前回は全くコメントが無かったが、唯一、準特急さんのこの記事が投稿されました。
公開時間指定を間違えました!
と、言ってもだれも反応がないのは前回同様です。このデオ300は人気がないのか、あまり写真を見ません。私も撮っていなかったようです。
そこでこんな時の救世主・乙訓の長老作品集をあさってみました。
ところが長老様も興味薄とみえてほとんど見つかりませんでした。それでも数枚ありましたのでご覧下さい。街の風景も味わってみてください。
国電研究家・河 昭一郎様より、みちのくを走り去った“ウグイス色の旧型国電”に関しての考察をご寄稿頂きました。なお、添付頂いていた写真は退色とひび割れがひどく、色調についてだけ補正をしましたが、乳剤面のひび割れ・キズに関しては触っておりませんのでご承知おき下さい。
おもしろいですよ!まあ、見て下さい。よく調べたものだ、と感心しました。
http://tetueizuki.blog.fc2.com/
前回掲載時の関連投稿記事は上記の通りです。
前回の時、どですかでんさんがコメントを下さいましたので再録致します。
信貴生駒電鉄がついに出てきました。さて米手作市さんが交野線との連絡の計画と書かれていますが、信貴生駒電鉄の社史によると大正10年に設立された生駒電気鉄道によって生駒・枚方間が施工認可を受けていたので、連絡ではなく最初から枚方から生駒への路線として計画されていました。生駒電気鉄道は開業できずに信貴生駒電気鉄道に買収され、その後に建設が容易であった私市まで開業したのですが、私市・生駒間は山間部の為に難工事となり、建設費がかさむために建設されずにつながらなかったのです。ちょうど今の国道168号線のルートです。この道は北田原から北上して私市までの道はカーブが多い山間部で、車を運転していても楽しいというかスリルがあるというか・・・・ 鉄道でつなぐとなるとちょっとした山岳鉄道になったかもしれません。このルートの目的は京都から生駒山参詣者の利便性を図る目的であったようです。信貴電にはもう1つ路線延長の計画があって許可申請をしたのですが、不許可となった路線があります。それは信貴山下駅から鉄道省関西線柏原駅までの延長線です。これも信貴山参詣者の利便性を考えたものらしいが、却下となりました。まだ、亀の瀬崩落前に計画したものなので、もし開業していたら大損害を受けて今の生駒線は廃業していたかもしれません。不許可なってラッキーであったのかもしれません。》
西村雅幸さんの投稿
備後路の117系
どですかでんさんの投稿
青色の117系もあるよ~
準特急さんの投稿
私も青色117撮りました
このシリーズを見てくると、諸氏の反応に大きな波があることが分かります。
それが地方の違いによるものか、車両の人気によるものかよく解りません。
地方でも反応の多い記事もあれば、地元近畿であってもほとんど無視もあります。
今回の117系は関東の185系と共通性があり、さらには最近『銀河』として夜行列車で復活したこともあり、皆様の反応を楽しみに見たいと思っています。