躍は、もう見られないかと思われましたが、そのあと、保管されていた車両1両が意外な使われ方をして、再デビューを果たします。それは、京都市が開発・研究を進めていた電気バスに改造されたことで、「みどり号」の愛称で、京都の中心部を走ることになり、3年ぶりに、京都に電気で走るバスが走ることになりました。
下鴨神社前付近の河原町通を走る、もとトロバスの電気バス「みどり号」、カラーは市バスと同じながら、ボディはトロバスそのもの。300形318号を改造して生まれた。

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 市電が走った街 京都を歩く トロバス編④

新聞記事に見るトロバス

トロバス編の続き、今回は当時の新聞に載ったトロバスの記事を採り上げました。私は、小学生の時から鉄道関係の新聞の切り抜きを続けてきました。さすがに今では、ほとんどしませんが、書籍・雑誌の情報も乏しかった時代のこと、日々の新聞に載る鉄道記事は貴重な情報源でした。なかでも京都市電に関しては、廃止や事故と言った、地元の社会的なニュースとして取り上げられることが多くありました。それらを切り抜いて、一枚ずつB5の藁半紙の台紙に貼り付け、年月別に綴じてファイル化し、京都市電に関する、自分だけのデータベースが出来上がりました。
最初にトロバス廃止のタイトルが紙面に見えたのは、廃止の2年前、昭和42年9月23日のこと、前日に、京都市の交通財政再建計画が発表され、それを受けての報道だった。読み進めると、車両数が26両とあり、戦後製造の100形6両がまだ走っていた時代だった。

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 市電が走った街 京都を歩く トロバス編③

前記のように、最終日に近い土曜日、DRFCの面々とトロバスの撮影会に行っていますが、その時は、梅津車庫も訪問して撮影しています。梅津車庫は、トロバスの専用車庫として、昭和33年に開設されました。その後、昭和42年に、四条御前にあった市バス四条車庫が、梅津車庫に統合されて、市バス車両も配置されるようになりました。トロバス廃止後は市バス専用車庫となりますが、隣接する京都外国大学に用地を提供し、大学の校舎の下に車庫機能を置く、珍しい構造の車庫となりました。1990年にバス停留所名も、「梅津車庫前」から、「京都外大前」に改称されています。さらに2003年には五条車庫の廃止に伴い、車両が転属し、京都市バスを代表する車庫となっています。

梅津車庫の出庫線にズラリと並んだトロバス、前2両は200形で、そのあとに300形が続く。トロバスも市電の仲間だから、当時、朝7~9時に実施していた急行運転も行っていた。「急」マークは車庫で借りて取り付けた。

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 市電が走った街 京都を歩く トロバス編②

トロバスは、京都、名古屋のほか、戦後には川崎市、東京都、大阪市、横浜市と続いて開業し、都市部にトロバスブームが到来します。背景には、石油事情が好転しない問題もあり、路面電車より建設費が安いという事情もありました。しかし、自動車の増加し道路が渋滞し、さらに地下鉄の建設計画などが持ち上がり、昭和30年代後半になると、早くもトロバスの行く末は頭打ちになってきました。
トロバス梅津線の沿線には、戦後、軍需産業から転換した工場などがあり、当時の京都随一の工場地帯を形成し、朝夕の時間帯は、通勤客がトロバスに集中しました。とくに梅津車庫から松尾橋にかけては、まだ一般の路線バスも少なく、トロバスが独占状態でした。ところが、昭和37年、阪急の河原町延伸で、交通事情が変わります。中間駅となった四条大宮は、交通結節点としての地位が低下し、さらに、この頃になると、松尾橋から、四条河原町や京都駅前へ直通する市バス系統が新設・延長され、四条大宮までしか行かないトロバスは分が悪くなる一方でした。
トロバス最終日も間近の土曜日、DRFCのボックスに集まった面々は、最後のトロバスを写すため、西大路四条から梅津車庫、松尾橋へ向かった。

