人間国宝 山科の写真展を開催

「山科の人間国宝」こと佐竹保雄さんの写真展が今週末から開催されます。

多方面への好奇心を失わず、家にはほとんど居ないぐらい、毎日元気に出掛けられている佐竹さん、今年の掉尾を飾るのは、山科限定の写真展です。今までも同様のテーマで開催されていますが、未発表写真も含めた、山科の魅力が詰まった総集編の写真展です。

さらに同時に開催される「石井麻子のニットアート展」とのコラボ、「雪とSLの額絵」も見ものです。

「佐竹保雄 山科国鉄写真展」

日時 11月21日(土)~12月6日(日) 期間中無休

会場 京都市営地下鉄烏丸線烏丸御池駅内

    烏丸御池駅ギャラリー(ラッチ外、中二階通路にある市民ギャラリーです)

 

なお佐竹さんの在廊日時は

11/28 10~13時            12/5 10~13時   

11/29 10~12時 13~17時     12/6 10~14時

となっています。会員との出会いを人間国宝は楽しみにされています。

かつての日本一の撮影地、山科の魅力を余すところなく表現

 

なお、佐竹さんが以前に著された「おじいちゃんのSLアルバム」が“たくさんのふしぎ傑作集”に選ばれ、絵本仕様になり装いも新たに発売中です。お持ちの方も愛蔵本としてぜひご購入をお勧めします。

今度は書店の鉄道書コーナーに並ぶので買い易い(本体1300円)

北の大地へ Part8 釧網本線 石北本線

10月27日 第6日目
網走市鉄道記念館8:30→9:30浜小清水付近13:00→13:30呼人付近15:00→15:30美幌駅15:40→15:50美幌市柏ケ丘公園16:00→北見市内→21:00温根湯  昨日は、長い一日を過ごしましたので、熟睡でした。雨は、少し降った程度でした。朝の車内温度は、暖かい8度。朝霧が漂う能取湖を見ながら、車外で椅子に座って、ゆっくりと朝のコーヒーを入れて、今日はどこへ行こうかと思案です。   

 

空は、今にも降りそうな厚い雲に覆われて、遠景からの撮影は、不可能です。昨日、浜小清水付近で見た、紅葉林の中を走る光景が思い浮かびます。雨上がりで、今日は決めようと、時刻表を見ながら、8:30に出発しました。

快速『しれとこ』3727D キハ54-522 北浜→浜小清水

 4729D 道内ローカルのエース、キハ40-736 北浜→浜小清水

9:30目的地に到着。DCが来るには、十分な時間がありますが、これはと思う場所に行き着くには、道がありません。踏切を見つけて、そこから線路ぎわを歩きますが、今度は、あまりにも線路に近く、足場が見つかりません。邪魔な雑草も覆い茂っています。ここで、カメラを構えようなら、DCが急停車するのは、間違いありません。残念ですが、残る選択肢は、妥協でした。

4732D 緑駅で折り返してきた、キハ40-736 浜小清水→北浜

浜小清水駅を出発する、快速『しれとこ』3728D キハ54-507

浜小清水駅に直結する、道の駅『はやなか(葉菜野花)小清水』の食堂で、地元産の小麦を使った、名物うどんを食べて暖まりました。何とか4本を撮り終えた後、呼人~女満別間に移動して、また撮影場所を探しますが、先ほどと同様に難しい状況が、続きました。

幾度も、『ぶんしゅう7号』の4WDの力を借りながら、険しい林道に乗入を行い、探しました。軍手で、邪魔な木々の枝や雑草を刈って、視界の確保に努めますが、あまりに邪魔物が多くて、追いつきません。大きな庭バサミを持ってこなかった事を悔やみました。

特急『オホ-ツク6号』 キハ183系4両編成 呼人→女満別

4643D キハ54-521 女満別→呼人

特急『オホ-ツク3号』 キハ183系4両編成 女満別→呼人 暗くなったので、ボケました。

15:00に通過する、特急オホーツク号を撮り終えた後は、山間は、もう薄暗くなり始めています。急いで、美幌市郷土資料館へと、高速道路を走り、美幌駅まで着きました。駅の観光案内所のおばさんに、郷土資料館の場所を聞きますが、SLなんか、いないとの返事です。念のために郷土資料館に電話もしていただきましたが、『昔はあったかも・・・』で、終わりです。


困惑していると、買い物に来ていたおばあさんが、『柏ケ丘公園』にSLが置いてあると、教えて下さいました。地図をいただき、行く事ができました。美幌のおばあちゃん、ありがとうございました。

夕食は、北海道に来たら、是非とも美味しい蕎麦を食したいと思っていました。教えていただいた美幌駅前にある、そばや『かね久』に行きました。蕎麦のみのメニューですが、30種類以上もありました。勿論、味は蕎麦、つゆ共、絶品です。美幌に行かれたら、是非にお寄り下さい。店を出ると、とうとう、雨が降り出しました。雨の国道をこの地区最大の都市、北見市へと向かいました。

ジャスコで、寒さ対策に毛布と食料品、ユニクロで、ヒートテック、オートバックスで、インバーター、ホームセンターで、湯たんぽ、スパイク付長靴、庭バサミ等々の品々を購入し、ようやく、万全の体制が整いました。今宵の宿は、明日の撮影地の選択肢が多くなる、留辺蘂から分岐しての、道の駅『おんねゆ温泉』と、しました。

1954年3月北陸から長野、三重 その6


ホハ12128 上松

上松で時間を費消しすっかり満足した超貧乏「旅姿3人男」は、ホハ12180を撮って多治見へ。何故東濃鉄道笠原線を覗かなかったのか、未だに分からず、救援車エ741を撮っただけである。しかも左側には3人の誰かのボストンバッグが写りこんでいるではないか。初歩時代何度かやった失敗である。因みに東濃笠原線はその5年後にほんの「ひと覗き」しただけで、遂に二度目の足すら踏込まなかった、小生にとっても唯一の非電化私鉄だった。勿論理由は分からない。


エ741 多治見 古典2軸客車の成れの果て救援車だが改造が著しい ボストンバッグはご愛嬌?

