微笑みの国、タイ王国鉄道の旅 Part12 ART(エアポート・レール・リンク)、BTS(スカイトレイン)とSRT(タイ国鉄)の撮影) 帰国

第11、12日目 12月12日、13日

① 18:33(APL)→バンコク空港00:40(JL728)→翌日07;50関空
② 関空(南海)→難波(地下鉄)→梅田/大阪→長岡京

今日は、タイ滞在最終日です。Y崎さんは14:50のフライトで成田へ、私は翌日になりますが、00:40のフライトで関空へと別れての帰国となります。
早朝に起床、まだY崎さんはお休みでしたので一人で、ホテル下のSRT線路上へと朝食前の散歩撮影に出かけてみました。
01_バタヤイ07_満員の372列車▲ 8:02、通勤用客車4両を中に挟んだ9両編成の満員の通勤列車がやってきました。牽引機は、1980製Alsthom製の4223号機です。121.78キロ離れた中部にあるプラーチーンブリー(Prachin Buri)からの372列車です。定刻より約10分遅れの運行でした。

03_支度

▲ 線路脇では、明るい顔をしたお兄さんが、売りに行く食材の支度を始めておられました。まずはお米の炊き出しです。
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緊急メンテナンスのお知らせ

クローバー会 各位

ただ今、デジタル青信号は投稿プログラムに支障を生じたためにメンテナンス作業中です。
作業完了するまで、新規投稿をSTOPしてください。
完了して確認でき次第に、また通知を入れさせていただきます。
よろしくお願い申し上げます。

1/30 20:20追記

先ほどサーバー管理元より連絡があり、ひとまず投稿プログラム関連の問題とデータ消失から復旧いたしました。今現在動作確認中ですので、完全復旧まで今しばらくお待ちください。

1/30 22:40追記

サーバー管理元によると、掲示板の記事は30日17時45頃のバックアップから復元されたとのこと。17時45分以降に投稿された記事・コメントは反映されていませんが、その他は問題ありません。引き続き記事の新規投稿やコメント投稿をお楽しみください。

微笑みの国、タイ王国鉄道の旅 Part11 ART(エアポート・レール・リンク)と、SRT(タイ国鉄)の撮影

第10日目 12月11日

① ラーチャプラロップ11:50(ARL)→13:04バンタップチャーン
② バンタップチャーン13:28(SRT)→ヨムマラート
③ ファランボーン駅近く17:05(トゥクトゥク)→ホテル
④ ホテル(BTS)→CalyPso(トゥクトゥク)→ホテル

38_鳥37_鳥▲ Y崎さんと撮影に励んでいますと、線路脇からお兄さんが綺麗な白い鳥を手に止まらせて我々の方に来られました。手乗り文鳥やインコ等はよく聞きますが、これほどの大きさの鳥を見るのは初めてでした。いったい何という鳥なのでしょうか?
お兄さんは、犬のように後ろを付いていく様子も紹介してくださいました。手乗り鳥マニアには、応えきれないでしょうね。

00_▲ 駅というより停車場で、下校帰りの列車を待っていた女学生のお嬢さんたち。カメラを向けると、元気な笑顔のピースサインで答えてくれました。
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京都市 梅小路公園整備について

本日、町内会長から配布された市民しんぶんの記事です。

蓄電池による給電とは笑止千万。ポール集電であった「N電」の歴史的産業価値を失わせること必定。
他、コメントは差し控えますが、心中穏やかではあろう筈はありません。Kyoto_Shiminnshinnbunn_25_02_01

裏面の写りが甚だしいです。お許し下さい。

近鉄と合併前後の内部・八王子線

モニ214 40-5-25 内部進入
         内部駅に進入するモ二214他3連

   12月30日【27966】で、どですかでんさんより近鉄内部・八王子線の近況報告があった。年間3億円弱の赤字、車両の代替時期にきているが762㎜の特殊な車両故に多額の資金が必要等の理由から、BRT(バス高速輸送システム)への転換を地元に提案している。一方利用者数は年間360万人1日当り1万人と少ない数字ではない。ちなみに三岐鉄道に移管された北勢線は約1万3千~1万5千人で、1㎞あたりの輸送人員は内部・八王子線の方が多い。にも拘わらず収支が悪いのは、乗客の約半数が割引率の高い通学定期客であることが原因の一つと考えられる。(内部・八王子線の乗客割合は通学定期47%、通勤定期31%、定期外22%、近鉄全体では通学定期22%、通勤定期39%、定期外31%)

