京阪・近鉄相互乗り入れ

表題の件につきまして丹波橋等での湯口様、西村様の車両撮影記録を拝見させていただきました。湖畔のヒマ人様の現場経験での話は毎回大変興味深いものがあります。有難うございました。私も相互乗り入れを撮影したことがあるとコメントを入れさせていただいたので、今回近鉄京都線の上鳥羽口-竹田間での京阪車両を報告します。撮影は1966年10月4日の秋晴れの日でした。

1001+1512+1008の京都行きで拙い写真であるが、当時の本線の中書島-淀-八幡町(現八幡市)間の様な広々とした場所がおわかりいただけるかと思う。▼

s-66.10.4上鳥羽口1001+1512+1008京都行

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奥津軽、春の1人旅 桜満開の津軽鉄道 Part3 奥津軽の春の絶景を撮る

DSC_2188017昨日日曜日はあまりに多い花見客だったので、平日の月曜日に回した芦野公園、桜のトンネルを行く”走れメロス号”2連、狙った通りのアングルでバッチリと決まりました。ロケハンもバッチリできたので今日は春爛漫の津軽鉄道を撮りまくります。
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兵庫・鷹取工・高砂工・姫路1

浪人1年目の1955年、どうしても勉強は手につかず、予備校に行くと称して家は出るものの、若い大学院生教官の日本史—―といってもほぼ試験には出ることもない明治・大正・昭和期の講義を除き、専ら映画館に入りびたり、あるいは木製客車をせっせと撮っていた。この時点日帰りで木製客車が撮れるのは、放出、梅田、神戸港用品庫の配給車、機関区、客貨車区の救援車以外の営業用客車といえば、兵庫=和田岬線、姫路=播丹線/姫新線ぐらい。やはり事業用車より営業車のほうがいい。

で、ある夏の1日、山科を3時51分に発する111レに乗った。この列車は東京を前日14時25分発、終着は門司22時03分=勿論普通列車で、6時25分兵庫で下車。和田岬線(正式には山陽本線の一部)の通勤用に「一山」客車が居り、全部木製車である。この線は三菱重工の通勤用であり、神戸市中央市場への貨物、川崎車輌からの甲種輸送が主で、かつては鐘紡も工場があったが、この時点では競輪場(その後神戸市電和田車庫から交通公園、サッカー場)になっている。旅客列車は朝夕通勤用3往復、計6往復。

その木製客車が多種多彩で、戦時中優等車を格下げしてサイドに引戸2か所を設けた形式ナハ13500がもっともふさわしいのだが、やはり格下げで形式ナハ10000にぶち込まれたものも居る。中でも異色は木製ながら丸屋根の、播丹鉄道ホハフ500買収のハフ14070である。これは沿線に陸軍の演習場や戦車聯隊、病院等が山ほどあった播丹鉄道が、代燃ガソリンカーだけでは足らず、国鉄ナユニ5672(←ホユニ8682←ユボフ14、神戸工場1909年製)の台枠、台車に鷹取工機部で中型並の木製車体を新製したもの。両端がロングシート、中央部が6組のクロス、定員105(内座席75)人、便所洗面所はない。

ナハ13511大タカ1955.7.16兵庫S
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神高(じんこう)鉄道について

中国新聞に福山市市政施行100周年にちなんだ記事が連載されているのですが、ようやく鉄道関連の記事が載りました。

平成28年5月1日 中国新聞朝刊

平成28年5月1日 中国新聞朝刊

昨年の広島ツアーや先般の三江線ツアーの行き帰りに福塩線や井原鉄道を楽しまれた方もあったかと思います。記事にもあるように神辺・高屋間は すでに福山・府中間で開業していた両備軽便鉄道が大正11年に支線として開業しました。備後の国から備中の国に足を踏み入れてまさに両備となりました。昭和3年2月大日本帝国陸地測量部発行の1/25000地図「神邊」を見てみますと 「りようびこくぶんじ」駅が田んぼの中にあり、「両備輕便鉄道」と記載されています。 続きを読む

