駅弁包装紙・最終回

駅弁包装紙の話はこれぐらいにしましょう。
今まで誰も投稿しなかった話題ですが、鉄道ファンなら誰でも思い出のある話題です。これがきっかけとなって押し入れにしまってあったスクラップブックを開いてみてはいかがでしょうか?
そして思い出と共に投稿してみてはいかがでしょうか?鉄道趣味は広くて深いものです。デジ青はどんな記事でも鉄道につながりがあれば投稿できます。
私もまだまだいろんな切り口を用意しています。皆さんの反響を見ながらチョイだししようかと思っています。

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 あの日あの頃 ほぼ同月同日に還る ~20~

2009年7月20日 廃止予定の北陸鉄道加賀一の宮へ

最近、廃止問題が浮上した北陸鉄道の石川線、いまの終点は鶴来だが、2009年まで、二駅先の加賀一の宮まで伸びていた。寺院を思わせる和風建築の駅舎として知られていたが、乗客減で同年10月に廃止された。

ネットニュースを見ていると、北陸鉄道の石川線が、存廃の検討に入ったとの報道がありました。石川線は、野町(金沢市)~鶴来(白山市)の13.8kmの路線です。同線の利用者は年間89万人、輸送密度は1391人と、国鉄民営化の際のバス転換の目安4000人未満を大きく下回るなど、苦しい経営が続いていて、鉄道存続なら上下分離方式案も出たことや、廃止の選択肢には、BRT転換などが議論されたとのこと。最近でも、2009年10月31日に、鶴来~加賀一の宮間2.1kmが廃止されていますが、この年の夏に終点の加賀一の宮まで訪問しました。

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駅弁包装紙・その3

どなたかが書かれていましたが、最近の駅弁は百貨店や駅の売店でいつでもどこのでも買えるのでおもしろくありません。駅弁は買った駅の風景、季節、そして食べながら眺めた風景が揃ってこそ駅弁なのです。客車の窓を開けて「おーい駅弁!」と叫びながら500円札を振り回す、これぞ駅弁買いの極意です。ついでに陶器の急須のお茶が買えたらなお良し、でしょう。この頃の駅弁の値段は普通駅弁が150円、特殊駅弁が250円ではなかったでしょうか。普通駅弁でもご飯とおかずを別々の折りに入れて二段重ねでも150円がありました。(その1に掲載しています)

さて、今回はご存じの駅弁に出会えるのでしょうか?

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 あの日あの頃 ほぼ同月同日に還る ~19~

2008年7月20日 福知山へ けったいな電車を見に行く

18きっぷを使って福知山線経由で福知山へ向かった。着くと向かい側ホームには、さっそく、“けったいな電車”が。クモハ113-3819

JR発足時、列車の増発と引きかえに、短編成化が推進され、特急から通勤電車まで、中間車を先頭車化する改造が各社で行われました。ブロック接合などの新しい工法の導入で、一見、違和感もなく、先頭車化された車両もありますが、なかには、ずいぶん“けったいな”先頭車も多数出現しました。その典型は、寝台座席特急583系を、切妻の先頭車にした、“食パン電車”こと715系でしょうか。福知山線、山陰本線の電車を受け持つ福知山電車区にも、個性的な先頭車が多く出現しました。

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駅弁包装紙

終活というのではないけれど、資料を整理していると“こんなものが!”と言うものが見つかります。その一つが「駅弁包装紙」です。熱心に集めていたのではありませんが、それでもある程度はたまっていました。捨てるのは忍びないのでスキャンしてファイルしました。
特派員氏が夏枯れで投稿が少ない、とお嘆きのようなので、得意のつなぎ記事で楽しんで頂きます。
例によってコメントは書いていないので、いつ買ったのかは分かるものもあり、無い物もありです。
皆様の思い出を聞かせてください。

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 あの日あの頃 ほぼ同月同日に還る ~18~

2008年7月13日 姫新線 播磨徳久へ

黄色い畑と、黄色いDC、この時期の姫新線で見られた組み合わせだった。

夏の旅行の必須アイテム、“青春18きっぷ”も通用が開始されました。十数年前は毎夏、必ず購入して、近隣の地域へよく出掛けたものでした。しばらく真夏の18きっぷ旅を続けます。兵庫県の姫新線沿いにある。佐用町は、町おこしの一環として、1990年ごろから休耕田を利用して、観光用のひまわり畑を売り出しています。姫新線はそのなかを走ることになり、この時期限定の写材となりますが、耕作地は毎年変わるため、DCと絡めての撮影も年によって様子が変わって来るようです。