地元では、最も影響を受ける沿線の高校が反対しているが、近鉄はBRTに転換することにより、運営費用の半減、車両の冷房化(電車は非冷房)、停留所の増加による利便性の向上、運行本数の増加、バリアフリー化が可能となる等優位性を挙げ、心配されている通学時間帯の輸送力に対しては、連接バスで対応するとしている。現在の3両編成の電車と連接バスを比較すると、電車の方が多少有利であるがバスの増発により解決は可能である。所要時間は現在の並行路線バスは道路混雑のため電車の倍かかっているが、専用道路を走行するため、多少伸びる程度としている。

BRTに転換後の事業主体が近鉄直営になるのか、三重交通になるのか、また運賃は現在の水準が維持されるのか(並行する三重交通バスは電車より高い)、不透明な点が多いが、仮に事業主体は近鉄のままで、運賃は名古屋線、湯の山線の乗り継ぎを含めて現行と同額となれば、あえて反対する理由がなくなり、廃止されてしまう可能性が高い。あくまで鉄道の存続にこだわるならば、四日市市が近鉄から施設を買い取り、民間に委託する「公設民託」になると思われるが、そこまでの熱意は感じられない。また、762mmゲージを逆手に取り、下津井で眠っている「メリーベル号」を譲り受けて観光路線化することも考えられなくはないが、沿線に目玉となる観光施設がなく実現には困難な状況である。
近鉄は四日市市に対し8月までに回答を求めており、今後の市の対応に注目したい。

内部・八王子線は、三重電鉄時代の昭和39年12月20日、近鉄と合併後の40年5月25日、43年4月29日と3回訪れており以降は行っていない。尚、三重電鉄と近鉄の合併は40年4月1日である。(三重電鉄は39年2月1日三重交通の鉄道部門が分社して設立され、翌年4月1日に近鉄に合併されたので1年2カ月しか存在しなかった)
39年と40年は京阪沿線の高校時代で、京都からは決して交通の便の良くない四日市までわざわざ行ったのは余程物好きであったのだろう。当時の状況を写真で振り返ってみた。

近鉄との合併時に引継がれた車両は下記の通りである。(合併後の形式、車号で表示)
モニ210形4両(モニ211~214)、モニ220形2両(モニ228・229)、モ230形1両(モ231)、モ240形1両(モ241)、サニ110形3両(サニ111~113)、サ120形1両(サ121)、サ150形5両(サ158~162)、サ130形2両(サ131・132)の以上M車8両、T車11両である。

モニ210形(モニ221~224)
前身の四日市鉄道時代に昭和3年田中車輌でデ50形(デ51~54)として新製。昭和19年2月11日、神都交通を母体に三重県下の交通企業戦時統合で三重交通となった時の改番でモニ211形となり、近鉄との合併でモニ210形となった。
モニ211 39-12-20 内部
日永を発車したモ二211/最後尾のためパンタが下りている。(39-12-20)

モニ211 43-4-29 内部
内部駅で機回し中/(43-4-29)

モニ211-2 43-4-29 内部
機回し後先頭になったモ二211/(43-4-29)

モニ212-2 39-12-20
内部駅で発車待ちのモ二212/(39-12-20)

モニ213 40-5-25 日永発車
日永駅を発車したモ二213/(40-5-25)

モニ214 43-4-29内部
モニ214/(43-4-29)  内部
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こんなんありました。「澁谷駅改良工事」

JR渋谷駅は、平成8年3月16日、埼京線のホームが新設されたが、山手線ホームの東隣に東急東横線のホームがあるため、南側の貨物駅跡に設置された。山手線ホームとは約350m離れており、私鉄各線への乗換えに時間がかかり、駅周辺の商業施設からも離れている。

3月16日、東急東横線の駅が東京メトロ副都心線との相互乗入れにより地下に移転するため、その跡地に埼京線ホームを設置することになった。

現在の渋谷駅は増改築を繰り返しているため迷路のようになっており、日常的に利用している人以外は非常に判りにくいため、駅周辺を含めて大規模な整備工事が行われ、完成は2016年とされている。

東急東横線と副都心線の相互乗入れが開始されると元町・中華街と西武池袋線飯能、東武東上線川越市(一部は森林公園)間が直通で結ばれ、横浜と埼玉県中部の都市間の利便性は格段に向上する。

