ラック式のブダベスト登山鉄道(Budapesti Fogaskerekű Vasút)は、メトロ1号線より22年も早い1874年6月24日に開業したと言いますから驚きです。
開業時は未電化でB型蒸気機関車が客車2両を牽引して走っていました。写真は3号機ですので少なくとも3台は在籍していたと思われます。車掌が車両外にいるのは車内改札を行っているからなのでしょうね。当時から信用乗車制だったと思われます。1929年に電化されるまで55年間、この光景は続きました。
※ 写真はメトロ博物館に展示されていたものです。
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「紀行文」カテゴリーアーカイブ
2015年 西方見聞録 ハンガリー鉄路の旅 Part47 ブダベストのトラムに乗って その4 登山・子供鉄道へ
今日はブダベストの市内山の手に走るラック式登山鉄道とこれに接続する子供鉄道を訪問します。ラック式鉄道はインドネシア以来久しぶり、子供鉄道もナローゲージの本格的な鉄道で面白そうです。
上の地図が今日の行程です。メトロ2号線⇒トラム61系統⇒登山鉄道⇒子供鉄道と乗り継いで向かいます。
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2015年 西方見聞録 ハンガリー鉄路の旅 Part46 世界3番目の地下鉄、ブダベストのメトロ1号線
終点のメキシコ通り駅(Mexikói út)に入線するMillFAV 、3連接車ですが貫通ドアはなく背の低い小さな車体に乗降ドアは2つもあります。車両長29,560㎜、幅2,350㎜、高さ2,590㎜、3車体8軸、空車重量36.96㌧、座席数48人、出力66.5kw×4、最高速度50km/h、1973~1987年ガンツ製造です。地下を走行しますのでメトロとの位置づけですが、駅間距離や車両を見ますと低床式トラムそのものです。
余命幾許も無いと仰せられます須磨のご大老様からの勅旨を受取りましたのでミリアムメトロ(Millenniumi Földalatti Vasút)と言われていますブダベストメトロ1号線の様子をまとめて掲載させていただきます。
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2015年 西方見聞録 ハンガリー鉄路の旅 Part45 ブダベストのトラムに乗って その3 王宮の丘ケーブルカー
ブダペストのキャッスルヒルケーブルカー(Budapest Castle Hill Funicular、王宮の丘ケーブルカー)は、欧州2番目の蒸気機関によるケーブルカーとして1870年3月2日に開業しましたが、第2次世界大戦1920年に爆撃で破壊されました。しかし苦難の末、1986年6月4日に復元されて観光の足として現在活躍しています。長さは95m、高度差51m、31.75度の急勾配を1分30秒で上ります。
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2015年 西方見聞録 ハンガリー鉄路の旅 Part44 ブダベストのトラムに乗って その2 ケレンフェルド(Kelenfold)駅
16:14 ケレンフェルド(Kelenföld railway station)のホームに出てみますと、4両編成の真新しい電車が停車していました。スイスStadler Railで製造されたStadler FLIRTと思いますが・・、ハンガリー国鉄はよく前調べしていなかったので、詳細は公式HPをご覧ください。※ 車両の詳細はこちらです。
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2015年 西方見聞録 ハンガリー鉄路の旅 Part43 ブダベストのメトロ博物館
【 ブダベストのメトロ(地下鉄)Budapest metróhálózata 】
ブダベストのトラムはロンドン、イスタンプールに続いて世界3番目の地下鉄として1896年5月2日に開業しました。2015年3月現在、4路線38.6㌔が営業中で、当初開業した1号線は世界遺産に登録されています。
ゲージは全線1,435㎜ですが、電圧は、1号線のみDC550V、2・3・4号線はDC825V。
BKK(Budapesti Közlekedési Központ)によりトラム・バス・郊外電車と同一運営されています
詳細については公式HPをご覧ください。こちらです。
左は復元された当時のメトロです。
今日はメトロの歴史を勉強するためにまずはメトロ博物館へと向かいました。
※ 世界2番目のイスタンプールのメトロ、テュネル(Tünel)の訪問記はこちらです。
