飯田線 乗って 降りて 歩いて  ③

廃線トンネルのある駅へ

中部天竜の20分停車を利用して周囲の散策を終え、同じ列車に再乗車。乗ること30分、長いトンネネルを抜けると、そこが次の目的の駅でした。トンネルとトンネルに挟まれたところに駅はあった。狭隘地のため、両側のトンネルは、内部でポイント分岐していて、ポータルは複線サイズになっている。ほんの数人しか乗っていない列車から途中下車すると、自分ひとりだけと思っていたら、なんとオバちゃんが一人下車、迎えのクルマに乗り込んで行った。

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 飯田線 乗って 降りて 歩いて  ②

中部天竜を歩く

本長篠の周辺探索を終えて、本長篠9:30発の天竜峡行き列車で飯田線を北上します。乗車列車は、待望の213系5000代車で、途中の中部天竜で20分の停車、これを利用して、駅周辺の探索を素早く済ませました。

 中部天竜今昔① 飯田線の運輸上の要衝で、かつて中部天竜支区もあって、電機、旧型電車で賑わっていたが、それも廃止され、跡地に設けられた佐久間レールパークも閉園されて、すっかり寂しい駅になってしまった。

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 飯田線 乗って 降りて 歩いて  ①

ある駅から探索を開始

先般のクローバー会の豊橋ツアー、参加の皆さんとともに楽しんできました。晩は豊橋駅の居酒屋で、名物の味噌煮込みおでんで気勢を上げたあと解散となりましたが、その日、私はは豊橋に泊まって、翌日は一人で飯田線へ行きました。飯田線は、旧型電機・電車が走っていた頃には、よく訪れたましたが、それらが消えてからは全く足を踏み入れたことがなく、今回、約50年ぶりの飯田線入りとなりました。2扉、転換クロスの213系5000代車は、超ガラガラで、窓から見える渓谷美とともに、実に快適な乗り鉄一人旅となりました。思い出に残る駅や、以前から憧れていた駅に下車して、周辺を自分勝手に思いのままの街歩きを楽しみました。雨に洗われて新緑の鮮やかさを増す飯田線、乗車して一時間あまり、ある駅に到着し下車した。島式ホームには、乗車の313系、交換の213系と、飯田線の現有形式が顔を揃えた。

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 5月の晴れ間に 日常+αを記録する ③

開業40周年の三陸鉄道へ

5月の最終、もう一件だけ「日常+α」載せます。先週になりますが、三陸鉄道に乗って来ました。いままで三陸鉄道では、佐竹保雄さん主宰の「トレランス号」に、佐竹さんの東北復興への願いを思いながら、2回に渡って乗りました。今回は、私にとっての思い出の地である大槌を中心に瞥見してきました。過去、デジ青誌上でも、三陸鉄道の前身である、国鉄山田線の大槌駅のこと、そこで何気に撮った写真が、意外な展開を見せて、「トレランス号」が走る端緒にもなったことも書きました。 「TOLERANCE 10」 大槌を行く! | DRFC-OB デジタル青信号

「トレランス」に乗車してから5年が経過し、この間にも、地域の復興はさらに促進されて、三陸鉄道を取り巻く状況も変化していると聞きます。現地でその空気に触れるべく、家族とともに大槌入りとなりました。釜石から三陸鉄道で3つ目の駅が大槌、震災で街も鉄道も壊滅したが、もとJR山田線は三陸鉄道に移管されて、大槌駅も旧駅とほぼ同じ場所に設けられた。その三陸鉄道は、ことし開業40周年を迎え、そのヘッドマークも掲げられている。車両も開業時の36-100形が、三鉄のオリジナル塗装のままで走っているのが嬉しい。

