北近畿タンゴ鉄道応援 あかまつ・あおまつに乗りに行こう

DRFC-OB(クローバー会)の会員の皆様へのお知らせ

11月10日のカミングデイで開催されました会合におきましてご紹介案内させていただきました来年の平成26年春に開催させていただきます懇親会旅行「北近畿タンゴ鉄道応援 あかまつ・あおまつに乗りに行こう」の日程を5月10日(土)と11日(日に決定しましたので、ここにお知らせと、ご出席できなかった会員各位に改めてご案内をさせていただきます。

下記の案内では年内受付中と掲載しておりますが、引き続き受付を行っていますので、ご検討ください。

<4D6963726F736F667420576F7264202D20966B8BDF8B45835E8393835393539※ 上の案内文はVer4です。拡大できます。クリックしてください。また任意に案内文のみの印刷もできます。その際は、一旦デスクトップに保存してから印刷にかけてください。

【追記】 記載しております信楽高原鉄道につきましては、大津の86さんのご投稿にありますとおり国からの援助が取り付けられることが決まり、復旧再開の見通しがついたと思われます。
北近畿タンゴ鉄道は上下分離方式により、民間運行会社の募集が現在行われています。

行程につきましては、早朝の京都出発となりますので間に合わない方は、豊岡または途中の駅からのご乗車になってもOKです。また帰路も福知山にて現地解散としておりますが、途中での離脱もOKです。参加者各位のご都合に合わせてください。

申込み受付は、年内までとさせていただいておりますが、その後にご都合がついた方はご遠慮なくご連絡ください。但しあおまつ号の車両指定席は35名までです。定員オーバーしました際は、もう1両が連結されていますので、こちらに着席ください。

会員各位の他でご家族、ご親戚、ご友人を同行希望される方はお問い合わせください。
このご案内は、会員のメール登録者には後日に配信させていただきます。
詳細内容につきましての進展があった際には、デジ青また参加者にメール配信をさせていただきます。
ご参加申込み、お問い合わせにつきましては、実施担当の小西までご連絡下さい。会員の皆様方の奮ってのご参加を役員一同、お待ち申し上げております。

2013年 続 秋の北陸路一人旅 Part6 福井鉄道、北府駅鉄道博物館

第6日目 11月4日

昨夜はゆったりと、えちぜん鉄道あわら湯のまち駅からすぐ近くのセントピアあわらで温泉に入ってから道の駅さかいを宿泊地にしました。2回目の秋の北陸路の旅も最後の宿泊地でもくつろげましたが、早朝の豪雨と強風に起こされました。雨は止むことなく8時過ぎまで続きます。これでは朝の市内軌道線での撮影は無理と、ぶんしゅう7号で朝のTVを見ながら朝食をゆっくりと、とりました。
ようやく雨が止み市内に着いたのは9時になっていました。これでは旧型車両は撮れません。
01▲ 9:06 市役所前の併用軌道の並木は綺麗な紅葉になっていました。大都市と比べればマイカー世界とは言え、渋滞のない福井中心部です。軌道線を邪魔する車は殆どありません。

02▲ 9:15 真っ赤なラッピング電車が来ました。私の勤務時代の会社はこういった交通広告を主流にしていましたので分かりますが、年間広告料金は数100万円です。収入の少ないローカル鉄道にあっては貴重な収入源です。

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信楽高原鉄道復旧へ

先日、信楽高原鉄道の復旧が難航していて、廃止されそうだとお伝えしましたが、今朝の新聞に嬉しいニュースが出ていました。調査の結果、復旧費が算出され、甲賀市の負担の大半が国の鉄道災害復旧事業費補助制度の対象となる見込みになったため、早ければ来年度内に全面復旧の可能性があるということです。信楽高原鉄道側では運休中にも少しでも費用を捻出しようと、記念乗車券の発売などを行なっていましたが、その努力が実りそうです。img297

 