その夜は名古屋駅でステホ。相客著しく多数でベンチの確保がやっと。横になどなれる状態ではなく、しかも浮浪者(ホームレスなんぞという言葉は数十年後である)極めて多数。真夜中過ぎに全員追い出されて清掃、のち乗車券所持者のみ待合室(というものがあった)に入室を許され、朝まで過せた。なおステホ条件の良くない名古屋は、高校~浪人~大学時代都合3夜過しているが、その5段階評価は各C、D、Eである。


名古屋機関区に残っていた2B1タンク機(2Bテンダー機からの改造)1031
名古屋鉄道モ3814

名古屋鉄道モ803

翌朝は3人揃って名古屋鉄道や近鉄名古屋線を撮り、夕方四日市で集合を約して別行動とし、小生は三重交通に直行。大型電機を撮りに名古屋機関区に行った1人は、中国鉄道の社紋が残る蒸気動車キハ1を見つけた。今にして思えば、中国鉄道買収(1944年6月1日)前に名古屋近辺の軍需工場か陸海軍工廠等に徴用され、敗戦でGHQ命令で賠償指定、大蔵省管理となっていたものと思われる。


近鉄名古屋線6402 米野
近鉄名古屋線6236 米野

近鉄名古屋線急行6402 桑名

近鉄名古屋線25号電機 桑名

近鉄養老線5403 桑名

北の大地へ Part7 網走市鉄道記念館

10月26日 第5日目
道の駅『かみゆうべつ温泉チューリップの湯』4:00→4:40湧別港5:00→5:20湧別川河口海岸6:00→6:30→中湧別鉄道資料館6:50→7:30計呂地交通公園8:30→9:20佐呂間町交通公園9:45→12:00網走市鉄道記念館12:25→13:30北浜駅13:50→15:00止別駅15:05→19:00網走鉄道記念館

この日の記念館、最終訪問地は、網走市鉄道記念館です。能取湖に面した、国道沿いのひっそりとした、旧卯原内駅にありました。気をつけていないと見過ごしますが、ここはナビ地図に載っていました。


記念館2階の展示室に上がってみましたが、施錠されていました。連絡先を表示されていましたが、あまり見たい物がありそうでなかったので。ガラス越しで我慢しました。



野ざらしで、49643号機と、スハ47-508が置いてありましたが、保存状態は悪くありません。隣にある喫茶店で、コーヒーを飲みながら聞いてみると、客車は、500円で、お泊り可能だと言います。今夜は、雨模様になるかもと、ラジオの天気予報で言っていました。そして、何よりも、電気が使えるのは、魅力でした。

持参したDC12V→AC100Vインバーターは、容量不足で、パソコンへの充電ができなくて困っていました。カメラ等への充電も、まとめてできます。電気ファンヒーターも貸してもらえます。撮影後、必ず戻るので、宿泊をお願いしました。

今日は、走っている列車を見ていません。宿も決まり、時間もありますので、天気は悪いが、ここまで来たら、北浜駅辺りも行きたいと、向かう事にしました。

ここに鉄道が走っていないとは言え、こんな時ほど、車移動は便利です。道路は、格段に整備されています。いつでも、どこへも、時間にとらわれず、最短で目的地に向かえます。喫茶店のマスターも、鉄道が廃線されて、バスに代わったが、そのバスも利用客が激減、大赤字となって、便数減と廃止が検討されていると、言っていました。ゆっくりとした時の流れは、まだ残っている土地ですが、もっと大きな時代の流れには、逆らえないものがあるのだと、思わされました。


網走市内に入っても、車は少なく、渋滞などありません。1:05で北浜駅に着きました。昔のままの駅舎ですが、壁には訪れた方々の記念物が、ベタベタと貼ってありました。待合室には、若い夫婦連れ1組が、列車を待っていました。

実は、出かける時に、撮影旅行には必要不可欠な、腕時計を忘れてきました。時間を聞くと、ストレートに返事が返ってきません。そして、自分の腕時計を見せようとしています。
直感で、どうやら中国人かなと思い、中国語で聞きなおしましたら、直ぐに返事が返ってきました。逆に、私が、日本人か、中国人かを聞かれました。

聞きますと、中国人だが、今は香港に住んでいる。鉄道で、北海道を回っていると言います。今からどこへ行くかを聞くと、網走駅との返事です。次の列車は、2:20後の15:49しかありません。いまどき、こんなにゆったりと、旅を楽しんでいる人もいるのか、さすが中国人と感心しました。


話をしている間に、釧路行きのDCの到着が告げられましたので、慌てて、ホーム際に設置されたお立ち台に上って、走行シーンを撮りました。
送ってあげたかったのですが、再訪に備えての、見てみたい撮影地があります。少し、話をしてから、良い旅をお楽しみ下さいと言って、別れました。
定番の撮影地ですが、季節がら流氷もなく、空は、厚い雲に覆われ、単に鉄橋を渡るシーンです。