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5月の台湾(5月7日)その5

第5日、最終日も東部幹線、三貂嶺の撮影が中心です。
三貂嶺は台湾の武田尾(JR西福知山線)とも称される山峡の駅で、猴硐の隣です。このあたり一帯はハイキングの名所で、時間があれば三貂嶺から猴硐まで歩いてみるのもいいのでしょうが、どうも線路端で列車を撮るのが専らの性分ですので今後もそのような機会はなさそうです。さて、猴硐は、下り列車を撮るのに適しているのですが、三貂嶺はその逆、上り列車を撮るのにはよいのですが、下りはなかなかうまく撮れません。同じ立ち位置で上りも下りもバシッときれいに撮れる場所はこのあたりにないものでしょうか。
▲三貂嶺へ向かう前に莒光511次を狙います。客車の定期急行列車である莒光号も貴重になってきました。汐止

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 5月の晴れ間に 日常+αを記録する ②

日常シリーズ、つぎは福井へ向かいました。敦賀延伸後の新幹線に初めて乗って、着いた福井は、絶好の五月晴れ。ある切符を握りしめて、福井鉄道の電車に乗って、まずは、左右に田園が広がる三十八社に下車しました。この日は、ずっと青空が広がっていて、至るところで、みごとな水鏡が見られた。えちぜん鉄道番田にて(以下、2024年5月8日)

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5月の台湾(5月5日)その3

3日目はナローゲージの日です。
嘉義の手前の新営糖廠では、古典のディーゼルカー勝利号が復元されており、他の糖廠保存鉄路によくある観光トロッコより本格的な保存鉄道となっています。嘉義の阿里山鉄道も長らく区間運転でしたが、いよいよ7月から全線開通するとのことです。この日は奮起湖までの山岳路線には乗りませんでした。嘉義から北門まで1区間と距離は僅かですが、都市鉄道の雰囲気を楽しみました。台湾のナローは、ずっと冬場に走る虎尾糖廠のサトウキビ列車を追っていましたが、他にも面白いものがあることを再認識しました。
▲新営糖廠のディーゼルカー勝利号

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5月の台湾(5月4日)その2

2日目は藍皮解憂号の乗車です。
コロナ真っ只中の2020年、南廻り線の電化完成により同線で残っていた3671、3672次普快列車の運行停止で旧型の客車も終わりかと思われましたが、一日一往復の観光列車、藍皮解憂号として運行が継続されています。これは乗る値打ちがあります。藍色の重連ディーゼル機関車と旧型客車5連、撮るだけで十分と思いましたが、固定窓の車両や通勤電車とは違います。乗ってよかったと思いました。残してくれていて有難う、と言いたいです。
▲台東行きの藍皮解憂号を金崙大橋の上から撮ります。

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5月の台湾(5月3日)その1

莒光666次を始発潮州から終点台東まで12時間乗り通します。週末の金曜日のみ運行されている座席夜行ですが、貴重な定期運行です。近いうちに動力集中式の電車E1000型(広義には前後に機関車が付いた客車か)運用に変わるとの報もあります。台湾を九州になぞらえると、例えばですが、鹿児島の東、国分か隼人から鹿児島、熊本、博多、大分を経て宮崎に行くような列車です。潮州から台東までは南廻り線の自強号(特急)に乗れば、遅くとも2時間かかりません。国分か隼人から宮崎まで特急きりしまに乗ってもそんなものでしょう。それをわざわざ遠回りする莒光号に乗るのも我ながら物好きと思います。わざわざというか全線乗り通す客は想定しておらず、高雄など南部の都市から台北など北部の都市に夜遅くに到達するのと、夜行列車として台東をめざすのは同じ列車でも異なる使命を併せ持っていると言えましょう。さて莒光号の客車は、リクライニングシートもよく倒れ、快適な乗り心地なのですが、空調を効かせ過ぎで寒すぎます。そんな時に限って車掌がつかまらない。他の人も申し立てないのか、言ってもどうすることもできないのか、着込んで耐えている人が多かったように見えました。かつての客車急行のように長時間停車もありません。莒光666次は、潮州を17時35分に出発、高雄18時18分、台南19時、嘉義19時50分、彰化20時57分、台中21時15分、新竹22時35分、台北23時55分、宜蘭1時47分、花蓮3時5分、玉里4時37分、終着台東には5時48分に着きました。

