2016年 西方見聞録 Part3 ヘルシンキのトラムに乗る、撮る①

第2日目 9月19日 その2

dsc_8892002▲ 8:27 ヘルシンキ中央駅前電停からトラムの乗り鉄が始まりました。入線するトラムはボンバルディア製の100%低床車、Variotram-226号5車体連節車。1998~2004年に40編成が投入されましたが台車、車体に重大な欠陥が見つかり増車がストップしているそうです。
車体長24,400㎜、車幅2,300㎜、高さ3,400㎜、出力45kw×12、車重35㌧。

【 ヘルシンキのトラム 】
馬車鉄道として1891年6月21日開業、電化されたのは1900年9月4日、DC600V、1000㎜ゲージ、路線長は96㌔、10系統が走りメトロより多い年間約5,700万人の輸送力を誇ります。
初めて来た昨年は時間がなく駅前付近の撮影だけしかできませんでしたので今回は1日ゆっくりと乗り鉄する予定です。
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旧・福知山線廃線跡、本15日通行解禁

朝日新聞大阪版、11月15日夕刊1面より

長らく待っていました、旧・福知山線廃線跡が、本日11月15日(火)より晴れて通行解禁となりました。危険な箇所を承知、本人責任で通行していた人気のハイキングコースでしたが、あまりの人気故、とうとう御輿を挙げた西宮市とJR西日本。今年5月に一時閉鎖、安全対策工事を施していました。完成の今日から通行を一般に開放しました。
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2016年 西方見聞録 Part2 EMU・Sm5系に乗って、ヘルシンキ・ヴァンター空港からヘルシンキ中央駅へ向かう

第2日目 9月19日 その1

6:20 東の空がほのかに明るくなるのも見ながら起き上がりました。荷物をまとめて部屋を開けるキー番号が分かったフォレノム ホステル ヴァンター エアポートへ移動です。
直接は行けないので一旦専用車で空港に行ってから駐車場を回る巡回無料バスに乗り換えますが空港直前で大渋滞です。
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教えて下さい!

もの知らずのテッチャンこと、米手作市です。
こんな私でも近所では鉄道博士と思われているのです。
そんなことで町内の熊さんがこんな写真を持ってきました。

「この前、踏切で遮断機が上がるのを待っていると棒からこんなモノが下がっていたんだけど、一体全体何の役目をするものですかね?壊れた部品が垂れ下がっているのかと思ったんだけど。ご隠居なら知っているに違いないと思って写真に撮ってきた」
さてはて困りましたが
「いいところに気がついたな。だが、今出かけるところだから帰ってきたら教えてやる」と言ってその場をしのぎました。

これは何をするモノでしょうか?
形は少しずつ違うが、すべての遮断棒に付いています。写真の場所は嵐電の踏切です。
根元にぶらぶらする状態で付いており、遮断中は棒と直角に垂れ下がります。上がっている時は棒と平行になっており、何かの役に立っている様子はありません。

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よみがえった昭和47年

今朝起きてデジ青を開くと もう特派員氏がホームカミングデーの様子を速報されているので驚きました。昼の部も夜の部もにぎやかに、和やかに時間が過ぎ、また現役を含む若い人たちの参加も多く 会長の想いが実現しているように感じたホームカミングデーでした。

1900生様の8mm上映では 登場したいくつかの現地に居合わせ、同じ情景を見た者として非常になつかしく拝見しました。そのなかで草津線、信楽線のシーンを写真でご紹介します。実は撮影年月日が定かではありませんが昭和47年の秋だと思います。いずれの写真も退色とゴミで見苦しいことをご容赦下さい。

草津線通勤列車 DD51+D51

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11月13日  ホームカミングデー行われる

11月13日(日)、快晴に恵まれた同志社今出川キャンパスで、2016年ホームカミングデー集会が行われました。2000年の第1回カミングデーに参加して以来、クローバー会としては10回目のカミングデー集会となりました。
ap1140365第一部では、当日参加組が想定外に多く、用意したチラシがなくなる嬉しい悲鳴、良心館402教室を約50人が埋め尽くし、会からの案内、会員の講演、近況報告を楽しみました。会場を京都平安ホテルに移しての第二部懇親会には33人が参加、和やかに楽しい輪がいくつもできていました。須磨の人間国宝さんが開会の辞で、“会の活動参加には、健康、時間、少しのカネの三つがあってこそできる”のお言葉に、みんなで旧交を温めることのできる幸運を感じたものでした。
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 秋の北海道 鉄道ひとり旅 【2】

