福塩線の通学列車を追って

また福塩線か、また中国地方かとブーイングが聞こえてきそうですがご容赦を。「中間考査」なるものに縁がなくなって50年近くが経ちます。徹夜で丸暗記とか、ヤマをかけてマル外れとか、一旦昼寝してから夜に勉強するつもりが熟睡してしまって赤点とか そんな思い出多いのが私のテスト期間です。今どきの高校生たちのテスト期間中の様子や通学列車の雰囲気を見たくなり、丁度どですかでん氏が日帰りで福塩線の乗り鉄に来られるのに合わせて出かけました。列車本数も乗客も多い都会の鉄道では通学生はそれほど目立たないでしょうが、通学生が頼みの綱の地方線区では学校行事と列車運行が連動している状況を今まで考えたこともありませんでした。今回は撮り鉄ではなく、乗り鉄なのでマイカーを使わず JRに貢献することにしました。

福山発11:15の府中行き243Mに乗ります。福山市内の高校も中間試験中なのでしょう。こんな時間帯に いろいろな制服の高校生が大勢乗っています。沿線には大学もあるので大学生も乗っています。

平成28年5月19日 福塩線243Mの車内

平成28年5月19日 福塩線243Mの車内

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備後路の新緑を追う 2016年 Part6 福塩線を撮る

新尾道から入り三次を中心に芸備線・福塩線・三江線と西村さんとご一緒に回った「備後路の新緑を追う 2016年」も最後の掲載となりました。3月末から桜の開花・満開も良かったですが新緑を追いかけての旅も実り多く来年も参りたいと思っております。下記の地図のピンマークがカメラのGPSが記録した今回の撮影地点です。西村さんには大変お世話になりましてありがとうございました。今年はまた稲穂が垂れる実りの頃、また紅葉のシーズン、そして初雪が降る頃に再訪したいと思っておりますのでよろしくお願い申し上げます。
では、今回の旅の最後の投稿をさせていただきます
01_Map10

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出雲坂根の一宿は駅長官舎、半世紀前

デジ青は木次線で大賑わいです。今更筆者の同じような画像は二番煎じと思い、皆さんの画像を閲覧する読者を決めていましたが、その内ムズムズし始め、西村さんの『出雲坂根今昔』を見て、三段画像なら比較してみようと、油に更に火を付けたく、投稿におよびました。学生時代最後の冬休み、名古屋の住職見習い(当時3回生)と二人の撮影紀行の話です。

★昭和38年12月30日
前々日、伯備線布原信号場付近で撮影後、住職見習いの友人(その後著名な毎日新聞記者となる)が住む湯の郷温泉に泊めて貰い、翌日の午後、出雲坂根駅に降りたったのです。
▼客427レ(松江発備後落合行き) 機C56104【木】 出雲坂根駅に進入直前。
スイッチバック二段目にあたる坂から登ってくる列車を見下ろしました。
08602

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備後路の新緑を追う 2016年 Part5 三江線を撮る

第3日目 5月7日 その2

朝の福塩線芸備線撮影後は、混み合う三次市内を迂回して三江線の対岸を走る375号線を北上します。

DSC_3243012▲ 9:04 撮影地 Google座標; 34.807227, 132.777060
走っていますと長谷~船佐江津三次行きの1番列車423Dが走ってくるのが見えました。まさか間に合うとは思っていなかったので車を停めて急な山の斜面を行くDC2連(キハ120-357・315)を撮ります。前回来た時には連日とも単車運行でしたが今日は2連です。後部は団体扱いではなく一般客扱いで運行されています。30%程度の乗車率でした。
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備後路の新緑を追う 2016年 Part4 朝の福塩線・芸備線を撮る