▲始発、潮州駅で出発を待つ莒光666次 続きを読む

 札幌の路面ディーゼル車 ~路面電車あれこれ噺⑯

今回は。昨2023年5月に亡くなられた吉田耕司さんのネガから、札幌市で走っていた路面ディーゼル車を見ていただきます。吉田さんは、DRFC現役時代には、各地を旅行され多くの鉄道写真を残されました。このたび、ご遺族から米手さん経由でネガをお預かりしデータ化しました。なかでも昭和40年に北海道へ行かれた際に、札幌市交通局の鉄北線を走っていたディーゼル車を撮られていて、その一部は現在発売の「鉄道ピクトリアル」6月号「札幌都市圏の鉄道輸送」にも、ご遺族の了解を得て掲載することができました。日本では唯一の路面ディーゼル車を今回は見ていきます。札幌市の北部を走る鉄北線は、順次延長されて、昭和34年に北二十七条、昭和38年に麻生町、そして昭和39年に新琴似駅前まで延長された。北二十七条以北は、人家もまばらで、コスト節減のため非電化で開業した。すでに昭和33年から路面ディーゼル車の製造・増備が進められており、鉄北線延長後は同線に集中して使用された。

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2024年春 桜前線追っかけ旅 長良川鉄道

今年も桜前線追っかけ旅をしたいと計画を練り出しましたが今年は桜の開花時期が遅くなって各地の満開時期が読み切れません。また、いつもは車に乗って出かけていましたが高齢を意識するようになって長距離を運転する自信がなくなってきました。
1カ所に絞ろうと昨年雨に降られて悔しい思いをした長良川鉄道北濃へのリベンジを果たしたいと決めました。問題は桜の開花状況です。いつものように近くの事務所や飲食店を探して実際の様子を聞いてみることにしました。
電話を入れたのは撮影予定地の向かいで昨年昼食を食べた道の駅「清流長良川 あゆパーク」です。返ってきたのは「今年は桜が咲くのが遅く心配していましたら昨日に突然咲き出して今日はあっという間に満開になりました。来られるなら直ぐが良いですよ。」との事で、びっくりしました。直ぐに出かける用意をしました。
▲ 昨年4月6日に訪問撮影しました。ただ残念ながら霧雨模様の天候で望んでいた光景にはならず、春の日差しの中で撮りたいとリベンジを誓いました。今年は天気も良さそうですので予約はしていませんが粘るつもりで宿泊の用意もして楽しみに出かけました。
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 歳は取っても やっぱり“桜”

いい季節になりました。京都では桜も散り果て、もう新緑が目に鮮やかです。日頃は日陰でくすぶっている高齢者も、外へ出て陽を浴びたくなります。先ごろ少数精鋭(?)で行われたクローバー会の比叡山ツアーも楽しいものでした。ところが「デジ青」は“冬眠”が続いています。準特急さんからは「もっと発表せぇ~」とハッパを駆けられ、私も日頃のカビだらけの写真は止めにして、この10日間の今年の“桜鉄”活動をご覧いただきます。定点撮影のように、毎年、同じ写真ばかり、一向に進歩のない撮影ばかりですが、高齢者は、これでいいのです。同じ場所へ毎年行けるのが、何より元気な証拠だと実感します。皆さんからも、春の活動レポート待ってます。今年も来ました岩滝口、ぶんしゅうさんと一緒に行って以来、惚れ込んだ京都丹後鉄道の岩滝口駅、丹鉄の前身となる宮津線が開業100年に当たるため、4月14日にはイベントも行われた。イベント参加はそこそこに、午後はやはり岩滝口へ足が向く。列車を降りて10秒、ホーム端から、いま満開のしだれ桜を入れて撮れる。