これも、士別→浜頓別間の、故真島満秀氏のお薦めの撮影地ですが、やはりバックが晴れていないと、どこだか分らない場所です。車が一杯止まっていましたので、丁度撮影後に返り支度をしておられた釣り人に聞きますと、やはり秋アジ狙いで、今日は、朝から3本釣れたと、80cm級を見せてくださいました。

こちらも、今日の撮影は切り上げです。明日、撮影したいと思っている、呼人~女満別間のロケハンに向かいましたが、思ったよりも遠く、日も暮れてきてしまいました。残念ですが、途中で引き返し、網走駅の観光案内所で、安くて日帰り温泉ができる、ホテルを聞きました。

元々、網走に温泉などありませんでしたが、日本はどこでも掘れば、温泉はでます。観光ホテルに温泉は、必要不可欠です。2軒を紹介していただき、その内、網走湖畔に建つ、1番大きなホテル網走湖荘にしました。大きな浴槽が3つと、露天風呂もあり、何と言っても泉質が、ちょっと塩めですが、良いです。利用客も2人で、ゆっくりと旅の疲れを癒せました。料金は、500円と、道の駅の隣接温泉と同じですので、お薦めします。

網走市鉄道記念館の喫茶店は、20時閉店です。夕食もお願いしてありましたので、19:00前には、到着しました。

今夜は、広いスハ47の車内で、一人貸切で、ゆったりと、雨の心配もなく寝られます。『ぶんしゅう7号』を9600に横付けして、DVDを見ながら、久しぶりの列車内泊としました。

北の大地へ Part6 佐呂間町交通公園

私事で恐縮ですが、一昨日は、毎年1回開催される中高等学校の同窓会に行って参りました。終了後に、同学年の2次会を、行いましたが、出席可否の返信FAXの中に1通、私宛の文面がありました。そこには、奥さんから、『主人は、同窓会出席を楽しみにしておりましたが、脳溢血で倒れ、入院しました。後遺症として、徒歩困難での車椅子生活、言語障害が残り、退院後の今も、1週間4日も、つらいリハビリを、強いられています。』と、書かれてありました。  

 

何度も、連絡を取りましたが、応答はなく、心配しておりました。ようやく連絡が取れ、お見舞いに行きましたら、内容どおりの容態で、ついこの間まで、元気だった姿が嘘のようでした。折角、還暦を境に仕事を辞めて、自由に好きな事を楽しみたいと、語っていた彼の言葉を思うと、彼の気持ちのつらさが、痛いほど分ります。  

私の家内は、介護保険が始まる以前より、ご老人のお世話をしていて、その道のプロです。幾多の死や、老後生活の困難に接してきています。 

家内はいつも言います。『人間は、いつ死ぬか分らない。老人になれば、確率は高くなる。ころっと死ぬだけなら、まだ良いが、後遺症で苦しむ場合も多い。生きているうちに、元気なうちに、好きな事を思いっきりしておかないと、悔いが残る。家族も同じ思いを受ける。』

私が、自由に勝手気ままな旅を楽しめるのも、家族の理解が、後押ししてくれるからです。私もいつか、体力尽きる時がやってくると思いますが、それまでは、悔いなき人生をすごせるように、頑張ろうと思いました。   

 

 

10月26日 第5日目
道の駅『かみゆうべつ温泉チューリップの湯』4:00→4:40湧別港5:00→5:20湧別川河口海岸6:00→6:30→中湧別鉄道資料館6:50→7:30計呂地交通公園8:30→9:20佐呂間町交通公園9:45→12:00網走鉄道記念館12:25→13:30北浜駅13:50→15:00止別駅15:05→19:00網走鉄道記念館

さて、5日目、3番目の訪問地は、佐呂間町交通公園です。『日本鉄道旅行地図帳』には、場所の記載があるのですが、詳細な道路地図がありません。分岐する道を1本、間違えたようです。中々着かないと、思って走っていたら、広い牧場から、突然に大きな鹿が出現し、進路を妨害しました。森林地帯では、十分に気をつけていましたが、こんな広い、木もない丘陵地帯で、遭遇するとは思いませんでした。

エンジンブレーキと、急ブレーキ併用で、危うく難を防げましたが、危機一髪でした。これが、札幌の先輩が注意していた状況なのかと、肌身で知りました。以後、思わぬ所ほど危ないと、注意を怠らないようにしました。

佐呂間町の町並みに入りましたので、農協ストアに立ち寄り、佐呂間町交通公園の場所を聞いてみました。しかし、地元の人でも良く知りません。買い物していたおばさんが、確か役場の裏手にSLが置いてあったというので、ナビをセットして、役場を目指しました。


※ 運行表は、SLのものとは、違いますので、ご注意ください。



役場に立ち寄り、地図をもらっていきますと、立派な鉄道記念館も併設されていました。SL、郵便車は屋根付で、保存してありましたが、この路線を走ったことなどないD51565、スユニ50-517の展示が、どうかなと思いました。せめて、沿線の方々が、利用したキハ22は、展示して欲しかったと思うのは、私一人だけではないと、思いますが・・・・。


再びサロマ湖沿いの国道に出ますと、名物の帆立貝等の海鮮を並べた店が目に付きます。基礎年金だけが収入の旅行者にとって、切り詰めての毎日の食事は、安いコンビニ弁当やインスタント食品です。たまには、地の名物も食べてみても良いかなと、立ち寄りました。その場で、焼いて、食べてみましたが、やはり、美味かったです。一人前、1000円でした。