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 あの日あの頃 ほぼ同月同日に還る ~17~

近畿地方では梅雨も明けて、暑い毎日が続いていますね。もう夏バテなのか、“デジ青”では眼に見えて投稿が少なくなりました。私も、北九州ツアー、上映会テーマと、会行事関連の投稿もやっと終わりました。本来の自分勝手なテーマに戻って、デジ青を盛り上げたいと思いますが、高齢者は新規テーマにはなかなか出会いません。こうなったら、例によって、ストック写真の蔵出しでもと、2006年から一眼デジを使い始め、2010年ごろまでの4年間、ちょっと昔の懐かしシーンを載せていきます。今から十数年前、待望の万年日曜日を謳歌していた時代、今よりウンと行動的だったことが改めて分かりました。

 2009年6月23日 長野電鉄へ

昨日、ネットニュースを見ていますと、長野電鉄1000系「ゆけむり」を使ったビアトレイン運転がありました。これはエエですね。ロマンスシートを四人掛けにして、前には長テーブルもあって、ビール、弁当を置いて、長野~小布施を往復したとありました。来週の当会ビア電も楽しみになって来ました。その1000系が、小田急電鉄から長野電鉄に入った頃、引き換えにまもなく消える特急2000系を求めて、梅雨の晴れ間を縫って長野電鉄へ行きました。

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 福岡市内線貫線を巡る “思い出探し”の旅 ❾

福岡市内線貫線の“思い出探し”も最後となりました。今回は「西新」から、西の終点となる「姪の浜」までです。訪問時は、全区間歩く予定でしたが、暑さで降参、この区間の大部分を、電車に乗っての移動となりました。

終点まで行って感じたことは、西鉄市内線の車両は古くて汚く、施設も貧弱で、当時の京都市電とは大きな開きがあり、“田舎電車”の印象でした。改めて調べると、訪れた昭和50年の福岡市の人口は99万人で、まだ百万都市に達していませんでした。比べて京都市は146万人、福岡の1.5倍もある大都市で、民営、公営の違いもあって、路面電車でも格差があるのも納得がいくものでした。しかし、以降の福岡市の発展は、すさまじく、西日本経済の中枢都市から、アジアの玄関口へと発展し、人口も163万人、人口減少数日本一の京都と較べて、住みやすさナンバーワンなど、質量とも先端を行く都市となりました。貫線の終端区間は単線になっていて、離合のできる停留場では、続行標識を付けた2台の電車が続けて交換して行った。竹の山四丁目

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 福岡市内線貫線を巡る “思い出探し”の旅 ❽

福岡の中心「天神」を発車した福岡市内線貫線は、城下町の福岡のなかを走り抜けます。西にある福岡城址は、広大な大濠公園や、平和台のスポーツ施設になっていて、いまや伝説と化した西鉄ライオンズの平和台球場があったことが思い出されます。“あった”と書いたように、訪問した昭和50/1975年には、ライオンズは西武に売却されて、本拠地は埼玉へ移っていた感覚がありました。ところが、改めて調べてみると、西鉄ライオンズの後継となる太平洋クラブライオンズが、まだ平和台球場を本拠地として使っていた時期だったことが分かりました。ライオンズは不祥事も続き、最下位続きでしたが、初のパリーグのDH制となったこの年は、東尾修が最多勝、土井正博が本塁打王になり、前期2位と健闘しています。。セリーグでは広島が球団創設初優勝、読売巨人は初の最下位に沈んだ年でした。その後、さらに「クラウンライター」と名を変えて、昭和53年に西武ライオンズとなり、ホームグラウンドは埼玉へ移ることになりました。昭和50年と言えば、まだ大学闘争の残り火が、くすぶっていた時代だった。ここ福岡の中心「天神」でも、機動隊に囲まれて、おとなしく交差点を進むデモ行進が見られて、市内線と一緒に収めた。背後の西鉄福岡駅のターミナルデパート、岩田屋本館の旧景とともに、まさに昭和50年の風景だった。建物は外観が改装されて、PARCOとして今も営業している。

