河 昭一郎様
ご覧いただく写真は昭和36年(1961年)7月25日の撮影です。この10月から「まつかぜ」が走るため、キハ82系が梅小路に入庫して訓練をしているところを撮ったものです。後に見えるのは扇状機関庫で今の機関車館です。左の留置線が京都客車区で少し客車も見えます。右に山陰線の築堤が見えて今もある給水タンクがそびえています。この場所は今はJR貨物の梅小路駅で、トラックターミナルになっています。
小湊鐡道キハ5800型に寄せて
キハ5801/ (45-3-13) 五井機関区
関さんのイラストと比較すると、後日の改造によりヘッドライトが2灯化されている。
「昭和の電車」3月16日【83157】で、小湊鐡道キハ5800形が紹介されたので少し補足したい。
キハ5800形(5800・5801)は、昭和35年、国鉄から譲り受けた電車、クハ5800、5801を日本車輌でDMH17C形ディーゼルエンジンと液体変速機を取付け気動車化した車両で、台車は、元々履いていた明治45年式釣合梁式鉄道院電車形台車をコロ軸受化等の改造を行った上で使用した。
車号は「クハ」を「キハ」に変更したのみでそのまま使用した。
前歴は、大正時代まで遡り、下記の通りである。
キハ5800
鉄道院デハ二6463(大正3年)→デ二6458→モニ3009(昭和3年改番)→三信鉄道デ101(昭和11年譲渡、鋼体化)→デ301(昭和16年改番)→鉄道省デ301(昭和18年8月1日買収)→クデハ301(昭和26年更新修繕クハ化)→クハ5800(昭和28年6月1日改番)→昭和34年2月廃車→小湊鐡道キハ5800→平成9年3月廃車
キハ5801
鉄道院デロハ6136(大正3年)→デハ6370→デ二6459→モニ3010(昭和3年改番)→三信鉄道デ102(昭和11年譲渡、鋼体化)→デ302(昭和16年改番)→鉄道省デ302(昭和18年8月1日買収)→クデハ302(昭和26年更新修繕クハ化)→クハ5801(昭和28年6月1日改番)→昭和34年2月廃車→小湊鐡道キハ5801→昭和53年1月廃車
キハ5800は、廃車後も五井機関区の庫内に保管されているが非公開である。
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京阪大津線の新塗装色
京阪大津線の塗装色が新しくなりました。本線と同様のデザインに統一することとなり、最初の700形1編成が新塗装になりました。今年度から4年かけて順次石坂線の600,700形、京津線800系 の全車両の塗装が新しくなり統一されます。
数日前から営業運転に入っていたようですが、今日出かけた折、たまたま新塗装色の車両が来ましたので写真を撮ることができました。また、塗装色の変更により、京津線と石坂線が同じ配色になるため、両路線を識別しやすくするために路線識別マークが設定され同時に運用が開始されました。新塗装はあまり違和感なく結構良いかなと思っていますが、800系はどうでしょうか。そもそも800系の色は琵琶湖の水面をイメージしたものだけに、地元の人間としてはなじみがあります。
↑ 路線識別マークは右上の行先表示の横にあります。ヘッドマークのような大きなものがつくのではと思っていましたが、これでは見にくいですね。 続きを読む
こんなモンもありまっせ!
凍える大地への旅 2016年 Part19 青春18きっぷの旅 豊富⇒稚内
国鉄クモハ123型
「阪急・能勢P-5」の御本をお預かりしています
本日米手作市様にお会いして、関先生から頂いた「阪急・能勢P-5」をお預かりしました。豊富な写真と読み物、残念ながら内容について詳細にご紹介できませんが、阪急ファンならずとも手元に置いておきたい1冊ではないでしょうか。大きな書店でないと置いていないのではと思いますので、まず一度ご覧になられたらいかがでしょうか。閲覧ご希望の方は事務局までご連絡ください。
こんなモンもありまっせ!
