第3日目 9月26日(水)
今日は朝から不銹鋼號さん、加賀野井さんと3人で山口へ向かう下りの迂回貨物列車を追っかけします。6時前に 米子駅前のアルファワンホテルを出発して撮影地①へと向かいました。
約13㌔、所要時間35分で到着です。
撮影場所は昨日よりも岸本寄りに撮りました。

▲ 6:55 伯耆溝口~岸本 撮影地① Google座標;35.367119, 133.422873
既に鉄ちゃん数名がおられましたので横に並んでシャッターを切りました。
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第3日目 9月26日(水)
今日は朝から不銹鋼號さん、加賀野井さんと3人で山口へ向かう下りの迂回貨物列車を追っかけします。6時前に 米子駅前のアルファワンホテルを出発して撮影地①へと向かいました。
約13㌔、所要時間35分で到着です。
撮影場所は昨日よりも岸本寄りに撮りました。

▲ 6:55 伯耆溝口~岸本 撮影地① Google座標;35.367119, 133.422873
既に鉄ちゃん数名がおられましたので横に並んでシャッターを切りました。
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フランクフルト (Frankfurt) ドイツ
最後の“早回り”は、ドイツに戻ってフランクフルトのトラムです。フランクフルトは人口が約70万余り、ベルリン、ハンブルク、ミュンヘン、ケルンに次ぐドイツ第5の都市。ユーロ圏17ヵ国の中央銀行の欧州中央銀行本社がある国際金融の中心地で、世界最大の見本市会場や、世界最大級のハブ空港・フランクフルト空港や、ヨーロッパ最大級の駅であるフランクフルト中央駅があって、経済・産業・交通の要衝です。
▲フランクフルトの近郊交通は、Sバーン(DB近郊鉄道)、Uバーン(地下鉄道)が中心。トラムはフランクフルト交通会社(VGF)の運営で、市街地に限定されるものの、稠密なネットワークが張り巡らされている。一部はUバーンにも乗り入れている。
学生時代から約半世紀、結構全国を旅したつもりでも 実は通過しただけの県も多く、最近ではなるべくそのようなスキマを埋める旅に出かけるようにしています。長野県塩尻市付近で10月に行われる某行事へのお誘いを受け、若干紅葉には早いけれども喜んで参加することにしました。広島から塩尻へ行くなら名古屋で中央本線に乗り換えて、というのが一般的なルートなのですが、上記のようにスキマを埋める工夫もしなければなりません。そこであえて遠回りのルートを設定し、鉄目的ではなく 観光が主目的の旅に出ることにしました。まずは静岡へ向かいます。私はジパング族ですから「のぞみ」には乗れません。早起きを苦とせず、なるべく乗り換えなしで、急ぐ必要のない田舎のジパング族向けに、広島始発6:13の東京行き「ひかり460号」という列車が設定されています。三原発は6:41で、京都までは各停、そのあとは名古屋、浜松、静岡と停まる「区間急行」のようなダイヤです。8分とか10数分とか停車する駅もあり、長時間座ったままではエコノミー症候群になるので、ホームへ出てストレッチやウオーキングができるようにと、心配りあるダイヤとなっています。このダイヤの列車は日に1本しかなく、なぜか下りには岡山止まりしかなく、広島行きは設定されていません。
4時間ほど乗って疲れてきた頃の10:32に静岡着です。ここから先はレンタカーです。まずは三保へ向かいました。
第2日目 9月25日(火) その2
13:07 やくも7号で出雲市駅に着かれた不銹鋼號さんと合流しました。ただこの時間では下りの迂回貨物列車は仁方に行ってしまっていますので追っかけるのは不可能です。上りの迂回貨物列車ならこちらに向かってくるのでこれをキャッチしようと意見は一致しました。そして不銹鋼號さんから出雲市に着く前に神戸川を渡る鉄橋があるので行って見たいとの提案がありました。
▲ 13:43 出雲市~西出雲 撮影地 Google座標;35.356739, 132.739551
神戸川の鉄橋に行って見ましたが連続トラス橋で撮りようがありません。堤防を下りて築堤沿いを見ていくと雑草が茂ってはいますがインカーブがありましたのでここを撮影場所にしました。コンテナ車両は7両に増強されています。
迂回貨物列車は出雲市に32分間停車しますので、次の撮影地は先ほども行った斐伊川橋梁にしました。