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 市電が走った街 京都を歩く  トロバス編①

最近のデジ青記事を見て思うことが、皆さんの“地元愛”の気持ちです。米手さんの“散歩シリーズ”では、お知り合いの貴重な写真を惜しげもなく公開され、西村さんからは広島地方の鉄道ニュースを丹念に報告していただいています。西村さんは市民学芸員活動として、三原市の近代化遺産もまとめられ、PDF版を私も閲覧させてもらいました。皆さん、鉄道趣味活動を通じて、調査・研究を続けられ、地域に貢献される姿勢に敬服する次第です。ひるがえって、私にとっての“地元愛”とは? と考えると、やはり京都市電に行き着きます。過去には、乙訓老人さんらと一緒に本を出版したり、写真展を開いたりして、地域に一定の恩返しをしたつもりですが、ことデジ青については、京都市電のことを封印していました。別に理由はないのですが、京都市電が全廃されて、ちょうど40年になる今年、そろそろ封を解いて、デジ青に地域デビューを果たしたいと思っています。京都のトロバスは四条大宮~松尾橋を走り、49年前の昭和44年9月限りで廃止された。装飾をされた車両が走り、市民に別れを告げた。
我々世代が知りうる京都市電の廃止第一号となると、昭和36年の北野線です。私の鉄道撮影の第一号にも当たりますが、さすがに小学校6年生では、デジ青を飾るような写真は撮っていません。そのつぎの廃止となると昭和43年9月廃止のトロリーバス(梅津線)です。鉄道の一員であり、都市を走ったトロバスとしては、最古の開業です。時あたかも、関電トンネルトロリーバス(扇沢~黒部湖)15両が充電式電気バスに置き換えられることになり、国内に残るトロバスは、立山黒部貫光の立山トンネルのトロバスのみになります。まずは、そのトロバスを手始めとして、当時の写真と、現在の対比をして、“地元愛”の発露としたいと思います。

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 「東北展」 今年も開催 !

佐竹保雄さんが、3・11前後に毎年開催されている「鉄道写真展-東北を旅して」が、ことしも本日11日(日)から開催されています。
 「鉄道写真展-東北を旅して」その10
 3月11日(日)~16日(金)10:00~17:00(16日は16:00まで)
 ひとまち交流館京都1階 作品展示コーナー 京都市下京区河原町五条下る
東北地方の復興を願って、多い時には年二回開催されてきた展示ですが、所期の成果を収めたこともあって、今回の展示で一応のピリオドを打つことになりました。ファイナル総集編と銘打った今回の展示は、とくに佐竹さんが愛した東北の鉄道の総集編として展開しています。
クローバー会会員らが待ち受ける京都駅一番ホームに入線する、佐竹さんの「トレランス」1号。はて?右端のお方は? 昨年には三陸鉄道南リアス線で「トレランス」8号が運転され、クローバー会会員3人も参加し、佐竹さん始め多くの参加者と交歓したが、その基盤となったのが、1989年から運転を始めた京都発京都行きの「トレランス」1~8号だ。今回、最終回に当たり、「トレランス全記録」として、過去の「トレランス」の走行シーンを収めた写真展示も行っている。

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 このまま廃止? 不通の続く根室本線 東鹿越を訪ねる

北海道へ行って、もうひとつ気になる区間がありました。平成28年8月の台風10号で被害を受け、不通が続いている根室本線東鹿越~新得です。一年半に渡って列車の運転を見合わせて、バス代行が続いています。この区間を含む根室本線富良野~新得は、JR北海道の「維持が困難な区間」に挙げられており、廃止を前提とした地元協議を行なう矢先のことで、行く末が案じられています。また、12月には、列車代行バスのルートが変更され、乗車料金を収受する代行バスでありながら、リゾートホテルの無料送迎バスも兼ねると言う興味深い運行が行われています。
富良野から乗って根室本線下り方5駅目の東鹿越、ここから新得まで不通区間が始まる。周囲に人家はなく乗降ゼロに近く、私もこの駅の存在は知らなかった。もともと2017年に廃止予定の駅だったが、列車・代行バスの接続駅として、皮肉にも生き延びることになった。

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 ◆ た~ちゃんの電車めぐり ⑰ 

ライトレール(LRT)とは

1997年12月、国連による地球温暖化防止会議が京都で開催され、路面電車見直しが取り上げられ、とても嬉しく思いました。街角で配布されたビラにロサンゼルス、パリ、ロンドンでも復活とありましたが、私の知る限りにおいて実情は異なります。三市の中央通り、京都での烏丸、四条通を路面電車が大手を振って走るものではありません。