小学校時代からの写真を整理していると「これはなんや?」と撮した本人が首をかしげるモンに出くわします。ちょっとそんなモンを数枚ご覧に入れます。
向日町運転区が出来たのはちょうど中学を卒業する頃です。まだ新幹線もない田んぼの真ん中にダンプが砂煙をあげて整地されていきました。やがて線路が敷かれ、建屋が出来てきましたが、架線が引かれるのはずっと後になってからでした。
その頃の運転区は多分に漏れず出入り自由(とは国鉄は言っていませんが)で、カメラを持って日参していました。この写真はそんな頃に撮りました。
凍える大地への旅 2016年 Part18 青春18きっぷの旅 音威子府⇒豊富
三江線関連の小ネタ
平成29年6月20日の中国新聞朝刊に載っていた記事です。広島県安芸高田市にある歴史民俗博物館が三江線の企画展を計画しているが、手持ちの資料が少ないので 貸してくださいとのお願い記事です。
同館は毛利元就の居城 吉田郡山城のふもとにあります。ところが吉田町は鉄道によるアクセスが悪く、芸備線向原駅、吉田口駅、甲立駅が最寄り駅ではありますが、クルマでないと行きにくい場所です。
資料を借りたいとは言いながら、持参して来館できる人に限るということですから そんな枠をはめると どれだけの資料が集まるか疑問ですね。もし万一「貸してもいいよ」というお宝があれば 私宛にお送り頂ければ 私が飛脚となって吉田郡山城麓まで届けることは やぶさかではありません。
凍える大地への旅 2016年 Part17 青春18きっぷの旅 旭川⇒音威子府 ラッセルを撮る
第10日目 12月18日 その4
音威子府行きのキハ54-504に荷物を置いてからホーム先頭へ行き、午後2時頃には来るであろうラッセルを待ちました。
▲ 14:02 予想通り旭川に到着したラッセル車のDE15-2515号機編成です。南稚内からやってきてこれから折り返すようです。
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48年前(1969年頃)に多分同じところから眺めてみると
加島 近況
凍える大地への旅 2016年 Part16 札幌→旭川 青春18きっぷの旅 その1
今回の旅の締めくくりは稚内行きです。初めて訪問したのは18歳の夏で約50年も前のことでした。サハリンへと渡る航路の乗換えのために日本では見られないドームがある乗換駅が設置されていました。また訪問したいと思っていましたが行けずじまいとなって昨今はJR北海道から「JR単独では維持困難な線区」と、宗谷本線(名寄~稚内)がノミネートされてしまいました。
このまま無視していたら知らぬ間に廃線になってしまうかもしれない。折角札幌まで来ているこの機会に乗りに行くべきと思いました。ついでに宗谷本線に走るラッセルカーも撮ってみたいと欲張りも出ましたので、これに合わせることにしました。
ただ、ラッセルカーは毎日走行しているようなのですが、今冬の運行ダイヤがネットからは調べても分かりません。昨年のダイヤは分ったので多少は変更があっても同じぐらいだろうと挑戦することにしました。
乗車は勿論鈍行列車、今日は途中の名寄までの乗車です。運賃は4,320円になりますのでお得な青春18きっぷ(1日単価2,370円)を利用です。
▲ 10:01 札幌駅10番線で発車を待つ721系電車の155M。ラッシュもすぎたのでガラガラの車内でした。
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「阪急・能勢P5」上梓
《阪急P-5こと10形は新京阪鉄道が製造した11m級小型木造車。P-4 ・P-5A・P-5B形の各形を総称してP-5(デロ10形)と呼ばれ-中略-すでに「のせでん」での引退から50年が経過したが、本書は阪急及び能勢電で活躍したP- 4・P-5 木造車の活躍の記録である。》巻頭より