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癒しの島 台湾鉄道2024年春の旅 Part 6 帰路

昨日はこの旅最後の投稿記事を書こうとしていましたら台湾で大きな地震発生と速報がでましてびっくりしました。TVにくぎ付けで台湾の友人とLINEで連絡を取り合いましたが阿里山林業森林鉄道は小石程度のがけ崩れはあったそうですがたいしたことはないとの事で安心しました。高鐵、台鉄とも一時的に運休されて線路点検が行われたそうですが今日は正常運転に戻っていました。台鉄は線路上に大きな岩が落ちてきてこれは当分無理かなと思っていましたが撤去がスムーズに行われたようです。ただ、台北の隣町の新北に走るMRT(環状線)は列車が脱線、高架橋脚がずれてしまっています。こちらは直ぐの復旧は難しそうです。無人運転のMRTです。止まってから乗客がかなり高い高架橋を徒歩で最寄り駅まで向かったそうで怖かったでしょうね。一日も早い復旧を祈っています。

第6日目 3月19日

今回は6日間といつもと比べると短い訪台でしたが念願でした太平山森林鉄道のポンポントロッコ列車の乗車と撮影、阿里山森林鉄道に咲く桜の中を走るシャイ式蒸気機関車の撮影が出来ましたので大満足です。今日は帰るのみです。
7:20 ホテルでゆっくりと朝食を取ってから嘉義駅へと向かいました。

阿里山行きのバス乗り場を見ますと今日も3番目に発車するバスに発車30分前に20人ほどの乗客が並んでおられました。盛況が続いているようです。 続きを読む

癒しの島 台湾鉄道2024年春の旅 Part 5 阿里山にシェイ走る

第5日目 3月18日

いよいよ今日は今回訪台した1番の目的である阿里山の桜咲く中を走るシャイ式蒸気機関車の撮影日です。昨夜は早くに就寝して早朝5時前には起き上がりました。
いつものように駅前の7-イレブンでサンドイッチとコーヒーを買って阿里山行きのバス停へと参ります。
▲ 
5:16 発車1時間前とあって、バス停には誰も待ってはおられません。1番乗りです。リックサックを1番位置に置いてからベンチに座り朝食を食べながら待つことにしました。

5:30頃から並ぶ乗客が増えだし、6時前には優先乗車客7人、一般客30人とほぼ定員になりました。直前に並んだ20数名は積み残しです。 続きを読む

癒しの島 台湾鉄道2024年春の旅 Part 4 関仔嶺温泉へ行く

第4日目 3月17日

今日は当初再度阿里山へ向かう予定でしたが昨日のロケハンで明日本番はここで撮ろうと撮影場所は決まりました。今日の阿里山は日曜日で込み合うことは必至ですので再度のロケハンは諦めて温泉でも浸かりに行ってゆっくりとしようと予定変更としました。
温泉は初めて台湾鉄路を一周した2009年5/26に訪れて以来の関仔嶺温泉です。台湾の4大温泉の1つで泥湯温泉としても有名で、嘉義駅前からは路線バスに乗って約22㌔、所要時間は1時間20分ほどです。
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癒しの島 台湾鉄道2024年春の旅 Part 3 阿里山森林鉄道の桜

第3日目 3月16日

今日も念願だった阿里山鉄道のシェイ式蒸気機関車と桜のコラボ撮影です。1年に1回のチャンスです。何とか撮りたいと以前から思っていました。3月4日と18日にチャンスがあり今回は18日だけになりましたので撮り逃がさないように今日と明日はロケハンすることにしました。
そのためには嘉義站を出る1番バスに乗って阿里山迄行く必要があります。5時過ぎには起きて嘉義駅前バス停に向かいました。
▲ 5:36 途中でセブンイレブンによって朝食用のサンドイッチとコーヒーを買って向かいました。

まだ真っ暗な夜明け前ですが阿里山へ向かうバス停には、既に6人の方がお待ちでした。

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癒しの島 台湾鉄道2024年春の旅 Part 2 太平山森林鉄道