奥津軽、春の1人旅 桜満開の津軽鉄道 Part2 津軽森林鉄道を中里町博物館で見る

第1日目 4月24日 その2

④ 津軽五所川原15:15⇒15:52津軽中里

津軽五所川原で一旦下車したが折り返しまでは11分しかないのでどこへも行けません。
DSC_1914025 津軽鉄道のアテンダントさんは2009年(平成21年)6月えちぜん鉄道に続いて全国2番目に乗務開始となりました。往路のアテンダントさんは入社7年目のベテラン、ニックネームは「みっちょん」の小枝美知子さんでした。年季の入った味のある沿線案内をお聞かせいただきました。ありがとうございました。
下りられたら早速おばあさんへの案内もされています。おばあさんはリックサックを背負っておられます。どこへ行こうかと観光の相談なのでしょうか。 続きを読む

《協撮企画》583系を追って(後編)

このたび、583系が秋田→大阪(4/26~27)、大阪→海浜幕張(4/28~29)と運行されました。
関西および関東のクローバー会有志数人で、この列車を撮影しました。

新秋津~東所沢間を走る583系(撮影:新所沢都民)

ニコニコ超会議号2016 新秋津~東所沢

ニコニコ超会議号2016 新秋津~東所沢


この企画に携わった人は、KAWANAKA、新所沢都民、1900生、総本家青信号特派員、デカンショまつり号、鉄鈍爺の6名(敬称略、五十音順)です。
【お断り】
多くの作品が集まり、前・後編に分けて掲載します。この記事は関東編となります。

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《協撮企画》583系を追って(前編)

このたび、583系が秋田→大阪(4/26~27)、大阪→海浜幕張(4/28~29)と運行されました。
関西および関東のクローバー会有志数人が、この列車を撮影しました。

下り583秋田発大阪行き 山崎-1(撮影:総本家青信号特派員)
下り583秋田発大阪行き 山崎 (1)
コメント:雨のサントリーカーブ前で583系、バッチリ撮れました。

今回の企画に携わった人は、KAWANAKA、新所沢都民、1900生、総本家青信号特派員、デカンショまつり号、鉄鈍爺の6名(敬称略、五十音順)です。
【お断り】
多くの作品が集まったので、前・後編に分けて掲載します。

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お城とゲテモノ訪問前に市電を少しだけ

1957年夏の電車を求めての旅の一端はデジ青【3992】で紹介している。そこでは熊本城の雄姿を掲載した。熊本に行こうと思ったのは奥野師匠から熊本電鉄には63スタイルの木造車、それも戦争中の統制で出来た代物があるとの話を聞いたのが発端であった。そこで熊本を折り返し点とするコースを辿ることにした。また京都の城には天守閣がなく、日本一と言われる熊本城の天守を見ることも目的の一つにした。恐縮だがその姿を再掲させて頂く。

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クモルがあるのにキルがない!?

事業用車両のひとつに配給車があります。形式名に「配る」の「ル」がつきます。国鉄時代には各地にあった用品庫から管内の機関区や駅などに部品や物品を配送するために使われていました。客車なら荷物車などを改造したオルなど、電車ならクモル、クルをよく見かけました。今でも現役のクモルは電車区などで見ることができます。貨車にも「配給車代用」貨車がありました。「配給」という言葉も昭和の言葉ですね。救援車も同様に客車ならオエ、スエなど、電車ならクモエ、クエ、貨車にもエがありました。そう考えると なぜ気動車改造の配給車がなかったのだろうと 素朴な疑問がわいてきました。

一方手元にある模型車両や部品の整理をしていたところ、大破したディーゼルカーの車体が出てきました。これは修理が難しそうなので不燃物として捨てようと思ったのですが、そこでひらめいたのが気動配給車の製作です。そしてでっちあげたのが「キル」です。

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奥津軽、春の1人旅 桜満開の津軽鉄道 Part1 旅立ち

三江線のツアーは好天と桜満開に恵まれて大成功となりました。次にノミネートしたのは秋・冬には訪問しましたが桜咲く春には行っていない奥津軽です。芦野公園の桜のトンネルを行く津軽鉄道を乗ってみたい、撮ってみたいと計画を練りました。

【 当初の計画案 】
行くにはDD350号機が牽引する金木さくらまつり臨時ストーブ列車が走る4月29日からが1番だろうと今回はぶんしゅう7号を敦賀から出航する新日本海フェリーに乗せて参ろうと決めました。ぶんしゅう7号は簡易キャンピングカーで、長期の車内泊もできます。ホテル代が浮きますので長期滞在をして、桜を撮った後1週間後には咲くリンゴの花を撮ることも可能です。
ただ新日本海フェリー敦賀⇒秋田への運航は週1便、月曜日発だけですので出発は4月26日(月)になります。翌日朝に秋田港着、秋田からは五能線も撮れる、弘南鉄道にもまた行けると夢が膨らんできましたが、問題は桜の満開時期でした。