昭和30年代の京都駅前、伏見線のりばは、大勢の初詣客で賑わう(故 羽村宏さんのカラーポジから)

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 さよなら 117系関西急電色 〈下〉

吹田総合車両所京都支所(近キト)には、117系が、T編成(8両編成)2本、S編成(6両編成)6本の計52両配置され、いまも湖西線、草津線で活躍しています。今回紹介するT1編成8両編成のみクリーム1号にぶどう色2号(マルーン)の帯を配した関西急電カラーの原色で残り、ほかの編成は地域色の抹茶一色に改められています。しかし、JR西日本の進める車両の地域カラー化で、T1編成も去る2月22日早朝に吹田工場へ入場し、地域色に改められました。
117系の新製以来、約40年にして、伝統の関西急電カラーの原色編成が姿を消した。

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 さよなら 117系関西急電色   

JRのダイヤ改正が来週3月17日に行われます。近年は列車の改廃もほとんどなく、以前のようなダイヤ改正前の高揚感がありません。ただ、車両面で見ると、改正を機に国鉄時代の車両を中心に淘汰・転用が進展しそうで、首都圏では、115系や189系、また351系に注目が集まっているようです。関西でも、あまり目立たないものの、JRでは車両の置き換えや変更が進んでいます。そのいくつかを報告しましょう。
クリーム1号にぶどう2号の帯を巻き、伝統の関西急電色に塗られた唯一の原色編成、近キト117系T1編成が、ダイヤ改正を待たず、吹田工場へ入場、地域色に塗り替えられた。

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 ◆ た~ちゃんの電車めぐり ⑯

市電の全廃
大村昆ちゃんのCM“ミゼット”が評判になったのは昭和30年代の後半の頃でした。政府の提唱する国民車構想が実を結んだのもその頃でした。日本はいよいよ自動車の時代に突入です。京都市電では、北野線を最初に、昭和45年、大阪万博の年に、日本最初の電車が走った伏見線を廃止にしました。以下、昭和47年四条・千本・大宮線、49年烏丸線、51年今出川・白川・丸太町線、52年河原町・七条線、最後まで残った外郭線は昭和53年9月いっぱいで廃止になりました。京電以来の83年7ヵ月の幕引きとなってしまったのです。昭和30年代の京都駅前、「いなり」の行き先幕の烏丸線市電が到着する。京都市電の全盛期のシーン(今回より、当会OBの故・羽村宏さん撮影のカラーを掲載します)

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 50年前の撮影地を歩く -24- 宗谷本線編

音威子府を出た列車は、天塩川に沿って北上を続け、やがてサロベツ原野のなかを突き進みます。途中の駅は、ほとんどが木組みの1両だけのホーム、少しマシになれば車掌車「ヨ」を利用した待合室がある程度で、周囲に人家は見られません。乗車人員もゼロ人台の駅が続きますが、意外なことに、途中の2、3駅では、明らかに土地の人と思われる乗車・下車が見られました。この区間、普通列車は一日3往復だけ、他人事ながら、行き・戻りの列車はどうするのか、列車が遅れた場合の連絡はあるのだろうか、運休した場合は、といろいろな心配をしてしまいます。でも、鉄道を信頼し、一人でも乗る人がいれば、この宗谷本線は存続すべきだと改めて思ったのです。

稚内から普通列車に乗って1時間あまり、幌延に到着した普通列車、みどりの窓口もある、昼間のみ有人駅、かつて羽幌線を分岐していた。

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 50年前の撮影地を歩く -23- 宗谷本線編

名寄を発車すると、宗谷本線はいよいよ北辺の地へと入って行きます。宗谷本線名寄~稚内の平成28年の輸送密度は364人キロ/日で、昭和50年の1878人キロ/日と比べて五分の一に減少しました。営業係数は618、宗谷本線の開業以来、百年以上の鉄橋など土木構造物が多数あるほか、冬期の除雪費用、また豪雨災害も発生し、維持管理に莫大な費用が掛かる区間です。駅に関しても、一日平均の乗者数がゼロ人台の駅が多く、雪に埋もれた駅周辺は、生活感の感じられない光景が続いていました。
恩根内を通過する札幌発稚内行き「宗谷」、約40分の遅れとなり、対向列車に乗っていて特急通過駅が変更になった。恩根内は交換可能駅ながら、一日平均乗客はゼロ人台、予定外の駅で通過待ちとなり、秘境駅の様子を観察できた。