第3日目 5月7日 その1

今日は朝に福塩線・福塩線を撮ります。時刻表をご覧のとおり、昼間は運行が少ない両線ですが、5:00~8:30には上下計7本が撮れますので頑張って4時半起きです。
01_福塩線ダイヤグラム_100 01_三江線・福塩線ダイヤグラム_100▲ 上は西村さん作成の福塩線ダイヤグラムです。西村さんは、初めての撮影地に赴く時にはダイヤグラムを作成した後、地図やGoogleの航空写真とストリートビュを見ながら仮想撮影ポイントを見つけていかれるそうです。私も初めての地で撮影する際は、列車乗車でロケハンとダイヤグラムを作成する事を常としていますがダイヤグラム作成だけでも1日はたっぷりと必要です。今回は西村さんにお任せして、事前に撮影候補地をリストアップしていただけました。ご面倒をおかけしていますが助かります。ありがとうございます。

今日の最初の撮影地は、三良坂~吉舎です。朝食はホテルで食べられる時間ではありませんので途中のコンビニで買うことにして出発しました。
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ぶらっと能勢電御報告

5月14日少し暑すぎるくらいの好天の元、ぶらっと能勢電ツアーが催行されました。参加したのは23名、川西能勢口に集合の後、平野で下車、まずは能勢電本社にお邪魔し、お話をお聞きしてから車庫の見学をさせて頂きました。一昨年阪急電鉄より譲渡された5000系などを思い思いに撮影、乗車しての洗車体験もありました。    IMG_5691  続きを読む

出雲坂根今昔

71661で湯口大先輩が見事に察知されたように、ここのところ木次線で盛り上がっています。湯口氏、東ウラ氏、どですかでん氏から貴重な俯瞰写真や新旧の案内図が次々と紹介され デジ青らしい盛り上がりを楽しませて頂いております。米手作市氏からは貸切列車で煽られておりますが、それは宿題にさせて頂くとして、もう少し火に油を注いでみたいと思います。手元にあります 昭和53年3月発行の「日本鉄道請負業史 大正・昭和(前期)篇」の木次線の項を開いてみました。すると開通直後と思われる スイッチバックの俯瞰写真が載っていました。

開通当時の出雲坂根

開通当時の出雲坂根

出雲坂根駅で交換したと思われる上下2列車がとらえられています。

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出雲坂根の周辺案内板

小生の投稿で、「クリック拡大してご覧あれ」と記しながら、その実拡大できないではないかとのご苦情が。自分でやってみたら確かにそうだ。要はデジ青掲載に際し、ファイルを小さくし過ぎたことによるドジである。よって再度案内板だけご覧に入れ直す。
木次線出雲坂根周辺図1973.8.13
真中辺、「近道」とあるのが件の「旧道」=「湯口徹氏受難之地」である。県道4kmを40分とあるが、若い時でも1km10分はかなりきつい。かつて街中でも歩いていて抜かれかけると、張り合ったものだが、今では「お急ぎですねえ、どうぞお先に」という心境。
「平家」跡というのは、平家落武者が住み着いたところだろうが、これも鉄道が敷かれる前は文字通りの山間僻地であった証左であろう。

 

出雲坂根の案内板

 湯口先輩の「木次線2」を見ていると出雲坂根の案内板がありました。私も撮っていましたがちょっと?と思ったのです。なぜかというと私の撮った案内板の写真には「貝の化石」と書かれてあったのが湯口先輩の案内板には書かれていなかったのです。しかも全体的にちょっと違うようです。さてその案内板というのは

MN01916-木次線

これは1973年12月に撮ったものです。

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木次線2

さて三井野原でのステホは暑からず寒からず、気持ちよく寝させていただいたが、何やら周囲がおかしく、むっくり起き上がって一驚。このさして広からぬ三井野原無人駅のプラットホームが、何と夏休みラジオ体操会場と化し、開拓部落の子供たちと、世話役の大人が20人ばかり、体操をしていた。その真ん中の待合室で若者が一人、炊事道具をおっ拡げて安眠をむさぼっていたのだから、皆の衆気が散って体操に身が入らない。これには恐縮し、世話役さんに会釈して早々に荷物と、我ながら美味ならざる夕食(の食い残し)を片付け、リュックを担いで撮影に。先ずは上り初発の備後落合6時42分発416D出雲横田行き、キハ025で、乗客はそれでも数人あった。木次線上り一番列車416D 三井野原 続きを読む