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モニ13027

「昭和の電車」シリーズは、京阪、近鉄、東武の「ガラクタ編成」が続き、南海モニ1045、国鉄モニ13027と荷電が続いている。

国電に興味をお持ちの方は、今回の解説文を読んで「?」と思われたに違いない。
関さんや新聞社には既に訂正依頼が届いているかも知れないが、誤り部分を中心に解説したい。
最後の段落「この後、鋼体化改造されて他の仲間と同じ平凡なロクサンスタイルの荷電となり」とあるが、ここまではその通りである。(細かいことにこだわる方から見れば、この車は乗務員扉の上までヘッダーがあったので他の車とは違いまっせ、と言われるかも知れないが、そこまで言う必要はない)

その次からが間違いの部分で「阪和線に転じたのも束の間、再度改造されて中間部が切り開かれ無蓋化され、凹形の転用車となり中部圏に転じていった。」とあるが、これはイラストの「モニ13027」ではなく全く別の「モニ13027」のことである。

国電ファン以外の方は「何のこっちゃ」と思われるだろが、「モニ13027」は初代と2代目が存在し、関さんはこの部分を混同されておられる。

具体的に解説すると、初代モニ13027(関 三平さんのイラスト)は大正15年日本車輌製のモハ10110が昭和16年3月吹田工場で荷電に改造されて宮原区に配置。27年7月鋼体化改造でモニ53023に改番。28年6月の改番でモニ13023となり53年6月に廃車になった。ずっと本線筋で使用され阪和線に転属したことや他形式に改造された事実はない。
車号の変遷は次の通りである。
デハ63208→モハ10110→モニ13027→モニ53027→モニ13023→クモニ13023

2代目モニ13027は、大正12年汽車会社製のモハ10153が28年1月日本車輌で鋼体化改造され品川区に配置。2月に鳳区に転属して阪和線で使用。36年6月豊橋区に転属。同年10月豊川分工場で配給車クモル23050に改造され60年2月に廃車になった。
車号の変遷は次の通りである。
デハ63253→モハ10153→モニ13027(2代目)→クモニ13027→クモル23050

 初代モニ13027→モニ53023→クモニ13023/ (38-11-23) 大阪
この車とクモニ13022は吹田工場で鋼体化改造され、乗務員扉の上までヘッダーがあるのが特徴である。
クモニ13023 38-11-23
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2013年 続 秋の北陸路一人旅 Part5 富山地方鉄道 立山線、不二越・上滝線

第5日目 11月3日

016:10 道の駅滑川で、今日も寒くなった朝を迎えました。
連休中とあって同じように宿泊地に選ばれるマイカー族も多くご挨拶を交わします。

今日の撮影地は前回見えなかった立山連峰をバックに走る立山線と春のシーズンにしか行っていない不二越・上滝線としました。午後からは帰途につくために福井へと向かいます。

02▲ 8:30 立山線沿いを走りますが、今日は薄いですが黒い雲が空一面を覆っています。期待した朝焼けはありません。幸い雲は高く、立山連峰の稜線は墨絵調で見えました。下段~釜ヶ淵立山に向かう14763+14764の311列車です。

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原鉄道模型博物館に行って

期限が切れそうなJALのマイレージ特典航空券を使って、日帰りで東京方面に出かけ、横浜の原鉄道模型博物館に行って来ました。原鉄道模型博物館は、昨年の7月にオープン、すでに行かれた方も多くあるのではと思いますが、原信太郎氏が製作・所蔵している膨大な鉄道模型を中心に、鉄道関係の写真、収集した希少なコレクションを集めて公開したものです。館内は撮影禁止でしたが、この11月からストロボ、三脚を使わない写真の撮影が解禁となりましたので、写真を交えて少し紹介させて頂きます。横浜駅から歩いても5分くらい、横浜三井ビルという高層ビルの2Fにこの博物館があります。ビルの玄関正面に専用のエスカレーターがあり、これを登ると展示室です。

博物館の入り口

博物館の入り口

全部で12のコーナーがあって、模型の展示、氏の鉄道の旅の一端を紹介したコーナー、一番切符、時刻表のコレクションも紹介されています。 続きを読む

EVE展示から「京都市電で偲ぶ昭和の同志社」-2-

烏丸今出川をめぐる

烏丸今出川交差点の四隅からは、さすがに多くの写真が撮られている。さまざまな角度から見ていこう。(黒字は展示キャプション、青字は補足)