青森県桜開花状況_100 続きを読む

なつかしい丹波橋

京阪と近鉄の相互乗入で盛り上がっていますが、元墨染の住人として興味深く拝見しています。諸先輩方も数多く記録されていると思いますが、私も相互乗入の晩年を少しだけ撮影していますので恥ずかしながらご披露致します。まずは1900生さんのコメントにある三条駅4番線の「チョコンと」から。

昭和43年9月 三条駅 準急奈良行き 723+823

昭和43年9月 三条駅 準急奈良行き 723+823

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熊本城と市電

「平成28年熊本地震」に遭われました皆様にお見舞い申し上げるとともに、犠牲になられた方々とご遺族の皆様に対し、深くお悔やみを申し上げます。
4月5日夜から6日にかけて熊本市電(熊本市交通局)を写しに行きました。目的は2014年訪問時検査中で写せなかった0800形0803号(COCORO)です。その8日後4月14日以降の地震で大きな被害が出て熊本城の復旧もかなりの年数が掛りそうです。

↓ 2016年4月5日夜 熊本城と8500形8501号 (通町筋)
熊本DSC_6161
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思い出しました!

子供の頃の思い出は、時として昨日のように鮮明なものがあります。そしてそれがどんな時の出来事なのか、どこでの事なのかなど前後と切り離して覚えているため、いつまでもすっきりしないのです。
今日、関先生の近鉄・京阪200型記事と湯口先輩の丹波橋の奈良電を見て60年ぶりに解決しました。

それは小学校低学年の頃、電車の先頭の窓から入ってきた風にあおられて、お気に入りの帽子が飛ばされてしまったことです。帽子は英語で「Central」の文字が入っていました。電車は京阪か奈良電だと思われます。五枚窓の先頭部で左側に運転席、右側は前まで近づける形です。窓は下降式で車体の色は緑でした。どこで飛ばしたのか、夢にまで見たのですが他人には言えず今日まで来ました。
それが丹波橋の200型を見て、「これやッ!」
あれは両親と奈良公園へ行った帰りでした。奈良公園で鹿に突き飛ばされて情けない気持ちのところに好きな帽子を無くしたことで一気にべそをかいたことを思い出しました。場所は巨椋池の辺りでした。お二人には心より御礼を申し上げます。ありがとうございます。

関先生と湯口先輩の記事に関連した写真を探し出しましたのでご覧下さい。
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233号機

233加古川1955.7.16a今日オープンした京都鉄道博物館に、ピカピカになった233号機(形式230)が展示されている。この機関車は戦後高砂工場に同型機2輌と共に働いていた。時は1955年7月16日、浪人1年目の若者は親の目を盗み、山科3時51分発下り111レに乗車。これは東京を前日14時25分発、京都着4時ちょうど、20分発で、兵庫6時23分着。ここで下車して和田岬線の木製客車群と号B50を撮り、電車で鷹取へ。鷹取工場で木製救援車、義経、旧大日本軌道小田原支社の7号「へっつい」機、田野城前会長が以前この欄に記された若鷹号、エトセトラを撮り、高砂工場へ。乗換の加古川で、貨物列車に233号機が回送で連結されていたのに遭遇した。恐らく鷹取に入場途上だと思う。高砂工場は高砂線高砂からかなり離れており、山陽電車に乗ればいいのだが、何分貧乏受験生で、10円だったか15円だったかをを惜しんで真夏汗をふきふき2キロぐらい歩いたか。ここでも木製救援車と、同展望車(試験車)、それにたまたま居合わせたサハ6400(旧キサハ43100)を撮った。キサハに改造のため入場していたのであった。
浪人中だというのにこんなことばかりしていて、もう1年浪人を重ねる羽目になったのは、正しく身から出た錆だが、61年前を懐かしんで投稿する気になった。

