18きっぷで東海道を巡る -7-

鶴見線大川支線を訪れるには、前項のように、分岐駅の武蔵白石にはホームがないため、ひとつ鶴見寄りの安善で乗り換える必要があります。訪れたのがちょうど冬至のとき、関東では、関西より20分は早い日の入りを迎え、16時30分になると、周囲はもう薄暗くなりました。決して優れた風景ではないものの、目障りなものも隠してくれて、あたりは暮色に包まれました。そんななかに、見掛けはごく当たり前の列車ながら、異色の列車が到着しました。
高圧線を併設した背の高い架線鉄柱も、最近はあまり見かけなくなった。暮色の安善に到着したのは……。

 

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客車廃車体訪問記 北海道編12

【旭川市神居町】スユニ50 512(手前)  スハフ44 16(見えないが奥にいる) 1993年10月14日撮影  旭川市神居町台場 レストラン古潭荘
国道12号の神居町台場交差点南側にあった所謂ドライブイン 古潭荘 で店舗として使用されていた。スユニ50の右に少し写っているのはキ751。建物・車両とも現存しない。

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 18きっぷで東海道を巡る -6-

鶴見線の枝線を巡る ①

全JR路線のなかで、まだ相当残っている未乗車区間の踏破も、遅々としながらも継続中です。しかし、乗りこぼしの区間はアプローチ困難なところが多く、心して訪問しないと距離も伸びません。とくに関東地方には意外な未乗車区間が残っています。鶴見線もそのひとつです。過去に、ひと駅だけ乗ったものの、未乗車区間として残ったままでした。南武線の尻手から浜川崎へ向かい、鶴見線の踏破をスタート。尻手~浜川崎は南武支線と呼ばれ、貨物線として敷設され、のちに旅客営業をするようになった。3番ホームが南武支線の専用ホームで、終端部は行き止まりになっている。車両は205系の2両編成のワンマンカー、本日はクモハ205 1001+クハ204 1001

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年末のご挨拶

今年もあとわずかとなりました。
振り返ると当会にとっては変化と発展の年だったように思えます。
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秋の中国路 Part9 山口線 D51200号機とC571号機の重連を撮る

第9日目 11月26

昨夜も車中泊で宿営地は893-2さんお泊りの東萩駅から約2.2㌔と近い「道の駅 萩しーまーと」でした。今日は一緒に惣郷川橋梁を渡るトワイライトエクスプレス瑞風」を撮影後に山口線を走るD51200号機C571号機の重連、SLやまぐち号も撮るという豪華なスケジュールです。
▲ 東萩駅から惣郷川橋梁までは26.6㌔と近く所要時間は約34分です。7時50分前後に通過しますので7時半には現地に着きたいと6時起床で宿営地を出発しました。
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客車廃車体訪問記 北海道編11

【深川市桜山温泉パラダイス跡】

ナシ20 7  オロネ10 2058  オロネ10 68  43.754609, 142.010047  1998年9月14日撮影  深川市桜山温泉パラダイス跡  最寄り駅北一已
画面右先頭からC58 98+ナシ20 7+オロネ10 2058+オロネ10 68

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◆ た~ちゃんの電車めぐり  ⑪

平安京の都大路の幅は広く、朱雀大路は84mもあったとか、戦国時代や度重なる大火で、京の街路は幅が狭くなっていました。明治維新後、中心のひとつであった三条東洞院で東西の道幅を測ってみますと、6.5mぐらいです。京都電鉄(京電)が線路を敷く時に選んだルートが川筋を中心としたのは、そのためでありました。西洞院通は、川を暗渠化して道幅を確保しました。

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秋の中国路 Part8 山口線 D51200号機を撮る

第8日目 11月25

昨夜は「道の駅 仁保の郷」で宿営、2晩続いての車中泊となりました。もう寒くになっていますので68歳の老体が選ぶ宿泊方法とは言えませんが、何しろ年金生活者です。愛妻を亡くなってから年金支給額は約4万円も下がってしまい、余裕ある暮らしがさらにできなくなりました。趣味の鉄ちゃんを続けるためにはホテル代はできるだけ削っていかないといけない辛さがあります。

▲ 6:40 夜明けが来た「道の駅 仁保の郷」です。泊っている車の殆どは鉄ちゃんたちです。
今日合流する893-2さんは、
新山口に8:29着のさくら541号でやってこられます。
7:05 9号線を新山口駅に向かって走り、途中のマクドで朝マックです。
8:34 新山口駅で893-2さんをキャッチして、第一撮影地の宮野~仁保の「大山路踏切」を目指します。朝に脚立が設置で来ているのは確認済みですので余裕の到着でした。
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秋の中国路 Part7 山陰本線 惣郷川橋梁

第7日目 11月24

昨夜は迷った末、結局3泊目の宿営地となる道の駅「道の駅 サンピコごうつ」で早めの就寝としました。既に零下近くまで冷えるので下段寝台です。

7時過ぎに起床、併設されている6時開店のコンビニで朝食を仕入れてから西へと向かいました。ナビが教える走行予定距離は104㌔、所要時間は約1時間50分です。
7:26 
途中、海の見える「道の駅ゆうひパーク浜田」休憩をとった後、惣郷川橋梁へ向かいました。高台にある道の駅から俯瞰できるのは浜田漁港です。かつてオートキャンプ世界大会が浜田で開催された時に家族で参加しました。その時に採り立ての海産物を買い込むために朝の浜田漁港市場に行った楽しかった思い出が浮かびました。