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 福岡市内線貫線を巡る “思い出探し”の旅 ➐

西鉄福岡市内線の貫線をめぐる旅、つぎは千代町から、市の中心部、天神へと至る区間です。北九州ツアーの二日目午後、福岡市内線の面影探しで、案内していただいた西鉄友の会のYさんから、福岡市の歴史や成り立ちについて興味深いレクチャーを受けました。よく言われるのは、商人の町・博多、武士の町・福岡と言う、性格の違う大きな町が隣り合っていた史実です。案内のYさんは、“ブラタモリ”に出演実績があるだけに、興味深い話にはつい引き込まれました。今回のルートは、その博多から福岡へと入って行くこととなりました(以下、昭和50/1975年6月撮影)。中洲のランドマーク、赤煉瓦の大同生命ビルの前を西鉄バスと競うようにして、明治通りを行く福岡市内線。中洲を過ぎると、福岡の町に入る。

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JR九州ハロー!自由時間ネットパスの旅 Part 10 熊本電鉄に乗る

第6日目  5月31日 その2

今日は今回の九州での旅の最終日になります。もう帰りのフェリー乗り場に向かうだけですが十分な時間がありますのでまだ訪問していない熊本電鉄へ行ってみたいと思いましたので始発駅の上熊本に向かうことにしました。

③ 熊本 11:45⇒11:48 上熊本

 

 

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 福岡市内線貫線を巡る “思い出探し”の旅 ❻

北九州ツアーの“思い出探しの旅”、最終のお付き合い、お願いいたします。と言っても、ツアーに直結するテーマではなく、前項でも書きましたが、ツアーの二日目午後は西鉄研究会の皆さんのご案内で、西鉄福岡市内線の廃線跡を巡りました。当日訪問した「馬出」「箱崎」は、西鉄福岡市内線の貫通線(略して貫線)のなかの電停で、この貫線は、東は「九大前」から、福岡中心の「中州」「天神」を経由し、「姪の浜」までの11.9kmで、福岡の市街地をほぼ東西に走る中心路線でした。

全区間を走っていた系統が「1」系統で、京都なら四条通、東京なら銀座通、大阪なら堺筋と代表的街路を走るのは、いずれも「1」系統で、福岡でも、文字通り中心部を貫通する代表系統でした。この区間が廃止になったのは、昭和50(1975)年11月のことで、私は廃止前の丸一日を、ほぼ全区間、歩いて記録しました。福岡市内線は、博多駅前を行く系統などが廃止された昭和54年2月が最後でしたが、これに先立って貫線は廃止されました。いつかは、京都以外の他都市の路面電車を紹介したいものと、考えていたところで、ツアーの行事に引っかけて、まずは福岡市内線の貫通線をご紹介する次第です(以下、路面電車時代は昭和50/1975年6月撮影)。

九州大学医学部付属病院のある「大学病院前」には、緑豊かな東公園が広る。

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JR九州ハロー!自由時間ネットパスの旅 Part 9 九州横断豊肥本線に乗る

第6日目  5月31日 その1

▲ 5:45 目覚めて部屋の窓から見るのは朝空です。昨夜降っていた雨はあがったようで別府駅がよく見えます。丁度、柳ヶ浦行きの1番列車が入線してきたようです。
今日は大分に戻って九州横断特急に乗って阿蘇山を見ながら熊本へと向かい博多・小倉を経由して門司港へと参ります。九州からの帰路は復路と同様名門大洋フェリー乗船で大阪南港着です。
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JR九州ハロー!自由時間ネットパスの旅 Part 8 ゆふいんの森初乗車

第5日目  5月30日 その2

③ 諫早 11:54(かもめ24号)⇒12:13 武雄温泉 12:16(リレーかもめ24号)⇒13:14 博多

13:14 新幹線、在来線特急と乗り継いで博多に到着しました。乗車する「ゆふいんの森5号」の発車には1時間以上ありますのでいつもと同様に2階にあります” 博多めん街道 ”へ向かい長浜ラーメンで昼食としました。12軒の中から選ぶのは細麺の「長浜ナンバーワン」です。

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道南を巡る旅(後編)

5.江差線跡

秘湯「銀婚湯」は今までに各地で泊まった秘湯旅館の中でも、屈指の名湯でした。たまたま泊り客も少なく、いくつもあるかけ流しの温泉は独り占め状態だったのは良いのですが、温度が高すぎて大きな浴槽に入るためには相当水を足さねばならず、結局湯船に入るのを諦めました。あとで旅館の人に聞くと、日によって泉温が異なるらしく、ジャンジャン水を入れてもらって良かったのにと言われました。家内も同じ経験をしたそうで、浸かれない温泉は初めてだねと、思い出に残る温泉でした。(混浴の露天風呂は適温でした)

