▲ 先日12月15日、JR西日本から2018年3月17日に改定する列車ダイヤのあらましの発表がありました。その中に廃止直前の三江線も含まれ、現在最後の乗車記念にと超満員になっている424D-426Dの混雑緩和のためにもう一本、三次~江津を直通するDC運行が追加されました。運行期間は15日間、最後の荒稼ぎと言われる方もおられますが全国から押し寄せるファンにこれだけでは対応しきれないだろうと思われます。
私は「葬式鉄」を好みませんが愛妻の実家があった三次となれば思い入れもあります。見送りに参加するつもりですが廃線となる3月31日は、愛妻の一周忌(3月29日)が終わってすぐです。ぶんしゅう7号で深夜走行していくか、新幹線+レンタカー利用で行くか思案中です。
桜の季節は直ぐです。三江線の開花時期は4月上旬前後です。毎年1週間幅で前後していますが、開花が早ければ最後の桜とコラボで撮れるでしょう。
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名岐鉄道850系
賑わう三江線
廃止まであと3ケ月余りとなりましたが、見納め、乗り納めに訪れる人が増え始めているようです。今朝の中国新聞記事からご紹介します。
3両編成の写真をまだ撮ったことがないのですが、3両でも4両でもワンマン運転なのでしょうね。三江線に限りませんが、廃止間近になると賑わいだすといういつものパターンですね。
客車廃車体訪問記 北海道編8
函館本線星置駅・余市駅付近2題を紹介する。
【札幌市手稲区】
記号番号不明 43.129983, 141.209908 1995年10月12日撮影 最寄り駅:星置 ラーメンチェーン山岡家手稲店の裏
正面屋根上に「レストラン MERRY TRAIN」という看板を付けている。既に店舗ではなく、事務所兼休憩室のようだったので内部調査はしていない。現車は『鉄道ピクトリアル』441号96頁①に写真があり、苗穂工場で試作したサロンカー「旅路」である。正面中央に消えかけたトレインマークが残っている。手前の展望室にはソファがあり、絨毯室、個室寝台が設備されていたそうである。これはその後アルファコンチネンタルに結実した。
『鉄道ピクトリアル』718号59頁②にも「旅路」の写真があり、それらの写真と現車を比較すると、正面にスカートが増設されたことがわかる。展望室窓と屋根部の境目のパイプは此処で付けたものである。
現車は、①によればスハ45 37、②ではスハ45 40と食い違っている。ところがスハ45 37は振内の保存車(本稿第5回【91151】)であり、スハ45 40は次項のラーメン店「そーらん」で利用ということになっている。他にスハフ42 509やスハ45 12という説もある。塗り替えをおこなったようで、各標記は無く、銘板も無かった。狭かったため写真は撮っていないが、画面奥の妻面に尾燈が無かった記憶がある。これも現存しない。どなたか、是非ご教示いただきたい。
この時はちょうど札幌に出張中で、会社のコンパクトカメラを借りて撮ったので日付が入っている。
2017年晩秋の中国路 Part4 三江線へ その2
◆ た~ちゃんの電車めぐり ⑩
湯口先輩の瀬野八に便乗する
湯口先輩に遅れること5年でこれほど変わってしまったのです。
昭和39年2月と4月の撮影です。電化されて変わったことは、美観が天と地ほど悪くなったことは当然ですが、旅客列車が電化されて列車長の長い貨物列車だけが蒸機で残ったため大カーブで補機まで入れることが難しくなったことでした。2月は大雪に見舞われ、4月は架線工事にジャマされました。
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客車廃車体訪問記 北海道編7
小樽市内3題を紹介する。
【小樽市総合博物館前】