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客車廃車体訪問記 北海道編10

【旧上砂川駅跡】

スユニ60 218  43.480508, 141.989825  2017年8月15日撮影 旧上砂川駅跡
◆ナハフ25018→(1955年鋼体化改造 日車)スユニ60 218→1984年廃車。
1994年に廃線になった、函館本線砂川から分岐していた独立した線名のない枝線の終点で、上砂川町の東端に位置している。線路は西から東へ延びてきたので、ほぼ東西方向で終点のはずだと思うが、駅舎とホーム跡のようなものは南北に長い。角度が90度違うようである。1996年夏頃に移転したらしい。駅名標には「上砂川」と「悲別(かなしべつ)」が表裏に書かれている。TVドラマ「昨日、悲別で」の舞台になったらしい。また、「悲別」という演歌もある。
客車・車掌車の向こう側は、空き地が広がっており、公園でもなく運動場でもなく駐車場にしては区画のラインがない変な広場である。とにかく人がいないので、何も聞けない。町を貫通する道路はここより1本南で自動車の通行はあるが、駅の周りの道路は郵便局の軽ライトバンが走って行っただけである。通行人は皆無だった。現車は現在北海道で唯一残ったスユニ60である。灰色に塗装され、荒廃はしていないが塗膜が点々と剥がれ始めていて心配である。車掌車はヨ8055の由。

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奥山先輩のアルバムから

DRFC奥山先輩のアルバムにありました、梅小路のC575です。
▼C575 1970(昭和45)年1月11日 梅小路機関区
▼C575 1971(昭和46)年5月9日 梅小路機関区

C571の画像も沢山あります。
▼C571 1973(昭和48)年10月1日 梅小路機関区

コメントにかえて、まだあったC575の写真

 米手作市さんのコメントでC575を先頭に重連のイベント列車ですが、この列車の写真が東海道線の高槻で撮ったものがありました。しかし、重連ではありません。

よく見ると東海道線塚本ー尼崎間で撮った重連列車とヘッドマークが違うようです。

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客車廃車体訪問記 北海道編9

今回から都合により1回につき1箇所のペースですすめて行く。

【大麻駅】

スハ45 2  43.072287, 141.497383  1996年8月6日撮影  大麻駅  カレーレストランじかん

大麻駅南口。窓が大きく拡幅され車体が駅舎にめり込んでいるようで、よくできた張りぼてのように見えるが、TR47も履いていて本物の客車である。レストランの入口は駅舎内にある。現在は駅舎が改築され、無くなってしまった。ここは北海道立図書館の最寄り駅でもある。

◆スハ45 2(1952年新製 新潟)→1966年近代化改造 旭川工→1985年廃車。

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秋の中国路 Part6 三江線から木次線へ

今日は「ばけぺん」さんのご希望もあってから三次間で撮影します。その後木次線の坂根坂根を目指しまます。ここでお別れ、私は日本海へと向かい山陰本線の撮影予定です。

第6日目 11月23
▲ 8:29 撮影地 口羽~江平 Google座標;34.841624, 132.722262
三江線らしく赤褐色の石州瓦の屋根をバックに江の川橋梁を行く列車が川面に写る場所を探して選びました。山霧が出ていたのも良かったですね。橋梁は、江平手前の第四郷平橋梁です。
423Dは、キハ120 311+キハ120 307の編成でやってきました。


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名鉄850系

米手作市さんご紹介2017.12.22[91442]付け名岐鉄道850系の写真である。「なまず」の愛称の元となった正面飾り帯はこの時はなくなっていたが関先生の描かれた顔をよく留めていたように思う。1988年(昭和63年)に廃車された。

1972.09.11 犬山線徳重~大山寺 柏森行き2351+851←

客車廃車体訪問記 北海道編 補遺

客車廃車体訪問記 北海道編1【90822】で紹介した函館市ききょう幼稚園にあるオハ51 5004の現役時代に撮影したネガが出てきたので、本編の途中で補遺として紹介する。函館駅で1997年10月11日(土)撮影。

▲オハ51 5004  2-4位側 快速「海峡」(何号かメモしていない)の2号車。左の3号車は、カラオケルームカー オハフ50 5010である。

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C575に便乗させていただきます。

 C575 がC571に部品が提供されていたとはああ~知らなんだ。梅小路のC57はすべてがきれいに整備されていましたが、当時はC575は神様のように思っていた機関車でした。それでは私の持っているC575の写真をご覧ください。

たぶん、初めてのC575の写真だと思います。DRFC入会間もないころです。同じネガに新入会員コンパの写真がありました。

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三江線の代替バス路線

ぶんしゅう殿のすばらしい秋景色の数々を堪能しました。夜霧の中を行く最後のコマもいいですね。さて今朝の新聞記事からご紹介します。

平成29年12月22日 中国新聞朝刊

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速報 C575

米手作市様からのリクエストにお応えして、C575の写真を取り急ぎご紹介します。とは言え、「はよしてやぁ!」と言われそうでフィルムスキャンしているヒマがありませんので、簡易画像で失礼します。これでご勘弁を。

昭和45年 梅小路機関区にて 形式入りナンバープレートが輝く。  隣にはDF50が。

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C571の”同級生”

今日の夕刊に表題のような記事が出ていました。
阪神大震災の折に、鷹取工場(当時)で修理中だったC571が転げ落ちて大破、再起不能か?との報道があったことを思い出しました。思えばこのC571は、記事にもあるように北陸地方で崖崩れに巻き込まれ、転落大破したことがありました。それでも「1号車」のおかげで廃車されずに今日まで生き残ったのです。記事によると保存されていた僚機・C575から部品を取って修理をしたと言うことです。考えて見れば部品と言っても最近の電車と違って規格など有ってないような時代で、C57同士でも合うかどうかなどやってみないとわからないだろうと思います。幸い川崎重工同士だったらしくうまくいったようです。
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