本日、関三平先生から「阪急・能勢P5」という素晴らしい本が出るとのお知らせを頂きました。
同時に本を一冊、クローバー会に贈呈頂きました。
中には当時としては貴重なカラー写真や、P5の全ての系譜が掲載されています。もちろん、関先生の写真やイラスト、原稿「愛しのデロ」もご覧下さい。
この本は事務局長にお渡ししますのでどなたでもご覧頂けますが、是非とも書店でお求め下さい。
「トレランス8号」 三陸鉄道を走る 〈下〉
▲釜石から戻りとなる「トレランス8号」は釜石18時10分発、移りゆく車窓は、次第に夕闇に包まれようとしていた。
往きの「トレランス8号」は15時25分に終点の釜石に到着しました。釜石と言えば、駅前に新日鉄釜石製鉄所があり、巨大な煙突から煙を吐き出していた40年前の印象が忘れられません。その後、高炉もなくなり、今では線材を生産するだけの一部門になり、工場は大幅に縮小されています。釜石駅周辺も津波被害がありましたが、ほとんど感じられないほどに復旧していました。この釜石駅ホームで本日のもう一つのイベントが行われようとしていました。
トレランスのあとは釜石から秋田へ
総本家青信号特派員氏より「トレランス8号三陸鉄道を走る」が紹介されました。記事にもありますように、私もこのイベントに参加し、大船渡線BRTと三陸鉄道に初乗りするとともに、震災後6年が経とうとしている気仙沼・陸前高田・大船渡・釜石・大槌の様子を駆け足ながら実見してきました。ここでは被災地レポートではなく、イベント終了後 釜石から盛岡、八幡平を経て秋田までの旅の中で出会った鉄道を紹介したいと思います。
製鉄で栄えた釜石ですが、現在高炉はなくなり 製鉄所は発電事業や鋼線製造に特化し、加えて津波被害もあって 釜石にはかつての活気は感じられませんでした。新橋・横浜、京都・神戸間の鉄道開通に続き 明治13年に釜石鉱山から釜石港まで 我が国3番目の鉄道として工部省釜石鉄道が開通しています。その後いろいろな変遷をたどりながら、昭和40年3月末まで富士製鉄の762mm軌間専用線として 蒸気機関車による貨物輸送が行われていました。その専用線で最後まで活躍していた蒸気機関車が保存されていますので、訪ねてみました。
異形式連結電車ー6-
「トレランス8号」 三陸鉄道を走る 〈上〉
▲三陸鉄道南リアス線の恋し浜駅に停車する、佐竹さん貸切列車「トレランス8号」、レトロ調車両36-R形が充当された。時間を掛けた、ゆっくり旅で、まさにトレランス精神あふれる列車となった。
佐竹保雄さんの貸切列車「トレランス8号」が、6月11日に三陸鉄道南リアス線盛~釜石で運転されました。「トレランス」号は佐竹さんが皆さんを招待し展望車を連結した京都発京都行きの特別列車で、1989年に運転を開始して、ほぼ一年ごとに運転され、1996年の7号で完結を見ました。
その後、佐竹さんは、震災復興を願って毎年「東北展」を開催され、三陸鉄道の南リアス線全線開通時にも、自ら撮影に出掛けられるなど、とくに三陸鉄道とは強い絆が生まれ、20年ぶりに場所を変えて「トレランス号」の復活運転となったものです。クローバー会でも参加者を募ったところ、私と、西村さんご夫妻の計3名が参加することになり、本隊の約30名と現地で合流して乗車を果たしました。車中では、“震災の語り部”から当時の様子を聞いたり、そのあとはバスに乗り換えて、佐竹さん思い出の地や震災遺構を見学したりと、震災後6年目を迎えた現地でその思いを新たにしました。
こんなモンもありまっせ!
札幌市電のディーゼルカーの話題に悪のりします。
というのは、この写真を撮った記憶が無いのです。いろいろと忘れてしまう歳になりましたが、この写真に関することだけを忘れるというのもヘンです。従って説明はできません。
と、言うことをご理解の上ご覧下さい。
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