“アレ”にちなんで 阪神軌道線と甲子園球場 ①

ついにやりましたね。こんなに早く“アレ”が来るとは思いも寄りませんでした。私は1ミリもタイガースとは関係はないのですが、高齢者にとっては、記憶に残る日となりました。しかも甲子園で、宿敵を完膚なきまでに叩いたこと、出来すぎのストーリーでした。テレビでは「18年前の優勝は、まだ生まれていなかった」の声もありましたが「約50年前には球場の前に路面電車が走ってたんやでぇ」と言うと、まちがいなく化石扱いされるでしょう。そう、甲子園球場の横には、1975(昭和50)年まで阪神軌道線(国道電車)の甲子園線が走っていました。

本欄でも、先にクローバー会行事で訪ねた福岡市内線跡を記しましたが、機会を見つけて、思い出に残る各地の路面電車を紹介したいと思っていたところでした。“アレ”を格好の機会ととらえて、阪神軌道線の甲子園線を紹介したいと思います。

左手、高架の阪神本線の甲子園駅があり、その直下に、軌道線の甲子園駅があった。浜甲子園行きの電車が出発して、左にカーブすると、車窓に大きな広告塔が見えてくる。背後の松並木は、かつて、ここに川が流れていたことを証言している。“銀鱗”の阪神バスも懐かしい。 続きを読む

カラー版◆大阪通信員さんが撮った 昭和の鉄道 (5)

関西本線、阪和線の電車・機関車

大阪通信員さんが撮られた“昭和の鉄道”、再開しました。前回までは大阪市内でしたから、少し範囲を広げて、通信員さんの地盤だった、関西本線、阪和線をテーマに見ていただきましょう。昭和48年10月、関西本線湊町-奈良が電化され、大阪から環状線経由で奈良を結ぶ113系電車による快速が登場した。灰色9号に朱色3号の帯を巻いた独自塗装となった。赤帯は、春日大社の鳥居をイメージしたものと言われ「春日色」の俗称もある。113系には0番台車など経年車が多く、平成元年に「大和路快速」の愛称とともに、221系電車に置き換えられた。

続きを読む

 あの日あの頃 ほぼ同月同日に還る ~28~

2006年9月9日 廃止予定の神岡鉄道へ

この年、18きっぷを使って、高山本線猪谷から分岐していた神岡鉄道へ行っています。神岡鉄道は、国鉄神岡線猪谷~神岡を昭和58年に第三セクターに転換して開業した鉄道で、猪谷~奥飛騨温泉口(神岡を改称)20.3kmの路線、鉄道収入の四分の三を占めていたのは、神岡鉱山からの貨物輸送でしたが、種々の理由で、貨物輸送を縮小、撤退、沿線人口は極めて少なく、旅客数、車両数とも全国三セクの最低となり、2006年11月30日限りでの廃止が決まっていました。

始発の猪谷は、JR東海、西日本の境界駅で、ずいぶん不便な場所にありましたが、18きっぷで、途中、金沢、富山で撮影しながら、楽々日帰りで行くことができました。北陸新幹線など未開通の時代、在来線のみのネットワークがしっかり張り巡らされていた、ほんの少し前の時代でした。終点の奥飛騨温泉口を発車した、神岡鉄道の猪谷行き〈おくひだ2号〉。

続きを読む

 あの日あの頃 ほぼ同月同日に還る ~27~

2007年9月3日 諫早・長崎の日常を撮る

島原鉄道の続きとして、諫早・長崎の日常の光景を見ていただきます。列車待ちの間に撮った写真ばかりで、格別な意識もなく、当たり前に撮った写真です。その後、2022年9月に西九州新幹線が開業し、列車も駅舎もすっかり新しくなりました。まもなく開業一年となる西九州新幹線に乗ったことがない身にとっては、デジ青やほかのメディアで、現在の同付近を知ることしか術はありませんが、15年前との風景の違いを感じています。朝早くに諫早駅前のホテルを抜け出して、島原鉄道のDCを撮り、朝食後に諫早駅で長崎行き「あかつき」を撮った。もう“ブルトレ”という言葉も聞かなくなったが、15年前,(高齢者にとっては“つい最近”)には、まだ走っていた。九州伝統の椀型のヘッドマークを付けていた。▲▲最後部には“レガートシート”のオハ14形300番台を連結。

続きを読む

 あの日あの頃 ほぼ同月同日に還る ~26~

2007年9月1日 島原鉄道の国鉄型DCを撮る

島原鉄道には、自社製造の国鉄型DCが走っていました。国鉄乗入れ用として、昭和28年の湘南型キハ45000形に始まり、キハ20、キハ26・55も新製され、国鉄気動車を上回る設備を持った最新DCでした。華やかだったのは、長崎本線の準急(急行)に併結されて博多(のちに小倉)まで乗り入れたことでしょう。初めて九州を訪問した昭和42年、諫早駅で見たDCは、前面に島原鉄道を示す赤い三本ヒゲを付け、クロスシートには白いカバーが掛かり、羨望の思いで見た記憶があります。