木次線 出雲坂根のスイッチバック

いつもコメントをいただいておりますクモハ73106東ウラさんから出雲坂根のスイッチバックでC56形が活躍した当時の貴重な写真をいただきましたので掲載させていただきます。カラーでいただきましたが退色劣化激しく、私の技術ではどうやっても復元不可能でしたのでモノクロにてなりました。

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三井野原今昔

湯口先輩から木次線の貴重な写真が多数紹介されました。国鉄が唯一の交通手段だったことを如実に物語る写真の数々です。その中に三井野原駅に停車中のキハ024の写真があります。撮影日が昭和38年8月12日のようですが、それから47年後に偶然同じようなアングルで撮っていたカットがありました。

2010年5月3日 三井野原駅にて 1450D キハ120206

2010年5月3日 三井野原駅にて 1450D キハ120206

よく見ると ステホされたという右側の待合室の壁や屋根や縦樋は当時のままのように見えます。約半世紀前は出力60馬力のキハ02、そして現在は250馬力のキハ120です。レールバスがいかに非力だったのかを再認識しました。ひと駅走ってオーバーヒートはさもありなんです。ところで私の写真で 三井野原駅のホームに行列ができているのは団体客です。団体客と言ってもバスツアー客で 三井野原駅から出雲坂根駅間のひと駅だけ木次線に乗車し、スイッチバックを体験するという団体客です。開拓農家の方が乗り降りされ、冬だけはスキー客でにぎわった駅に 半世紀後には観光バスが横付けされてガヤガヤと多くの中高年が乗り込むことになろうとは地元の方は思いもよらなかったことでしょう。またこの待合室で寝泊まりした若者がいたことも。湯口先輩 貴重な写真をありがとうございました。続報を楽しみにしております。

木次線1

ついこの間倉吉線で盛り上がったばかりが、今度はどうやら木次線の同様兆しが察知されるので、「兵庫・鷹取工・高砂工・姫路」はひとまず中休みして木次線を。
倉吉線でも参加させて頂いたが、その前の日は木次線を撮影していたのである。1963年8月11日姫新線東觜崎でキハ04やC11牽引ローカル列車等を撮り、備後落合の名物駅長モンクマこと、門田熊太郎氏の宿舎にわらじならぬキャラバンシューズを脱ぐ。面識はなかったが、何かの関わりから泊って結構とのことで、一宿ニ飯に甘えさせて頂いた次第であった。業務用ダイヤを芸備線、木次線とも頂戴し、大いに助けられた。

木次線備後落合発車待ちのキハ024S

備後落合で発車待ちの432レキハ024

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東武鉄道1700型

米手作市様の[71488]16.5.12「東武鉄道モハ1700型」の写真である。1700型は1956年製造のカルダン車で、1971年12月までにこの車両は消えてしまい後継車の1720型と同じ車体の車両となった。さらに1991年までに1720型と共に現在「りょうもう」に使用されている200型に機器が流用されて生き続けている。

写真は東武日光発浅草行き特急「さち」で撮影は1968年7月26日松原団地-草加間で列車名「さち」とは中禅寺湖の別名「幸ノ湖」にちなんだ名前である。現在このあたりは高架複々線で風景は一変しており定点対比撮影はできない。製造はナニワ、日車、汽車の3社であるが写真の先頭車両1701はナニワ工機製。関先生のお描きになった1700型の姿からヘッドマークの位置が正面に変更されたり、窓下にライトがつけられたり多少顔に変化はあるが、ハンサムボーイのイメージはそのままで、機器流用で生まれ変わった200型や快速や下今市方面で活躍中の2ドアクロス6050系と比べても断然男前である。これはこの時代、このような顔、スタイルの車両を見て育った私の印象からかもしれないが。

s-68.7.26草加1701さち

木次線に乗ろう!!