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7月の西日本豪雨災害から4ケ月が過ぎました。私がおります広島県三原市には、まだ避難所生活を強いられている方が大勢おられます。比較的軽微な被害で済んだ、床上浸水の被害を受けられた知人(85才)が 「昨日ノーやっと新しい畳が入ってノー、久しぶりに畳の上でゆっくり寝られたワイヤー」とうれしそうに話されていました。山陽本線も全通し、山陰迂回貨物は終わりましたが、支線にはまだ不通区間が残っています。JR西の当初見込みより早く復旧する区間もあるようです。
バーゼル (Basel) スイス ②
▲宿泊したホテルの前は、トラムが通る絶好の撮影地だった。
昼間のバーゼルでのトラム撮影を終えて、いったんホテルで食事を済ませ、再び街へ出ました。この時期のヨーロッパ、現地時刻で午後8時ぐらいまでは、じゅうぶん明るく、手持ちでの撮影が可能です。しかも、この時期は、全欧で1時間のサマータイムが実施されていますから、実際は午後9時ごろとなります。ホテルの目の前に、Grosspeterstrの停留場があり、すぐ近くを、スイス国鉄(SBB)、ドイツ国鉄(DB)、フランス国鉄(SNCF)を跨ぐ橋があり、絶好の撮影地となりました。
キハ143のうち、1995年1月31日に苗穂工場でオハフ51 34から改造された104には着雪防止対策を施して登場しました。781系電車の運転室上と同様のスタビライザーや後位妻面の装置が目立ちました。他には床下機器箱の変更などで、落成後効果の検証が行われたそうです。いつ撤去したのでしょうか。
台湾から帰国してすぐに前回、青春18きっぷで回った長崎・山陰路で会った迂回貨物列車の撮影に向かうことにしました。列車ダイヤと撮影場所は、893-2さんにご教授いただき、同行は準会員になられた不銹鋼號さんと加賀野井さん、相棒はぶんしゅう7号です。
▲ 山陽線一部運休のため迂回貨物列車は岡山~山口を伯備線・山陰本線・山口線と大きく迂回して走行します。この時期の日中の撮影可能区間は上りが仁保~黒坂、下りが黒坂~津和野です。番号を入れましたのは893-2さんお薦めの撮影地で、あらかじめIpadのグーグル地図のマイプレイスにラべルを入力してたどり着けるようにしておきました。こうしておけば撮影後直ぐに次の撮影地に向かえますので追っかけがスムーズにできます。
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天気が良いので近場をお散歩。行き先は近鉄田原本線大輪田駅界隈。界隈というと何やらにぎやかなイメージであるがそんなことはない。以前、田原本線の電車に乗っていて、ふと窓から外を眺めていると五輪塔が目にとまった。ちょっと気になる。ということでその場所へ行ってみようと考えた。電車の窓から見えるのであるからその場所からは電車が撮れるはずだ。それと開業100周年記念で10月14日からの行先サボが付けられているか。気になるのである。家から新王寺駅まで数種類あるお決まりのルートを歩いて行く。行先サボが取り付けてあればいいのにと思いながらブラブラ歩いていると新王寺に着いた。駅に停まっている電車を見ると
赤の電車に行先サボが取り付けてあった。さあ、赤の電車に乗って大和田へ行こう。
1994年3月に新形式の中間付随車キサハ144 101~103,151が登場しました。101~103はオハフ51 7,9,10から、151はオハフ51 33から4両すべて苗穂工場で改造されました。101~103は戸袋窓が小さいのが特徴です。
101~103にはトイレがなく、151はトイレ付きでしたがのちに撤去され104に改番しました。
また、登場時は非冷房でしたが、その後冷房化されました。
第5日目 8月31日(金)

① 東萩 7:44⇒8:55 益田
② 益田 8:57⇒9:46 浜田
③ 浜田 10:05(快速〕⇒12:53 米子
④ 米子 12:56(快速)⇒14:35 鳥取
⑤ 鳥取 15:19⇒16:06 浜坂
⑥ 浜坂 16:16⇒18:03 豊岡
⑦ 豊岡 18:31⇒19:39 福知山
⑧ 福知山20:17⇒21:27園部
⑨ 薗部 21:48⇒22:29 京都
⑩ 京都 22:35⇒22:47 長岡京
▲ 7:44 今日は5日間の青春18きっぷの旅の最終日です。東萩から15時間3分、ほぼ1日をかけて10本の列車を乗り継いでの帰宅です。