かつて「犬猿の仲」言われていた「東急」と「西武」がお互いに相手路線に乗入れするのだから時代も変わった訳である。「西武VS東急戦国史」(小堺昭三著、角川文庫)に詳しく記述されているので興味のある方はお読みいただきたい。

画像は半世紀以上前、昭和30年の改良工事の時に乗客に配布した「お願い文書」である。戦後10年も経っているのに「澁」に旧漢字が使われていたり、「誠にお気の毒ですが」等の表現が興味深い。

裏面は山手線の時刻表である。ラッシュ時4分、昼間6分間隔で運転されていたことが判る。興味深いのは、内回りの恵比寿行と外回りの巣鴨行で、駅の電留線に駐泊していたものと思われる。巣鴨駅の駒込寄りに当時の電留線が残っており、保線車両の留置線として使用されている。
お知らせ
時刻表

微笑みの国、タイ王国鉄道の旅 Part10 ウドンターニからバンコクへ、ローカル列車の乗り鉄旅 キハ58発見!

第9日目 12月10日

① ウドンターニ7:54(DIESEL EXPRESS-76)→17:43バーンスー
② バーンスー18:04(MRT)→19:00頃シーロム

③ シーロム日本人街20:20(トゥクトゥク)→20:50バイスカイヨークホテル

タイ鉄道地図_縮小今日は、ウドンターニから、DC急行に乗車してバンコクに向かう乗り鉄旅です。往路では夜行寝台列車でしたので、車窓を見ることはできませんでしたが、今日は朝から晩まで堪能できます。移動距離は568.84キロ、途中下車なしの10時間16分の予定ですが、タイ鉄道の今までの乗車経験からは、相当の遅れが予想されます。 01_切符▲ ウドンターニ発車は、定刻では6:54です。朝は早いのでホテルの美味しい朝食は食べられません。6時すぎにホテルを出発、駅までは荷物がありますのでトゥクトゥクを利用しました。
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巳年にちなんで -蛇草信号場で蒸機を撮る-

今年、2013年は巳年。少し遅れましたが、“巳”に因んで“蛇”にちなむ駅名の思い出を。調べてみると、“蛇”は、さすがに好まれないせいか、地名・駅名としては、あまり見られません。JRの駅では、大蛇(八戸線)、蛇田(仙石線)。有名なのは、その読みからしても、南蛇井(上信電鉄)でしょうか。

しかし、東大阪の城東貨物線には、かつて「蛇草(はぐさ)信号場」がありました。おおさか東線の開業に伴い、平成15年に廃止され、同信号場付近は、JR長瀬駅が設置されています。蛇草は、大字名の蛇草に因んだ名称ですが、種々の理由で、地名としての蛇草も、今では長瀬に吸収・改名されてしまい、人の記憶の中から、その名は消え去ろうとしています。

その蛇草信号場に、昭和43年、大学1年生の夏休みに撮影に行ったことがありました。もちろん未電化、DLの入線もわずかで、蒸機の天下でした。IMG_0001_edited-1

鶴橋で近鉄に乗り換え、俊徳道で下車、炎天下の道を歩いて、信号場に辿り着いた。構内は、上下2線の標準的な配線だ。さっそくD51144〔吹一〕の牽く2867レが来る。、標準的なD51だが、ナンバプレート位置が少し低い。後に続くコンテナ編成も、魚腹形台枠、コンテナの形状が現在とは違う。IMG_0002_edited-1

DD13197〔竜〕の牽く875レ、余りの暑さで、運転室の扉は開けっ放し。DLの入線は、この時代には竜華区のDD13のみ。回送を兼ねたものかもしれない。次位の蒸機はD52だった。

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875レを後部から見ると、この角度からD52であることがよく理解できる。D52142〔吹一〕、当時、吹一区には、2両のD52がいて、いずれも集煙装置を付けていた。ちょうど、ナメクジD5165〔吹一〕の牽く9164レと交換する。IMG_0005_edited-1

貨物は、一時間に上下各1本はあり、本数は稼げる。画一的な写真しか撮れないものの、夏空を邪魔するものは何もない。今から思うと、これが大阪の光景とは信じられない。877レはD51520〔吹一〕、ロッドも降りて、いい角度のD51だった。