北の大地へ Part5 計呂地交通公園

10月26日 第5日目

道の駅『かみゆうべつ温泉チューリップの湯』4:00→4:40湧別港5:00→5:20湧別川河口海岸6:00→6:30中湧別鉄道資料館6:50→7:30計呂地交通公園8:30→9:20佐呂間町交通公園9:45→12:00網走鉄道記念館12:25→13:30北浜駅13:50→15:00止別駅15:05→19:00網走鉄道記念館

次いで、サロマ湖沿いに車を走らせ『湧別町計呂地交通公園』を訪れました。途中、線路跡を見ましたが、既に雑草や林の中に埋もれていました。


湧別町計呂地交通公園は、中湧別と同様に、計呂地駅をそのまま残してありました。
撮影していると、管理人さんが出勤されてきましたので、朝のご挨拶をすると、元駅舎の資料室を空けてくだしまして、丁寧なご説明をいただきました。

展示したあったパネル『湧網線のあゆみ』を見ますと、中湧別と、網走の両端駅から延伸が始まり、昭和10年最初の開業から、18年後のの昭和28年に89.6キロが、ようやく全線開業しましたが、昭和62年に廃線となっています。34年間の短命で終わっています。

廃駅当初は、何の資料がなかったそうです。地元の方や駅員さんが、それまで集めていた資料を提供されて、展示ができるようになったそうですが、補修も必要で、町の予算もあって、いつまで続けられるか心配しておられました。


▲ 保存展示車両 C58139+スハ45-6+オハ62-91

C58
の運転台は、通常施錠されていて、保存状態は、極めて良く、このまま走らせても良いようにも思えました。また、注目したのは、オハ62-91です。昭和29年に鋼体化された車両は、TR11の台車を履き、見ごたえがありました。スハ45の方は、宿泊できるように車内は、改装されていました。一泊300円は、格安です。宿泊は、駅長の家でも可能で、こちらは500円です。

オハ62と言えば、気動車不足の北海道にあって、苦肉の策として登場した、オハ62にディーゼルエンジンを付けた珍車、キハ40(初代)を思い浮かべます。現在、『加悦SL広場』に、静態保存されていますが、非力で、狩勝峠を上るのに、9600を補機にして走りました。そんな時に、乗りたかったと思いました。

機関車には、屋根が付けられた機関車には、11月からは、シートで覆い、冬に備えるそうです。管理人もおられ、大事に補修管理されている印象を持ちました。
次の訪問地は、『佐呂間町交通公園』です。国道を右折して向かいました

読書感想文:「十五号車の男」黒羽英二著

新聞で読んだ書評に惹かれて図書館から借りてきたのがこの本。著者は早稲田大学出身の方で1931年生まれだから今年で78才と言うことになる。当会会員の有栖川有栖氏と同じく鉄道を使ったミステリーと新聞にあったので意気込んで読んだがミステリーとしてはもう一つだが取り上げている鉄道がユニーク、というよりマニアックである。たまたま我が家へ立ち寄った乙訓の長老や今年より大作家先生になる予定のF先生にもご覧に入れたが驚いておられた。作品は短編集である。ではご紹介する。なお、黒羽氏は自分で廃線跡探検趣味だと書いているとおりかなりマニアックで私は知らないものばかりであるから知っている方が有れば簡単に紹介していただければ幸いである。

「月の光」

江戸川乱歩の代表作「押し絵と旅する男」を彷彿とさせる設定の作品だ。乗り合わせた見知らぬ男が語る妖しい思い出話だが場所が「C県の炭と醤油で有名なN町からK浜の漁港A町まで全長39.2kmのレール幅60cmのN軽便鉄道」機関車は「1号機関車より古く、S鉄道が購入し巡り巡ってこのN鉄道へ来たもの」だそうである。さてこの鉄道はどこだろうか?この機関車は?

「十五号車の男」

平塚から横浜までの通勤電車内での席争いの話。つまらないので略。

「幽霊軽便鉄道」

主人公は廃線跡探検趣味の高校教師。ホンダライフに乗って旅に出る。回った廃線跡が出ている。曰く、東野鉄道、昭和11年廃止の塩原電車、沼尻鉄道、昭和46年に廃止の福島電鉄、高畠鉄道、新戸軌道、磐城炭坑軌道、磐城海岸軌道、好間軌道だそうな。本当にあるのか想像のものなのか分からない。舞台は好間軌道の神野木近くの老津温泉で幽霊に会うというもの。

「カンダンケルボヘ」

主人公の父親の思い出を探しにシンガポールへ行き、戦争中に昭南島、昭南市と言われたシンガポールを歩き回る話。略

「古い電車」

一人暮らしの老人が廃墟となった遊園地に残っている古い電車、子供の頃乗った思い出と現実の間を行きつ戻りつしながら独り語りする。「不動尊から宗吾霊堂5.1kmを20分かかって走った成宗電気軌道の電車で、1372mm軌間・下すぼまりのセピア色、ダブルルーフ、八つ窓、鉄製丸ハンドルブレーキ、オープンデッキ、定員客席16名、・・・」とある。

「母里」

もりと読むらしい。これを聞いてどこの廃線跡かと言うことが分かるのは少ないのではないか。広瀬鉄道跡を調べていて見つけたオハグロトンボに子供の頃の母親の思い出がよみがえる。伯陽電鉄→山陰中央鉄道→法勝寺電鉄を探検していて小学校に保存されている302号車に感激している。阿賀駅から母里までの支線を終点まで歩く。

「子生」

これもこなじとよむらしい。鹿島鉄道の廃止直前に鉾田近くにいる同級生を訪ねていくというもの。その同級生と車で廃線跡を巡るがその線が鹿島軌道。沿線の旭村に子生はある。