第2日目 3月15日

【 太平山森林鉄道 】
今日は念願だった太平山森林鉄道に参ります。この鉄路は羅東森林鉄路終着駅の土場駅と太平山地区を結んでいた森林鉄道で、軽便鉄道とロープウエイ(索道)を組み合わせ、太平山林場の森林資源を外部へ輸送するために1921年に建設されました。1912年全通の阿里山森林鉄路との最大の違いはロープウエイによる輸送があったことです。路線総延長は、36.4 ㌔です。


今まで行きたかったのですが、宜蘭からのバスが毎週土・日曜日にしか、それも1往復だけが運行しているだけとのハードルがありました。乗りたいトロッコもオンラインでの予約発売はなく当日の7時から現地で窓口発売のみ、行かれた方の記事にも既に売り切れていたとの絶望的な内容でした。

でも行きたいと調べていましたら台湾でツアーを企画している地元の旅行代理店KKDay社から一人でも参加できる太平山ツアーを見つけられました。
台北発着のツアーですが途中からの宜蘭発も受け付けOKと分かり申し込みました。ツアー料金は、オンライン日本決済で納得の 4,747円でした。ただトロッコのきっぷ購入だけはご随意ということで、乗車できる保証はありませんでしたが今回は運まかせとして行くことを決めました。
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 西のC59・C62全記録  (14・最終回)

昭和45(1970)年9月 電化工事の完了した呉線へ最後の撮影 ③

ダラダラ続けて来た本テーマもやっと最終回、今回も同じような写真が続きますが“全記録”と銘打った以上、ご容赦いただき、先を急ぐことにします。前回(13)は、午前は小屋浦、昼は広島機関区で写し、そのあと、また列車に乗って呉線へ、晩は再び広島へ戻って夜間撮影。そして駅の待合室で寝て、翌日は一番列車に乗って、再び呉線・広島機関区と、昭和45年10月改正の呉線電化を前にして、最後の乗車・撮影を行いました。今から50年以上前、気力・体力も充実した時代ならではの行動力あふれる別れとなりました。

この日は広島駅の待合室に泊まり込むことにして、夜間、広島駅を発車して行く呉線の列車を写すことにした。C62 15の牽く「音戸2号」。

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 西のC59・C62全記録  (13)

昭和45(1970)年9月 電化工事の完了した呉線へ最後の撮影i②

2週間の九州各地での撮影は、さすがに真夏、今まで行っていた春と較べると、煙はスカスカ、暑いだけで大した成果もなく、「天草」に乗って、深夜の広島到着となりました。

九州からの帰途、再び呉線へ。朝は、やはり小屋浦へ足が向く。架線柱が建ち、架線も張られて、条件はさらに悪いが、広島へ向けて次つぎ通る通勤列車の魅力には勝てない。C59 161の牽く927レ(昭和45年9月13日)

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 西のC59・C62全記録  (12)

昭和45(1970)年8月 電化工事の完了した呉線へ最後の撮影①

わがクローバー会の写真展も連日、賑わいを見せています。一段落したところで、通常の投稿に戻って、まずは「西のC59・C62」に掛かります。

前回、DRFCの合宿で呉線を訪れたのが昭和44(1969)年3月のこと、すでに昭和45年10月を目指して進められていた呉線の電化工事はポールの建植工事が進んでいました。それから一年余り、三原~海田市87kmの電化工事は順調に進み、昭和45年8月3日からは架線試験車が走り始め、初めて電気機関車が呉線に入線しました。各種試験が行われたあと、乗務員の練習運転も8月23日から行われました。ちょうど、夏休みのこの時期、例によって九州へ行く前後、最後の呉線訪問としました。呉線は、昭和45年10月改正を前に電化が完成していて、線内では電気機関車の乗務員訓練が、営業列車を使い、この時期恒例の“電蒸運転”が行われていた。626レ、EF58 18+C59 164 (昭和45年8月30日、安芸幸崎~忠海)

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