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新規投稿の際のお願い 「記事の続きを読む」の挿入方法

デジタル青信号は、平成12年12月に開設以来、はや13年を迎えました。大概のHPは、これほどの年齢になると、投稿が少なくなり細々と運営を続けるか、消滅の道をたどるケースが多いのですが、クローバー会の皆様方の積極的な投稿は続き、益々の維持発展を続けることができております。ありがとうございます。

多岐に渡る記事は、会員以外の方もご覧いただいておられるようで、閲覧回数は、一日平均は約1,000件を数え、大変ご好評をいただいております。
これからも、ご投稿者の皆様方のさらなる投稿をお願い申し上げます。また、投稿するのは気が引けると躊躇されておられる皆様方も、振るっての参加をお願い申し上げます。

投稿が増えるとともに新たな問題も発生してきております。長い投稿記事です。原稿の長さにつきましては、投稿者の意思にお任せいたしております。しかしながら、過去に投稿された記事をスクロールして探す方には、どうしても長文記事は障害となっております。
つきましては長文記事には、必ず「記事の続きを読む」の挿入をお願いします。
(Microsoft Word - 225266217221 1)記事の続きを読む→5作業は、大変簡単です。投稿記事中で、ご投稿者の希望される箇所で、ツールバーから下記のマークを選んでクリックしていただくだけです。これで、一見しますと以降の投稿記事が隠されます。記事を隠す位置については、ご投稿者の意思を尊重します。
※ ご投稿者のかなりのバラつきが出ましたので、致し方なく文頭から文頭を含んでの1(2~3)スクロール(PageDown)以内、写真は1点程度に制限しております。ご了解ください。
閲覧される方は、この「記事の続きを読む」をクリックするだけで、隠された以降の投稿記事を見ることができます。
(Microsoft Word - 225266217221 1)
ご投稿者の皆様方には、少し手間を取らせますが、閲覧される方、記事を探す方のご要望をお含みいただき、ご協力いただけますようお願い申し上げます。

またこれより、長すぎる記事が投稿された場合は、管理者権限によりまして途中でマーク挿入をさせていただく場合もありますので、ご了解ご理解ください。
よろしくお願い申し上げます。

微笑みの国、タイ王国鉄道の旅 Part9 ウドンターニの一日

第8日目 12月9日 ウドンターニの町

08_▲ 朝の散歩で見かけた街路樹に水を撒くおばちゃま。日焼けしないように麦わら帽子にスカーフを巻いて厳重な対策です。回教徒なのでしょうかね。にっこり笑顔にたくましさを感じました。
32_ナチュラル美人▲ 今日はたくさんの笑顔を撮りましたが、その中でも一押しのナチュラル美人のお嬢さん。素朴で清楚な微笑みは、うっとりとさせられました
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微笑みの国、タイ王国鉄道の旅 Part8 国際列車で国境を超えてラオスへ

第7日目 12月8日

① ファランボーン前日20:00(国鉄69)→11:22ノンカイ11:50(国境列車)→11:59タナレーン
② タナレーン駅12:25→12:55ヴィエンチャンバスターミナル(BT)→市内観光→BT
③ ヴィエンチャンBT14:55(Bus)→17:18ウドンターニ

000_さっそうとスクーターで走るラオスのお嬢さん▲ さっそうとラオスの国道をスクーターで走るお嬢さん。信号待ちで我々の車の横に並ばれた時にお願いしますと、にっこりと笑って後ろを走ってくださいました。日焼けもない白い顔に、上品な笑顔がとてもすてきなお嬢さんでした。

01_ファランボーン駅食堂02-1_ファランボーン駅218時前にはファランボーン駅に到着。預けておいた荷物を受け取り、駅内の食堂で小腹を満たしました。

待合室は、夜行列車の乗車を待つ客でいっぱいです。お坊さんの姿も多く見かけました。 続きを読む

微笑みの国、タイ王国鉄道の旅 Part7 メークロン線

第6日目 12月7日

① ラーチャップラロップ(ARL)→パヤタイ(BTS)→サイアム(BTS)→シーロム/サラデーン(MRT)→ファランボーン
② ファランボーン(MRT)→シーロム/サラデーン(BTR)→ウォンウェイヤイ(徒歩)→国鉄のウォンウェンヤイ駅
② 国鉄のウォンウェンヤイ8:35(4305)→9:28マハーチャイ(フェリー・徒歩)→バーンレーム
③ バーンレーム10:10(国鉄4383)→11:10メークロン(バス)→マハーチャイ
④ マハーチャイ15:25(国鉄4306)→16:19ウォンウェンヤイ(BTS)ーロム/サラデーン(MRT)→ファランボーン
⑤ ファランボーン20:00(国鉄69)→翌日8:25ノンカイ