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 50年前の撮影地を歩く -22- 宗谷本線編

名寄

旭川から快速列車に乗ると1時間30分程度で、宗谷本線の要衝である名寄に着きます。宗谷本線は、名寄で明確に区分され、名寄までは、旭川の近郊区間として、普通列車以外にも、主要駅のみ停車の快速“なよろ”も運転されています。以前は、名寄本線、深名線を分岐し、機関区もあって、文字どおり鉄道のまちとしても賑わいを見せていました。その後、両線も廃止されて、現業機関も無くなり、宗谷本線の中間駅となりました。市の人口も減少が著しく、いまや3万人を割り込む状況です。駅の乗車人員も宗谷本線のなかではいちばん多いものの、JR北海道が公開したデータでは442人/日に過ぎません。 急に冷え込んだ夜の名寄駅、上下の列車が交換する。稚内から走り通して来たキハ54の後部が、その苦闘ぶりを物語る。

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 50年前の撮影地を歩く -21- 宗谷本線編

塩狩

旭川を出ると、比布、蘭留、塩狩、和寒、士別、風連と好ましい響きの駅名が続きます。そのなかで、塩狩はいちばん再訪を望んでいた駅でした。塩狩峠の頂点にある駅で、50年前は、20‰勾配に挑むC55の力闘もさることながら、駅前徒歩1分にユースホステルがあり、ここに宿泊したことが最大の思い出でした。旅館に併設された民営ユースホステルで、なんと言っても温泉を引いた浴場が、ある意味で名物でした。残念ながら、その恩恵に預かることはできませんでしたが、泊まった翌朝、食事前の散歩を兼ねて、ユースのゲタを借りて駅周辺で撮影したことが思い出されます。50年ぶりの塩狩での下車、峠の駅だけあって、深雪に覆われ、物音ひとつ聞こえない、乗降客ゼロの静かな世界が広がっていた。

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 50年前の撮影地を歩く -20- 宗谷本線編

旭川

今年は、各地の積雪量が例年になく多いようですが、“こんな時にこそ”と北海道へ行ってきました。3月になってからの北海道は何度か行きましたが、厳冬期は初めてのことです。おもに訪れたのは宗谷本線、LCC利用客限定のフリー切符が発売中で、これを使っての訪問となりました。宗谷本線は、本欄でも何人かが記されていますが、DRFC時代には、多くの仲間と一緒に訪れた思い出の地ですが、それ以降、北海道へ行くことはあっても、この地を訪れることがないまま50年が経過しました。各駅で今昔対比もしながら、ゆっくり一人旅を楽しんで来ました。
始発の旭川で発車を待つ宗谷本線のキハ40、規模の大きな立派な駅構内には不似合いな単行列車の姿は、宗谷本線の現状を象徴していた。

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 地図を携えて線路端を歩いた日々 -25-

羽越本線の要衝である酒田を出発した列車が北東に進路を変えると、前方には長く裾をひいた、独特の山容を見せる鳥海山が見えて来ます。吹浦付近で庄内平野は終わり、女鹿~小砂川で県境を越えて、秋田県に入ると、再び海岸線を走るようになりますが、笹川流れほどの厳しさはありません。有耶無耶の関の跡を見て、まもなく到着するのが象潟、芭蕉も立ち寄った、海に小島が点在する景観は、地震で隆起して陸化し、いまは水田のなかに森が散在しています。長かった羽越本線の旅も、まもなく終わります。日本海に夕陽が没する頃、一日の活動を締めくくるように、D51の牽く貨物が静かに通り過ぎた。女鹿~小砂川(昭和46年8月)

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 地図を携えて線路端を歩いた日々 -24-

笹川流れのほかにも羽越本線には優れた撮影地が多くあって、私も普通列車に乗りながら、何ヵ所か下車して撮りました。ここでは、笹川流れのほかの区間での撮影を南から順に紹介していきます。今回は、新潟・山形県です。C57の優美な姿をアウトカーブからとらえる。ここ西袋~余目は、陸羽西線とほぼ平行しており、同線のC58と掛け持ち撮影ができた。2048レ C57 103〔新〕(昭和46年8月)

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