そんな銀婚湯をあとに、日本海側の江差に向かいます。北前船とニシン漁で賑わった江差は歴史的建造物や榎本武揚艦長の開陽丸など見どころの多い町です。この地方は明治以降は檜山爾志郡に属し、その郡役所の建物が江差町郷土資料館として立派に保存され、道の有形文化財にもなっています。その1室が旧国鉄江差線関連の展示室になっていました。

令和5年6月10日 江差町郷土資料館にて

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JR九州ハロー!自由時間ネットパスの旅 Part 7 再び島原鉄道に乗車

第5日目  5月30日 その1

6:00 今日も朝から温泉三昧ですが、昨日同様に白い世界に阻まれて展望露天風呂から雲仙の町並みは俯瞰できません。

7:00 朝食会場は昨夜と同じ食堂です。バイキングが用意されていましたので軽くいただきました。

今日は旅館前から9時過ぎのバスに乗って島原駅へと向かい昨日と逆コースで博多に戻り待望の「ゆふいんの森」に乗車して別府へと向かいます。

① 別所口 9:15(島原バス)⇒9:59 島原駅前 (850円)

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道南を巡る旅(前編)

書棚に並ぶ本がどうしても増え続けるため、定期的に必要度の低くそうな本から処分しているのですが、その中で捨てられずに書棚の一角を占めているシリーズに朝日文芸文庫の司馬遼太郎「街道をゆく」40巻があります。敬愛する司馬遼太郎氏による旅行記ですが、これを読んで現地に行ってみたいと旅先に選んだことが少なくありません。今回はその第15巻「北海道の諸道」に触発され、函館、江差、松前の旅を計画し、6月8日から13日まで道南を巡ってきました。司馬遼太郎氏の旅は40数年も前のことですが、年月を経ても、その土地ならではの風土や文化を追体験できればというのが旅の目的です。その中に「鉄」の要素も加えると、いつも結構忙しいプランになります。ここでは、その5日間の中での「鉄」部分だけをご紹介致します。

今回の旅のコースは次のようなルートです。1日目 広島空港→仙台空港、仙台から「はやぶさ」で木古内へ、木古内から道南いさりび鉄道で函館入りし、函館泊。2日目、レンタカーで亀田半島を1周して森から落部へ、落部から山越えして銀婚湯で1泊。3日目、銀婚湯から江差、松前へ。松前で1泊。4日目、松前城下散策後知内温泉で1泊。5日目、函館に移動してレンタカーを返して、函館市内観光後、函館で1泊。6日目、函館市内観光後函館空港→羽田→広島 というルートで、渡島半島の南半分を1周してきました。学生時代を含め、何度か道内を旅していますが、函館は通過点であったことが多く、また江差、松前線などの行き止まり支線は訪ねることなく廃線になっていましたので廃線跡だけでも訪ねようと思っていました。

1.道南いさりび鉄道

仙台から乗車した「はやぶさ23号」は盛岡で秋田行き「こまち」を分割後、快調に青函トンネルを抜けて、北の大地に着きました。そのまま終点新函館北斗まで行くのが早くて便利なのですが、それでは旅の趣旨に反しますので、木古内で下車し、旧江差線の残存区間である道南いさりび鉄道に乗り換えました。はやぶさを降りて乗り換えた物好きな乗客は我々夫婦2人だけでした。キハ401796が発車を待っていました。

令和5年6月8日 木古内駅で発車を待つ133D 函館行きキハ401796

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JR九州ハロー!自由時間ネットパスの旅 Part 6 島原鉄道に乗るⅡ

第4日目  5月29日 その2

④ 大三東 12:48⇒13:05 島原船津

団体でのツアーも終わって個人ツアーになりました。大三東から列車に乗って車庫のある島原船津を目指します。

12:59 島原半島の行政・経済の中心、観光拠点になっています島原駅に到着しました。島原城の大手門を模した立派な駅舎が出迎えてくれます。
多くの乗客は降りられて車内はガラガラ状態になりましたが私は車庫を先に見ておきたいので見学は帰路にしました。

島原駅は、2001年(平成13年)に年間738,553人あった乗降客が、2021年(令和3年)には年間255,426人へと激減しています。(※長崎県統計年鑑から転載)
2008年(平成20年)に島原港~加津佐が廃止された影響により約38%もの利用者減になりました。以後微減状態が続いています。1990年(平成2年)11月17日、198年ぶりに噴火活動を再開した雲仙普賢岳によって翌年6月3日の大火砕流が発生、多くの人命が失われ、島原鉄道も翌日6月4日から1997年(平成9年)4月1日まで6年近く運休になった影響が大きかったようです。

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