00_マハチャイのおばさん▲ マハチャイの駅市場で買い物をすませたおばちゃま。天秤棒にさげた籠の中にはバケツやいす、鍋やしゃもじ等々の生活用品が入っていました。熱帯の地でたくましく生きる女性の姿をここでも見ました。「頑張ってや」と、声をかけたくなりました。

今日は、みんなで揃って列車を乗り継いで、メークロンへと参ります。朝6時半にはホテルを出発してARL→BTS→BTS→MRTと乗り継いで、まずは夜行列車の出るファランボーン駅の荷物預かり所にスーツケースやらを預けます。
すぐにMRT→BTSと乗り継いでウォンウェンヤイへ、徒歩約15分で国鉄ウォンウェンヤイへとまいります。先乗りでロケハンもできていましたので、皆さんをスムーズにご誘導できました。
それでもホテルからは約2時間近くを要し、着きましたのは、列車の発車する15分前の8:20でした。BTSやMRTが開業してバンコク市内の移動が飛躍的に良くなったとはいえ、各交通機関の乗換は距離もあって、スムーズとは言えません。バンコクに来られる皆様方は、十二分な余裕を持っての行動計画を立てられた方が賢明と思います。
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微笑みの国、タイ王国鉄道の旅 Part6 ナムトク線、旧泰緬鉄道のアルヒル桟道橋、クウェー鉄橋、C56型

第5日目 12月6日

① バイヨークスカイホテル7:30(専用車)→11:15アルヒル桟道橋
② アルヒル桟道橋13:53→14:25ナムトック駅14:40→15:10アルヒル桟道橋
③ アルヒル桟道橋15:22→16:05クウェー川橋17:50→21:00バンコク市内

00_クウェー河▲ 「戦場にかける橋」で有名なクウェー川永久橋の駅名掲示板で気軽にポーズをとってくださったスタイル抜群のお嬢さん。白い綺麗な手が印象的でした。こんな平和な光景が永久に続いて欲しいと思った旧泰緬鉄道の旅でした。

今回のツアーですが、準特急先輩がいつも一緒に行っておられる海外鉄仲間の皆さんの企画に相乗りしました。2011年冬にも中国内新疆ウイグル自治区哈密にある三道嶺露天掘り炭鉱のSL撮影に同行させていただきました。最近では、2012年9月に久留里線・いすみ鉄道・小湊鉄道の撮影にも同行させていただきました。メンバーは、大学は皆さん別々ですが、高校が同じ開成高校だったり、勤め先が京王電鉄で同じだったりの繋がりのある老練鉄ちゃん仲間の6名の方々です。鉄道知識のみならず人生、社会経験豊富な尊敬すべき大先輩の方々ばかりで、私のような一介の風来坊がいるのは場違いと思われますので、極力ご迷惑がかからぬように心がけました。
01_▲ 7:19、バンコク一の高層バイヨークスカイホテルの部屋から眼下には、空港を結ぶエアポート・レール・リンク(APL)高架鉄道とその下を在来線が見えます。丁度、DLが牽引する5両編成の客車列車が走ってくるのが見えました。

DSC_3593今日は乗り鉄組2名と、撮り鉄組5名に分かれて、ナムトク線(旧泰緬鉄道)のアルヒル桟道橋を目指します。撮り鉄組には、チャーターされたパンダバスが用意されていました。

03_踏切▲ 10:57、走ること約3時間半、無人自動踏切を渡りましたので、降りて見ました。踏切警報器、遮断機は腕木式と道路封鎖可動式の両方が設置されていました。
04_アルヒル桟道橋駅▲ 11:15、アルヒル桟道橋に到着しました。70年前の悲惨な歴史とは反対に綺麗に整備された公園の中に停留所がありました。
05_アルヒル桟道橋時刻表▲ 待合室には、ご丁寧に時刻表までかかっていました。1日3往復が走行しています。
07_アルヒル桟道橋
▲ アルヒル桟道橋に向かいました。補強のために4線区間をなっている間を少し歩いてみました。
06_アルヒル桟道橋▲ 全長450.06mの木橋です。よくも重機もなく人力だけで造り上げたものだと実際見ますと分かります。
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微笑みの国、タイ王国鉄道の旅 Part5 タイの蒸気機関車撮影