丹波橋での近鉄奈良電

京阪三条から奈良電が発着し、奈良電京都で近鉄電車が見られたのは何時までだったか。関センセの第200回目を見て、この老人もネガを探す気になったが、根気が続かず3コマ、それも丹波橋での写真だけで。ドアエンジンのない木製3扉車3輌連結では、車掌が駅ごとに8か所(前頭だけは運転手がする)の扉を施錠して回らねばならない。雨の日など見ていて気の毒だったが、何か特別な(天候)手当でもあったのだろうか。京阪でも木製車3連は天満橋で見た記憶があるが、三条口ではなかったと思う。まあのんびりした時代ではあった。撮影は1955年11月6日である。その後奈良電気鉄道は完全に近鉄に吸収されて近畿日本鉄道京都線になり、丹波橋の連絡線が絶たれ、駅自体も別の場所になった。
奈良電気鉄道1020丹波橋1955.11.6a
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三江線2題

またかと思われるのを覚悟でご紹介します。今朝の中国新聞です。

平成28年4月29日 中国新聞朝刊

平成28年4月29日 中国新聞朝刊

三江線は路線の3割が広島県、7割が島根県ですので島根県の方が関心が高いようにも思えます。これとは別の紙面にも小さい記事がありました。

同紙

同紙

次回の検討会は5月13日、5月中には住民説明会と進んでゆくようです。JR西は梅小路でがっぽり稼いで地方に還元する・・・という気はないでしょうね。私としては これらの動きも気にしつつ、新緑、こいのぼり、田植えの風景を求めて三江、芸備、福塩各線沿線をうろつくことにしています。

《提案》583系の写真、共同掲載の呼びかけ

このたび、583系が秋田→大阪(4/26~27)、大阪→海浜幕張(4/28~29)と運行されました。
関西および関東のクローバー会々員の方々が、この列車を撮影されています。
そこで各自が撮った写真を集め、一つの投稿にしたいと考えました。

ご賛同いただける方は、デジ青の「メディアライブラリ」へ写真を登録してください。そして、鉄鈍爺宛に「こんな写真を登録した」と、メールをください。

未だデジ青へ投稿したことが無い人は、「こんな写真がある」と、鉄鈍爺にメールをください。写真の登録や受け渡し方法について、ご相談します。

いずれの方も、キャプション、紀行文、感想文などを付けて頂けると有難いです。(文体等は揃えますが、可能な限り原文で投稿致します)

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倉吉線鉄道記念館への写真提供について

倉吉線鉄道記念館を運営されています倉吉観光マイス協会よりかつての倉吉線の様子を撮った写真提供の依頼が参っておりますことをご報告させていただきましたが、依頼のあった写真の撮影者の皆さま方全員から「使っていただいてもいいよ」と快諾をいただきました。これこそクローバー会の日頃の親睦連携活動の賜物と感謝いたしております。ありがとうございます。

ついてはデジ青に掲載されていない写真が他にもあろうかと思います。私も撮っているよと思われる方はお知らせください。折角特別スペースを空けて展示を待っておられますのでこの機会にもっと多くの写真を集めてみたいと思います。よろしくお願い申し上げます。

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200回記念!京阪200型・近鉄200型

先日、関三平先生とお目にかかった時に、先生が「200回の題材は決めてある」と仰っていたのを思い出しました。
京都駅の南口(現在の八条口)の端にあった奈良電ホーム、そこで見かけた風景です。
よく見ると当時有った京都客車区(大キト)のオハ35系か、オハ61系の窓が見えています。さらには遠方にアドバルーンがいくつか上がっていますが、ここに「祝200」の文字が読めて、先生が密かに200回を迎えた事を祝っておられるのだな、と思わずほほえんでしまいました。そう言えばあのときに「300回用の題材も決めてある」と話されていたような気がしますがどうだったでしょうか。
関先生、200回達成を心からお祝い申し上げます。今後とも300回と言わず1000回までも企画して下さい。ご健康をお祈りしております。

京阪200型近鉄200型_NEW

三江線DVDの提供について

DVD_100桜満開の津軽から無事に戻ってまいりました。三江線も最高でしたが津軽鉄道も天候に恵まれて最高の撮影日和になりました。追って紀行記を投稿させていただきます。

そして、皆さま方と行きました先日の三江線ツアーでは車中前方からビデオも撮っております。潮⇒江津、潮温泉付近の俯瞰、石見都賀のDVDビデオ編集ができております。ご希望のあった数名の参加者の方々にはご送付させていただきましたが、まだ作成できます。
ご希望の方がおられましたら、コメント欄に名前だけをお書き込みください。住所は把握しております。ツアー参加者以外でもOKです。プレゼントさせていただきます。ご遠慮なく、お申し出ください。