しかし、華やかな時代は長く続かず、長崎本線のDC急行全廃により昭和55年に国鉄乗入れは廃止、のちに貨物、線内急行も廃止、雲仙普賢岳の火砕流による長期不通も克服したものの、旅客は戻らず、2008年に島原外港以南を廃止しました。今回は、その前年、自社DCが廃車のあと、国鉄から転属したキハ20が、新型DCに交じって活躍していた頃の訪問でした。

“海にいちばん近い駅”として名高い「大三東」に到着するキハ20の2両編成、キハ2013+キハ2008、いずれも自社発注車ではなく、国鉄で廃車後に島鉄に移って来た。

続きを読む

 あの日あの頃 ほぼ同月同日に還る ~25~

2007年8月25日 架替工事前の余部鉄橋へ

8月も下旬になると、コロナ禍以前なら、18きっぷの消化に追われて、各方面によく出掛けたものでした。この日は、京都から、山陰・因美・津山・山陽の日帰り18きっぷゴールデンルートの途中に寄った余部鉄橋の撮影です。

この時期、架替計画が進む余部鉄橋を渡る観光列車、快速「あまるべロマン」が、城崎温泉~浜坂間で2往復運転されていた。何年か前から、5月連休、夏休みなどに運転されていた、京都総合所のキハ65系「エーデル」4両編成で、以前は特急「エーデル鳥取」に使われていたが、列車は廃止され、臨時・団体用として使われていた。

続きを読む

カラー版◆大阪通信員さんが撮った 昭和の鉄道 (4)

大阪を記録する④ 大阪市電 

大阪市電は、万博を前にした昭和44年3月に全廃、政令指定都市としては初めての廃止でした。私としては、“早く生まれていたら”の類いで、ごく僅かの写真しか撮れていません。大阪市内で生まれ育った通信員さんは、さすがに御堂筋を走る市電や、市電ではメインの堺筋線、上町線など、中心部の写真を撮っておられます。大阪市電をテーマにした書籍を編集した時は、大阪通信員さんのモノクロ写真も活用させていただいて作ることができました。大阪市電は、カラーで見るように“あずき色”で、阪急のマルーンより赤っぽい“溜色”でした。明治36年に開業した時、すでにこの色でしたが、これは御召の御料車と同じ色であることを、政府が気づき、畏れ多いことと、すでに認可済みの大阪市を除いて、以後は他都市が同種の色を使うことを禁じたと言います。逆に大阪市電は既得権にこだわり、最期まで、この色を守り通したと言われています。

△ 大阪市電は御堂筋も走っていた。と言っても、大阪駅前から淀屋橋までの間だけで、淀屋橋で東へ、北浜二丁目から堺筋を南下する堺筋線の一部を形成していた。大阪市庁の前から西を向いての撮影で、市庁舎は、現在のものではなく、旧のルネサンス様式の建築、背後は日本銀行大阪支店。今回は、対比可能なところは、ストリートビューの現況写真との対比を試みた。大阪中心部の街並みはすっかり変わってしまったが、保存の日銀大阪支店だけは、きれいに補修されて市電時代と同じ光景を見せている。(昭和41年6月)。

続きを読む

カラー版◆大阪通信員さんが撮った 昭和の鉄道 (3)

大阪を記録する③ 天王寺駅

カラースライドを大阪通信員さんからお預かりする際に、依頼を受けていたことを忘れていました。天王寺駅の想い出を書きたいので、ぜひスライドを載せてほしいと言うことでした。“ミナミ”で生まれ育たれた通信員さんにとっては、格別の思い出のある駅だと思います。ただ先日、阪堺線のビール電車に乗るため、天王寺駅前に集合した時には、“このあたりに来るのは、何年振りやろか”と言っておられ、最近はめっきり行動力が衰えられた様子でした。

△ 通天閣を見ながら、オレンジ色の大阪環状線101系、ウグイス色の関西線101系が並走しなかがら、天王寺駅に進入する(以下、昭和58年)。

続きを読む

カラー版◆大阪通信員さんが撮った 昭和の鉄道 (2)

大阪を記録する② 電化後の湊町

△ 昭和48(1973)年10月、関西本線の奈良~湊町の電化が完成し、湊町駅でも電車が顔を並べるようになった。普通系は101系、快速系は113系だった。湊町駅は急にカラフルになった。

前投稿のコメントを見ても、高齢者以外には、“湊町”をすぐにイメージできないかも知れません。1994年9月の関西国際空港開港に合わせて「JR難波」になり、1996年には、JR西日本としては初の地下駅になりましたが、DCから電車への置き換えは、今から50年前のことですから、今の地下駅から、当時を想像するのは、たしかに難しいことでしょう。

続きを読む

カラー版◆大阪通信員さんが撮った 昭和の鉄道 (1)