1番目は、益田行キハ47系2両編成1562Dに乗車してのスタートです。
昨日、ちょっと通りがかった近鉄田原本線新王寺駅。駅前は大賑わいでした。しばらくするとぞろぞろと駅のなかへ。駅員さんが「次の列車は貸切列車です。一般のお客様は乗車できません。」との案内がありました。添乗員さんもおられます。どうもツアーのようです。めったに人だかりのない新王寺駅で大変な人だかりですのでお巡りさんも何事かという感じでした、駅員さんから説明を受け納得の様子。しばらくすると西田原本から緑色の電車がやってきました。11時43分着です。大勢のツアーのお客さんと電車を降りてきたお客さんで新王寺駅はごった返しています。そして、折り返しの貸切列車として11時49分発でツアーのお客さんを乗せて発車していきました。
調べてみると、このツアーは近鉄が企画して開催されました。新王寺駅から西田原本駅、そして大和西大寺駅で折り返して、再び来た道を新王寺駅に帰るものです。弁当とお茶、そして記念のクリアファイル付きです。やはりポイントは田原本連絡線を乗車できることでしょう。ツアーに参加された方は十分に楽しまれたことでしょう。 続きを読む
最近広島駅は橋上化され、南北の通り抜けが容易になり 大きな商業施設(EKIE)もできて様変わりしました。一方地上ホームに降りると昔のものが姿をとどめています。広島へ行った帰りには5番ホームで上り電車を待つのですが、5番ホームと6番ホームの間には長距離客車列車が走っていた頃の給水栓がいくつも残っているのが目にとまります。
第4日目 8月30日(木) その3
① 門司港 14:07⇒14:13 門司 14:34⇒14:41 下関
② 下関 15:01⇒15:42 小串 15:45⇒16:59 長門市
③ 長門市 17:36⇒19:29 奈古 18:42⇒18:58 東萩
当初、今回の旅は山陰線経由で長崎へ向かい、帰路は門司港からは阪九フェリーで海路で戻る予定でしたが台風の影響と持病の再発治療のため新幹線で長崎に向かい、リベンジだった山陰線幡生から京都へのルートに変更となりました。
海路での旅は次回に持ち越しとしましたので今日は萩に宿をとりました。
◀ 14:07 門司港からは813系に乗車して門司まで、乗り換えて関門トンネルを越えて下関に14:41到着。とっても広いホームです。
7月の西日本豪雨によって不通だった広島県内の山陽本線が9月30日に開通すると同時に、今度は9月末の台風24号によって柳井・下松間がまた不通となっていました。10月13日、山口県内のその不通箇所も復旧し、99日ぶりにJR貨物のコンテナ列車がようやく通り抜けられるようになりました。結局山陰迂回貨物は10月中旬まで走ったのでしょうか。

平成30年10月14日 中国新聞朝刊
10月14日 また広電のカープ花電車を撮ろうと、朝からいそいそと出かけました。
第4日目 8月30日(木) その2
筑豊電鉄撮影後はホテルに戻ってチェックアウト、次はJR九州811系に乗って門司港へと向かいました。
▼ 国鉄時代に製造された415系も現役で運用されています。
北海道の国鉄がJR北海道になって少したった1990年3月、オハフ51を改造したキハ141-1,キハ142-1が試作車として登場し、札沼線を走り始めました。そして1995年夏まで増備され形式も増え総勢44両の所帯になりました。
気動車ではありますが客車改造でしたので興味がわき、時々出張で札幌へ行く仕事がありましたので、出張をできるだけ土日の前後にしたりして全車現車調査をしたのですが写真も少し撮りました。その後札沼線の電化により10両のキハ143がワンマン化改造・ATS変更・保全工事を受け苫小牧に移り、JR東日本の「SL銀河」用としてさらに変身した仲間が4両あって、残りは廃車になったりミャンマーに譲渡されました。
現在ではキハ141が形式消滅し国内では14両が残るだけになりましたが、札沼線を走っていた頃に撮影した(出張のついでに撮影しましたので全車を網羅できていませんが)キハ141系をご紹介します。
なお、「キハ141系」とは、キハ141形,キハ142形,キハ143形,キサハ144形計4形式11番代(SL銀河用含む)のグループの便宜上の呼称です。当初、「キハ140系」と呼んだことがあったようですが、JR九州に出自の異なる「キハ140形」がありますので「キハ141系」とします。