「成田」

先ほども出た成宗電気軌道についての思い出。作者自身が乗ったらしくかなり詳しい。今もトンネルが残っているとか。

最後に創作ノートというのがついており、それぞれの鉄道についての歴史と時刻表と路線図が掲載されている。

田口鉄道、谷地軌道、鹿島軌道、法勝寺鉄道、鹿島参宮鉄道、成宗電気軌道(成田電気軌道、成田鉄道)、千葉県営鉄道

本当に実在する鉄道なのか、車両なのかを含めて長老、大兄、大老など諸賢のご解説を待っております。

北の大地へ Part4 上湧別町鉄道資料館

10月26日 第5日目
道の駅『かみゆうべつ温泉チューリップの湯』4:00→4:40湧別港5:00→5:20湧別川河口海岸6:00→6:30→上湧別鉄道資料館
6:50→7:30湧別町計呂地交通公園8:30→9:20佐呂間町交通公園9:45→12:00網走市鉄道記念館12:25→13:30北浜駅13:50→15:00止別駅15:05→19:00網走鉄道記念館

昨夜は、風が強かったのですが、車内温度6度で、何とか熟睡できました。オホーツクの朝は早い。約40年前に宿泊した国鉄の寮で、3:30に朝日を見て、びっくりしました。4:00、今日朝は、何としてもオホーツク海に上る朝日を見たい、撮りたいと早起きしました。道の駅『かみゆうべつ温泉チューリップの湯』から。湧別港までは、直ぐです。

朝の湧別港では、漁船が出港準備をしていました。
朝日を見える場所は、どこが良いのか、分りませんので、海岸沿いに車を走らせました。
ようやく、湧別川を越える辺りで、撮影に邪魔だった防波堤が消え、砂浜が見えました。外気温は、2度。晴れた朝方は、気温が下がってきます。あかね雲が広がって、朝日を上がるのを知らせています。

三脚を砂浜に用意して、じっと待ちます。その頃から、ぶんしゅう7号だけだった堤防の道には、車が1台1台と止まって、竿を持った釣人が、砂浜に下りてきました。旬の秋アジ(鮭)を求めて、ここは格好の魚場だったのです。


5:55、オホーツク海からの朝日が上がるショーの始まりです。寒さも忘れて、うっとりと幻想的光景に見入りました。これで、フェリーで見そこなった、朝日のリベンジは、果たせました。

納得して、来た道を戻り、『かみゆうべつ温泉チューリップの湯』に隣接する湧別鉄道資料館の見学です。途中でコンビニに立ち寄り、朝食の購入をしました。かつて、近くにあった湧別駅を見たいと、コンビニの店長に聞きましたが、もう跡形もなく、別の建物が建っているそうです。訪れるのが、遅すぎたようです。

思えば、SL淘汰によるブームが過熱し始めると、今まで珍しい趣味を持っていますねと、熱烈歓迎された機関区や駅構内への立ち入りは禁止され、迷惑顔をされるようになるとともに、鉄道への情熱は薄れて、カメラは、子供達を写すだけとなりました。

情熱が復活したのは、中国です。鉄道は、国防上の機密とみなされ、誰も写そう、写せずの中での反発からか、自然と、目覚めが始まりました。

かといって、熱心な鉄ちゃんでもありません。専門的な鉄道に関する知識は、希薄です。こうやって、気ままに思うがままに、国内外を問わず、あえて予定をガチガチに組まず、気楽に鉄道に乗ったり、撮影したり、温泉に入ったり、地方のB級グルメを食しながら、時には地元の人と話し込んだりして、ぶらぶらと、一人旅をする事が、好きなだけです。決め付けは、最も嫌いますので、いつまでも、旅する自由人でいたいと思っています。



1989年、名寄本線廃線に伴い、廃駅となった中湧別駅に鉄道資料館ができました。


1969年(昭和44年)当時の道内時刻表です。

上湧別鉄道資料館に戻りました。ここは、かつて、名寄本線から網走への湧網線が分岐した駅でした。1日あたり42本ものDCが発着し、急行『天都』、『オホーツク』もありました。その他、9600型が牽引する貨物列車の発着もあって、中湧別駅は、この地区の交通の要所でした。

残念ながら、今は鉄道がなくなりましたが、綺麗に保存されている駅を見て、ほっとしました。
そして、次の目的地『湧別町計呂地交通公園』へと、向かいました。

今年もEVEへ 鉄道同好会へ

掲示板読者の皆さまには長い間ご無沙汰しておりますが、第二の人生、元気にやっております。「晴れたら取材撮影、雨が降ったら原稿書き」と鉄道版“晴耕雨読”の毎日です。

現役会員からも活発な便りが届きました。「青信号」も充実の最新号が完成、恒例のEVEも着々と準備中とのこと、久保会長から連絡がありました。

EVEは次のように開催されます。土曜日も含まれますので、ぜひ見学にお越しいただきますよう、ご案内いたします。

鉄道同好会EVE展示

11月26日(木)~28日(土)10:00~17:00
同志社大学今出川キャンパス寧静館401号室にて
内容:Nゲージ展示、研究展示、青信号販売etc

11/8に行なわれたカミングデーの様子。今年クローバー会の集まりはなかったが、代わりにEVEへ行ってみるかも。

北の大地へ Part3 丸瀬布森林鉄道

10月25日 第4日目
札幌10:30(道中自動車道)→比布Jct(旭川紋別自動車道)→13:00丸瀬布(R1070)→13:15森林公園いこいの森20:30(R330)→21:20JR遠軽駅22:00(R242)→22:20道の駅;かみゆうべつ温泉チュリップの湯