スハ43 717 43.211358, 141.002044 2016年7月13日撮影 小樽市総合博物館前 レストラントレノ
小樽市総合博物館前で「レストラントレノ」という屋号のイタリアンレストラン。スハ43は客席で厨房は隣のワフ29688。
◆スハ43 277(1953年新製 日支)→(1976年改造 五稜郭車セ)スハ43 717→1984年廃車。
スハ43 717はスハ43形のラストナンバーである。
瀬野八本松1959年3月
憎っきネオパンSSのヴィネガー・シンドロームに関してはTSURUKAME氏が総括して下さったのでスルーし、シコシコ修整できた(修整不能も何コマかある)「せのはち」画面をご笑覧賜りたい。この10km区間を短靴で歩いたのだが、上りの機関車が盛大に散布する砂で、全く以て歩きにくく、再々靴に入った砂を排出せにゃならんかったのが未だに記憶に残る。恐らくは保線区が時折砂を撤去していたんじゃないか。何しろ枕木が埋まっていたのだから。
上の地図は当時のもので、今では沿線に家が立ち並び、かつては山陽本線と完全に並行していた国道2号線は、八本松側に4km程バイパスができてショートカットされ、その区間は山陽線と少し離れている。
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これでご勘弁を! 井原さん!
◆ た~ちゃんの電車めぐり ⑨
今年もサンタがやって来た
デジ青の画面にも雪が降りだして、平成29年もあと半月程度となりました。今年も広電のクリスマス電車が走るということで、INUBUSE氏と撮影に出かけました。昨年のクリスマス電車は広島駅、横川駅、西広島駅での短い折り返し時間を利用して、子供たちにプレゼントを配るという趣向でした。今年はそれに加えて、一般客も乗車できる日が設けられ、夕暮れ時から白島線を3往復します。まずは千田車庫を訪ね、許可を得て出発前のハノーバー電車238号の撮影から開始です。
◆ た~ちゃんの電車めぐり ⑧
最近、当欄では音信不通になっている“た~ちゃん”が、病院帰りに訪ねて来られました。体力・気力の衰えから、投稿・コメントが滞っている理由を聞かせてもらったあと、“これなんやけど”と差し出されたのが右の写真の資料でした。聞けば、数年前に京都の染色業界向けの機関誌から原稿依頼を受けて、連載をしたものでした。《路面電車から街づくりを考える》のシリーズタイトルどおり、京都市電の歴史から、欧米のLRTまで、路面電車の蘊蓄が詰まった好個の読み物になっています。
“これを、ぜひデジ青に載せてくれ~。ワシの思いが詰まっているんや”。なるほど京都で生ま育った、電車が大好きな“た~ちゃん”ならではの内容です。“介護投稿”の一環として、しばらく本シリーズを綴ることにしました。来年80歳を迎える“た~ちゃん”、これが決して遺言状ではなく、これから一層の活動を願ったエールとして綴っていきます。
オエ61309←オハ531はこれでしょうか?
客車廃車体訪問記 北海道編6
石勝線沿線2題を紹介する。
【安平町鉄道記念館】

スハ45 25 42.877047, 141.806459 2017年8月15日撮影 安平町鉄道記念館
◆スハ45 25(1953年新製 日支)→1964年近代化改造 五稜郭工→1987年廃車。
追分駅裏手に安平町鉄道記念館があり、スハ45 25とワム80000が3両置いてある。駅裏とはいうものの駅には裏口がなく、徒歩なら少し遠回りして歩かなければならない。公園のようになっているが、12時過ぎなのに人っ子一人居ない。前の道路を通る自動車もなかった。
地図を携えて線路端を歩いた日々 -17-
思い出の明智、岩村、、、
宇都家氏の記事を大変なつかしく拝見しました。明知線と明知鉄道には何度か訪ねていますが、岩村の思い出を少しだけご紹介します。まずは国鉄時代。

昭和45年10月18日 岩村駅で発車を待つ明智行き461レ C1274
客車廃車体訪問記 北海道編5
日高本線沿線3題を紹介する。
【富内鉄道資料館】
オハフ33 1568(左) スハ45 26(右) 42.782898, 142.219105 1998年9月13日撮影 穂別町 富内鉄道資料館
旧富内駅を活用した施設で、最近は「富内銀河ステーション」と称しているらしい。
旧貨物側線に留置されている客車の用途は、ライダーハウスだったらしいが、車内にはタイヤチューブが積まれていた。なにしろ駅舎は閉まっていて、周りに誰一人いなかったのでわからない。塗装は綺麗である。
ここは 明智、岩村、、、
国鉄明知線にも明知鉄道にも乗ったことはありませんが、明智(線名と字が違うようです)には6年前に行ったことがあります。明智は古い街並みを活かし、「大正村」として観光地となっています。施設のうちの一つのおもちゃ資料館には古い電車やSLの魅力的なブリキのおもちゃが展示されていました。北原氏ならこれらの素性もたちどころに鑑定されるのでしょうか?