61010-744syo石勝線夕張支線(新夕張~夕張)も廃止問題に揺れています。運炭路線として古い歴史を歩んできた夕張支線ですが、開業以来の橋梁・トンネルが老朽化し、維持更新に莫大な費用が掛かることから、JR北海道は鉄道事業を継続することが困難と沿線自治体に申し入れしていました。ところが、夕張市長は、JR北海道に同線の廃止を逆提案し、代替交通への協力を要請します。赤字路線の存廃問題を抱える自治体側が自ら廃止を提案するのは異例で、市長は“攻めの廃線”という発想で挑戦し、地域公共交通のモデルを作りたいと語っています。先手を打つことで、財政再生団体の有利な条件を引き出す狙いもあると見られています。同線は2019年3月のダイヤ改正時にも廃止との見通しを市長は示しました。    かつて石炭の繁栄が信じられないほど静まり返った夕張駅

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2016年 西方見聞録 Part1 旅立ち、ヘルシンキへ向かう

東南アジア(インドネシアタイミャンマー)に続いては欧州(フィンランド、スイス、ウクライナ、オーストリア)の旅です。今回もW田さんから行く予定をしていたが職場の都合でダメになった。手配もしているので代わりに行ってもらえないかとお誘いを受けました。全然問題ありません。1年間渡航は我慢していたのでまとめて行くかと、ツアー前後にも訪問地をプラスして出かけることにしました。

【 ゴッタルゴ峠までのルート 】
ツアー本隊と合流するのはスイスのゴッタルゴ峠です。JALのマイレージが貯まっています。JALには成田経由にはなりますがドイツのフランクフルトへの直行便がありますので、到着後はICEに乗り換えて陸路で向かおうと、JAL公式HPからマイレージチケットを申し込みますが満席でありません。

こんな時はJGCデスクに電話をしてインターネットでは提示されないコースでのルートを相談するのが1番です。同じワンワールドグループでの搭乗が可能ですので、ルーマニアに行った時に利用したカタール航空も良かったので問い合わせましたが、なぜか選択不可で結局、トルコへ行った時に搭乗したフィンエアーフィンランド航空)でのヘルシンキ経由のルートしかありませんでした。そしてトランジットは普通24時間内ですが空席はなく、2日後(41時間後)ではどうかとの返答です。通常ならスティオーバーで課金されるところですが航空会社の都合とあっては要りません。ヘルシンキに滞在でき、前回中途半端だったトラムの撮影が可能です。復路は当日の2時間45分でトランジットとこれもGoodです。これはありがたいと、即決OKしました。
ヘルシンキから先は乗り換えてスイスのチュウリッヒまで参ります。ここでも2泊して鉄道でゴッタルゴ峠に向かうことにしました。
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広島から小ネタ2題

前向きな話と後ろ向きな話を いつものように中国新聞朝刊からお届けします。まずは「瑞風」から。

平成28年11月12日朝刊 広島にやってきた「瑞風」

平成28年11月12日朝刊 広島にやってきた「瑞風」

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南海1900西尾写真

関センセの南海1900が出たのを機会に、故西尾克三郎氏のキャビネ組立写真を紹介させて頂く。小生故あって西尾克三郎氏のアルバム何冊かの保管を命じられて今日に至るが、小生自身が余命を数えるのに、片手の指だけでも余ることになった。以下説明は不要であろうから、ただただ写真をご覧あれ。
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南海の貴賓車

かつてのBOXでは、京阪ファンと阪急ファンがいつも激論を交わしていました。いたってくだらないひいきの引き倒し論争です。阪急ファン曰く「くずは付近で対岸を追い抜いて行く阪急特急を見て車掌が涙をポロリと流してた!」、京阪ファン曰く「十三のデッドセクションで電気が消えたら追いはぎが出た!」類いです。それから少し離れて寂しそうに見ているのは少数派の阪神ファン(T村君)と南海ファン(M尾君)でした。
今日は南海の貴賓車を見てそんなことを思い出しました。
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 秋の北海道 鉄道ひとり旅 【1】