出発前に、『日本鉄道旅行地図帳』の北海道編を購入して、船内で見ていました。道内の鉄道延長キロは、最盛期の3分の1と激減し、大正時代に戻っています。この本には、廃止された路線上に、建設されたSL保存館、記念館や資料館の場所が、記載されていました。

約40年前に撮影に励んだ路線は、今は殆どありません。どうなっているのだろうか? 実際に行って、見てみたい衝動にかられていました。今回の旅は、そういった所を回って見るのも、いいかなと、思っていました。

そして、行った事はなかったのですが、実際に、まだ短距離ながら、SLが走っている森林鉄道が、目に留まりましたが、運行は、10月中旬までと記載されていました。遠軽町の丸瀬布いこいの森の観光用森林鉄道です。

朝食後、先輩と話をしながら、今期は終わったかなあと思って、一応電話をしてみました。
すると、『今日が、最終日です。13時に最終のSLが発車します。』との。思いもかけない返事が、きました。札幌から高速道路で、どれくらいかかりますかと聞くと、約2時間との返答です。十分に間に合う。これは、行くしかないと、話しを切り上げて、お礼を言って、支度をしました。

エンジンを始動し、ナビに目的地をセットしますと、何と、3時間50分と言っています。しかし、ナビも中古で手に入れたもので、データは、2003年版です。6年後は、高速道路、広域農道や、高速同様の高規格道路は、飛躍的に延びています。JRだと、途中で分岐する旭川まで、136.8キロ、最速特急で1:20です。高速道路を100km/h少しオーバーで走れば、旭川までは、1:30程度で着くだろうと、勝手に思い、丸瀬布に向けて発進しました。

今日も快晴です。道中自動車道に入ると、一気にアクセルを踏み込み、高速運転を始めました。車の通行量は、札樽自動車道と比較にならないほど、空いています。

昨夜、先輩から、
①道内は、道が広く、直線、車が少ないので、高速走行する車が多いが、スピード違反の取締りも多い。
②鹿等の動物が、道路を横断する事が、最近多く、事故が発生している。前方確認は、道だけでなく、広く見て走ることが必要。
③田舎道を走行している時は、優先道路であっても、横から進入してくる車に注意するように、普段、車が少ないので、一旦停止する車は少ない。
と、注意されていました。

しかし、この交通量だと、自然に制限速度をオーバーしてしまいます。年金生活者にとって、違反金を支払う余裕はありません。しかし、ノロノロ走行では、他の車の邪魔になっています。そこで、追い越す道内ナンバー車を見つけては、後方を並走する事に終始しました。

快調に走り続けていますが、やはり2時間で着ける見込みは、難しいと分ってきました。丸瀬布いこいの森の事務所に、再度連絡を取ると、3時間以内と言われました。聞き間違えていたようです。このままでは、時間までに到着できるかどうか、微妙な時間です。

道中自動車道は、どこで降りたらいいのか? そこから、どう走ったら早く着くのか、昨日の教訓を生かして、聞いてみました。『旭川インターを過ぎると、本線から分離して、紋別へと向かう無料の高規格道路が、できています。全線開通していなく、途中一部は、一般道を走りますが、また高規格道路に戻れます。これが、最短コースです。』と、説明を受けました。

予定通り、12:00には、高規格道路に入りましたが、ここからが遠い。途中、何度も確認連絡を取っていると、『どこから来られたのですか?』との質問を受けました。京都からと答えると、次の連絡では、『もし、間に合わないようであれば、2時から格納式があります。その間に、最終便をもう1本、運行しますので、安全に来て下さい。お待ちしております。』との、思わぬ、ありがたいお言葉をいただきました。感謝、感謝です。



結局、到着は、1:15でした。森林鉄道駅まで、乗り入れると、『連絡をいただいた方ですね。まだ時間はあります。駐車場に車を入れてからでも大丈夫です。』と、案内されました。
見れば、遊園地を走っているような、ちゃちな鉄道ではなく。結構立派な設備です。何と言っても、雨宮製の21号が、現役で、延長約2キロのナローゲージを走ります。可愛い木曽森林鉄道を走った客車も連結しています。乗ってみるのも良いし、走行写真を撮るのも良いです。

発車時刻が近づきました。『乗車されますか?』と、聞かれました。本当は、撮影を優先したかったのですが、わざわざ、私ごときのために、臨時増発をしていただいています。500円の切符を購入して、乗車することにしました。

機関士は、二役です。機関助手も兼ねます。燃料は、森林鉄道にふさわしい木材です。


雨宮21号が牽引する森林列車は、公園内を8の字に約2キロ走ります。
結構高い木々の中を、色づいた木々の中を、鉄橋も渡って、ゆっくりと走ります。

ナローゲージの列車に乗るのは、はるか昔、乗車した記憶がありました。父の郷里が、井笠鉄道沿いにあり、小学生の頃だったと思いますが、墓参りに行き、笠岡駅から乗車しました。父との思い出の一つです。

父が国鉄に勤めていたこともあって、子供の頃の楽しみと言えば、日曜日に父に連れられ、無料で乗れる国鉄乗車でした。本と言えば、時刻表や路線図でしたので、自然と鉄道好きと、なった訳です。

そんな昔を思い浮かべながら、10数分でしたが、森林鉄道の乗車を楽しみました。
今日も人のご親切が身にしみる時間を過ごせました。丸瀬布いこいの森の皆様方、本当にありがとうございました。