△ 大阪名物、スモッグが煙るなか、C57牽引、茶色の客車を連ねた急行「大和」が、関西本線の終点、湊町に到着する。B寝台(ロネ)2両の白帯が茶色に映える。

お盆のこの時期、台風の襲来もあって、一歩も外へ出ることなく、家に籠っていました。デジ青投稿に絶好のチャンスと意気込むのですが、気力の低下だけでなく、持ちネタの乏しさもあって投稿が続きません。先の投稿では、準特急さんから「あと数年早く生まれてきたら」論についてコメントがあり、「あのシーンを撮っていたらデジ青に載せられたのに」という思いもあります。私は「そんな言い訳したらアカン」と強がりを言ったようですが、心の中では七十数年生きて来た人間にも、その悔いが残ります。

そんな時、大阪通信員さんから朗報がもたらされました。大阪通信員さんは、私より7歳年上で、まさに「あと少し早く生まれてきたら」の写真を多数カラーで撮影されています。一部は昨年6月に行いました上映会でもご覧いただき、私も感嘆しながら進行をしていました。貴重な写真を一度だけの上映会で終わらせるのは、大変忍びなく、広く公開したいと思っていたところ、大阪通信員さんから、ぜひデジ青で公開してくださいと嬉しい返事がありました。快諾いただいた大阪通信員さんには厚く御礼申し上げます。

デジ青誌上では、米手さんが、投稿に困っているデジタル難民の記事・写真を代理投稿する老老介護も続いています。米手さんだけに介護を一任するのではなく、私も介護者として名乗りを上げた次第です。預かった写真は多数ありますが、まずは上映会の作品から見ていただきましょう。解説は最小限に留めて、皆さんからのコメントお願いいたします。

続きを読む

 あの日あの頃 ほぼ同月同日に還る ~24~

2007年8月17日 阪急桂川鉄橋へ

暑い昼間は避けて、夕方あたりから急に写しに行きたい衝動に駆られたことがありました。最近は、さすがにその気力も湧いて来ませんが、空の様子を見て、きれいな夕陽になると確信すると、16時ごろ、カメラ一台を持って出かけました。前の居住地の場合は、そんな時、阪急桂川鉄橋へよく行ったものです。家から30分余りで到着できました。鉄橋上では太陽が編成全体に当たり、河原に下りると、角度は難しいものの、夕陽バックのシルエットも撮ることができました。桂川鉄橋の下り方に、歩行者・自転車専用の踏切があり、身を乗り出すと下り電車が撮れる。この時期、特急は、6300系、9300系が並存していて、前パン唯一の6330編成もまだ健在だった。

続きを読む

 あの日あの頃 ほぼ同月同日に還る ~23~

2006年9月29日 YS-11(2) 最後の搭乗へ

40年以上飛び続けて来たYS-11も、2006年9月30日限りで民間航空から撤退することになった。その前の日、YS-11の書籍編集中の私は、編集長とともに、取材名目でYS-11の記念フライトに向かった。まず徳島空港へ、空港の反対側に回って待つが、機材トラブルでなかなか到着せず、やっと30分遅れで、福岡発徳島行き3563便の着陸をとらえることができた。

2000年代に入って、YS-11の命運を決定づける航空法が改正されます。旅客機への航空機衝突防止装置(TCAS)の義務付けでした。YS-11の場合、多額の改造費用だけでなく、狭いコクピットに装置の取付けが困難な問題も発生、この時点で国内運航のYS-11は、エアーニッポン(ANK)、日本エアーコミューター(JAC)の2社、TCAS取付けに当たり、ANKは運航を断念し、2003年、最後の新千歳・女満別線から撤退しました。一方、12機保有のJACは、路線網も広範囲にわたり、後継機へ移行ができない事情もあり、航空法施行の例外規定の適用を受け、しばらく運航を継続しましたが、後継のボンバルディア機が増備されて、最後は鹿児島-福岡(2往復)、福岡-徳島(1)、福岡-高知(2)、福岡-松山(1)の4路線、機体も、JA8717、8763、8766、8768の4機になっていました。初めての徳島空港、徳島行き高速バスの松茂バス停からはタクシーですぐだった。

続きを読む

 あの日あの頃 ほぼ同月同日に還る ~22~

2006年7月13日 YS-11を求めて(1) 鹿児島空港

ちょっと、話題を変えて、この季節、鉄道以外の乗り物を。2006年の夏、国産初の旅客機、YS-11が民間航空から撤退しています。私は、その頃は会社勤めをしていて、職務のひとつとして、鉄道書の企画・編集も手掛けていました。YS-11が無くなると聞き、鉄道テーマを旨とするシリーズ本にも、ぜひ飛行機も加えようと出版社と画策し、私も編集者の立場から、現場の撮影・取材へ何度か行くこととなりました。

戦後に国産開発した初めての旅客機がYS-11、試作1号機が、昭和36年7月に、初飛行し、昨年には60周年を迎えた。182機が製造され、日本の航空会社では、日本航空、全日空、東亜国内航空、南西航空などで使用した。地方空港が次第にジェット機に置き換えられ、国内の定期便では、東亜国内航空の後継となる日本エアコミューターが、この年の9月30日に運航を終了した。その後も、航空自衛隊、海上自衛隊、海上保安庁などでは運航を続けている。写真はJA8677機と機体のスペシャルマーキング。

続きを読む