10月に北海道を訪れました。観光・仕事で行ったり、ぶんしゅうさんと一緒にクルマで回ったことはあるものの、鉄道目的で北海道へ一人旅したのは、現役以来44年ぶりのことでした。かつて見た、人と煙が渦巻いていた熱気はなく、どこまで行っても静かな光景が続いているばかりでした。
61010-672syo重大事故と不祥事が相次いで、経営再建中のJR北海道ですが、さらに暗雲が立ち込める事態が起こっています。さる8月以降に連続した大雨・台風によって、根室線、石勝線、石北線の路盤・橋梁が流失、訪問した時も、石北線は開通していたものの、あとの2線は不通のままでした。道東へのメイン路線である石勝線は、年内復旧の目途が付いたものの、根室線東鹿越~新得は開通の見通し立たずとされ、それどころか同区間を含む新得~滝川は廃止を匂わす発言まで飛び出す始末です。
すでに留萌線留萌~増毛は本年12月に廃止、石勝線(夕張支線)新夕張~夕張は地元自治体が廃止を逆提案、札沼線北海道医療大学~新十津川も、廃止を前提とした一日一往復化、さらに、前述の根室線新得~滝川も含めて、輸送密度(1キロ当たり平均乗客数)200人未満は「自社で経営維持できない路線」として、JR北海道は手放すことの方向性が示されています。
こんな悲観的な材料しか見当たらない北海道の鉄道をこの眼で確かめるべく、廃止が予定される終端駅や、懐かしの山線(長万部~倶知安~小樽)を中心に回ってきました。深川で発車を待つ留萌線のキハ54、女子高生3人が乗り込んだ
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広電の「希少種」を追いかけて

動物の世界には夜に活動する夜行性の種がいて、昼間にはなかなかお目にかかれません。鉄道の世界の「夜行性」と言えば 保線車両でしょうか。ここで話題にしたいのは「夜行性」車両ではなく 広電の「パートタイマー」車両や「希少種」車両です。これも同じく昼間でもなかなか会えない車両たちです。先に花電車「貨51号」はたっぷりご紹介しましたが、貨51号は事業用車ですが、営業用車の中の希少種の近況です。

車庫では撮影していても、走行中を撮っていなかったのが3100型です。宮島線の荒手車庫所属で3101,3102,3103の3両(3編成)があるのですが、平日の朝のラッシュ時だけ車庫から出てきて、昼間は車庫の奥で寝ているのです。是非一度この3100型の働いているところを撮りたいと思っていたのですが、ようやく今朝その姿をとらえることが出来ました。実はINUBUSE氏に3100型の運用についてアドバイスを頂いたおかげで、確実にゲットできました。

平成28年11月9日 広電本社前にて 3101号

平成28年11月9日 広電本社前にて 3102号

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国鉄建造の最後の鉄道連絡船引退

かつて国鉄連絡船には各地でお世話になりました。車両航送を兼ねた青函、宇高連絡船。車両航送の無い関門航路、大島航路、仁堀航路、そして宮島航路がありました。さすがに我々の世代はここまでで、関釜航路や樺太(稚泊)航路には縁がありません。

さて青函トンネル、瀬戸大橋の開通によって車両航送はなくなり、その他の航路も廃止されて 宮島航路だけが生き残りました。幸い宮島航路は観光客の増加のおかげで活況を呈しています。この度「ななうら丸」が2代目から3代目にバトンタッチされました。「2代目ななうら丸」は国鉄が建造した最後の鉄道連絡船でした。1987年(昭和62年)2月18日に就航し、30年近くを経過し老朽化したため 3代目が新造されたようです。

第3代目ななうら丸就航

第3代目ななうら丸就航

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江ノ電のあとは、初めての豊橋鉄道市内線(東田本線)へ 後編

01_map_100▲ 市内線の路線図です。ピンク色の数字は電停間距離(単位:m)です。

10月30日 日曜日 その2
前編に続いて、「豊橋公園前」からのスタートです。駅前から「ほっトラム」に乗車して終点の赤岩口を目指しました。

dsc_1011_100▲ 8:34 最短電停間を走り東海道(国道6番目の電停「豊橋公園前」に到着です。駅前に向かって走るのは主力の780形782号です。2005年(平成17年)に名古屋鉄道岐阜市内線・揖斐線(廃止)で使用されていた車両を7両譲り受け、使用されています。780形は全車スカートを取り付けられています。 続きを読む