左側は、本日運行された列車。木曽森林鉄道の客車で、右側が、説明表示のある井笠鉄道の木造客車です。

右側は、静態保存の、1930年コッペル社製の、西武鉄道から譲渡された532号



一旦、客車を車庫入れしてから、単機で戻り式典準備です。

2時から開催された、車庫への格納式は、遠軽町長、お偉いさん方々がご出席された立派なものでした。東京から、毎年この日には来ているという、鉄ちゃん数名と一緒に、厳粛な式典を見ました。


式典が終わると、雨宮21号が長い冬を、無事に過ごすために、『缶水』が行われました。見るのは、初めてです。『缶水』とは、タンクやボイラーに溜まった、水蒸気や水を抜く作業です。水を抜いておかないと、厳寒の冬季に凍って破裂します。

缶水が始まりました。初めは、少しずつ蒸気を抜いていきます。10分後、全開し、その後、10分後に缶水を終えます。



20分間のショーでした。今日は、2日間の好天が続いたせいもあって、この程度だそうですが、普通だと、辺り一面が雲海のようになるそうです。雲海に浮かぶ雨宮21号機も見てみたいと思いました。

機関士に聞きますと、『今季は、煙管に光ファイバーを入れて、腐食状況を調査する。来年も走れるように稼動部分は、毎年分解して、札幌の専門会社に送り、精密検査もする。取替えの必要な部品は、新しく製造してもらったりもする。』と、言っておられました。

一の橋のたもとに展示してある客車は、スハ43-703。

雨宮21号
が走る『丸瀬布いこいの森』は、今日で、今期の営業を終えます。長い冬に備えて、建物や表示板の冬支度が、始まっていました。もう今年は、走らない線路を歩いて、次回来るときのためにロケハンをして、『丸瀬布いこいの森』を出ました。

3:50、丸瀬布の日没は、早く迫っています。今夜の宿はどこにしようかと、考えようと、昼食兼夕食を隣接する温泉施設『やまびこ』でとり、その後は、ゆっくりと温泉につかりました。

ここまで来ると、オホーツク海は直ぐです。約40年前に、毎年行った湧網線は、今は廃線となりましたが、懐かしい思い出の地は、どうなっているのか、見たくなりました。スイッチバックの遠軽駅も途中にあります。闇夜の道を、鹿等の飛び出しに気をつけながら、出発しました。


遠軽駅での、スイッチバックする貨物列車です。DD51が、前後に付いているプッシュプルです。
駅内待合室は、ストーブが入っていましたので、久しぶりのステホをしようかと思いましたが、外へ出たら、直ぐに施錠されてしまいました。
今日の宿は、道の駅『かみゆうべつ温泉チューリップの湯』と、なりました。

北の大地へ Part2 SLニセコ号

10月24日 第3日目
余市6:40(1928D)→7:50倶知安8:02(2929D)→9:16小樽9:45(1934D)→10:08余市

着いた時は、それほど寒さを感じませんでしたが、夜間、何度も寒さで起きました。かつて、オートキャンプを始めた時に、通販で買った薄いテントが、寒さを防げず、震えながら、寝れぬ夜を過ごした事を、思い浮かべました。

昨夜からの雨はあがったようですが、車内温度は、3度です。3シーズン用の寝袋で十分だろうと、寒冷地用は用意してありません。しかし、ホカロンだけでは、追い付きません。北海道の寒さをなめていました。でも、自宅では、昼間、まだ半袖のTシャツでも十分でした。これほど、温度差があるとは、意外でした。

薄明るくなった道の駅『スペーシア・アップよいち』の駐車場を見ると、あちこちに本格的なキャンピングカーや、乗用車が泊まっています。乗用車は、寒さのせいか、1台1台と、出発して行きますので、私も洗面後に車を動かし、JR余市駅に向かい、カセットコンロでお湯を沸かして、コーヒーを入れて、暖まりました。

今日の予定は、『SLニセコ号』の撮影ですが、約40年前にC62重連を撮影した場所等は、覚えていません。まずは、小樽~倶知安間を、列車に乗っての、撮影ロケハンです。朝日が差し込んだ余市駅に、6:40始発のキハ40-822+キハ40-821の2連が、入線してきました。雨が、あがった車窓には、地面からの朝霧が、薄く漂い、幻想的な光景が広がっています。青空が見えだしました。今日は、絶好の撮影日和と、なりそうな期待が持てます。

一路、倶知安駅を目指しました。然別駅で、小樽から731系電車と総括制御運転されるキハ201系3両編成(963D)と交換しました。

銀山駅でも同じキハ201系3両編成(3925D快速ニセコライナー)を、交換待ちしました。

定刻の7:50倶知安到着。かつて、広かった構内は、転車台が記念として残されるのみでした。

倶知安からは、長万部から来た、キハ150系2連の2929Dに乗り換えて、小樽まで逆行しました。復路の然別駅で交換したのは、キハ150-10+キハ40-823の2932D列車

山間部は、綺麗に色づいた木々が、線路を囲んでいますが、これはと思う場所は、線路沿いをかなり歩かないと行けません。約40年前は、それでも歩いて行きましたが、今は、そんな体力を持ち合わせていません。道路と交差する場所は、極めて少なく、既に鉄ちゃん達が、三脚をセットして、準備をしていました。