EVE 小西001131sy131130_033sy【3】雪の烏丸今出川を曲がる臨系統の500形。右側に見える小さな瓦屋根の建物は、もと交番。大学紛争時代には何度も焼き討ちにあった。現在の地下鉄への出入り口に当たる。(昭和44年 撮影/小西啓文)

最古参の500形が両方向の交通を遮断して、ゆっくり左折するのは、“古豪のお通り”と言う感じで堂々としていた。カラーは、烏丸今出川南東角から見た現況で、交差点を囲んでいた大学の土塀も、新しいものになっている。交番の跡に、地下鉄への出入り口が造られた。

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国鉄モニ13027号

韓国では美女は整形で作られているが、この電車は改造なのになんでこうもブサイクなんだろうか?改造するにも何か意味があるデザインなのだろうか?
こうなると、最後に書いてある前面傾斜二枚窓の凹型への再改造後のスタイルも是非とも見たいものだ。
国鉄モニ13027号(文)_NEW 国鉄モニ13027号_NEW

 

EVE展示から「京都市電で偲ぶ昭和の同志社」-1-

では予告どおり、EVE展示の「京都市電で偲ぶ昭和の同志社」の展示内容を振り返って見ましょう。

考えたら、同志社前の京都市電は、クローバー会全員の共通項であり、ある意味、会活動の原点とも言えると思います。そのまま展示するのも能がないので、昨日、定点撮影した現況も添えました。

1950年代の烏丸今出川

EVE 沖中IMG0004sy【1】烏丸今出川を直進する6系統600形。元文堂書店、パチンコ屋と懐かしい建物が続く。元文堂の前の塔屋は、市電のポイント操作塔で、交差点を曲がる市電のポイントの切り替えを行っていた。交差点のど真ん中に131130_032syある、警官の乗る交通指示台とともに、昭和30年代の光景である。

(昭和34年 撮影/沖中忠順)

現在の烏丸今出川交差点。背後の建物はすべて姿を消して、新しい業態の店舗になっている。並びにあった名物の“わびすけ”も一昨年に消えた。市電が消えた交差点は、意外に広く見える。

EVE 沖中IMG0021sy【2】烏丸通を行く21系統1000形と、4系統900形。自動車にも時代が感じられる。ちょうど良心館の前あたりで、右手の建物は、中学校の校舎で、取り壊された立志館の北隣にあった。                            (昭和34年 撮影/沖中忠順)

131130_023sy現在の同所、同志社中学跡地に巨大な良心館が建ち、風景は一変した。ホームカミングデー、EVE展示も良心館で行われた。ダットサンタクシー、プリンススカイラインの後ろにある建物は中学のものであることは明らかだが、EVE展示で同志社中学出身者が4人協議しても、何の建物かは結論が出なかった。1000形の21系統は、当時、四条烏丸-烏丸車庫-四条大宮-銀閣寺という複雑な経路だった。阪急河原町延長に伴う四条線の整理により、昭和38年から、九条大宮終点に変更された。

50年ぶりの木次線

西村さんの「雲南市役所(木次)のC56108」を見て、たまらなくなって木次へ旅立ちました。 はじめてこの地に足を踏み入れたのが昭和38年(1963年)、いまから50年の昔になります。 かつては奥出雲の山村で、斐伊川沿いの田畑を牛が耕していたのどかなところでした。しかし、最近の旅ブームで、テレビでたびたび紹介されているのを見ていると、「おろちループ」なる国道が側を走り、木次線は陰陽連絡幹線の地位を追われ、いまや廃線の危機ですらあると聞きました。今回の旅行がささやかな応援になればいいと思って計画しました。

さて出発と言うことになりますが、昔と違い時間や同行者への配慮がいります。時間はともかく同行者(言うまでも無く家内)は荷物が多く、足軽く飛び乗り・飛び降りはできません。やむなく福田さんの逆鱗を覚悟の上で自動車を使うことにしました。しかし、ご安心下さい。立場を自覚している私は、要所要所では車を乗り捨て、家内も捨てて乗り鉄に徹しました。今回は、二つの目的を持って計画しました。一つは一畑電鉄と木次線の乗り歩き、もう一つは石見銀山の見物です。 続きを読む