ぶんしゅう氏の木次線レポートを見るに付けても行きたくなりました!
三江線と木次線、どちらも似た運命をたどりそうで、心配しております。三段スイッチバックも延命水も有るうちが花!
三江線旅行と同じように乗って残そうを実行しませんか?
木次線の話が出ると、時々投稿してくださる「おろち」さん、現地に在住の方と思いますが、ぜひともお目にかかってお話がしたいのです。
http://ameblo.jp/c56108/entry-12142086571.html

木次駅のはずれの跨線橋も金網が張られて撮影出来なくなるとか、会長様、ご一考下さい。

備後路の新緑を追う 2016年 Part3 木次線・奥出雲おろち号・芸備線も撮る

第2日目 5月6日 その2

比婆山温泉の宿を見てからも備後落合へと車を進めます。国道314号線は木次線に並行していますので所々でレールが見えます。そしてトンネルに入る直前で西村さんから「ここ良いですね」と見られた場所に停車しました。かつて山を迂回していた旧道跡です。その向こうに鉄橋が見えました。
DSC_3026024▲ 13:03 Google座標; 35.022221,133.122550
旧道に車を停めて先に進んでみましたが右方向は木々が生い茂ってレールは隠されています。左も同様でこれではおろち号全編成を撮影することが出来ませんが、自然に戻りつつある旧道のと合わせて山間を行く鉄路の雰囲気が出ています。前2両でも良いかなとアングルを組みました。 続きを読む

中国新聞小ネタ2題

三江線と芸備線関連の記事2件です。

平成28年5月14日 中国新聞朝刊 

平成28年5月14日 中国新聞朝刊

この会場となっている広島県立歴史民俗資料館ですが 三次駅からは遠い「みよし風土記の丘公園」内にある施設で、旧三次宿の街歩きルート内にある市立歴史民俗資料館ではありませんので ご注意を。 続きを読む

新緑の福塩北線

4月11日に70299で福塩線訪問記を載せましたが、あれから1ケ月が過ぎ、先般のぶんしゅう殿との旅で新緑の美しさを再認識させられたこともあって 少し遅いかと思いつつ 新緑や田植え風景を求めて福塩北線沿線を走ってみました。何しろ府中・三次間の午前の部は5:00から10:00までの上下6本が勝負です。一方 午後の部で撮影できるのは15:00から日没までの4本です。昼過ぎの通学用臨時列車が走れば2本増えます。昼間の 列車の走らない時間帯を芸備線や三江線に場所を変えてもやはり列車がありません。従って5時間の空き時間を持て余すので たいていは午前の部狙いで早朝の出撃となります。今回は前夜の準備がまずく 早く起きたものの出発でもたつき、下り1番列車1721D三次行きには間に合いそうになく、上り1番列車1720Dからの撮影となりました。今回は今までに撮っていない場所に行くことにして まずは備後三川に向かいました。

平成28年5月13日 6:45 備後三川駅

平成28年5月13日 6:45 備後三川駅に到着する1720D府中行き

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三江線 住民説明会始まる

ローカルな話題でこの掲示板を賑わして恐縮ですが、ひとつの鉄路の消長のあゆみを後世にとどめてゆくのも「青信号」の特技と思って投稿しています。本日の中国新聞朝刊です。

平成28年5月13日 中国新聞朝刊

平成28年5月13日 中国新聞朝刊

明日から沿線各地で住民説明会が開かれます。その結果がまた紙面に紹介されると思います。引き続き転載してゆきます。

兵庫・鷹取工・高砂工・姫路4

鷹取工場の構内に放置されている車輌の内には、阿波鉄道買収のコッペル機を技能者養成所が研修のため改修し近代化した「若鷹号」、7号「へっつい」機がある。後者は熱海線(現東海道本線)建設=丹奈隧道掘削ズリ出しのため、大日本軌道小田原支社線を「極めて高額で買収」し、即日熱海軌道組合に貸出して運行させたのだが、関東大震災で壊滅。国鉄建設局の所管になっていたこの「へっつい」機は各地で建設に従事したことにより、幸いにも残存した。鷹取工場では教習用標本機として右側ボイラー、シリンダ等を切開していた。戦後でも小規模博覧会などに貸し出され、当OB会諸氏も八瀬で撮影しておられるのが紹介された。

鷹取工7号標本機1960.5.20S

鷹養標本機7 旧大日本軌道小田原支社7号で越中島鉄工所製

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