9:16小樽着後、札幌から来る『SLニセコ号』を待ちました。定刻から4分遅れの9:20に、DE10型を先頭に『SLニセコ号』が、到着しました。入線ホームに移動して、写真を撮りますが、大混雑です。C11-171の運転台は、子供たちに開放されています。先頭部に乗って記念写真を撮る人達もたくさんいます。
一旦、改札を出て、朝飯の駅弁を買ってから、9:45発のDCで、車を置いてある余市駅に戻りました。

最初の走行撮影地は、急勾配の始まる然別→銀山間の、218キロポスト付近、国道5号線と交差する上山道跨線橋です。30分前には、到着しました。既に30名以上の鉄ちゃんで、一杯ですが、何とか撮影場所は確保できました。和気あいあいと、通過を待ちました。地元鉄ちゃんに、これからのお勧め撮影地を聞きますと、これからみんなは、車で追っかけをする。道は一本道。集団で移動するので、ついて行けば分かるとの、明解な返事がもらえました。通過時間が近づくと、一気に駐車する車が激増して、大渋滞が起こりました。



11:03、汽笛が聞こえ、色付いた林から、白い煙が見えました。朝霧も消えて、温度も上がってきました。晴れわたった中を一直線にゆっくりと、勾配を駆け上がる『SLニセコ号』、周りからは、カシャカシャとのシャッター音が、何10回も聞こえてきます。ドレーンも吹き上げて、サービスも満点でした。

撮影後、言われたとおりに、追っかけ集団について行きます。2番目は、11:27小沢駅発車シーンです。


3番目は、小沢→倶知安。倶知安峠の20‰急勾配、紅葉の中の、急カーブを時速10km/hで、しんどそうに登ってきました。ここで気が付きましたが、鉄子ちゃんの多い事、多い事、それも立派なデジタル一眼レフカメラを持っての撮影です。約40年前には、考えられなかった事です。

4番目は、倶知安駅発車を撮りたかったのですが、国道5号線は、4車線となって、交通量が激増し、撮影集団を見失ってしまいました。倶知安以東は、朝のロケハンをしていませんでしたので、撮影地点が分かりません。仕方なく、ニセコ駅に向かいました。

ニセコ駅に着いて、進行方向を見ますと、大きなアーチ型がそびえています。平成9年11月に竣工した380mのニセコ大橋です。既に、鉄ちゃん、鉄子ちゃんが、大勢群がっています。急いで、車を反転し、駆け上がりました。

見渡すと、少し頂上部分に雲がありましたが、冠雪の羊蹄山がくっきりと見えて、まさに絶景が広がっています。我々の時代には、目にする事が出来なかった光景です。直ぐに、『SLニセコ号』が、到着しました。間に合って良かったです。

羊蹄山バックの撮影が終わった後、これからの追っかけ撮影地を聞きますと、時間的に難しいと言われましたので、午前中の撮影は、終わりにしました。

今日の宿泊は、勤務時代にお世話になった札幌住いの先輩宅です。あまり遅くにはならないように言われていましたので、札幌までの帰路時間を、ナビを使って調べますと、3時間と言っています。復路の『SLニセコ号』を撮影するには、ちょっと難しそうです。

懐かしの倶知安駅を見に行き、駅前のスーパーで、昼食弁当を買い求めた後、今年3月に逝くなられた、ご尊敬する鉄道カメラマン、真島満秀氏の写真集『日本の鉄道絶景』を見ますと、倶知安→小沢間に、残雪の羊蹄山をバックに走るDCの綺麗な写真が、載っていました。

ここから、近くです。今日の天気なら、『SLニセコ号』は、無理でもDCだけでも撮っておきたいと、撮影地ガイドの地図を見ながら、向かいました。少し、迷走しましたが、未舗装の脇道を走ると、20台以上もの追っかけ集団の車が見えました。

『北四線踏切』が、絶好の撮影地です。2時間前ですが、既に三脚を立てて、場所取りが始まっています。撮影に邪魔な雑草を刈り取ってくれているファンもいます。

踏切近くに車を止めて、先ほど買った弁当を食べながら、時間を過ごしました。
皆さん、結構気さくに話をしています。輪の中に入り、札幌までの所要時間を聞きますと、新しい道路も出来ているので、2時間もあれば十分と言われ、予定を延長して、『SLニセコ号』を撮る事にしました。

『ぶんしゅう7号』の京都ナンバーを見て、話しかけられた人は、自分は少し前まで、長距離トラックの運転手だったが、転職した今の会社の友人から、撮影のために運転手を依頼されて、追っかけを手伝っている。北海道の道は、熟知しているが、『北四線踏切』と、言われても、分からず、ここに来るのは苦労したと、言われました。友人の方は、何と京都の西京極から、飛行機に乗って撮影に来られたという、熱心なファンでした。

札幌までの最短ルートは、道路地図帳を拡げて、詳細に聞きました。5号線から途中で、広域農道を通り、ショートカットするルートで、地元人でなければ分かりません。信号も殆どなく、聞いて正解でした。

『SLニセコ号』通過時刻近くになると、車は激増しました。1車線の林道です。瞬く間に、車の離合は、不可能となり、遠くに止めても、ファンは、やって来ます。

『ぶんしゅう7号』の出番です。屋根を上げて、屋根上テントからの撮影準備をしました。定刻の倶知安駅発車15:28に、汽笛が鳴り響き、踏切の警告音が鳴りだします。付近は、山影が出来てきましたが、斜光を受けて『SLニセコ号』は、来ました。

撮影後は、教えていただいたルートをたどり、無事18時前には、先輩宅に着きました。久しぶりの再開に、夜遅くまで、話が弾みました。そして、寒さに震えての寝られぬ夜は、回避できました。ありがとうございました。