第4日目 12月5日

① ファランボーン8:20(DC)→9:39アユタヤ ※実際は約30分遅れ発、約57分延着
② アユタヤ16:37(136)→18:40ファランボーン ※実際は、約45分遅れ発、約58分延着

00_微笑みの車窓▲ アユタヤ駅で蒸気機関車を撮っていましたら、隣のホームに着いた列車の窓からの柔らかな視線を感じました。振り返ってシャッターを押した1枚です。微笑みの国民が持つ寛容に満ちた優しさの姿がありました。

00_微笑みの車中▲ 今回はもう1カット。アユタヤへ向かうDCでお向かいに座られたお嬢さん。乗車中に難解なタイ語を教えてくださいました。コォープ・クゥン(ありがとうございました)。穏やかでさわやかな微笑みが、とってもすてきでした。

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こんなん ありますけど・・・

Doshisha Timesに掲載されたDRFC紹介記事に対する米手作市さんのコメントで、DRFCの会旗にある動輪とレールのデザインを平山氏が作られたということを初めて知りました。平山氏というお名前も名簿に出てこないので全く存じ上げないのですが、あのデザインは旗だけではなく 写真のような会員用のピンバッジにもなっておりました。皆さん覚えておられますでしょうか。米手作市さま、近々平山氏に会われるとのこと、酒の肴にでもしてください。なお現品は クローバー会博物館が完成のあかつきに寄贈すべく 我が家の金庫に厳重保管してあります。

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年の始めは 住吉へ

年が明けてから半月が経過しました。皆さんはどのような正月を送られたのでしょうか。

正月から早くも活動全開という方もおられると思いますが、私の場合は、昨年末に周囲の状況が変わってしまい、活動の停滞を余儀なくされました。しかし、これもまた人生、気を取り直して、自分なりの趣味人生を貫きたいと思ったところです。

130102_153遠隔地への旅行など、叶わぬ夢になってしまった現在、手始めに正月に目指したのは、住吉詣ででした。思い出すのは、毎年の恒例行事とされた乙訓老人のことです。めっきり足腰が弱った老人が、住吉詣を止めてから数年が経ちます。その老人の思いを引き継ぐつもりで、今回は、住吉大社から天王寺駅前まで、久しぶりの歩きの撮影を楽しみました。

次から次へ来る電車、どっと乗り込む乗客、正月の住吉は、まさしく路面電車の最後の聖地でした。

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阪堺線住吉鳥居前は、正月三が日恒例の阪堺電車の大増発。つぎつぎに電車がやって来る。大勢の初詣客にも増して、カメラ人間が放列を敷いていた。

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現役最古参となったモ161も大車輪の活躍、10両のうち、8両が稼動していた。

130102_033sy住吉交差点に立つと、恵美須町、天王寺駅前、浜寺公園、住吉公園の四方向から電車がひっきりなしに顔を出す。警笛とクロッシング音が絶え間なく聞こえてくる。130102_059

阪堺線では今春に新車、低床車がデビューの予定で、モ161の大増発もこの正月が最後かも知れない。

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神ノ木で“ギラリ”を狙う。阪堺線は、大きくSカーブを描いて、南海高野線を越す。

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Wakuhiroさんも、本掲示板で、あべのハルカスと鉄道との組合せについて述べておられた。阪堺線も姫松付近からも遠望できるのは、さすが日本一高いビルだけはある。まだ照明がついていないので夕景も寂しいが、完成後の撮影が楽しみだ。130102_442

東天下茶屋も、私の好きな北天下茶屋に劣らず、いい雰囲気を持った駅だ。専用軌道上に対向式ホームがある。暮れていく中を発車したモ161形を流してみる。130102_420

暮れてからも電車の増発は止むことなく、専用軌道上を続々と上下の電車が行く。130102_448sy_edited-1asd

最後は天王寺駅前、あべのキューズモールの2階から流してみた。一帯はまだ再開発工事の途上だ。天王寺から難波まで、LRT新設の構想もあり、阪堺線はどう変わっていくのだろうか。ちょうど、都電カラーの502が、きらめきの中に映えた。