三浦海岸付近京急撮影記録

実験ホームドア見物の後はもう一つ隣りの終点三崎口に向かった。京急久里浜線は1966年(昭和41年)に三浦海岸まで開通し、その後1975年(昭和50年)に三崎口まで開通した。見る列車種別は快速特急ばかりであるが京急久里浜-三崎口間は各停として運行している。一部単線区間があるが10分間隔でやってくる。

三崎口から三浦海岸に向けて徒歩凡そ15分で京急線を跨ぐ陸橋がある。ここは単線で順光の時間が長く綺麗な編成写真が撮れる。線路際の河津桜が咲く頃は隣接の公園が賑わう。一度行って見ることをお勧めしたい定番の撮影地であり望遠レンズもいろいろと使えるがワンパターンであるのが難である。

2016.11.6 三浦海岸-三崎口 快速特急三崎口行き1065 ▼s-16-11-6%e4%b8%89%e5%b4%8e%e5%8f%a3%e4%b8%8b%e3%82%8a%e5%bf%ab%e7%89%b91065 続きを読む

江ノ電のあとは、初めての豊橋鉄道市内線(東田本線)へ 前編

江ノ電撮影、そして懇親会の後、私は豊橋へと向かいました。路面電車は大好きで海外に行くと必ずトラムの走る街を訪れています。そんな私ですがまだ訪問していない国内の路面電車が2路線あります。1つは鹿児島市電、もう1つが豊橋鉄道市内線です。いつかは訪問しようと思いつつ機会がないままでした。今回はこの機会に訪れようと決めました。

① 藤沢19:14⇒19:51小田原20:06(こだま683号)⇒21:40豊橋

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静岡鉄道クハ5

乙訓ご老人投稿#77497「東海道の電車を楽しむ―その3―」中、最初から15枚目、最後から6枚目のクハ5に関し、誠に失礼ながらこれは須磨老人の縄張り?車輌である。すなわち戦災車ではない。
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静岡鉄道クハ5 1954年8月12日鷹匠町 吉川文夫撮影
何はともあれ、妻面下部の斜めになった部分をしっかとご記憶ありたい。で、次の写真を。 続きを読む

東海道の電車を楽しむ-その3-

本稿その2に登場した伊豆箱根鉄道及び伊豆急行の本社は三島市内で、その昔の国境(相模、駿河)箱根峠を共有しているので連結させた。観光地としての伊豆半島の存在は大きく、老人お気に入りの景色は箱根峠を登り降りするケーブルカーで、晴れた日は相模湾が一望の下に広がりとても眺望が良い。箱根峠を下り平地に出ると三島に至る。ここは駿河東地区の中心で、徳川時代の伊豆半島は「伊豆」として独立していたが現在は静岡県に併合された。三島から沼津に駿豆電気鉄道と称する路面電車が1906(明治39)年に開通したが、1963(昭和38)年に廃線となった。当線は伊豆地方の電気鉄道事業の先駆者で、以前、須磨の大人がデジ青で紹介したと思う。沼津駅の仮泊が良いと言ってくれたのも彼で、待合室で電気機関車の入れ替え作業を子守唄にしてぐっすり寝込んだ。三島は11番目、沼津は12番目の宿場となる。

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実験ホームドア見物

2016年11月2日デジ青[77206]にて三原在住の西村雅幸さんから勤務されていた会社が製作したマルチ対策ホームドア(どこでもドア)が京浜急行三浦海岸駅に実験用として設置されたので関東在住者で行ける者がいたら行って報告せよとのことであった。このところ天気もよくなってきたので今日6日に見物に出かけてきた。技術的なことなどポイントはわからないので写真で見ていただこうと思う。午前10時過ぎで既に撮影者が2名いた。また、案内なのか監視員が1名いた。

京浜急行の終点三崎口の一つ手前三浦海岸駅の下りホーム品川より1両分に実験用「どこでもドア」が設置されている。 ▼s-16-11-6%e4%b8%89%e6%b5%a6%e6%b5%b7%e5%b2%b8%e5%ae%9f%e9%a8%93%ef%be%8e%ef%bd%b0%ef%be%91%ef%be%84%ef%be%9e%ef%bd%b1

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