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2015年 西方見聞録 ルーマニア・ハンガリー鉄路の旅 Part43 ハンガリーのブダベストへ
今日はようやく慣れてきたルーマニアを出国してハンガリーに入国、首都のブダベストへと向かいます。ブダベストでは4日間の滞在でトラム、世界で3番目に開業したメトロ、本格的な子供鉄道、3つもある交通博物館等行きたい所は多しです。
ティミシュアラからブダベストまでは約310㌔、所要時間は5時間15分です。
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2015年 西方見聞録 ルーマニア鉄路の旅 Part42 アラド(Arad)のトラムに乗る、撮る その4
市役所前の電停でまたお会いしたお姉さん、2度ある事は3度あると申しますが3度目の出会いがありました。今度は愛犬2匹とのお散歩中です。これだけ偶然の出会いが重なると運命的なものさえ感じてしまいます。場所は、各種演劇が開催されるアラドの代表的なクラックシアター ”Ioan Slavici”に隣接した公園広場です。もう少し私が若ければ、シアター内のドラマ同様に、これからの進展が演じられるのでしょうが・・。今は鉄ちゃんで、こちらに夢中です。
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2015年 西方見聞録 ルーマニア鉄路の旅 Part41 アラド(Arad)のトラムに乗る、撮る その3
”IMPERIO”と、名付けられ2014年10月に登場した低床車。これからのアラドの市民の足となるように願いを込めて地元 ”Astra Vagoane Calatori ”にてシーメンスからの技術供与を受けて製造されました。今後、老朽化なる旧型トラムの置き換えとして増備される予定です。
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2015年 西方見聞録 ルーマニア鉄路の旅 Part40 アラド(Arad)のトラムに乗る、撮る その2

トラムのお見合い席に座っていましたら「何処から来たの」と、気さくに英語で話しかけて来られた向かいのシートのお姉さん。
お話をしていましたら向かいの座席のおじさんも参加されてきました。
そして途中で紙袋から可愛い純白の犬のぬいぐるみを取り出されて、まず私に後からお姉さんにも「あげるよ、持っておかえり」と、くださいました。
自宅に持って帰りましたが、孫たちの内、最初に来た孫が「これは綺麗!ジイジ、欲しい」と、大いに気に入ったようで奪い去られました。おじさん、ありがとうございました。
このお姉さんはジムに行くと、途中で降りられましたが後、街中で撮影中にまたお会いしまして、ビックリしました。そして、2度ある事は3度目があると申しますが、最後にはもう1回、愛犬との散歩中にお会いしました。けっして狭くはないアラドで1日に3回もお会いするとは・・、縁があったのですね。
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2015年 西方見聞録 ルーマニア鉄路の旅 Part39 アラド(Arad)のトラムに乗る、撮る その1
2015年 西方見聞録 ルーマニア鉄路の旅 Part38 ルーマニア蒸気機関車の故郷 レシタ(Reșița)へ、古典的気動車
レシタ北駅の待合室で「一緒に写真を撮ってください。」と、声をかけていただいたルーマニアの高校生。ファッション雑誌の中から出てきたような容姿には、しばしウットリとさせられました。ルーマニアは美人の多い国です。その中でも、お会いした中では1番の美少女でした。
この年頃の欧州の女性は本当にスタイルも良くて綺麗ですが、年をとってある年齢を過ぎると見事にマツコ嬢へと変身していきます。この落差は先天的な体質なのでしょうか。
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2015年 西方見聞録 ルーマニア鉄路の旅 Part37 不審者取り調べにあう
ルーマニア国土は本州とほぼ同じですが、人口1,904万人(2011年)とそれほど多くはありません。しかし鉄道網は全国に張り巡らされています。今、私がおりますのは、左下あたりです。
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2015年 西方見聞録 ルーマニア鉄路の旅 Part36 ルーマニア最古の鉄路 Oraviţa(オラビタ)~ヤム(Iam)に乗る
