昭和の電車 改訂版(214)ー南海電鉄クハ1900号ー

この電車にはDRFCの至宝・湯口先輩が写真をご投稿くださいました。
南海1900西尾写真

 

昭和の電車 改訂版(213)ー近鉄サ2600号ー

貴賓車というのは人気がないのか、数が少ないため見たことが無いからか、ほとんど反応がありません。

失礼しました!前回に藤本哲男さんから投稿を頂いておりましたが、私が確認漏れをしておりました。お詫びして、改めてリンクを張らせて頂きます。

私鉄の貴賓車その後 | DRFC-OB

昭和の電車 改訂版(212)ー新京阪フキ500号ー

212新京阪貴賓車フキ500型

前回は全くコメントが無かったが、唯一、準特急さんのこの記事が投稿されました。

元新京阪貴賓車フキ500型の阪急1500

公開時間指定を間違えました!

 

昭和の電車 改訂版(211)ー京阪電鉄16号ー

回掲載時に湯口徹先輩より貴重な車内の写真が投稿されていましたのでリンクします。

京阪2代目16号室内写真

昭和の電車 改訂版(210)ー京王電軌500号ー

さすがにこの電車に関して話をされる方はいないと思いますが、前回の掲載時に準特急さんがコメントを下さっていました。
「文献を見ると昇圧後にも2700系の付随車(スモールTと呼んだらしい)として使われたサハ2503がどうもそれに該当するらしく廃車される寸前の1968年の姿を撮影しております。」

昭和の電車 改訂版(209)ー玉電デハ80型ー

601となっていますが、これはちがう車両でしょうか?乙訓の長老作品集から。

昭和の電車 改訂版(207)ー叡山電鉄デオ300型ー

どなたか、思い出の写真を貼ってください。

新製時の記録写真と思われる

と、言ってもだれも反応がないのは前回同様です。このデオ300は人気がないのか、あまり写真を見ません。私も撮っていなかったようです。
そこでこんな時の救世主・乙訓の長老作品集をあさってみました。
ところが長老様も興味薄とみえてほとんど見つかりませんでした。それでも数枚ありましたのでご覧下さい。街の風景も味わってみてください。

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《特別寄稿》国電の北限を走ったウグイス色電車・・・河 昭一郎

国電研究家・河 昭一郎様より、みちのくを走り去った“ウグイス色の旧型国電”に関しての考察をご寄稿頂きました。なお、添付頂いていた写真は退色とひび割れがひどく、色調についてだけ補正をしましたが、乳剤面のひび割れ・キズに関しては触っておりませんのでご承知おき下さい。

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昭和の電車 改訂版(206)ー北陸鉄道モハ5000型ー

さすがに北陸鉄道まで手が付かないのか、前回も全く無反応でした。
今回も・・

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昭和の電車 改訂版(205)ー旭川電軌モハ1000型ー

前回掲載時(2016年7月)には写真の投稿がありませんでした。関先生によると車体をはじめ、駅舎まで保存されているとのこと。どなたか訪問して写真ぐらい撮っていないのですか?
と、思っていたら、「偶然見つけました!」でご紹介した『日本映画の鉄道シーンを語る』にチラッと出ているのを発見したのでご紹介します。

http://tetueizuki.blog.fc2.com/blog-date-201205.html

№21 「疾風小僧」1960年日活作品でモハ1001号が出てきています。

昭和の電車 改訂版(204)ー京王帝都5000系ー

準特急さんの関連投稿です。

地方私鉄での京王帝都5000系

京王帝都現役時代5000系

京王帝都5000系の一畑電鉄での姿

一畑電鉄5009の車内

昭和の電車 改訂版(203)ー名鉄モ5200型ー

前回では反応がなかったので自前の写真を添付致します。ただし、5500系です。

偶然見つけました!

おもしろいですよ!まあ、見て下さい。よく調べたものだ、と感心しました。

http://tetueizuki.blog.fc2.com/

昭和の電車 改訂版(202)ー伊豆急100系ー

乙訓の長老様が撮っていました。「これも100系や!」

昭和の電車 改訂版(201)ー東武鉄道モハ1700型ー

準特急さんが投稿されています。

東武鉄道1700型

私が撮った唯一の1700型⇩(一番キライなホーム撮り)

昭和の電車 改訂版(200)ー京阪200型・近鉄モ200型ー

丹波橋での近鉄奈良電

なつかしい丹波橋

京阪・近鉄相互乗り入れ

前回掲載時の関連投稿記事は上記の通りです。

たぶんこれが近鉄モ200型のなれの果て?モ225

それともこれか?モ1801
京阪の200型は撮ってません!

昭和の電車 改訂版(199)ー信貴生駒電鉄デハ1型ー

前回の時、どですかでんさんがコメントを下さいましたので再録致します。

信貴生駒電鉄がついに出てきました。さて米手作市さんが交野線との連絡の計画と書かれていますが、信貴生駒電鉄の社史によると大正10年に設立された生駒電気鉄道によって生駒・枚方間が施工認可を受けていたので、連絡ではなく最初から枚方から生駒への路線として計画されていました。生駒電気鉄道は開業できずに信貴生駒電気鉄道に買収され、その後に建設が容易であった私市まで開業したのですが、私市・生駒間は山間部の為に難工事となり、建設費がかさむために建設されずにつながらなかったのです。ちょうど今の国道168号線のルートです。この道は北田原から北上して私市までの道はカーブが多い山間部で、車を運転していても楽しいというかスリルがあるというか・・・・ 鉄道でつなぐとなるとちょっとした山岳鉄道になったかもしれません。このルートの目的は京都から生駒山参詣者の利便性を図る目的であったようです。信貴電にはもう1つ路線延長の計画があって許可申請をしたのですが、不許可となった路線があります。それは信貴山下駅から鉄道省関西線柏原駅までの延長線です。これも信貴山参詣者の利便性を考えたものらしいが、却下となりました。まだ、亀の瀬崩落前に計画したものなので、もし開業していたら大損害を受けて今の生駒線は廃業していたかもしれません。不許可なってラッキーであったのかもしれません。》

 

昭和の電車 改訂版(195)ー富士急モハ5000型ー

藤本哲男さんからお叱りを受けました!
2013年に5000型新製時の写真と解説が載っていました。ゴメンナサイ!

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