▲ ヤム(Iam)駅構内でも現地民からの ”一緒に写真を撮って欲しい” との催促がありました。帰り際には俺たちも撮ってくれとのオーダーも出ます。
写真を撮ったり、撮られたリが大好きなルーマニア人の皆さんです。何処に行っても毎日の恒例行事になりました。
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2015年 西方見聞録 ルーマニア鉄路の旅 Part35 ルーマニア鉄道 最古の駅 Oraviţa(オラビタ)
Oraviţa~Anina鉄路の牽引力アップのため1956年にルーマニアの Reşiţaで製造された50.065号機。車軸配置は0-10-0のE型の勾配用蒸気機関車です。同じ3軸テンダー車付の蒸気機関車としては、Baureihe 57の2・3,4・5・10-35型等がありますが稀なタイプです。2013年には開業150周年を記念して走行しましたが、今は静かにOraviţa駅ヤードで休んでいます。
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2015年 西方見聞録 ルーマニア鉄路の旅 Part34 Oraviţa(オラビタ)~アニーナ(Anina)に乗る
▲ 13:20 オラビタから2時間5分の乗り鉄を終えて終点のアニーナ(Anina)に着きました。ひと気のないAninaの街でしたが、学校帰りの中学生のお嬢さん達が笑顔で迎えてくれました。聞かれるのは何処から来た? 何人なの?です。日本人だよと答えるとびっくりした様子でした。初めて見る東洋人だったのでしょうね。スーパーがないかと聞きましたが、指さされた方向は遠く、折り返し時間に駅に戻るのは難しく諦めました。
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杉津 半世紀後の眺め
tsurukameコンビの杉津越えの写真、うらやましく拝見しました。準特急さまのコメント通り「もうちょっと早く生まれていたら」です。昭和37年4月と言えば 私はピカピカの中学1年生。ようやく意を決して一人で京都から遠出をしたのが、中3の昭和39年5月10日。柳ケ瀬線の廃止の日でした。木之本から当時の終点疋田(無人駅)まで柳ケ瀬トンネルを越えての往復乗車でした。キハ521単行は満員で、途中中ノ郷駅(有人駅)で乗客が入場券を買おうと出札口に殺到し、列車が発車できないひと幕があったことを思い出しました(私もそのひとり)。勿論北陸トンネル開通後で、鳩原ループも出来ていて、旧線である柳ケ瀬線が廃止されたわけです。従って北陸旧線はかろうじて柳ケ瀬越えを知るのみで 杉津越えは狩勝などとともにあこがれの線区でした。
2015年 西方見聞録 ルーマニア鉄路の旅 Part33 Oraviţa(オラビタ)へ
今日は昨夜悩んだ末、朝1番の列車でルーマニア最古の鉄道路線が残るOraviţa(オラビタ)へと向かう事にしました。
邪魔な荷物はホテルに預けて、翌日には戻ってくる1泊2日の行程です。カメラバックだけの身軽な恰好にして、夜明け前にホテルを出発しました。
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北陸トンネル開通前夜-杉津駅付近、半世紀前
1962(昭和37)年4月、2回生の春休み。同好会の亀田満夫さん(筆者と併せてツルカメコンビのもう一方の方)と撮り鉄・乗り鉄に出かけました。初日は北陸トンネル、開通があと2ヶ月に迫り、トンネルの開通で廃線となる新保-山中信号場間です。
ここで、北陸トンネルと旧・北陸本線の概要を紹介します。地図に書き込みました。
敦賀-今庄間の縦断面図です。(日本国有鉄道線増課より)
(新)北陸トンネル経由敦賀-今庄、と(旧線)敦賀-今庄間
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2015年 西方見聞録 ルーマニア鉄路の旅 Part32 Timişoara(ティミシュアラ)のトラム その4
城壁で囲まれた城内には数多くの由緒ある建造物が残り、今尚現役で使われています。これら中世時代の建造物に囲まれたティミシュアラ最古の広場、リベルタ広場(Piaţa Libertăţii)を走るトラム。設置されているのは聖マリアの像、聖ヨハネネポムク( Monumentul Sf. Maria şi a Sf. Nepomuk )です。
ただ広場の軌道はリニューアルが行われていて良いアングルでは撮れるポイントが少なく苦慮しました。観光案内についての案内はこちらをご覧ください。ルーマニア語ですが、ティミシュアラ観光案内の詳細が見れます。
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